15 真相
♪My mother has killed me.
My father is eating me.
My brothers and sisters sit under the table.
Picking up bury them under the cold marble stones.♪
妙なメロディが千堂の意識を呼び起こす。ふらつく頭を持ち上げ音の聞こえる方に目を向ければ、憎むべき悪夢の執行者が歌っている姿が目に飛び込んできた。
慌てて左手を握り締める。そこにはちゃんと温もりがあり、千堂はほっと息を吐き出す。握りしめた手が握り返され、九条も目を覚ました事を確認した千堂は、改めて悪魔に対して向き直った。
薄ら笑いを浮かべた不気味なウサギ。夢の中では、恐怖を感じ、嫌悪し、そして怒りを抱かされた相手。だが何故か目の前の存在は、姿形は同じなのに受ける印象がまるで違う。
確かにその造形は不気味だ。だが、歌う姿は優雅で、その佇まいには神々しさすら感じる。抱かされる感情は『恐れ』ではなく『畏れ』だ。その事に疑問を抱けないまま、だから千堂は畏まりながらも震える唇を動かした。
「あなたは何者なんだ?悪魔、とかじゃないのか?」
「おや、気付いたかい?」
ウサギの口調も、夢の中とはまるで違う。いや、正確に言えば、夢の最後に語りかけてきたそれに近い。困惑して次の言葉が続かない千堂に代わり、九条が口を開いた。
「夢で助けてくれた方のウサギですよね?」
「助けた?」
九条の発言に千堂は尚困惑を深める。
「いや、手伝ったのは確かだけど、助かったのは彼のお陰だよ?彼は一応二つ持ってたからね、一つを君に使わせてもらっただけさ。」
「それでも、それを使ってくれたのはあなたです。ありがとうございました。」
そのやり取りでようやく千堂にも合点がいった。旭が気付いた『善行』の事だろう。どうやらそれを使う事で、九条が悪夢から目を覚ます切欠となったらしい。
だがそれなら何故あんな目に彼女が遭う前にと鋭い目線を向けると、ウサギは肩を竦めた。
「僕だって全能じゃない。彼女が行った善行では無いからアトラクションの参加には何も言えない。でも、VIPに連れてくのは違うだろう?と、千堂君の善行を使って彼等に納得してもらっただけだよ。」
「そういう事みたいです。」
ウサギの言い訳には九条も納得しているらしい。分からない事も多いが、目の前の存在は九条の致命傷を防いでくれた事は千堂にも伝わった。それならばこれ以上筋違いな怒りを抱いた所で仕様が無いのかと、その怒りを心に押し込んだ千堂は頭を下げた。
「わかった。俺からもお礼を言わせてもらいたい。本当にありがとう。その上でもう一度聞きたい。あなたは何者なんだ?」
「そうだねぇ…君達が言う所の『神様』だよ。」
「神、様。」
その言葉がストンと胸に落ち着いたような感覚を二人は味わう。確かに目の前の存在から発せられる圧倒的な存在感は、その有り様も含めて納得させられる。だが神と名乗った存在はいやいやそうじゃないと、話を続けた。
「『神』といってもね。そんな大層な物じゃない。日本には八百万の神々が居るって言うだろう?正確に言うなら違うけど、まぁその一つと思ってもらえれば良い。もっと正確に言うなら、遊園地のマスコットが『付喪神』になったようなもんだと言えば分かりやすいかな?」
成程目の前の不気味なウサギは、そういえば元々遊園地のマスコットキャラクターだった。それが付喪神になったというならば、その姿を取っている事は理解できる。
「僕の正体が理解できた所で。さて。君達が聞きたいのはこの場所がなんでこんな事になっているか、だよね。少し長い話になるけど、聞いてくれるかい?」
唐突な申し出だが、それを望んで二人はここにやってきた。それを断る理由などあるはずもなく、刑事二人は揃って頷いた。
そして、神様は二人の人間に真実を語り出した。
千堂君。君が予想した通り、始まりはこのお城なんだ。
誘拐事件が多発したって聞いただろう?未解決のものもあるって。不思議に思わないかい?遊園地内で行方不明。それが解決してないものが多数あるのもおかしいし、世間でも大きな騒ぎになってないだろう?
未解決なのは複雑な事件として解決出来なかっただけ、とも言えるけど、世間で騒ぎにならないのはおかしい。何故だと思う?
行方不明になった子供の親達が騒ぎにしていないんだ。何故かって?彼等が子供達を売ったんだよ。臓器売買をしているグループにね。当然騒ぎになんてするわけがない。行方不明届けを出して、そのまま迷宮入り。それで彼等は万々歳なのさ。
七不思議の一つ。お城が拷問部屋なんて話だけど、それは言い得て妙だよね。
売られた子供達は、生きたまま臓器を抜き取られた。そして、そこで病気をした金持ちの子供達に提供されたんだ。ミラーハウスの話なんかもそこから来てるんじゃないかな。お城の地下とミラーハウスは繋がっていてね。秘密の通り道ってやつさ。ミラーハウスに入った子供が出て来ないで、入った覚えの無い違う子供が出てきた。違和感を覚えた人もいたんじゃないかな。
死者の怨念は凄まじい物がある。一人、二人ならまだしも、それが結構な数になってくると、その負のエネルギーはお城だけでなく遊園地全体を飲み込み始めた。
死者は見境なく生者を呪う。結果遊園地で死者がポツポツと出始めた。ジェットコースターや観覧車がそうさ。アクアツアーもたまたま落ちた人がこれ幸いにと引き摺りこまれただけ。目撃者がいなかったから事件にならなかったけどね。
そうするとまた死者が増えて、負のサイクルは止まらなくなる。それに遊園地内で死ななくても、あまりにも強い負のオーラを浴びた人間は帰ってから死ぬ事もある。そりゃ遊園地の評判はどんどん悪くなり、地に落ちる。閉園したのも当然だね。
閉園したからと言って、人が来なくなったからと言って。すぐに恨みつらみが消えて無くなるなんて事は無い。それどころかグチャグチャと混じって、練りに練られて、より悪質な物へと変化していった。
ところで。
そんな閉園間際に僕は生まれた。僕がこんな風なのは、少なくとも遊園地を愛してくれていた人々もたくさんいたからなんだ。マスコットだった僕は、遊園地で楽しそうにはしゃぐ子供達が好きだった。だから、一種の神として生まれた僕は、それほど人間に対して敵意を持っているわけでも無い。むしろ好意を抱いている方さ。
でもね。アトラクションのシステムを考えたのは僕なんだ。
そう怖い顔をしないでほしいな。苦渋の決断だったんだよ?
自身の死を嘆き、世の中を妬み、生者を呪う彼等だけど。同時に救われたがってもいる。そんな中、例え『付喪神』だとしても『神』を冠する者が現れたらどうすると思う?当然僕に縋り擦り寄ってくる事は分かるよね?
だけど、僕は所詮付喪神だ。彼等を救い天国へと案内する事など出来ない。だから何も出来ない僕を嘲笑うかのように、彼等はこの世に留まり続け、そして呪いを繰り返す。
でもね。恨みつらみを果たしたら。自身の無念を晴らしたなら。どんな怨念もいずれあの世へと旅立つ。それが天国か地獄かは置いておいてね。恨み続けるってのはエネルギーがいるんだ。だから大半は時間が解決してくれる。
だけど。お城の子供達は、親に生贄にされた子供達は違う。
まず。恨みの対象がまだこの世にいるという事。精々数十年の話だからね。彼等の家族もほとんど存命さ。
そして、親殺しは禁忌とされているんだ。仏教が強い国だからかな。だからどれだけ彼等が被害者でも、親を殺したい程に憎み続けている限り、天国には逝けない。
僕は個人的な感情として、彼等は安らかに成仏してほしい。僕を愛してくれた子供達で、ただただ可愛そうな子供達なんだ。だから彼等の負のエネルギーを時間を掛けて取り除いて、いずれ親への憎しみを全て消した上であの世へと旅立ってほしい。
さて。そんな状況だけど、さっきも言ったように僕に力は無い。そんな事を思っていても、彼等に対して出来る事は無かった。だから彼等は人を呪う事を繰り返す。呪うエネルギーが無くなれば消えられる事を、彼等も心のどこかで理解しているんだろう。
そして関係の無い人が繰り返し死に、負のエネルギーはまるで減らない。
だからまず僕は。せめてもの抵抗として、なるべく人が死ににくい方法を模索した。
跡地内に入る事は、彼等のテリトリーに入るという事。呪いは避けられない。一律で決まったようにあらゆる人に降り注ぐ。そこで彼等に提案したんだ。
「悪意ある人にはより重たくしてみたらどうだろう?」と。
そしてその方法を提案した。それがアトラクションさ。
「君達に悪意を持って近づいて来た奴等に、夢の中で君達と同じ目を合わせてみるってのはどうかな?例えば過去の事件を追体験するなんて面白いと思わないかい?」
そう話すと、彼等は気持ち良く乗ってくれた。そこで、それならと僕がルールを造った。
一つ。遊園地敷地内に入ったら、入場券、つまりアトラクションの参加権を得る。ただし、善意を持って来園しようとするなら入場券は発行しなくても良い。そこは神の僕が判断する。
一つ。入場しても善行を積んだならアトラクション不参加の制限をする。
一つ。悪意無き来園ならフリーパスでは無い。
一つ。悪意有る来園ならフリーパスでアトラクション仕様可能。
一つ。目にあまる悪意にはVIPコースで対応可能。
彼等はとても喜んだ。そして嬉々としてアトラクション運用に励んだ。善意を持って近づくっていうのは、単純にここで無くなった人を偲んで来る人も少なからずいたからさ。
善行については、冥福を祈るなど彼等の成仏に貢献してくれる。それを邪魔するのは彼等にとっても喜ばしくない事だから、ルールにも気持ち良く納得してくれた。
その結果は君達が知っての通り。植松君には来園拒否したのは、善意は無くても悪意も無かったからね。入ってしまうと助けられないけど、入園を拒否するくらいなら子供達も文句は言わなかった。
でも、彼の友人達は肝試しという墓地で死者を冒涜する行為に及んだためにアトラクションフリーパスとした。そして君達はお仕事で来たから今ここにいる、という訳だね。
何故彼等がルールを守るかっていうと、少なくとも僕を神として認めてくれているからかな。後、長い間彼等の面倒を見ていたから、保護者のように思ってくれているのかもしれない。
そしてその結果、僕としても嬉しい事が起こった。園内で死ぬ人間が劇的に減ったし、そのお陰で園内の負のエネルギーは増える事も無く、順調に消費され始めた。
さらに彼等も親に対しての恨みを、少しずつアトラクションを受ける人達に向け始めたんだ。何処にいるか分からない遠い昔の敵より、目の前の明確な存在に向けた方が楽だしね。つまり、親への憎しみも負のエネルギーも消える未来が見え始めたんだ。
まぁそれが楽し過ぎて行き過ぎて、九条さんが危ない目に遭いそうになったんだけどね。酷い目に遭わされて文句を言う、それが遊園地への悪意って判定はやり過ぎだと思ったから、千堂君の善行一つで諦めてもらったんだ。
と、こんな所かな。何か聞きたい事はあるかい?
神が語り終え、ここで一区切りだと人間二人へと会話の主導権を放り出す。だが神の独白に口を挿まなかったのは、その内容に言葉を失っていただけであり、いきなり反応するには二人の心の許容量を超えていた。
千堂は左手に力を込める。その意図を察するように瞬時に握り返された左手を通して、ようやく千堂は心に力を取り戻した。
「理解は出来る。でも納得が出来ない事もある。何故殺す必要があるんだ?」
「それは違うよ、千堂君。君が考えてる事は根本が違う。」
呪いを受けた人間が多数死んでいる。だが自分達のように死なない人間もいる。ならば全員死なない程度に出来るものじゃないかと千堂は思う。しかし、その問いに対しての返答は、前提が違うというものだった。
「彼等は人を呪う。だけど呪うだけだ、殺す訳じゃない。そこに『殺意』は無いんだ。でもね、練りに練られた呪いは人を『結果として』簡単に殺す。だからこの跡地内に入った時点で死ぬ人は簡単死ぬし、勿論死なない人もいるけど、僕にそれをどうこうする事は出来ない。それに抗って、『結果的に』助かる人が出てくるようなシステムを造るのが精一杯だったんだよ。彼等が成仏する事に協力してくれる『善行』なら呪いに対抗させられる。」
君達が助かったのもたまたまだ。善行を積んだ分だけ呪いを打ち消せて呪いが弱まっただけなんだよ、と悲しそうにウサギは嗤った。
「じゃあなんで、夢の中と同じように死ぬ事になるんだ?」
「それは本当に予想外だった。呪いを受けただけなら、原因不明で死ぬだけなんだけどね。ほら、工事に来た人達がたくさん変死したって事もあったろう?」
「あぁ、確かに。」
「だけど、アトラクションはフリーパスで何度も味合わせるって事でそっちがメインだから、直接対象の肉体を殺さない程度に呪いが分散でもしてるんじゃないかな?」
勝手な推測だよ、僕だって万能じゃない。大して力の無い付喪神だからね、などとウサギは嘯く。
「でも、何度も同じ目に心が遭わされていると、体もそれに引きずられる。明晰夢だっけ?お医者さんの言う通り催眠みたいなものなのかな。心が死んだならそれに合わせて体も死ぬ、そう、君の予想していた通りなんだと僕も思う。」
当たり前のように千堂の記憶を読み取って補足をされる。曲りなりにもこのエリアに於ける神なのだろうなと、否が応にも千堂は納得させられた。
「私からも良いですか?」
「うん、良いよ。」
「何故、被害者役だけでなく、加害者役も?」
千堂の一歩前に出た九条も問いかける。稲葉仲矢の事だろう。
「それも死者を減らすための足掻きだよ。ルールで『事件を体験させる』ってのが活きた。彼等の目的は殺す事では無く、苦しめる事なんだ。それなら加害者側でも構わない。真っ当な人間ならね、自分にその気が無い罪を犯し続けるのも、それはそれは心が狂う行いなんだよ。被害者役だとその内死ぬだろう?でも、加害者役なら、現実でそれを犯せば警察とかに捕まって身柄は抑えられる。子供達が飽きるまで続けて精神が耐えられなくても、それでも命だけは助かる。」
「でも、じゃあなんで二人だけっ!他の子達だって!!」
「元々彼等は全員『肝試し』という悪意をぶつけたから助かる予定は無かった。ただ、あの二人は心の中では乗り気じゃ無かった。後、吸殻をポイ捨てした友人を窘めてなんかもいたかな。でも、逆に言えばそれだけだ。門が立つ事を嫌って結局参加したし、窘めただけでゴミはそのまま。心根は綺麗な二人だけど、子供達の判定を覆せる程じゃ無かった。そういう風にね、呪いを消せる程じゃないけど、情状酌量の余地がある場合は加害者側を充てるんだ。社会的には死ぬかもしれないけど、命だけは助かる可能性が残るからね。」
ウサギの答えた内容は、結局人間にはどうしようも無いと言っているようなものだった。告げられた事実に千堂も九条も押し黙る。
「まぁその二人はその内目を覚ますと思うよ。子供達も飽き始めていたし。」
「助かるのかっ!?」
望外の未来予測に千堂が喜ばしいと反応する。だが告げた本人は首を振り残酷な事実を付け足した。
「命はね。男の子は強姦を繰り返している。女の子は誘拐して連れて行った子供が生きながらに体を分解される様子を見続けている。どちらも精神は壊れるだろうね。そして、君達に彼等を救う事は出来ない。」
千堂の左手が握りしめられた。横目には肩を震わせ唇を噛締めている九条の姿が映る。事件の真相は分かった。だが、結局迷宮入りだ。さらにこの場所が、これからもこんな事件を生み出す未来も簡単に想像がついてしまう。
せめてそれだけはどうにかならないか。自身がいつも目指している事だ。事件など起こらない起こさせないために。
「俺達はこれからどうすれば良い?どうすればこれ以上の悲劇を防げる?そのために、改めて来いと、そうここに呼んでくれたのだろう?」
「察しが良いね。」
千堂の言葉に神様が笑う。その笑顔に醜悪さは無く、その姿で初めて見られた本当に優しげなものだった。
「まず可能なら、跡地の血痕や死者の痕跡を調べ直して、過去の未解決の誘拐事件との相互性を調べてほしい。今の科学捜査なら違う結果も出るかもしれないね。」
「それで誘拐事件では無く人身売買として立件できれば、犯人を挙げる事が出来たなら、子供達も救われるって事か。」
「それが一番嬉しいね。」
だがそれは、と千堂は顔を歪める。それに対してわかってるよとでも言いたげに神様は肩を竦めた。
「うん、まず難しいだろうね。でも動く人間がいなければ可能性は0だ。だから実現不可能としても、可能性の芽だけは出しておきたいというのが本音さ。期待はしてないよ。」
「わかった。なら本題は何だ?」
「この事件を可能な範囲で公表してほしい。」
「どういう事だ?」
訝しげに千堂が尋ねる。公表はされる、いやされている。稲葉仲矢はともかくその他の四人は死者だ。事故として発表しない訳にはいかない。
「事故じゃなくて事件として、だよ。警察はきっとそれぞれ別個の死亡事故としてしか公表できないだろう?未解決の事件よりもただの事故とした方が楽だ。」
「それは間違いないが…」
「呪いなどと言う必要は無い。ただ、前日に跡地に行った友人達が皆同じ日に不自然な事故死をした、その事実を発表し事件性の疑いもあるとしてほしい。そのうえで跡地内には絶対に入らないように情報を誘導してほしいんだ。」
そのお願いに千堂は唸る。確かに警察が事件性を匂わせ、周囲への立ち入り禁止を呼び掛ければ余程の馬鹿でも無い限り、真っ当な人間が近付く事は激減するだろう。だが、それは余程の馬鹿を助長する事にも成り得ないだろうか。さらに言えば上層部に提案した所で棄却されるとしか思えない。
「これはあくまで僕のお願い、というより提案だ。出来なくても別に僕等は困らない。ただそれが出来たなら、子供達が余計な悪意に晒される事が減って、安らかに成仏までを過ごせるし、そちら側としても無暗に人が死ぬ事も無くなる。君の思う通り、それでも馬鹿な奴は来るだろう。でも、その度に事故として処理されていたら、いつまでたっても死者が減る事は無いと思うよ。」
「それも、そうかもしれないな。わかった、世間に公表出来るかは分からない。だが少なくともそう出来るように動こう。」
千堂のその宣言に、神様もニコリと頷く。そしてついでだと言わんばかりに魅力的な提案を告げる。それは何も出来ないのかと項垂れた刑事二人に対しての、僅かながらの褒美のようでもあった。
「ありがとう。そのお礼と言う訳じゃないけど、稲葉君仲矢君のアトラクションはクリアにしておいたよ。心が完全に壊れる前に、ギリギリ間にあったみたいだね。」
「何っ!?」
「ここに来る時に君達が献花してくれたろう?二人で善行二つだ。その分をアトラクションを受けている二人に使わせてもらう。本当なら君達が再びここに入った事との相殺のつもりだったんだけど、君達の心根に子供達も悪意を向ける気にならなかったみたい。『神様が呼んだから神様の友達なんでしょ?』だってさ。神の友人には手が出せないなんて、可愛い所もあるもんだよね。」
「ははっ。神様のお友達か。」
力の抜けたように千堂が笑う。だがここに再び訪れた事が少しでも報われる結果に、口元が緩んだ。神の言葉を信じるなら、稲葉と仲矢の心はまだ生きている。精神的ケアが必要だろうが、再び日常に戻れる日もきっと訪れるだろう。
「急いで帰ってやる事が色々増えたな。」
「そうだね。もう帰るかい?」
「いや、せっかくだからあと二点聞きたい。まずメリーゴーラウンド。あそこは結局何も無いのか?」
「うん。あそこは全く穢れていない。もともと子供達に人気な乗り物ということもあって、子供達の魂を安らげる場所になってる。廻るという事が輪廻を思い起こさせる事もあるのかもしれない。だから夜中に勝手に動いているのを誰かが見て七不思議に取りこんだのかもね。」
とりあえず七不思議は全て網羅した。解決したかは置いておいて、それでも事件の概要をほぼ把握するに至っただろう。これをどうやって扱うか。それがこれから千堂と九条に科せられた大きな問題ではあるのだが。
「もう一つはなんだい?」
「マザーグース。日本の神様が歌うには違和感しかないよ。子守唄なんだろうが。」
「あぁ。でも子供達が大好きでね。あれほど自分達にしっくりくる子守唄も無いみたいで、彼等を宥めるのにピッタリなんだ。彼等を殺したお金で親や兄弟が生きている。それは紛れも無い事実なんだ。」
「成程、確かにね。それを聞くと、改めて辛いな。」
「うん。だから君達には期待している。頼んだよ。」
神様の言葉に、千堂と九条は互いに見合い、絡んだ手に力を込めて神様に向き直る。
「わかった。」
「わかりました。」
強い決意を持った二人の様子に、神様が満足そうに頷いた。不気味なウサギが包み込むような柔らかな笑顔で別れを告げる。世界がグニャリと歪み、グルグルと回りだす。
不安定な世界の遠目に、メリーゴーラウンドが動き出すのが見えた。その脇にはウサギが佇み、そこに向かってわらわらと小さな子供達が駆けていく。その光景がとても儚げに悲しいものに見え、千堂と九条は心から彼等の冥福を祈って意識を手放し始める。
あぁ、そういえば、VIPに関して君達は勘違いをしている。VIPの意味は野田君の司法解剖の結果を見れば分かるよ。
薄れゆく意識の中遠くから声が聞こえた。その意味は理解出来ないまま、完全に二人は意識を失った。
再び千堂と九条が意識を取り戻したのは、最初に意識を失った場所と同じくお城の前だった。
無言のまま、それでもお互いの覚醒をそれぞれ確認した二人は、跡地入り口へと向かう。閉じられたままの門が二人の接近と共に開かれ。二人が通り抜けた事により再び閉じられる。
二人が跡地を振りかえれば、鮮やかな夕日に照らされた廃墟が佇んでいるだけであった。それを一瞥した二人は、車を停めている駐車場へと歩き出す。その間、ずっと手は繋いだままだった。
「連絡、しないとな。」
そう呟いた千堂は、ズボンの左ポケットにしまったスマートフォンを取り出すためにゆっくりと繋いだ手を話す。離された手を寂しそうに見つめた九条だったが、それを口に出す事は無く、千堂の意思に従った。
『終わったのか!?』
こちらが喋る間もなく通話と同時に喋り出した上司の様子が、部下二人への思いを示しているようで、千堂は力の抜けた声でそれに答えた。
「はい、終わりました。」
『そうか、二人とも無事に終わったか。』
「その証拠ってわけじゃないですけど、稲葉と仲矢、目を覚ましていませんか?」
『あぁ、その通りだ。二人とも精神は摩耗しきっているようで精神科へと移ったが、なんとか大丈夫そうだ。』
神様の言った通り被疑者二人も目を覚ました。その旨を九条にも伝えると、本当に良かったと微笑んだ。
『だが、野田の司法解剖結果が出て警察内が騒然となっている。』
「野田の司法解剖…。」
意識を失う前に神様から告げられた言葉を思い出す。彼の司法解剖結果を見ればVIPの意味が分かると言っていた。嫌な予感が汗となって千堂の頬を濡らした。
『外傷がまるで無いのに、心臓も腎臓も肝臓も肺も、あらゆる移植できる臓器が全て無くなっていてな。一体どういうこった?』
九条の夢の話を思いだす。『VIPは実体験出来る』。その意味に辿り着いた千堂は、悪夢がやはりただの夢では無かった事を思い知らされた。
肝試しでの入園がアトラクション。ならVIP条件は?跡地に対し害意ある行動を取る事。ポイ捨てされていた吸殻を思いだす、多分あれは野田が捨てた物で、その結果VIPという扱いになったのだろう。
九条の話を再び思い起こす。悪夢の中でウサギ達はVIPに案内出来る事を大喜びしていたと言う。きっと執行者のほとんどが、お城で酷い目に遭わされた子供達だったのだろう。純粋だった子供達が悪魔に成り果てる。この事件で一番救われない事実はその事だったのかもしれない。
『おい、千堂?聞こえているか?』
「あぁ、大丈夫です。その事についても説明は出来ます。警察が納得するかは別として。」
『何っ?』
「今から戻るので、帰ったら話します。電話だと長過ぎる話なので。すみません、電話切ります。」
そう話し、通話を切る。横を見れば、通話口から聞こえていたのだろう、九条が青ざめていた。その気持ちは分かるし、多分自分も同じような顔をしているのだろう。
「九条、戻るぞ。」
「…はい。」
「これからが大変だ。もうこれ以上同じ事を起こさせてはいけない。」
「はい!」
不安を浮かべたままの後輩を励ますように千堂が意思を語れば、ようやく九条の目にも力が宿った。
事件は解決には至らない。それがどうしようもなく悔しいが、自分達ではどうする事も出来ない事も思い知らされた。ならば出来る事をすれば良い。これ以上あの不幸な学生達のような人々が現れないようにやれる事をやる。
刑事の仕事は犯人を挙げる事だ。刑事としての役目は果たせないかもしれない。
でも自分が小さな頃に憧れた、ヒーローとして目指した『お巡りさん』は市民の平和を守る事。ヒーローと最初に呼んでくれた女性を前に、千堂は自身の目指す英雄像を追い掛ける事を改めて心に誓った。