5 不可解な学生達
突然見せられた人物の写真に困惑の色を濃くした保田に対し、千堂は彼女の状況も補足する。その説明にやはり衝撃を受けたのか、顔色をさらに悪くした保田だったが、隣にいた矢田に背中を撫でられ直ぐに落ち着きを取り戻した。普段から年の近い兄貴分のような良い関係を築けているのだろう。そんな矢田の人柄に感心しつつ、一拍置いた所で千堂は質問を再開することにした。
「保田君は二人とも知っているんだね?ちなみにこの二人はどういう関係かな?ただの先輩後輩、あるいは特別仲が良かったりするのかな?」
「えっと…恋人同士です。サークルでもみんなから可愛がられるような、愛されてるカップルです。…なんで、そんな、二人して、そんな状況になっているんですか?」
「ごめんね。僕らもそれを調べ始めたばっかりなんだ。」
「そう…ですよね…。」
見るからに落ち込んだ様子の保田を見て、『みんなから愛されてるカップル』というのは本当なんだろうなと千堂は考える。おかげで二人の現状とイメージが遠退いていくように感じる。ますます事件が捻じれてきたもんだと頭を掻きながら唸った所で、保田から有難い提案を受けた。
「あの。俺四年なんで、最近サークルにあまり顔出してないんです。」
「うん。大抵のテニサーは三年で引退だもんね。」
「はい。なので、二人の最近の様子とか全然分からないんですけど。ただ、現役なら分かると思うので、今の幹事長…あ、三年のサークルの代表に連絡取りましょうか?」
「本当に?お願いできるかい?」
「はい。ちょっと今電話します!」
そう言って保田は電話を掛け始めた。そんな様子を横目に矢田が千堂に小声で話しかける。
「おい、二人揃ってとか、そんなやばそうな事件なのか?クスリとかそんなもん出てこないよな?」
「捜査内容は簡単に教えられないんだけどな。お前の気持ちは分かる。安心させてやりたいのは山々だが、正直今んとこ手掛かり皆無だ。ただまぁ、勘だがサークルは関係ないだろうよ。」
可愛い学生が所属しているサークルの二人も異常事態に陥っているとなれば、教員としては不安にもなるだろう。そうだと良いがと嘆息する矢田を慰めながら横目で九条を見ると、彼女は小さく首を傾げていた。何やら疑問に思った事があるらしい。後で確認してみるかと考えていると、スマートフォンを片手に保田がこちらに寄ってきた。
「あの、今電話しているんですけど。」
「うん、時間取ってくれそうかな?」
「それが…大学に来ているのであれば、是非刑事さんに今すぐ相談したい事があると彼が言ってまして…」
「んっ?」
「電話、代わっていただけますか?」
そう言いながら保田が通話中のスマートフォンをこちらに差し出してきた。小さく首是して受け取り、そのまま右耳に当てる。
「もしもし、保田君から代わりました、千堂といいます。保田君の所属するサークルの幹事長さんですか?」
『はい、保田さんと、稲葉、仲矢も所属するサークルの幹事長やってます、武家尾隆志といいます。保田さんから話を聞きまして、刑事さん、今大学にいらっしゃるんですよね?今から直接会ってお話できませんか?二人の事も含めて相談したい事があるんです!』
スマートフォンから矢継ぎ早に男の声が溢れ出し、千堂は顔を顰める。向こうから話したいというのは予期せぬ幸運と言えるが、半ば早口に捲し立てるような話口から嫌な予感が沸々と沸き立つのを感じる。かといって話に乗らないなんて選択肢がある訳がない。腹を括った千堂は、武家尾の相談したいという要望に応える事にした。
「わかりました。僕達もお伺いしたい事があるので、すぐにお会いしましょう。どちらに向かいましょうか?大学の外の方が良いですよね?」
『いえ、今、サークルの仲間数人で集まっているんです。ラウンジと呼ばれる所にいるんですけど、そちらでみんな一緒に相談させてください。』
「いや、でも、周りに人がいると話しづらくないですか?」
『大丈夫です。もうすぐ昼休みも終わってテストが始まればラウンジから人は相当減ります。特に二階部分は今の段階でほとんどいません。何よりすぐにでも話したいんです!今どちらにいらっしゃいますか?すぐに迎えに行きますので!』
「いや、大丈夫。ラウンジですね?場所はわかりますから、すぐにこちらから向かいます。」
『本当ですか?ありがとうございます!!では、ラウンジの入り口で待っています。』
そこまで話し終えた所で通話を切る。あまりに切迫した様子に、只事ではないと感じた千堂は、言葉の通りすぐに武家尾が待つというラウンジに向かうことにした。スマートフォンを返し、矢田と保田の二人に感謝の意を示した後、九条を引き連れて歩きだす。
先程までいた茂手木研究室を含む建物は、最寄り駅である若葉駅から来た場合通る西門のすぐ近くにある。千堂も西門を利用する学生の一人だった。そこから中心へとまっすぐ進むと授業の行われる多くの建物が立ち並ぶのだが、その道の途中に『ラウンジ』がある。そのせいで授業まで辿り着けない事が多かったなぁと過去を思い出していると、ふいに九条から声を掛けられた。
「先輩もテニスサークルだったんですか?」
「うん。それがどうかした?やっぱ軽そうだわこの人とか失礼なこと考えてる?」
「いや、それは本当にどうでも良いです。まぁ詳しそうだなとは思いましたけど。」
「ああー。」
自分の予想を超えてくる辛辣さにさすが九条だなと妙に感心しながら、しかし横の後輩はまだ何か聞きたい事があるらしく、察した千堂は続きを促す。
「さっき『勘だがサークルは関係無いと思う』って矢田さんに言ってましたけど、根拠が何もない適当な事先輩ほとんど言いませんよね?慰めてるだけにも見えませんでしたし。何かあったんですか、私が気付かなかった事で。」
その言葉に、やはりコイツは優秀だなと千堂は感嘆する。普通に見てれば旧友を慰めて気休めの言葉を掛けているだけで、そこに違和感なんてない。
それでも、千堂の本質を見抜いている九条は、またその時の表情なども合わせて何か感じたのだろう。本当に人を良く見ている。そして、そう結論付けた上で、自分に失点が無かったかをすぐに探ろうとする。相棒としてはこれ以上ないほど優秀だ。だからこの後輩とコンビを組むのはやり易い。そんなことを考えていると、次の目的地が見えてきた。
「ほとんど言わないだけで、たまには言うさ。根拠なんて確かなものは無い。ただ、確かに心からそう思いながら言ったのも事実だ。感覚みたいなもんかな。目的地についたし、ま、後で話すさ。」
そうして話を終わらせつつ、目線の斜め上あたりに見える建物を指さす。目の前の外階段を昇った所にあるのが、ラウンジあるいは学生ラウンジなどと呼ばれるスペースが含まれる建物だ。試験に向かうだろう学生が階段を次々と降りてくる。対して階段を昇っているのは千堂と九条の二人だけだった。
その名の通り、ラウンジは学生達の公共スペースだ。授業の合間など暇な時間をここで過ごす学生は多い。レポート等の課題に励む学生もいれば、昼寝をしたり仲間と談笑したりして寛ぐ学生もいる。
ただ、特徴的な事として、サークルのメンバーで集まっている団体が驚くほどに多い。マンモス大学だからか、あるいは理系であるが故か、勉学に関係する建物だらけで、若葉大学理工学部敷地内にサークル棟などと呼ばれるものは存在しない。もちろん敷地外にはあるのだが、理系は忙しく移動に時間を取られる事を学生は嫌がる。
そのため、このラウンジが部活における部室のように、サークルの溜まり場として使用されるという背景があった。
階段を昇り切ると、目的地の入り口に学生らしき人物が立っているのが見えた。明るい茶髪にスポーティな服装。成程、偏見を承知で言わせてもらえば、如何にもテニサーらしい青年がそこに居た。しかし快活そうな見た目とは裏腹に遠目に見ても表情が暗いのが分かる。
そんな彼もこちらに気付いたようだ。テスト期間のこんな時期にスーツ姿の二人組ということもあり、電話の相手だと察したのだろう。こちらに会釈すると話しかけてきた。
「すみません、先程の電話の千堂さんですか?」
「はい、千堂文弥と言います。君は武家尾君かな?」
千堂の返答に対し、武家尾の暗かった表情が幾分和らいだ。刑事と向き合うと大抵の人間の顔が強張る事を鑑みれば、不自然とも言える。この反応は、例えば事件を目撃し通報した民間人が、駆け付けた警官に見せるそれに似ている。
武家尾の様子に幾許かの疑問を感じつつ、話の続きはラウンジの二階でと話した彼に続いて、刑事二人は建物内へと進んだ。
ラウンジは一階と二階の2フロアある。一階は広いエリアにテーブルと椅子が置かれているのに対して、二階はボックスごとに区切られている。
各ボックスは一列3メートルくらいで『コ』の字に座席が配置されていて、それらが『ヨ』の字のように隣り合って連なっている。隣り合っている部分は高さ1メートル強あり、十人前後くらいまでなら中心を囲むようにして話すのに丁度良い造りだ。また、隣り合うボックスに人が居なければ、大きな声で無い限り周囲を気にせず話すことも可能だろう。
電話で聞いた通り、テストが始まったのかラウンジ内に人は少なく、二階には誰もいないらしい。案内された場所には、おそらく武家尾と同じサークルの仲間だろう学生が他に四人いた。向かって右手に一列に並んで座っている。
こんにちはと声を掛けると、皆揃って頭を下げてきた。緊張しているのが伝わるが、それとは別に困惑している雰囲気が感じられる。自分達と話す事は彼等から望んだのだろうから、困惑しているのはその『相談したい事』なのだろうか。彼等の様子を観察していると、武家尾から左手の方へ座る様促された。
腰掛けようと左手の奥に進み彼等の方に向き合った所で、後ろについて来ていた九条の視線が鋭くなっている事に気付く。何かあるのかとその視線を追うと、一番奥に座っている――向き合うと一番左手にいる男性が、僅かに震えている様に見えた。何かあるのか、と思案を巡らせ始めた所で、武家尾から声を掛けられる。
「来ていただいてありがとうございます。早速ですが、始めても良いですか?」
「あぁ。その前にみんなにも自己紹介しておくね。僕は千堂文弥で、隣は九条。聞いてると思うけど、刑事です。少しお話の時間もかかると思うから、そちらのみんなの名前を教えてもらっても良いかな?」
「っ。そうですね、すみません。」
切羽詰まっているのか、やはりすぐに話し始めようとする武家尾。彼を落ち着かせる意味も含めて千堂が切り返す。自己紹介を終えて九条と着席すると、そんな意図を多少は感じてくれたのだろう、武家尾は謝罪を口にしながら、隣に座る学生達に目線を送った。
向かいに座った彼等は、千堂から見て右から、田中、宮西、白石、植松と順に名乗った。当然ながら皆若葉大学理工学部で武家尾と同じテニスサークル――『Wind Spirit』というらしい――の三年生という事だ。
彼等のサークルは男が若葉大学理工学部生、女は他大学の女子大学生で、所謂『インカレ(インターカレッジ)サークル』。三年生の男全員が幹部となりサークル運営に携わるらしく、彼等の代は二十人いるそうだが、その内テストが無いなどで時間の空いている五人が今集まっているのだと、ここにいるメンバーの状況を口々に説明してくれた。
説明を受けた千堂は脳内で状況を整理する。昨日の事件は、その特殊性もあり、まだマスコミには流していない。しかし、武家尾は『稲葉と仲矢の事で相談したい』と電話で話し、サークルの幹部を可能な限り集めている。武家尾が何かを知り、そしてそれがサークルに関係する事だと判断を下した。そう今の状況は見受けられる。それらを踏まえ、千堂は確認するように話を切り出した。
「僕は稲葉君と仲矢さんについて調べに来ました。それに対して武家尾君は電話で、『二人の事も含めて相談したい』と言いましたね?」
「はい。」
少し怯えるように武家尾が答える。それでも瞳はこちらを真っ直ぐ見つめ、しっかりと向き合おうとする意思が感じられる。これなら多少踏み込んでもちゃんと返してくれるだろうと、千堂は遠回しな言葉を選択肢から外した。
「彼等は今警察で保護しています。しかし、その情報は外に漏れていません。ところが電話でその事を知った君はすぐにサークルで抱えているだろう問題と結びつけた。電話の後でみんなを集めたわけじゃないもんね。既に僕らに『相談したい事』について話していたんだろう?」
「はい、その通りです。」
「そう君が判断した経緯を、まず話してくれるかな?」
「わかりました…ただ…何と言ったらよいか…。」
そう口籠りながら武家尾は表情を曇らせる。予想とは違った反応に千堂は話の運び方に間違いがあったかと振り返る。すると突然、先程震えているように見えた青年、植松が声を上げた。
「刑事さん、お願いがあります。稲葉や仲矢のように、菊池匡幸、野田修哉、佐藤優華、浜田つかさの四人も警察で保護されていたりしないか、調べてもらえませんか!?」
唐突過ぎる申し出に千堂は植松へ目を向ける。武家尾とは比べ物にならない程切迫した様子に、思わず目を見開く。先程の様子も含め意味が分からない。呆気に取られていると、正面で他の学生が植松を宥めているのが目に入った。
「すみません。相談したい事というのがこれなんです。」
その声に意識を戻すと、武家尾が絞り出すように続ける。
「六人と昨日から連絡が取れなかったんです。ただ、何があったのか見当もつかなくて。事件でもあったのかと心配して幹部で集まったんです。そこに刑事さんから稲葉と仲矢の話を聞いて、何か手掛かりが無いかと相談したくて…。」
思いもしなかった展開に、横の九条と目を合わせる。九条もやはり混乱しているようだ。しかし、事件の異常性を考えるとこの情報は無視出来ない。九条に五味へと連絡をさせるよう頼むと、彼女は頷き千切ったメモ帳一枚とボールペンを学生へと差し出した。名前の漢字と大学名を書かせているらしい。
「わかった。警察、そして病院にも該当しそうな人が居ないか調べてもらう。ついでにその四人の容姿の特徴とかも九条に教えてやってくれ。」
そう千堂も付け加えると、学生達は九条の方へと視線を集め、各々指示された行動を取り始めた。
ある程度情報が揃った所で、五味へと連絡を取るために九条が席を外した。そんな彼女を見送っていると、隣から学生の話声が聞こえた。顔をそちらに向けると、植松を他の四人が宥めているように見える。植松を良く見ると、どんどん顔が青ざめ震えも大きくなってきている。他の四人と比べて明らかに挙動不審だ。まだ何かあるのかと千堂は口を開く。
「四人については今九条が連絡をしているから少し時間が掛かると思う。その間に話を聞きたいんだが、その、植松君は何故そんなに怯えているんだ?」
そう問いかけるも、植松以外の四人は『その…』『いや…』など、煮え切らない反応をしつつ口籠る。ここにきて何かを隠す理由もないだろう。実際彼等の表情は負の感情ではなく、単純に困惑しているようにしか見えない。どう話を続けるかといったところでその空気を壊したのは、やはりというべきか、植松当人だった。
「呪い…とか、だと思うんです。」
「は?」
斜め方向から飛んで来たようなその単語に千堂は目を瞬く。周囲の学生も『ばっか刑事さんにそんな事いっても…』『そんな事はありえないって…』などと、口々に植松を窘める。それを受けた植松は、悲しそうにこちらを見つめ、静かに俯いてしまった。
正直、千堂も他の学生と同じ意見だ。呪いなんて非科学的な物を信じては刑事などやっていられない。法の番人という単語は好きではないが、それでも法に則って事件を解決に導くのだから、法の範疇に無いものに手をだすべきではない。最終的に『事件の原因は呪いでした』では事件が解決した事にはならない。そうであるから、『呪い』を可能性として捜査する事は出来ない、というのが千堂の考えだ。
しかし、じゃあ話を聞かず切り捨てるかというと、それは違う。植松は呪いだと言うが、その思考に至るにはそれ相応の理由や過程があるはずだ。だからこそ、植松には語ってもらわなければならない。否定から入れば、植松自身も自分の中で思い直し、自己判断の末に『これは関係ないだろう』と重要な事柄を切り捨てるかもしれない。
「ごめん。予想もしてなかった言葉だったから、すこし驚いたんだ。植松君、僕は君がそう思う事は否定しない。まだ僕達も何もわかってないからね。だから、君が何故そう思っているのか、知っている事を全部、うん、本当に何でも良いから全部、僕に教えてほしい。」
そう優しく語りかけると、植松が顔を上げた。少し驚きが混じっているのは、植松自身も刑事に話を聞いてもらえる事に懐疑的だったのだろうか。しかし、瞳に希望の色が覗き始めたようにも見える。
「ただ、重要な話かもしれないから、九条が戻って来るのを待ってくれるかな?」
植松の様子を確認した千堂はそう付け加えた。覚悟を決め震えの止まった植松を見て、言葉の通り重要な事柄が含まれているだろうと、千堂の勘が告げたのだ。それならば、九条にも聞いてもらった方が良い。自分では見落とす人の機微を、彼女なら拾ってくれる。
千堂の言葉を受け、場を沈黙が支配する。学生達が重い空気に身じろぎもしない中、千堂は頼りにしている相棒の戻りを静かに待つ事にした。