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胡蝶  作者: 戦国
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8 戸惑い

 九条の胸元に抱きかかえられ暫く泣きじゃくっていた植松だが、ようやく落ち着きを取り戻した。落ち着いたと同時に恥ずかしくなったらしい。慌てて九条から離れ謝罪の言葉を口にしている。そんな彼を見て少しは立ち直ったと判断したのだろう、九条は立ち上がり千堂の隣へ戻って来た。


「状況が大分変化した。三人の事はとても残念だけど、まだ一人見つかっていない。保護している稲葉君と仲矢さんの方も何か変化はあるかもしれない。僕達はそろそろ次の捜査に移ろうと思う。まだ何か君達の方から話しておきたい事はあるかい?」


 九条が腰掛けるのを横目に見ながら、千堂が学生達に語りかける。その問いかけに一旦は首を振った彼等だが、掠れたような声で植松がおずおずと右手を挙げた。


「あの、出来れば、連絡先とか教えてもらえませんか?二人の状況とか教えてもらえたら教えてほしいし、野田が見つかった場合も…。後、あの、九条さんのスーツ、クリーニング代とか…。」


 そう言って、植松は申し訳そうに九条の胸元に目線を向ける。確かに九条の胸元は涎やら鼻水で少し濡れていた。僅かに下着も張り付いて透けている。成程と納得した千堂が植松に視線を戻すと、顔を赤くして俯いていた。申し訳なさと恥ずかしさに居たたまれなくなったのだろう。


「クリーニング代は大丈夫です。そうですね、私達からまた連絡したい時もあるかもしれないから。」


 躊躇い無くスマートフォンを取り出し要望に応えようとする九条を手で制し、千堂は自身のスマートフォンを取り出した。


「僕の連絡先を教えておこう。正直君達もひょっとしたら九条の方が連絡しやすいかもしれないが…一応男の僕の方を教えておく。大丈夫、この事件に関して君達と会う時は、必ず九条も連れてくるから。」


 言葉は優しげにしかし視線が鋭くなりそうなのを隠しながら、千堂がそう話すと学生達は違和感無く納得したらしい。代表者という事で千堂は武家尾と連絡先を交換した。

 最後に、裏付けを取りたいからと、植松からレンタカーショップと居酒屋の場所と連絡先を教えてもらい、ラウンジでの話し合いはお開きとなった。





「子供相手に嫉妬ですか?」

「ふぶぅっっ!!」


 車に戻りお茶を口に含んだ所で投げつけられた爆弾に、千堂は慌てて右手で口を塞ぐ。先程の連絡先交換の事を言っているのだろう。幸い車内にぶちまける事は無かったが、気管にお茶が入り込んだ。咽ながら右の九条に恨めしげな目を向けると、九条は涼しい顔でシートベルトを着けていた。


「冗談ですよ。車内汚さないでくださいね。」

「お前なぁ…。」

「お姉さんを取られそうな小学生みたいに見えたのは事実ですけど。」

「お前さぁ…。」


 気安いやり取りが出来る程度に仲は良いが、男女の仲があるわけではない。千堂自身最初は彼女の美貌に心を動かされた事があったのは事実だが、最近は頼りになる相棒として九条と向き合っている。彼女に向ける感情は、心を開いているという点で上司の五味と同じく『身内』に近いものがある。

 だからこそ彼女の言う通り、『男』としてではなく『身内』としての嫉妬心のようなものがあっただろと言われると、正直強く否定できないと自覚していた。


 それを難なく見抜いて、遠慮無く放り込んでくる。自覚しているから何も言えない。千堂の遊びが『言葉』なら九条の遊びは『千堂』だ。千堂に毒を吐いたりするのもそのせいだと思いたい。

 だが、彼女が遊ぶ時にも理由はある。嫌な気分や辛い気分になった時。一人で処理するのが難しいと判断している時。モチベーションの回復手段の一つだということを千堂は理解していた。それほどに学生達とのやり取りは心にくるものがあったのだろう、千堂は諦めることにした。


 車が動き出し正門に差し掛かる際、先程話した警備員が見えた。少し時間は食ったが許容範囲内だろう。助手席の窓を開け感謝の意を示すと、笑顔で労いの言葉を返してくれた。

 そのまま門を出て、しばらく行った所で九条が路肩に車を寄せ停車させる。


「この後どうしますか?」


 少し不安げな表情で九条が尋ねてくる。もう少し『遊び』に付き合ってやる必要があるかなと感じた千堂は、先程の仕返しの意味も含めて口を開いた。


「九条、今夜空いてるか?一晩一緒に過ごさないか?」

「はい。わかりました。でも、ホテルは嫌だし、私の家や先輩の家は論外ですよ?警察署に仮眠室とかありましたっけ。」

「お前よぉ。ちょっとは動揺とかしたらどうなの?」


 悔しそうに千堂が吐き捨てると、何でも無い事のように九条が毒を吐いた。


「先輩に私を口説こうなんて度胸が無いのは存じております。仕事中はともかく基本ヘタレですからね。ナンパなんて無理だし、した事もないでしょう?」

「うぐっ…。」


 毒に怯んだ千堂を見て微かに微笑んだ九条は、しかし直に真剣な面持ちで千堂に向き直った。その目はしっかりとした覚悟を孕んでいた。


「…遊園地跡地、行くんですね?」

「あぁ。」


 僅かだが迷っていた千堂だが、九条のその目を見て覚悟を決めた。今回の事件の相棒が九条で本当に良かったと安心する反面、万が一何かがあった時に九条を守れるだろうかと不安が膨らむのを感じた。



「先輩はあの話を信じましたか?」

「お前は…信じるって言ってたから…信じたんだよな?」

「はい。でも、正直に言うとそれでも信じたくない、ですかね。」


 肩を落とす九条を見て千堂は嘆息する。まぁそうだろうなと呟くと九条はさらに肩を落とした。自分の発言と学生達の気持を考えると、信じ切れない自身が悲しいのだろう。真面目で心優しい奴だ。


「俺は信じてないし、疑ってもいない。」

「はい?」

「正直判断が付かないから、夢とか呪いとかはパスだ。」


 は?と九条の威圧的な声が車内に響く。Hの音が聞こえ辛かったのはたぶん気のせいだ。


「だからわかっている事実だけを元に考える。」

「はぁ。」

「六人は跡地内に入った。植松は入らなかった。そして全員跡地から離れてしばらくは何も問題は無かった。後で居酒屋とかで裏付けは取るが、植松のここまでの話に嘘は無いだろうと思う。」

「そう、ですね。」


 ふざけている訳ではないと理解したのだろう。九条はようやく後輩らしく相槌を打つようになった。彼女の様子に胸を撫で下ろしながら千堂は続ける。


「で、日を跨ぐと植松は何も無く、六人、いやまだ五人か。彼等には何らかの変化が起きた。だが、その変化の原因は遊園地跡地にあるかどうかはわからない。」

「はい。」

「本来なら、六人のレンタカーショップや居酒屋後の行動に何かあったかを疑うべきだとは思うが。彼等の足取りを追うという意味でも、どうせ一度は跡地に行った方が良いのは事実だ。」


 そこまで話した所で一旦区切る。ただ、ここからだ。植松の話を馬鹿な夢だと切り捨てるには稲葉、仲矢達の状況がおかし過ぎる。


「植松の夢の話を全く信じないなら普通に気にせず見てくれば良い。だが現状おかしな事が続いてるから、万が一を考えて寝てる時、起きた後に傍に誰か居た方が良い。そうだな、五味さんには悪いが、あの人にも署内に泊ってもらおう。」

「なるほど。それなら二人で入りま…」

「入るのは俺だけだ!」


 不穏な事を言いかけた九条の言葉を遮るようにして千堂が声を荒げる。千堂の大声にビクリと肩を震わせた九条だったが、直に立ち直り不満を口にする。


「事件に関係ありそうな現場なら一人よりも二人で見た方が良いです。先輩一人で入って行くのを私に一人で見ていろと?跡地内で何かあったらどうするんですかっ!大体先輩は信じてないんですよね?それなら私が入ったって何の問題も無いでしょう?」

「『万が一』がありえるとは言ってんだろっ!」

「『万が一』って何ですかっ!!」


 叫び声に近い大声で反論する千堂に対して、それ以上の剣幕で九条が詰め寄る。その力強さに押されながらも、千堂は渋々といった具合に口を動かす。彼の脳内には、今朝の病院での光景が思い起こされていた。


「稲葉や仲矢みたいになる可能性が万に一つでもあるなら、お前は入るべきじゃない。あんなの年頃の女が晒して良い姿じゃない。避けられるなら避けるべきだ。」

「っ!!…そんな事を言ってる場合じゃないでしょう。…っていうか、割と信じてるじゃないですか。」

「…うるせぇ。そんな訳ねーなんて鼻で笑って捨てられるほどの余裕はねーよ。今の状況全部合わせると。」

「それも…そうですよね。」


 時刻はまだ昼の2時を過ぎたあたり。たかだか数時間の間に得られた情報があまりに濃すぎる。その事を思い返すと、言葉が出てこなくなる。直前の五月蠅いやり取りが嘘のように車内は静まり返った。

 気まずさを感じさせる静寂の中、先に口を開いたのは九条だった。黒くて大きな瞳は千堂を見据え、自身の主張を曲げさせないという意思を感じさせた。


「私も入りますからね。」

「…わかったよ。」


 その目をした九条は意見を変えない。その目をさせる前に言い包めたかった千堂だが、出来なかった自身の不甲斐なさを嘆き項垂れた。

冷静になって思うと、『植松ように入らなかったパターンも検証したい』とでも言えば、あるいは九条を留まらせる事はできたかもしれない。だがこの目をした後に言っても、九条は自分が入るから千堂が残れとしか言わない。しかし、九条を一人で入らせる選択肢は端から千堂の頭には無い。こうなった以上は、このルートで最善を目指すしかなくなった。千堂は溜息を一つ零すと、この後の予定を組みたてつつ九条に指示を出す。


「お前はとりあえず一度家に帰れ。そのスーツもそうだし、泊るなら着替えもいるだろう。」

「そうですね。でも、先輩は?」

「俺はこういう時用に署内にスウェットを置いてるからな。」


 そもそも、男と女ではこういった事へのハードルの高さが段違いだ。男の自分なら、スーツの皺に目を瞑れば、最悪着の身着のまま一晩過ごすのも大した苦痛ではない。しかし、若い女性の九条に態々それを強いる理由も無い。丁度良い具合に時間的余裕もあれば、九条の準備時間に済ませておきたい事もある。


「ついでにシャワーでも浴びて少しくらいゆっくりして来い。その間に、五味さんへの事情説明込みのお願いと、植松の話の裏付けをやってくる。諸々終わって4時くらいに一旦署に集合でどうだ?そこで改めて五味さんに話して出発すれば、6時前には跡地に着く。日も長くなってきたし跡地一周くらいは明るい内にある程度周れるだろう。」

「ありがとうございます。ではお言葉に甘えて一旦帰ります。でもそうなると先輩は帰らないんですよね?…それじゃ、ついでに下着と靴下買ってきましょうか。」

「いや、いらんぞ、その気遣い。そもそも女が男もんを…」

「不潔なんで下着と靴下は替えてください。大体女性が男物の下着を買うのはハードル高くないですよ。逆は大変そうですけど。ま、シャワー浴びさせてもらえるお礼って事で。」

「いや、そうじゃなくてね…。」


 二コリと笑う九条に千堂の返す言葉が無くなる。そういう事ではない。何が悲しくて年下の若くて綺麗な女性に下着を買ってこさせなきゃならないのか。それくらい自分で買っていくというのに、保護者役が板につくにも程があるのではないか。男心というものを何と説明したら良いか分からなかった千堂は、しぶしぶ引き下がり車を降りる事にした。

 車を降りて扉を閉めた所で、助手席側の窓が開き始めた。車内を見ると、九条が運転席からこちらに身を乗り出していた。


「先輩と遊園地デートする日が来るとは思いませんでした。」

「あぁ、最低の思い出にならなきゃ良いけどな。そうなったら上書きを希望するよ。」

「考えておきます。」


 九条はそう微笑むと窓を閉め、車を発車させた。ふざけた約束を交わしたが、そんなもの反故になってくれれば良い。車を見送った千堂は、とりあえず喫煙できる場所を求めて歩き始めた。


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