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第5話 これが新しい日常




 ほぼ真上にある太陽の強い陽射しを浴びながら、冬瓜を育てている畑の畝と畝の間にしゃがみ、芹は、除草作業をしている。

 そこへ、

「芹」

なずなの声が掛かった。

「朝げの後片付けと洗濯と掃除が終わったから、わたしも畑仕事するわ。何をすればいい? 」

 菅名荘への道中で藤袴に襲われたために眠り続けたなずなが目を覚ました日から、ひと月ほど。芹もなずなも、すっかり回復していた。

 先に回復したなずなが、怪我をする前には芹が担当していた食事の後片付け・洗濯・掃除を引き継ぎ、芹の回復後も、何となく、それらは、なずなの仕事のまま。芹のほうは、朝げを済ませるとすぐに畑に出るのが、新しい日課となっていた。

「ああ、じゃあ、今日やる作業はもう終わってるから、草取りを一緒にやってくれる? 」

「わかったわ」

頷き、芹と同じように畝と畝の間に入って、芹のすぐ隣にしゃがむなずな。

 と、その時、向かいの屋敷のほうから、

「あ、芹だー」

芹にとってはお馴染みの、第一声からして芹をからかう気満々の、複数の男の子の声。

 相手を確認するまでも無いが、一応、声のほう、向かいの屋敷の前を見、芹は溜息を吐く。9歳を筆頭に7歳、6歳の、向かいの屋敷に住む三馬鹿兄弟。

 兄弟は、直線ならば7丈ほどの距離を、自分たちの家の畑と芹たちの作業している五形の畑を迂回して、芹の傍まで来、

「芹ー、怪我したんだってなー」

「戦に行ったわけでもないのにさー」

「芹って本当は女なんじゃねーの? 」

「おんな男ー」

「使えねー」

囃し立てる。

 この兄弟は、いつもそうだ。芹を見かけると必ずちょっかいを出してくる。

 子供のやることに目くじらなど立てるほうがみっともないし、この後、彼らは、からかっているようで結局は芹の思い通りに動かされることになるので、芹には悔しさのかけらも無い。

 ただ、今日に限っては、なずなの前であることが、なずなに見られていることが、「戦に行ったわけでもない」のあたり、芹が不本意に五形から愛玩動物扱いされていると知るなずなには、重く捉えられすぎそうで、嫌だった。

 そのため、いつもならば、もう少し長い時間、言いたい放題言わせておくのだが、今日は早々に追い払おうと、

「お前ら! いい加減にしないと泣かすぞコラッ! 」

凄む。

 兄弟は、わざとらしくキャーと声を上げ、自分たちの屋敷の前まで退いて、そこからまた、今度は芹を指さしヒソヒソニヤニヤやる。

 ……全てがいつも通り。兄弟が近くまで来て芹をからかい、芹がそれを大声で追い払って、キャーとわざとらしく逃げた兄弟は遠巻きにヒソヒソ。そして芹が相手をしないでいると、そのうち厭きて何処かへ行ってしまうのだ。

 芹は、よしよし、と、作業に戻ろうとした。

 が、突然、

「一度くらい本当に泣かせてやればいいのよ」

隣でなずなが溜息まじりに言い、静かに立ち上がった。

(なずなっ? )

驚く芹。

 なずなは作物を踏まないよう避けつつ、五形の畑も向かいの畑も突っ切って、兄弟のほうへ最短距離を移動。

「な、なずなっ……! 」

なずなが何をするつもりか察し、まずいと思った芹が、その背中に声を掛けるも、なずなは止まらず、兄弟の目の前まで行って、やっと止まった。

 芹は、なずなを止めようと、なずなのもとへ向かうが間に合わず、なずなは兄弟の上の2人の頬をバチン! バチン! と1発ずつ殴った。

 よろけて地面に倒れる兄2人。

 末の弟を殴ろうとしていたところに芹が間に合い、

「なずな、よせ! 」

手首を掴んで止める。

 が、空いているほうの手で、弟をパチンッ! 

「なずなっ! 」

芹は、慌ててその手も掴む。

 怯えた目でなずなを見上げる兄弟。

 なずな、

「あんたたち! 相手が芹だったら、こんなもんじゃ済まな……」

「なずなっ! 」

芹は兄弟に凄んだ時より更に大きな声でなずなの言葉を遮り、その目の奥を覗く。

「…もう、いいから……。オレのために怒ってくれて、ありがとな」

「…芹……」

 兄弟は泣き出し、

「お、憶えてろよ! 暴力女ーっ! 」

「お前なんて、嫁の貰い手、無いんだからなーっ! 」

 その売り言葉に対し、なずな、

「芹が貰ってくれるわよっ! 」

(……え? )

ドキッとする芹。

(ふ、深い意味は無いんだよな……? き、期待しないでおこう……)

そこまで心の中で呟いてから、ハッとし、

(き、期待って何だっ? オレっ! )

なずなに気付かれないよう、そっと深呼吸までして、心を落ち着かせる。

 と、なずなの買い言葉に対し、兄弟、

「馬ー鹿っ! お前みたいな暴力女、芹みたいなへタレが相手にするかよっ! 芹にはなー、おしとやかで優しい美人がお似合いなんだよっ! 」

(……は? 何? お前ら、もしかしてオレのこと好きなの……? )

呆気にとられる芹。

 兄弟は、言うだけ言って、泣きながら自分たちの屋敷の勝手口へ走り、中に入って行った。

 芹は、何だかドッと疲れ、溜息。何だか、複雑な気持ちになっていた。

 自分を馬鹿にされたことを本気で怒ってくれて嬉しいのと、代わりに怒ってもらうのって自分じゃ何も出来ないみたいで惨めだな、と思う気持ち。

(…まあ別に、オレは自分で怒れなかったわけじゃねーけど……)




                  *




 芹の周囲には他にない、清白の、個性的だが洗練されたサラサラの短髪が、清白が突然に身を屈めたことでフワッと宙を舞った。

 瞬間、芹は、芹とお揃いの黒の忍装束を纏った、その彼の姿を、丸ごと見失う。

 直後、

(! )

再び目の前に現れた清白。その手に握られた忍刀の鋭く光る切っ先は、芹の喉元に突きつけられている。

 清白は、短髪以外のもうひとつの特徴である知的な瞳で、真っ直ぐに芹を見据え、

「芹。実戦だったら、お前は今、一度、死んでたな」

言ってから、フッと目の力を抜き、小さく息を吐きつつ刀を下ろした。

「少し休もうか」

「はいっ」

 今日の午後に五形が任務で出掛けることを数日前に知り、芹は、前もって清白に修行を願い出て、春日山内・南三の丸からすぐの、対馬谷で待ち合わせた。

 芹が度々、清白に修行をしてもらっていることは、芹を戦場へ行かせることを望まない五形には内緒だ。

 もちろん、全く気付かないはずはなく、黙認されているのだということは、芹も清白も分かっているが……。

 頭上を木々の葉で覆われる谷間は、その外の、生命の喜びを押し付けがましく燦々燦々燦々と振りまく陽射しの下とは、まるで別世界だ。

 清白はフウッと大きく息を吐きながら、苔むした大きな石の上に腰を下ろした。

 芹は、そのすぐ横の崖肌から滲み出し流れる清水を手に汲み口にする。

 冷たくて美味しい。火照った体の隅々まで行きわたり、冷やし癒してくれる感じがする。

 喉を潤した芹は、清白の隣に腰を下ろした。

 頭上を仰ぐと、木々の葉の隙間から漏れた陽光がキラキラ美しい。

「芹は足が速いから、それを活かした戦いが出来ればな……」

自分の顎をつまみ、考え深げに言う清白。

「えっ? オレ、速いですかっ? 」

「ああ」

「でも、さっきも簡単に清白さんに追いつかれちゃったし」

「ん、それは一言で言えば、経験、だな」

「経験? 」

 清白は頷く。

「障害物の無い直線を走るだけなら、お前は俺の知ってる誰よりも速い。ただ、今のように木々の間を走るとなると、木に阻まれて真っ直ぐは走れない。足下にも、木の根が出ていて躓いたり、落ち葉が積もっていて足を取られたり、雨や雪の後などは土がぬかるんでいて滑ったりと危険がある。それらを、走りながら一瞬で見極めて、自分の通り道を決めなければならない。追われている時などは、背後も気にしながら、だ。これが出来るようになるには、訓練を積み重ねるしかない」






 清白の修行は、いつも実戦的なものが中心。

 今日のは、谷の端からスタートし、反対側の端まで、追ってくる清白から逃げきるというもので、そればかりをひたすら繰り返している。

「ほら、芹! また追いつくぞ! 」

谷間の木々の間を駆ける芹の背後から、清白の声が掛かる。

 芹がチラリと後ろを確認すると、抜刀した清白が、もう3尺ほどの距離まで迫っていた。

 もう1歩踏み込みつつ、清白は、刀を頭上に振りかざす。

 芹は足を止め、振り返りつつ刀を抜く。

 清白の刀が振り下ろされた。

 ガキンッ! 

 芹は、額の前で刀を使い受け止める。

 直後、

「っ! 」

芹の腹に、清白の膝がめり込んだ。

 咳き込みながら崩れ、地に膝をつく芹。

 頭上から、清白の声が降ってくる。

「芹。お前は今、俺の刀を受け止めた時点で安心してしまっただろう? それでは駄目なんだ。今のようなことになる。今の場合、お前は俺の顔・喉元・胸・腹・股間、どこでも蹴ることが出来たはずだ。俺に蹴られる前に蹴っていれば、逃げられた」

 芹は、鈍く痛む腹を押さえ、呼吸を整えながら、膝をついたままで清白の話を聞く。

「お前は実際の戦闘に参加したことが無く、想像だけで、刃を交える戦闘に憧れがあるようだから、刀と刀でぶつかり合っておいて殴る蹴るが入るなんて絵的にありえないと考えそうだが、侍同士で戦ったって、実際には殴る蹴るが交ざるのが当たり前だ。だから、忍同士なら、それ以上に何でもありだと思ったほうがいい。

 俺たち忍が戦うのは、何か特殊な任務でない限り、自分自身が生き延びるためだということを忘れないでくれ。敵のもとへ出掛けて手に入れた物や情報を、無事に主や仲間に渡すまで生き延びる。そのために、追っ手から逃げるために、仕方なく必要最少限だけ戦い、基本姿勢は逃げる。格好いいものではないかも知れないが、それが忍だ。

 芹は、五形様に認められたいんだろ? 自分の仕事が、自分の立ち位置が、どのようなものなのか理解することが、一人前と認められる第一歩だからな」

「はい」

……と返事しながら、芹は、

(五形様に認められたい、か……)

それだけじゃないんだけど、と、心の中で呟く。

 と、それを見抜いたか、清白、

「女に認められるためにも、同じだぞ? 」

ニッと笑って見せる。

「きちんと己を知っている男のほうが、カッコイイからな」

(えっ、そ、そんな、女、なんて……! )

女の……なずなのことなど考えていることを見抜かれ、恥ずかしさで軽くパニックに陥る芹。

 清白、そんな芹の反応を暫し楽しむように眺めてから、

「さて、腹の痛みも呼吸も、もういいかな? 」

 恥ずかしさから解放される良い機に、

「はっはいっ! 大丈夫ですっ! 」

芹は飛びつき、立ち上がる。

 清白は、それを、解放される機に飛びついたことまでをも確認したように、ちょっと笑いながら頷き、

「よし、じゃあ、もう一度だ」

「はいっ! 」




                  *




「なずな! 危ないっ! 」

夕げの仕度の最中、芹は、慌ててなずなの右手に飛びつき、包丁を持つその手を、軽く上に持ち上げた。

 なずなが切ろうとしていた丸ごとの状態の冬瓜が僅かに転がり、初めに動かないよう押さえていた場所から少しだけ、本当に少しだけズレたことで、押さえていた左手の人指し指・中指・薬指・小指を、第一関節からスッパリと切り落としそうになったのだ。

 芹は溜息。

(…まったく……。冬瓜のどこがそんなに憎いんだ……? )

 普通なら、切ろうとしている野菜の位置が少しズレたくらいで、指を切り落としそうになるなどということにはならないのだろうが、なずなの場合は、なる。

 菜っ葉の類は、ちゃんと普通に上手に切るのだが、ある一定以上の大きさと硬さの野菜になると、まるでその野菜に対して恨みでもあるように、一旦、包丁を頭上まで持っていき、勢いよく振り下ろして、ぶった斬るのだ。

 しかも、自分のしていることが危険などという自覚は全く無し。

「びっくりしたー。何なの? 急に……」

芹の声と、手を掴まれたことに、逆に驚いたようで、責めるように芹を見る。

 芹、全然悪いことなどしていないのに、なずなの強い調子に負け、言い訳っぽく、

「何って、今、なずな、自分の手を切りそうになってたから」

「え? あ、そうだったの? ごめんなさい」

 芹は、なずなが分かってくれたことにホッとし、ホッとしてしまってから、

(何なんだ? オレ……)

自分が、他の人に対する時に比べ、なずな相手には、表面的には大して変わらないかも知れないが、内面的には確実に弱腰であると気付いた。

 しかし、

(ま、いっか……)

そんな自分が別に嫌ではないため、よしとする。

「なずな。冬瓜はオレが切るからさ、なずなは、その間に、鍋に茶碗摩り切り2杯の米を入れて、あと、鍋の半分くらいまで水を入れといて」






 米と冬瓜と水が入って重たくなった鉄鍋を、芹が両手で持ち、なずながその足下を気遣って、一緒に移動し、囲炉裏へ運んでから、

「ねえ、芹」

なずなは、難しい顔で口を開いた。

「ん? 」

「冬瓜って、夏に収穫するのに、どうして『冬』瓜なのかしらね」

「ああ、それ。播種する時にオレも同じことを思って、五形様に聞いてみたら、冬瓜は保存がきくから、冬までとっておいて、冬にも食べられるから、って理由らしいよ」

「…へえ……」

(……あれ? あんまり納得してない? )

「…何か……。冬まで保存出来て食べられるって言ったって、夏に採れた瓜は夏に採れた瓜でしょう? 素直に『夏』瓜でいいと思うんだけど……。それか、『冬』よりはまだ、『日持ち』瓜とか『保存』瓜とかのほうが、しっくりくる気がするわ……」

(いやー、そんなことオレに言われてもなあ……)

オレが名前を考えたわけじゃないし、オレだって五形様から教えてもらっただけだし……などと心の中で呟きながら、芹は囲炉裏に火を入れた。

 その時、充分な広さに開け放ったままだった勝手口に、わざとなのだろうか? バンッとぶつかりながら、神経質そうな、ひょろっと痩せ型の20代後半の女性が、足音も鼻息も荒く入って来た。

 向かいの屋敷の奥方だ。

 奥方は一度、なずなのほうへ、キッと鋭い視線を向けてから、芹に、

「ちょっと! お父さんを呼んで来なさいっ! 」

(お父さん……? 五形様のことか……)

「帰って来たのを見たわ! いるんでしょっ? 」

 なずなに無言で、誰? この人、と聞かれ、芹、

「向かいの屋敷の奥方。……昼間、なずながびんたした子供らの母親だよ」

小声で答える。

「何をコソコソ言ってるのっ! 早くしなさいっ! 」

酷く興奮した様子で叫ぶ奥方。

 そこへ、

「どうしたのだ、芹」

屋敷の奥、五形の部屋の方向から、五形の声。

 見れば、五形が廊下を芹たちのほうへ、ゆっくりと歩いて来ている。

 そうして、いざ五形が芹たちの前に到着し、再度の、どうしたのか、との問いに答えたのは、芹でもなずなでもなく、

「どうもこうも無いわよっ! 」

奥方だった。

「あんたんとこの新しく来た娘が、うちの息子たちに手を上げたの! そのせいで、可哀相に息子たちの顔は腫れてしまったのよ! どうしてくれるのっ? 」

 それに対し、五形は、

「はあ……」

と、中途半端な返事をしてから、低く静かに、

「なずな」

 なずなは、低い声で名を呼ばれ、軽くビクッ。そして、低いまま続けられた、本当か? との問いに、おずおずと、

「芹を侮辱されて……。悔しくて……」

「……そうか」

と頷くと同時、五形の手が、スッとなずなに向けて伸びた。

 殴られると思ったのか、今度は、はっきりと、ビクッと身を縮めるなずな。

 しかし、五形の手は、労をねぎらうように、ポンッと肩に乗った。

「よくやった」

 褒められたのが思いがけないことだったらしく、

「…五形様……」

なずなは驚いた様子。

 五形は、なずなの肩を再度ポンッとやり、

「褒美をやろう。何が良いか、明朝までに考えておきなさい」

 奥方は、怒りに小刻みに震えながら、

「は、話になんないわ……! 」

踵を返し、出て行った。





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