3 白
自身が担当する事になった強姦未遂の被疑者も、聞いていた通り痛ましいものだった。むしろこちらの方が呟き続ける内容に醜悪さを感じる分、容体を観察し続けるのが辛い。
泣いたって誰も助けにゃこねぇよ。いい加減諦めなって。暴れるなよめんどくせぇ。抵抗したって無駄だっての。あはははははははは・・・あっはははは・・・。
千堂はベッドに拘束されている被疑者を改めて眺める。黒髪でアクセサリー等は着けていない。半袖の白いポロシャツにカーキ色のチノパン。服装はシンプルだが、ポロシャツのロゴマークを見るにどうやら有名ブランドの値段の張りそうな品物だ。イケメンと呼ばれるよりは可愛いと異性には言われるだろう甘いマスクも合わせて、総じて育ちの良さそうな好青年という印象を受ける。見た目で犯罪をするしないが決まるわけではないが、それでも呟き続ける内容があまりにも青年の印象とのズレを感じさせた。
見れば見るほど不快になる事に嫌気がさした千堂は、これ以上観察したところで今は得られる物はないだろうと理由付け、部屋内の男性警官を一瞥した後、部屋を退室することにした。
「どうでしたか?」
部屋を出てすぐ、九条が千堂に尋ねる。
「女性の方は居た堪れなくて見てられないと感じたが、こっちは生理的嫌悪感がすごいな。ただ、虚ろな表情で同じ事を呟き続けている、周囲にまるで意識を向けない、なんてところは全く同じだったな。」
「同じ、ですか。」
九条は青年の部屋には入っていない。というのも、青年の方に少女とは異なる事情があったからだ。昨日確保して以降、青年は近くに女性がいると反応し襲いかかろうとするらしい。ところが女性から距離を離すと大人しくなる。そういった流れを受け、状況がはっきりするまでは周囲に女性を配置しないと早々に決定したようだ。
確かに九条を入室させなかったのは良かったかもしれない。被疑者の容体にも影響を与えるだろうが、それ以上に年頃の女性に見せて良いものだとも思えない。千堂はそう納得しつつ、被疑者について九条に説明した。
被疑者の容体は、誘拐未遂の方と同じく昨日に比べ落ち着いてきてはいるようだが、相変わらず意思の疎通は図れない。そのため、呟き続ける内容、確保後の行動も含めて誘拐未遂と同じく『強姦未遂』として扱っているようだと。それくらいしか今の所情報は無いと締めくくる。
話し終えた千堂に対し、困惑の色を濃くしながらも九条は頷く。僅かだが嫌な沈黙が場を支配した所で、それを振り払うように九条が話題を転換した。
「先輩が部屋にいる間、検査結果を聞きにいったのですが。」
「検査?」
「二人ともああいう状態なので、薬物等の疑いが持たれまして。」
「なるほど。結果は?」
「陰性でした。まだ検査をするみたいですが、医師の判断ではむしろ健康体だろうと。」
「はぁ。」
薬物であったとしても、あれ程不可思議な状況が続くのもおかしな話。だが何も無いというなら、それはそれで何とも言えない。
「薬物等の外部要因ではないならと、脳神経外科に移して脳波等の検査をこの後するらしいです。」
「それでなんか取っ掛かりでも出てくれば良いんだが。んで、時間は掛かりそうなのか?」
「はい。検査して結果が出るのは夕方以降だと。」
そうなれば、ここにいる理由も無い。次に向かうべき場所を思案しながら、千堂は九条に確認する。
「九条、車で来てるよね?」
「はい。」
「じゃ、車出してくれ。」
「良いですけど、どこに行くんですか?」
「とりあえず若葉大学。」
この時期ならまだギリギリ夏休みに入る前のはず。特に青年の所属する理工学部ならテスト期間真只中だと思う。真面目な学生の勉学を邪魔するのは心苦しいが、もう少し日が経てば、大学で青年の関係者を探すのも一苦労になるだろう。
「被疑者の大学ですね。ただ、ご存じの通り、私の車は禁煙ですよ?」
「うん。なんで、ちょっと時間どっかでもらえるかな。」
「…わかりました。大学行く前にコンビニに寄って昼食買っていきましょうか。」
「ありがとう。じゃ、行こっか。」
車内は禁煙だとしながら、吸うな我慢しろではなく、昼食を買うためだからと喫煙スタンドがあるだろうコンビニに寄ってくれる九条は、なるほど自身の扱い方が上手い。こういう事を繰り返しているから保護者認定されているんだよなと、千堂は苦笑いを浮かべた。
九条の車に二人が乗り込んだ所で、千堂は車内に目を配る。国内メイカーの大衆車で色も白色。車内に小物もなく年頃の女子らしさをまるで感じないが、本人曰く『性能は良いし小回り利くし、仕事するうえで非常に楽だ』との事。サバサバしたもんだと納得していたが、後に後輩が零した一言をふと思い出した。
「ふーちゃんか。」
何の気なしに呟いた千堂だったが、突如背筋に悪寒が走るのを感じた。冷や汗を流しながらゆっくり右隣を見ると、感情が一切削ぎ落とされたような九条の、仄暗い瞳と目が合った。
「忘れろ、と、言いましたよね?」
「はい。すみませんでした。すぐに忘れます。」
口から反射で謝罪が零れた。空気の重さを感じていた病院から離れて気が緩んだらしいが、失言にも程がある。相変わらずの自身の口の軽さに辟易しながら、それでも千堂は直前の言葉に反し、初めて彼女に恐怖を感じた時の事を思い出していた。
彼女は愛車に名前をつけている。また、その名を呼んだ時の表情からして、随分愛着があるらしい。
普段笑わないわけではないが、崩れ過ぎない小奇麗な笑い方をする。それが嫌みっぽくならない程度に顔の造りが整っているため、それはそれで画になる。
しかし、愛車の名前を呼んだ時は、にへらっなんて音が聞こえてきそうなぐらい相好を崩した。まるで少女の様な可憐さに動悸が速まるのを感じた千堂だったが、ふーちゃん?と彼女に問いかけた瞬間、彼女は自分の失態に気付いたらしい。
それまで上機嫌だった彼女は、苦い顔をしながら『聞かなかった事に』と懇願した。しかし、直前の彼女のいつも見せない表情に浮かれ気分になった千堂は、からかい半分興味半分でその名を繰り返したのだが、直後、彼女から表情が消えた。そして底冷えするような声で一言千堂に命令を下した。
「忘れろ。」
恥ずかしがったり怒ったりしながら言われたのならばまだ良かったが、あれは怖い。その後に何事も無かったかのように普通に戻った事も含めて怖い。
何が地雷だったのか確証は無いが、おそらく九条自身のイメージから外れた少女らしい所は隠したいのだろう。それ以外で彼女の隙らしい隙を見た事は無いが、もう少しくらい弱点を晒してくれれば可愛げがあるだろうに。なにより自分の先輩としての立場ももう少し強くなるのに、などと千堂は思っているのだった。どうやら無意識に自分の力だけでは立場向上は見込めない事は千堂も分かっているようだ。
思案に耽っていた千堂だったが、その間に『ふーちゃん』もとい車はコンビニに到着したらしい。ちゃんと店の側面に喫煙スタンドのあるコンビニだった。最近そういう店も少なくなってきている事を思い、喫煙者の肩見の狭さを嘆きつつ車を降りる。
「では、リフレッシュタイムをどうぞ。昼食先輩の分も買ってきますけど、何にしますか?」
「緑茶とおにぎり。具はおかかとシーチキンで。頼むわ。」
九条の気遣いに感謝しつつ、千堂は自身の希望を伝える。合わせて千円札を渡すと、九条は少し微笑んだ。
「そういう所はちゃんと先輩だなぁと思いますよ。」
「奢るとは一言も言ってないぞ?」
「『釣りはいらん』ですよね?」
「その通りだ。」
「ごちそうさまです。」
軽く頭を下げ店内に入っていく後輩を眺める。たかだか数百円でごちそうさまも何もと思う反面、そういう所はちゃんと可愛い後輩だよなぁと苦笑いしながら、千堂は煙草とジッポを取り出した。
フィルターを咥えジッポで火を点けると、肺へ煙を送り込む。ふと視線が『ふーちゃん』に向いた所で、何故かそんな名前の白い猫が頭に浮かんだ。
正面から見た顔立ちが猫っぽいからだろうか?確かに似ている気がするが、肝心の猫の記憶があやふやだ。そもそもいつの記憶かもはっきりしない。どうやらさっきまでの事柄で多少頭の中が混乱しているのかもしれない。まぁどうでも良い事だと頭の隅に追いやって千堂は空を見上げた。
相変わらず照り付ける太陽と訳の分からない事件の事を思うと、もやもやしたものが体中に留まっているような感じがする。千堂は頭を掻きながら、同じもやもやなら一緒に体外へ出て行けよなどと、仕様もない願いを込めて煙を吐き出した。