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第6話 彼女の恋人




「ありがとうございましたっ! 」

今日の修行を終え、西に傾き始めたばかりの太陽光を浴びながら去って行く清白の背中に、芹は頭を下げた。

 そこへ、

「芹ー! 」

後ろから、なずなの声が掛かる。

 振り返ると、南三の丸方向から、大きめのザルを抱えたなずなが、弾むような小走りでやって来るところだった。

「修行終わった? 」

「ああ、うん」

「じゃあ、ちょっと付き合ってもらえないかしら? クコの葉がどれだか分からなくて……」

「クコ? 」

「ええ。わたし、今日は五形様から言われて、五形様が朝お出掛けになってからずっと、お花畑の仕事をしていて、他の作業は全部終わったのだけど、クコの葉の採取だけがまだなの。何か、完全な葉だけを全部採るとか」

「ああ、虫に食われちまうからな。クコはさ、五形様が御実城様のために育ててる大切な木なんだ。葉を日干しにして煎じて飲んでもらうんだって。お酒が好きな御実城様の、五臓六腑のうち、心の臓が血を体中に送り出す時の強さに関係する薬になるらしいよ」

 なずなは、へえ……と感心した様子。いつか冬瓜の説明をした時には、納得いかず気に入らないようだったが、今回の説明は気に入ったらしい。

「芹って、物知りなのね」

全く嫌味な感じなどではなく、素直な尊敬の眼差しを向けられ、芹は、何だかとても照れくさくなって、

「ご、五形様の受け売りだよ」

頭を掻きながら、なずなから目を逸らし、

「じゃ、じゃあ、お花畑に行くか」

なずなの先に立って、お花畑のほうへと歩き出す。






 芹は、なずなと共に山を登り、お花畑へ。

 お花畑とは、春日山の上のほうにある薬草園で、薬草の他に、各堂に献ずる花なども植えられている。

 お花畑に入り、クコの木のある奥のほうへと進みながら、芹、

「このお花畑はさ、ほとんど五形様だけで管理してるんだ。五形様って、戦っても、もちろん強いらしいけど」

「らしい? 」

「うん。オレ、実は、五形様が戦ってるとこって、見たこと無いんだ。でも、藤袴に関する噂で、藤袴は『軒猿の頭領たる五形と互角に渡り合える唯一の存在』、って、それがいかにも凄いことのように言われてて、で、藤袴って強いじゃん? だから、五形様は藤袴と同等か、噂の言い回しからして、それ以上に強いんだろうって思うんだけど、オレは、五形様って、本当は、薬草を育てたり、それを利用して何かをしたりしてるほうが好きで得意なんじゃないかって感じるんだ。知識が豊富だし、何より表情がさ、戦いに赴く時より、ここで薬草をいじってる時のほうが、穏やかで幸せそうでさ」

 芹は思い浮かべる。戦やそれ関連の任務の無い平時に、芹を連れてこのお花畑に来た時、植物に語りかけるようにしながら世話をしていた五形の姿を。

「まあ、誰でも多分そうよね。戦は嫌だわ。傷つけられるのも傷つけるのも、したくない」

 芹にとって、そのなずなの発言は、

(忍って言っても、やっぱ、女の子なんだな……)

少し意外で、しかし、納得いくものだった。

 男は戦うのが好きな奴と嫌いな奴に分かれるが、聞いていると、女は大体嫌いだ。平穏を好む。

 今のなずなの発言も、よく、カツや他の奥方たちが、自分の夫や息子を心配して言っていることと共通する。

 芹自身は、戦うのが好きか嫌いかと問われたら正直悩むが、今は、戦に行きたい。三月ほど前、蘆名軍に攻め込まれた菅名荘の様子を見に行く五形を大人しく見送って以来、芹は、五形が出掛けるのに、連れて行ってくれとせがんだことは無い。

 しかしその後、また、だいぶ修行を積んだ。己の未熟さを自覚し、試してみたい自分の力など無いと思ったものが、またそろそろ試してみたい気持ちになってきていた。試すには、戦場は絶好の場に思えるのだ。

 芹は、自分の胸くらいまでの高さのクコの木の群落の前で足を止め、

「ほら、これがクコだよ」

完全な葉を摘んでは、なずなの持つザルの中に入れていく。

 なずなの安芸行きが無くなった際、芹となずなの二人で春日山の外へ出ないことを、二人とも、五形に約束させられていた。

 一緒に外に出ると、また藤袴に襲われて芹が怪我をしかねないから、と。

 結果、その日から1回も春日山の外へ出ていない芹となずなだが、修行に、薬草の世話や屋敷の前の畑などの農作業、毎日の家事と忙しく、また、一口に春日山と言っても広く、大勢の上杉の家臣とその家族が生活しているため、特に隔離されているふうでもなく、ごく普通に日々を送っていた。

 芹となずなが二人で行動を共にすることは多く、いつしか、芹は何となく、なずなが傍にいることを自然なことのように感じるようになっていた。

 クコの葉をザルで受けながら、なずな、

「芹」

「ん? 」

「この花は何ていうの? 」

クコの木と通路を挟んで向かい側に植えられている、先の尖った白い5枚の花弁に縦に紫色の線の入った花を、ザルを片手に持ちかえて片方の手を空け、指さす。

「ああ、センブリだよ」

「センブリ? 」

「うん。ノミやシラミ用の殺虫剤になるんだ」

「殺虫剤っ? 」

なずなは驚いた様子。

「あとは、そのうち苦味健胃薬としても認められるんじゃないかって、五形様は言ってたけど。何か、苦味が舌を刺激することで食欲増進の効果を期待できる、みたいな」

「…そう言うってことは、口に入れてみたのよね……? 殺虫剤を……? 」

唖然とするなずな。

 芹も思わず苦笑。

「勇気あるよな、五形様」

「勇気って言うか……。でも、なんか意外。殺虫剤になる植物なのに、こんなに可愛い花を咲かせるなんて……」

そう言ったなずなの表情は、柔らかで、とてもキラキラしていて、

(……可愛い花? )

芹は、

(なずなのほうが、もっと可愛いよ)

そんなことを、心の中で口走ってしまい、

(な、何言ってんだ! オレッ! 恥ずかしいっ! )

実際に口に出てなどいないのに、大慌てで口を押さえる。顔が熱い。

 なずなは不思議そうに芹を見た。

 芹は、自分の顔が赤くなってしまっているのを感じ、どうしよう、と困って、それを散らすべく、

「さ、探してみれば? ここには100種類以上の植物があるからさ。ほ、他にも、例えば、ヤマブドウなんか、今年はちょっと早くて、もう実になってて、それが黒みの強いエビ色をしてて綺麗でお薦めだけど、オレとなずなじゃ、当然、感性が違うだろうから、自分で探してみるといいよ。気に入る花が見つかるかも」

口を開くが、妙にペラペラと薄っぺらいと、自分で感じた。

「…花を、さがす……? 」

なずなは何かを思い出すような遠い目をし、口元を押さえ、呟いた。

 芹の口は、

「って言うか、あれだけ色づけば生食できるから、ヤマブドウ、ちょっと採って帰って食べる? 」

薄っぺらく動き続ける。

 何だか、喋れば喋るほど、言葉が表面を滑るように、なずなどころか自分の中にさえ届いていない感じになってきて、芹はいたたまれず、ついに、

「オレ、採って来るよっ! 」

なずなの前からの逃亡を図った。

 ヤマブドウの生えている方向へ駆け出した芹の背中を、

「芹! 」

なずなは呼び止める。

 振り返った芹の視線の先で、なずなは遠い目のまま、

「…わたし、見つけたのかも知れない……」

「……? お気に入りの花? 」

 なずなは頷き、芹を見る。その目は、気のせいか、熱を帯びているように見えた。

「わたしが最初に自殺未遂をした時に、巫女頭領である千代女様が言った言葉を思い出したの……。…花を、さがせ、って……」


 なずなは説明した。

 最初の自殺未遂は、道場で生活するようになって半月ほど経った頃。生きていることへの申し訳なさと、そんな気力の無い中での厳しい修行が単純に辛くて、もう終わりにしたいと思い、人目につかない道場の裏手へ行って舌を噛み切った。しかし程なく発見されて事なきを得、罰を与えられた後で、千代女に私室に呼ばれて訪ねた際に言われたのが、その言葉。

「花をさがしなさい。過去に失ってしまった家族という幸せの花の面影が、あなたを苦しめてしまうだけならば、当の花たるご家族たちも、いつまでもあなたに大切に抱えられていることを望みはしないでしょう。失ってしまった花に代わる新しい花をさがしなさい」

 当時10歳のなずなには、全く意味が分からなかったが、今なら分かる、と。


(…なんだ。なずなって、道場にいた頃から、全然ひとりぼっちなんかじゃなかったんじゃん……)

なずなの話を聞いていて、芹は、そう思った。なずなの話の中の、千代女様という人の言葉に、なずなに対する確かな愛情を感じたからだ。

(……それに、藤袴にしたって、結局のところ、なずなが大切だから、いつもとどめを刺すのを躊躇って、刺せないまま帰って行ったわけで……って言うか、藤袴は自分の口で言ってたよな? 父か兄のような気持ちになっていた、って)

「千代女様っていう人、いいこと言うよな」

「ええ」

「なずな、道場にいた頃から、全然ひとりぼっちなんかじゃなかったんじゃん」

「ええ、そうね。今にして思えば、だけど……。わたし、本当につい最近なのよ。そう思えるようになったのは。わたしは自分のことを可哀相だと思い込み過ぎて、きっと、その感情に囚われてしまっていたの」

そこで一旦、言葉を切り、なずなは、芹の目の奥の奥を見つめる。

「芹が、気づかせてくれたのよ」

(オ、オレッ? )

先程感じたなずなの視線の熱っぽさが気のせいでなかったかも知れないと感じ、芹はドキッとする。

「道場にいる間は、千代女様のこと恨んでさえいたわ。村を出て倒れているところを拾ってくれたことについて、放っておいてくれればよかったのに、なんて」

なずなは、一瞬たりとも芹から視線を外そうとしない。

(…なずな……)

その視線と芹の目の間には引力でも働いているのか、芹もなずなから目を離せなくなった。

「拾ってもらえて良かった……。芹、あなたに会えたから。幸せの花の話を聞かせてもらえていて良かった……。芹、あなたがわたしの大切な人だって、自覚しやすかったから」

(……っ? …オレが、なずなの大切な……? )

「千代女様が幸せの花の話をされた当時、わたしは全く意味がわからなかったけれど、きっと、ずっと、心のどこかでさがしてたのよ。幸せの花を……。芹、あなたを……」

(なずなが、オレを……? )

芹は途惑った。

(なずなは五形様を好きなはずじゃあ……? )

そう思い、言うと、なずなは軽く目を伏せて、

「芹、女はね、現実的なのよ」

小さく笑った。

「確かにわたしは、五形様に初めてお会いした時、その凛々しいお姿に一目惚れして、わたしと芹を藤袴の前から攫っていく時や、その後の、この春日山への移動中の身のこなしに、憧れもした。

 でも、五形様にとってわたしの存在は完全に芹ありきで、それは仕方のないことだけど、頭にくるくらい当たり前にわたしを巻き込むじゃない? 芹が望んだからと、わたしをここへ連れて来て、でも、芹がわたしのせいで怪我をすれば、熱のある体で遠い安芸へ追いやろうとし、そうかと思えば、安芸への道中、まだ越後から出てもいないうちに、芹が悲しむからやはり戻れと呼びに来たりして、わたしのこと眼中に無いにも程があるわよ。女としてどころか、人としてさえ見ていないじゃない。

 そんな相手のことを女は……少なくてもわたしは、そういつまでも恋愛感情でなんて見ないわよ。他に身近に、自分に対して大切に思いやりを持って接してくれる人がいて、しかも、その人が尊敬出来るような人物であれば、あっという間にそっちに傾くわよ」

そして伏せていた視線を再び芹に向け、

「芹、あなたのことよ」

(…なずな……。オレは、なずなのこと……? )

芹は、自分の心に向き合った。

 自分は、なずなのことをどう思っているのか? ……そんなの決まっている。好きだ。恋愛感情で見ている。

 ただ、こんなふうに真っ直ぐに求めてこられると怖くなる。

 なずなは自分を尊敬出来るような人物と言ってくれた。買い被り過ぎだと思う。自分は、なずなの求めに応えられるのか。なずなの気持ちを受け入れて、これまでより更に懇意にするようになったら、なずなをガッカリさせることになるのではないかと。

 しかし、なずなが自分のどこを見て尊敬出来るなどと言ってくれているのか分からない以上、自分では気付かない何かがあるのかも、とも思う。

 もしかしたら、今までどおりにしていれば平気なのかもしれない。

 今までどおり、なずなを大切にして、今でもそうしているように、なずなとの約束を果たすべく修行に励んでいればいいのかもしれない。

 なずなを好きな気持ちは本当だ。なずなを大切にすることにかけてなら、誰にも負けない自信がある。

 芹は覚悟を決め、

「なずな、オレも」

 と、その時、

(? )

芹は不穏な気配を感じ、気配の方向を見た。

 そこには、宙を、なずな目掛けて飛んできている、計8本もの苦無。心臓が、痛いくらいにドクンと鳴る。

(危ないっ! )

芹は咄嗟に地面を蹴り、なずなに飛びついて、その頭を庇いつつ、なずな諸共、地面に伏せた。

 直後、カカカカカカカカッ! 苦無の飛んできた方向から見てなずなの向こうに位置していたクコの群落の細い幹や枝に、苦無が8本全て、上手いこと突き刺さった。

 芹は冷や汗。

(あ…危なかった……)

 しかし、そんなホッとしている場合ではない。芹はすぐさま、なずなを背に庇う格好で、苦無の飛んできた方向を正面、しゃがんだ体勢に起き上がる。

(誰だ! どこにいるっ! )

 だが、木の陰、茂みの中、と目を凝らし捜すも誰の姿も無い。

 そこへ、

「ざーんねん。こっちだよ」

斜め後方至近距離から、聞き覚えのある軽い声が軽い口調で言う。

(っ! )

驚き、ゾクッとする芹。

 声のした方を見ると、

(藤袴っ! )

 藤袴がしゃがんだ姿勢で、藤袴に起こされたのか自ら起き上がったのか、地面にペタンと座った状態になっているなずなの顔を、額と額が触れてしまうほど異常な近さで、正面から覗き込んでいた。

 なずなは目を見開き、一点を見つめ、固まりきってしまっている。

 芹の知っている過去2回の藤袴に襲われた時には、このようなことはなかった。10日以上も熱にうかされ目を覚まさなかったくらいだ、菅名荘に向かう途中で藤袴に襲われた時のことによる反応に違いない。

 先程の会話の中で藤袴の名前が出ただけでは、何ともなかったのだが……。

(なずな……! )

芹は、清白との修行で使用したためにたまたま装備していた忍刀を抜き、藤袴に向けつつ、なずなを押しやるようにして、なずなと藤袴の間に割り込んだ。

 芹だって、もちろん怖い。以前の菅名荘の道中の時に、力の差は十二分に見せつけられている。

 それでも、気持ちだけでは負けないように、腹にグッと力を入れ、

「どうしてここに? 」

「どうして、って」

藤袴は、わざとらしくキョトンとして見せ、

「なずながいるからに決まってるだろ」

それから皮肉げに笑った。

「何? 春日山の中なら、絶対安全だとでも思ってた? 相変わらず甘いねえ。もっと、人けの多いところだったらともかく、こんな他に誰もいないような所にいるのを見かけたら、そりゃ襲うでしょ。俺、今日は別件で来ててさ、今はその帰りだったんだけど、丁度いいから、こっちの用事も片付けちまおうと思って」

 人を小馬鹿にしたような藤袴の喋りは、余裕の表れ。芹のほうには、ムカつく余裕すら無い。

 だが、頭は何故か冷静に、藤袴の言葉の一部分に引っかかりを感じ、

「べ、別件って? 」

聞く。

 藤袴、わざとらしく驚いた様子で、

「は? それ聞かれて答えると思うの? お前なら答えちゃうわけ? 」

そして、どうせ無理だろうといった感じで、クックと声に出して笑いながら、

「聞きたきゃ、お前、俺を捕まえて拷問でもしてみれば? 」

そこまで言ったところで、藤袴は突然笑みを消し、

「ん……? 」

お花畑の入口方向へ顔を向けた。

(刀を向けられてんのに、よそ見かよ! どんだけ人を馬鹿にすりゃ気が済むんだ! )

悔しいが、やはりそれは余裕。

 藤袴は入口方向を向いたまま、

「……厄介な奴が帰って来たみたいだ」

独り言のように呟いてから、とても申し訳なさそうに芹を見、

「悪いな。本来の任務は済んだし、面倒くせえことになる前に、俺、帰るわ。また今度、遊んでやるよ」

そして笑顔でウインクをひとつし、

「じゃあな」

高く高く跳躍。芹となずなの頭上を飛び越え、

「に……二度と来んなあっ! 」

芹の見え見えの虚勢の怒鳴り声を背に受けながら、一旦、片足を地面につき、もうひとつ跳躍。入口から見て最も奥にあたる背の高い茂みに姿を消した。

 最後の最後まで人を食った態度の藤袴への怒りは少々、なずなに、自分にも特に危害を加えないまま去って行ったことで安心したの大半で、芹は暫しボーッと、藤袴の行った後を見送ってしまってから、ハッと我に返り、

「なずなっ! 」

地面にペタンと座った姿勢で目を見開き一点を見つめ固まったままの状態でいるなずなに、声を掛けた。

 全く反応せず、固まっているなずな。

 芹は握っていた刀を放り出し、

「なずなっ! 」

しゃがんで、なずなの両肩を掴み、顔を覗きこんで、

「なずな! なずなっ! 」

なずなが、このままずっと動かないのではと、不安に駆られながら呼びかける。

 なずなは一度、ビクッと痙攣を起こしたように体を震わせ、それからゆっくりと目を動かして芹を見た。

「…芹……」

(…良かった……! )

芹はホッとしたが、なずなは、今度は小刻みに震えだす。

 芹は、何とかなずなを落ち着かせようと、しかし、そのために何をしてよいか分からず、

「なずな、大丈夫だよ。藤袴は、もう帰ったから」

「もう帰ったから、大丈夫だから」

同じことをゆっくりと、何度も繰り返し語りかけた。

(なずな……。なずな……。ああ、どうすりゃいいんだ、こんな時……! )

それまでは目先の余裕の無さからほとんど感じていなかった藤袴への怒りが、今もけっして余裕があるわけではないが、むしろ、心の面だけで言えば、藤袴と向き合っていた時より無いかもしれないが、心配のあまり、逆に募る。

 その時、トン、と、なずなが額で芹の肩に寄りかかった。

(…なずな……)

「…芹……」

今にも消えてしまいそうな、小さな小さな声。

「わたしを抱きしめて……。さっき、『オレも』って言ってくれたじゃない……。芹は、わたしの恋人なんでしょ……? 」

(恋人……。そうだ、オレは、なずなの恋人なんだ……)

「オレも」の一言を境に、いきなり自分が、これまでとは違う人になってしまった気がした。嫌ではない。不思議な感じ。何だか全身がムズムズする。

(……恋人は、こんな時には抱きしめるものなのか? )

必ずしもそうではないかも知れないが、なずなが……自分の恋人が望むなら、そうするべきであると考え、芹は、肩を掴んでいた両手をなずなの背に回し、その上半身を、緊張から、無意識的にそっとになってしまいながら、自分の胸へと引き寄せた。

 そっと、本当にそっと。壊れ物を扱うように、恐る恐るととられてしまうくらい、そっと。何だかぎこちない感じになってしまった。

 以前、五形によって安芸に行かされそうになったなずなが引き返して来た時も、芹は、なずなを抱きしめた。

 その時は、かなり強引で力も入ってた気がする。そして何より、自然だった。だが、その時は勢いがあったし、薬の影響で頭もおかしかったのだ。

 この、何とも不器用な抱擁が、本来の芹の精一杯。

 もどかしくて、次第にいたたまれなくなってきた芹だが、ふと、なずなの震えが止まっていることに気づき、

(…オレが、抱きしめたおかげ……? )

心がホッコリ温かくなった。

 いたたまれない気分が消え、純粋に愛しさで、なずなの髪を撫でた。






「芹! 」

遠くからの呼び声に、芹は、なずなの髪を撫でる手を止め、声のほう、お花畑入口を見る。

 五形だ。

 五形は、芹たちに歩み寄りつつ、

「屋敷に居らんかったのでな。なずなに言いつけた作業が終わらず、芹も手伝ってこっちにいるのであろうと来てみたのだが」

地面に座った状態で抱き合う芹となずなを怪訝な表情で見、一旦、刀身を露に放り出され転がっている芹の忍刀に目をやってから、再び芹を見る。

「一体どうしたのだ? 何があった? 」

「五形様……」

芹は、藤袴が別件の帰りと言いながら芹たちの前に現れたが、結局何も危害を加えないまま去って行ったことを話した。

 話しながら、芹は、もしかして、と思う。

 藤袴は、「厄介な奴が帰って来たみたいだ」と言って去って行ったが、五形は屋敷に寄ってからここへ来たのだから、タイミング的に、

(厄介な奴って、五形様のこと? 『帰って来たみたいだ』って、本来の任務のほうも、五形様が留守なのを知った上で来てた? )

 春日山の中が絶対安全なわけではないと藤袴が言っていたが、ここ数月、芹は春日山で平和に暮らしていた。思い返してみれば、五形が今日のように、早朝から夕刻までなど長時間留守にするのは久し振りだ。

 心の中でハッキリと考えてみることで、もしかして、は確信に変わる。

(安全なのは春日山じゃなくて、五形様の傍ってことか! )

「…そうか。藤袴がここにまで……」

難しい顔で言う五形。

「五形様」

芹は、たった今得た確信を言ってみた。

「なるほどな」

納得してから、五形は困った表情になる。

(……? )

無言の問いをする芹。

 答えて五形、

「実は、今日これから夕げを共にと、御実城様から呼ばれていてな」

「ってことは、戦ですか? 」

「ああ。暫くは帰れぬ」

「出発は? いつですか? 」

「明朝だ」

「……明朝! 急ですね」

「まあ、そんなものだ」

ごく普通に返しておいてから、五形は、ハタと気づいた様子で驚きつつ、

「何故、夕げを共にと呼ばれているというだけで、戦だと分かった? 」

(何故、って……)

芹にとって、いや、この春日山で暮らしている人ならば誰だって、分かって当然のこと。驚かれて、逆に驚いた。

「だって、御実城様は、いつも出陣前に部下の人たちを集めて食事を振舞われるから」

 芹の答えに、五形は、そうかそうかと非常に感心した様子。

「よく分かったな。観察力と洞察力がついてきたのだな」

(……)

 褒められている内容のレベルがあまりに低すぎて、芹は複雑な気持ちになったが、珍しく、前回はなずなと出会った日である武田の動きを見抜けた時、というくらい久々に、可愛らしさ以外のことを認められたのだ。これは連れて行ってもらえるチャンスだと思った。

「五形様! オレとなずなも、その戦に連れてって下さいっ! 五形様の足手まといにはなりませんからっ! 」

「…しかし……」

五形は渋い顔。

(ああ、ダメかな……)

芹は諦めそうになったが、

(…いや、待てよ……? 不本意だけど……)

ちょっと考え、攻める方向を変えてみることにした。

「五形様。五形様のいない春日山になずなと残ると、藤袴が襲って来ると思います。五形様が、さっき困った顔をされたのも、それを分かってるからですよね? 」

 五形は、

「…そうだな。ならば……」

考え深げに、

「なずなを連れて行こう」

 そう来ると思っていた。芹はすかさず、

「いえ、駄目です。さっき藤袴は、去り際に、オレに向けて、『また今度遊んでやる』と言い残していきました。ここになずなが残らないからと言って、藤袴が襲ってくる危険が全く無いかというと、そうじゃないです」

 本当は、自分の身の安全のために一緒にいてほしいようなことを言うのは嫌だったが、五形と互角と言われている藤袴に勝てないと言い切ってしまっても、きっと、五形は何とも思わない。それよりも、共に戦場へ行って、他の人が相手ならばきちんと戦えることを見せたかった。認められたかった。可愛らしさだけでは、そろそろ限界だと思う。と、言うか、五形以外に芹を可愛いなどと言う人は誰もいない。……大きくなったのだから当然だ。 そう遠くない未来、五形が芹を可愛いと感じなくなった時に、全く興味を持たれなくなってしまうことが怖かった。それまでに、他のことで、ちゃんと認められておきたかった。

 自分の力を試したいだけでなく、それもあって、次の戦には是非とも連れて行って欲しかったのだ。

 五形は、仕方ないといったように小さく息を吐き、

「分かった。連れて行こう。ただし、絶対に私から離れるでないぞ? 」




                  *




(……眠れない)

床に入っていた芹は、溜息を吐きながら半身起き上がる。

 明日、初めて戦に連れてってもらえる。それを思うと、何だか興奮して目が冴え、寝つけなくなってしまったのだった。

 と、

(……? )

芹は、不意に、縁側のほうから風を感じた。

 見れば、障子が細く開いている。閉め損ねていたのだろう。

 きちんと閉めるべく立ち上がり、芹は、障子の前へ。

 細く開いた隙間から入り込んでくる、その、少し冷たくさえ感じられる夜の心地よい空気が、芹を外へと誘った。

 風に誘われるまま、縁側に出る芹。

 月の出ない、深みのある夜空には満天の星が輝いている。

 どうせ眠れないなら散歩でもと、芹は、縁側の下に誰の物というわけではなく常に置いてある草履を、暗いため足下に注意を払いながらつっかけ、歩き出した。






 気持ちというほどのものでない程度の気持ちのままに任せ、芹は歩く。

 畑の横を行くと、南三の丸の端、番所へと下りていく道に面した段差ギリギリの所に陣取り座っている4つの人影が見えた。

(……? 誰だ? こんな時間に……)

ちょっと首を傾げながら、しかし、そよぐ風に髪を洗わせてゆったりと構えているその様が、実に気持ちよさげで、思わず近づいていく芹。

(……! )

4つの人影まで1丈ほどの距離まで来、その正体を知って、驚き立ち止まった。

(……どういう組み合わせだよ? )

 人影の正体は、なずなと、向かいの屋敷の三馬鹿兄弟だった。

 兄弟の長男が口を開く。

「こんな星の綺麗な夜に寝てるなんて、大人は馬鹿だよなー。昼間の暑いのが嘘みたいに、風も気持ちいいし」

「そうね」

なずなが同調。

 それに長男は気を良くしたのか、続ける。

「夏はさ、やることを昼と夜で逆にすればいいんだよ。暑い昼は風通しのいい日陰で寝てて、涼しい夜、働けばさー」

 兄弟の次男と三男は、星や風などどうでもよい様子で下を向き、何やら貪り食っているようだ。

 4人が芹に気づく様子は無い。

 ややして、次男三男が貪り食っているものが何なのか、次男の言葉で判明した。

「暴力姉ちゃん、すげーうめえよ、このヤマブドウってやつ。こんなのくれるなんて、あんた、実は良い奴なんだなっ」

「そう? それは良かったわ。でも、暴力姉ちゃんって呼び方は何とかならないかしら? あと、『実は』も余計よ」

(ああ、そっか、ヤマブドウか……)

芹は、そういえば夕方、お花畑からの帰り際に採って、そのままだったと思い出した。それを、なずなが兄弟にあげたのだ。

(…それにしても単純な奴らだな。自分たちのことをぶん殴るような相手でも、簡単に餌付けされて……)

呆れながら4人の背中を眺める芹。

 と、不意に、

「あらっ? 芹! 」

なずなが、やっと芹の存在に気づいた様子で振り返った。

 芹は、暫くの間黙って後ろに立って、そんなつもりは無く結果的にだが、4人の会話を盗み聞きしていた感じになっていたことで、

「お、おう」

後ろめたい気持ちで返す。

 なずなは、思い出したように、あっと口を押さえ、

「ごめんなさい、芹。あなたが採ってくれたヤマブドウ、この子たちがお腹が空いたって言うから、勝手に持ち出してしまったの」

「ああ、そんなのいいよ。今、丁度、時季だから、欲しけりゃいつでも採れるし」

 芹が許したことで、よかった、と、ホッと笑むなずな。

(…可愛い……)

つい見惚れる芹。

 その視線の先でなずなは、急にフッと笑みを消し、心配げに眉を寄せ、

「そう言えば、芹はどうしてここに? 眠れないの? わたしのほうは、暑い季節の夜風が好きで、夜中に外に出るのが、ほとんど毎日の日課なんだけど、たまたま今日は、この子たちと一緒になって……」

 芹は心配かけまいと、

「いや、さっきまで普通に眠ってたよ。喉が渇いて目が覚めたから水を飲みに土間に行って、何か、入って来た風が気持ちよくてさ、出て来たんだ」

「そう。それならいいけど……」

 なずなは、大人びた笑みを作って、

「初めて戦に行くので、緊張してたり興奮してたりして眠れないのかと思ったから……」

「戦っ? 」

突然、三兄弟が、なずなの台詞を遮るようにして揃って言い、バッと勢いよく一斉に芹のほうを向いた。

「芹、戦に行くのかっ? 」

「お前みたいなへタレが行っても、何の役にも立たないぞっ! 」

「おんな男の役目は、男たちの留守を護ることだろーが! 薙刀を持ってここに残れよっ! 」

何だか、いつものからかう調子とは違う、必死な感じ。

 芹は、呆気にとられる。

(何だ? こいつらのこの反応。いつも戦に行かないことで人を馬鹿にしてるくせして……。…何か妙に必死だし……)

 兄弟は、必死になりすぎてか、微かに、しかし確かに、涙ぐみながら続ける。

「行くなよ馬ー鹿! 」

「馬ー鹿、馬ー鹿っ! 」

「死んじゃうぞ、馬ー鹿っ! 」

(! )

芹は、最後の「死んじゃうぞ」を聞いて、ハッとした。

(…そうか、こいつらの叔父さんって……)

 兄弟には、よく一緒に遊んでくれる、母親の弟である叔父さんがいた。兄弟がとても彼のことを慕っていたことは、見ていて分かった。……その彼が2年ほど前、戦死したのだ。

 兄弟は、きっと、自分たちの大好きな叔父さんと芹を重ねたのだ。

(…お前ら、そんなにオレのこと好きかよ……)

芹の胸に、何やら熱いものが込み上げてきた。

 芹は堪らず、腰を屈めて兄弟と高さを合わせ、3人まとめて力いっぱい抱きしめた。

 芹の腕の中で、兄弟はもがき、暴れる。

「芹! 離せよっ! 」

「馬鹿芹っ! 」

「離せ! 苦しいーっ! 」

 だが、芹は離さない。

 そのうち大人しくなって、芹の温もりを確かめるように寄り掛かる兄弟。

 芹は少し力を緩め、

「オレは死なねえよ。約束する。絶対、帰ってくるから」

 返して兄弟、

「絶対だぞっ? 」

「死んだら承知しねえからな! 馬ー鹿っ! 」

「馬鹿芹っ! 」






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