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深譚ダンス

作者: 矢野華

結果のメールが来るのは、今夜八時。

観たいドラマも、夕飯の準備で忙しい母親も見ずに私は一時間前から自部屋に閉じこもっていた。

緊張のあまり思わず正座になりながら目の前のパソコンの画面に目を凝らす。メールの通知は画面の右下。その箇所だけをひたすらに凝視する。

これで落ちていたら。

悔しい経験はもう何度もした。落胆と焦燥を繰り返してきた今までに打ち止めをしないといけない。潮時だって分かっていてもそう簡単に足を引っこ抜けることが出来ない。

暖房やカーペットのおかげではない。紛れもなく私が発熱しているのだ。そもそも、横目で連絡待ちなんて私は就活している間、一度もしたことがない。

しかし集中力はそう長くは続かずに私は静かに足を崩した。

「ふぅ」

 一息吐きながらパソコンが表示しているデジタル時計を見た。七時四十分。あと二十分したら約束の時間だ。それまで時間がある、と私はリビングへと降りた。トイレだけ済ませたらすぐ帰ってくるつもりだ。テレビはまだ見るわけにはいかない。自己暗示しながら余計な誘惑は全て頭を振り、取っ払った。

「あんたが好きなドラマ始まってるわよ」

 私に気付いた母親が味噌汁を啜りながら何気なく言ってくる。

 リビングでは既に食卓が囲まれ、テレビから好きな俳優の声が流れていた。

 好きな彼女にした二度目の告白。前回からの続きを示す台詞に先週の私は黄色い声で叫んでいたことを思い出してしまった。

「あぁ、うん。あとで」

「そう」

 そっけなく母親は答えると、テレビに視線を移したようで何も言わなくなった。

「うん、あとで」


 早く上の階に戻らなくては。

 トイレから出て来た私が急いで階段に足をかけた時だった。

『ごめん、付き合えないの』

 紛れもなくそれは告白の返事をしているシーンだ。主人公が振られている台詞だ。

「えぇ! 何で!!」

 私は思考するよりも早くテレビに視線を向ける。

それが間違いだった。

 次のCMに入るまで私はすっかりドラマに釘付けになってしまい、刻々と進んでいる時間さえ忘れていた。一通り満喫し、何気なく壁時計を見た。

 八時十分と示されていた時計の針を三度見くらいはした。録れば見られるドラマの続きと引き換えに私は大事な結果を見る瞬間を捨ててしまったのだ。感嘆の声をあげる暇もなく、階段を駆けた。ドアを勢いよく開け、「うるさい!」と母親の言葉を無視し正座でパソコンを開いた。

 動悸が激しいのは走って来たからか、それとも緊張でか。この際どっちでもいい。

 あぁ、自分の悪い癖が身に染みて分かる。無意識に嫌なことから逃げてしまう。

 私は震える手でマウスを動かし、メールのアイコンをクリックした。この瞬間は何十回味わっても心臓に悪い。

『こんにちは、株式会社○○○です。先日はお忙しい中、最終面接にお越しいただき、誠にありがとうございます。厳正なる選考の結果、貴殿を採用することが内定いたしましたので、ご通知申し上げます』

 私はそこで画面から目を離した。普通ならば大声をあげて、喜ぶことだが嬉しさのあまり感極まってしまった。力が抜け、そのまま後ろにあるベッドへと背中から倒れる。

 やっと。やっとだった。

「ははっ」

 渇いた笑いと頬を伝う涙が今の私の心境を表す最大の喜び方だった。



 来年の四月まで時間はある。

 内定の通知が来てから二カ月が過ぎていた。メールの件を急いで親に言うと、普段は頑なな父親が翌日に私が前から欲しがっていたカメラを買ってくれた。そうして少しだけ笑いながら褒めてくれたのだ。

 就活を終えた私は母親と二人で出かけることが多くなった。提案してくれたのは母親の方だ。母親はいつだって私のことを私以上に理解してくれた。どれだけ頑張っても、認められず焦りと不安に蝕まれていた私に何も言わずに好きなホットココアを差し出してくれた。その度に泣いてしまう私にいつしか、ココアとティッシュがセットで机の上に置かれていた。

 何十社受けたか数字は覚えていない。唯一覚えているものとしてはいつまでも胸の中でつっかえるシコリのようなものだ。本気で何かを成し遂げる人を見ると、そのシコリは主張してくる。

 周りと同じ時期に始めたのにも関わらず気付いたらカレンダーは九月分が捲れていた。毎日似会わないと馬鹿にされていたスーツを着、スケジュール帳に黒字で書かれた面接の文字を追って過ごしていた。いつだって帰ってくるのは不採用の三文字。次第に自信がなくなり、いつしか自分が何をしたいかも分からなくなっていた。本当に今、本気で就活して後に報われて帰ってくるのだろうか。私はいつだって安泰を求めて生きて来た。

 今日は母親とではなく、なんとなく自分の時間を作りたいと都内まで行き、レイトショーで今年中に見たいと思っていた映画を見に来ていた。

 珍しく恋愛よりも家族の話を私は見たくなった。癌を患ってしまった妻の笑顔を取り戻そうとする家族の話。予告を見た時から母親の懸命に生きようとする闘病生活のシーンは涙腺にきた。こういう泣けてしまう映画は一人で見る。私が密かに作ったルールだ。誰にも気遣わず、存分に泣け、自由に考察していい。正にこれこそ独り身の特権だと思う。

 あと数分で始まる映画を楽しみにしながらスクリーンから自分のバックへと視線を移す。ハンカチよし。それだけでは心配でついポケットティッシュまで入れてきてしまった。用意周到な自分を心の中で自画自賛しながら携帯を取り出した。既に電源を切っているため画面は真っ暗なまま。

 どこか手持ちぶさたを解消させようと何気なく周りを見渡してみる。案外私と同じように一人で見に来ている人も少なくはなかった。

 思えば、一人で映画を観る。しかもレイトショーなんて人生初だった。友人や彼氏、家族とはよく言ったものだが、こうやって誰かと共有することなく一人だけで溢れだす喜怒哀楽全てを蓄えるのは新鮮に感じる。思い出した。昔付き合っていた彼も同じようなことを言っていた。

『一人で映画見たり、小説読んだり。誰かが創り出せるものに真正面から触れられる人ってどっかかっこいいよな』

 そう言っていた彼は相変わらず誰かと一緒にいることに依存しているのだろうか。


 流れてくる涙をハンカチで拭いながら私は映画館を後にする。誰にも言わず、自分の中だけで感想を独り占め出来るなんて得した気分だ。こう思うと一人映画というのも、寂しく思えるが悪くない。

一人でエレベーターに乗り込み、ハンカチをしまいながら鼻を小さく啜った。チンっと機械音と共に、開くドアから出てガラスの自動ドアの奥で見えた。

彼を見つけた瞬間、私を思わず息をのんだ。

 見慣れたマフラーをしながら、映画館の目の前にある喫煙所で一服していた。猫背、少し癖っ毛がある茶髪。一年近く見続けていたその後ろ姿を私は見間違えることはない。

 出てきた私に気付くとあちらから声をかけてきた。

「お、やっぱ弥咲だった」

 二年も会ってないことを全く感じさせない口ぶりで彼はそう言った。

 二階堂安司。私が一年の時に一年ほど付き合っていた元彼だ。飄々とした態度とその社交性から先輩から好かれることも多く、サークルではいつも呑み会に誘われれば朝まで帰ってくることはなかった。

 不倫された時は安司の女癖の悪さも恨んで私から一方的に別れを告げた。

「やっぱって、何」

「いやーね、今やってたじゃん。映画。あれ、見てたでしょ」

 安司が吐き出した息は白く、苦い臭いが染みついていた。煙は私の鼻腔をすり抜け、肺を侵食していく。

「まぁ」

 一秒でもはやくこの場から立ち去りたかった。安司の口から吐かれるあの煙にきっと私は体も、思考までも彼に毒されていたのだ。ここで彼とまた一緒にいたら戻ってしまう。時は経っているのに、彼だけではなく私まで変わってないことを自覚してしまうのが嫌なのだ。

無愛想に私は安司に背を向け、そのまま駅へとつま先を向けた。なのに足は前へと進まない。振り返ると安司が私の腕を掴んでいた。

「そんなにつんけんしなくてもいいだろ」

 そう言って彼は急いで半分も吸っていないタバコをスタンド灰皿に押し付ける。

 話したいことなんてこちらは何もないのに。

「私もう帰ろうとしてたところなんだけど」

「まぁまぁ、飯くらい時間あるだろ」

 どうして私のスケジュールに彼の予定を無理やりすり合わせなくてはいけないのか。

 言葉を交わす度に、彼との温度差にストレスが溜まっていく。私が怒ろうと彼はこの手を離してくれることはない。私の怒りなんて気付いてもくれない。それどころか笑いながら謝るだけだ。

 これは私自身の問題だ。私の中で決着をつける問題なんだと思う。

「……わかった」

「んじゃ行くか」

「でもこれだけ」

「これ?」

 私は引かれる腕をめいいっぱい引きはがし、ブーツの底で安司の足を踏む。

「いって! 何すんだよ」

 大袈裟に痛がる安司にスッキリした表情で言い放つ。

「未練はこれでおしまい」

 ポカンと大口を開けた安司の手を取り、クリスマスが近いことを知らせるイルミネーションをくぐり抜けながらどこで夕飯を済まそうと悩んだ。


 駅の近くにあったショッピングモール内のフードコートで夕飯を済ませることになった。もっとオシャレなところで食べたかったのが本音。が、安司が金欠と言いだし仕方なく手軽なところへ。

 自動トビラを抜けると、凍えた体が暖房であたたまる。世間はすっかりクリスマス一色に包まれていた。店の中のあちらこちらには緑と赤色と施してあるイルミネーションが夜を灯そうと点滅している。綺麗、とありきたりな感想を言い合うカップルを横目で通り過ぎながら何を食べようか考えていた。

「弥咲何食べる?」

 安司は周りなんて見もせず、空いている席を捜しながら私に聞いてきた。

「ドーナツ」

「そんなんで腹膨れるとか、お前の胃どうなってるんだよ」

「家帰ってから夕飯食べるし」

「太るぞ」

「甘いモノは別腹ですから」

 デリカシーのない安司の言葉に怒りを抑え口端を吊り上がらせながら言ってやった。

「あぁ、そう」

 安司は興味なさそうに答え、私よりも先に空いている席に携帯を乗っけるとどこかへ行ってしまった。

「あ、ちょっと」

 鞄がないため置いた携帯。不用心にも程があるが、渋々呆れながら私は席で携帯をいじりながら彼を待つことにした。

「ん」

 頭上から振ってきた安司の声と甘い匂いにつられ、私は顔を上げた。

 帰って来た安司の手には淡い色でコーティングされているドーナツが六個乗ったトレーが。匂いの正体はこれだ。

「あ、買ってきてくれたんだ。いくら?」

「いい」

 私はバックを漁る手を止めた。

「え?」

「俺の奢り。無理に連れて来たから」

 そう言いながら安司は足で椅子を引き、トレーを机の上に置いた。

「安司が私に驕る? え? 明日大雪とか?」

「俺だってそういう気遣い出来るっつーの」

 安司は鼻で笑いながら携帯を取り、椅子に座った。

「だって散々私にツケといてって言ってたあの安司だよ。なに、二年もすればやっぱ心境の変化でもあった?」

「まぁ、そりゃあな」

「ふーん」

 安司がいない間に取ってきた水を彼に渡しながら話を続ける。

「パチンコやめたの?」

「やめた」

「タバコはやめられてないのに」

「ヤニ吸わないと俺生きていけないし」

「肺がんになるよ」

「吸っても吸わなくても人間皆平等に肺がんになる」

 口を一文字に引き、安司を呆れたように見た。

 ああ言えばこう言う。私の皮肉に安司は依然とした態度で屁理屈ばかりぶつけてくる。

 小さい声でいただきますと言い合い、各々好きなドーナツを取っていった。

「気遣えるようになったの誰の影響?」

「彼女」

 私も一応彼女だったんだけどなぁ。

自分の知らない彼女という答えにどうにも心がチクリと痛んだ。私と会わなかった二年の間でも、安司は他の女の子と付き合い誰かを好きでいたのだ。知ることが出来ないはずのその時間でさえも、私は知りたいと思った。

 彼から発されている毒に未だに私は侵されている。

 誰にでも時間は平等に流れているのだ。

それは、私にも安司にも。

「不倫してたと子とまだ付き合ってるの?」

「いや、違う人」

「また違う人がいるの?」

「そう」

 素っ気なく答えると安司は早くも二個目のドーナツに手を伸ばす。

「ほんと、よくやるねぇ」

 二年という期間でこの男は短いスパンで少なくとも二人の女の子と付き合っていたのか。私が就活で死にそうになっていたというのに。

「クリスマス、一緒に過ごすの?」

「うーん、まぁ」

「何その反応」

「いや、俺もう誰とも付き合ってないし」

 その言葉に口についたクリームを拭う指が止まった。しかし、それは一瞬の出来事で私はすぐに拭う。

「……あぁ、そう」

「違うんだよなぁ。俺に合う人ってなかなか見つからないもんだわ」

「合う人ってどんな?」

「少なくともお前みたいに何でもかんでも聞いてくるやつは嫌いかなぁ」

 嫌い、という言葉がお腹の底の方にずしりとのしかかり、自然と眉毛に力がこもった。

「あぁ、そう」

 指を拭いた紙ナプキンをがさつに丸める安司に怒りがこみあがってくる。

 こんなデリカシーの欠片のない言葉にも彼に悪気はない。何も考えずに言いたいことを好きなように言った結果がこうなる。

「私も安司みたいな地に足がついてないような感じの人嫌いだな」

「……あぁ、そう」

 安司はそう言って目を伏せた。

 そう真に受けて落ち込まれては困る。

 いつだってご機嫌取りという私の嫌な癖はなおる兆しを全く見せない。こういう大事な時でもつい口が勝手に動く。

「私と同じ相槌してる」

 空気を変えようと冗談交じりに言っても安司が返事をする様子はない。

「やっぱまだ気にしてる?」

 顔を上げずに安司はそう聞いてきた。

「なにが」

「何って、別れた原因」

 どうしてこうまどろっこしい言い方をするのか。

「勿論」

「そりゃあまだ怒ってて当然だよな」

 空気に耐え切れずに安司は「はは」と空笑いをしながら顔をようやく上げた。が、視線は逸らしている。

 まさか自分から不倫のことを掘り下げてくるとは予想だにしてなかった。

「怒らない方がおかしいよ」

「やっぱクズだよな、俺」

「知ってる」

「一つのところ、一人にところに留まるのが苦手で」

「うん」

「過剰に誰かを愛しても、その愛を返されるのは苦手だし、一緒に何かを楽しむことが出来ないっていうのかな」

「うん」

 だから私は安司の好きなように生きてほしかった。私じゃなく、彼ときちんと向き合ってくれる素敵な女性が現れるかもしれない。確かに自分が不倫されていたことも悔しい。しかし、落ち着いてからようやく気付いた。私は彼の悩みに何も親身になれなかったのだ。

 安司への未練は彼への怒りだけじゃなかった。彼に何も出来なかった自分への怒りと後悔も一緒に私の中で培ってきている。

「変われなかったんだね」

 私の同情している姿に安司は視線を逸らさなかった。

「映画、弥咲も観てたろ。みんな感動して、ハンカチ持って涙ぐんでるのに俺だけ涙一つ流れない。こんなことあるかよって思った。いくら色んな人を好きになろうとが俺の根っこは変わってない。それが悲しかったようで、、自分が自由でいられる気がして嬉しかったようで。どっちもジレンマだった」

 安司のどこか吹っ切れた様子が益々私の後悔を募らせていく。

「だって会った時けろっとした顔でいたもんね」

「なぁ、弥咲。俺って変われるかな」

「それは安司が決めることで私が決めることじゃないでしょ」

「でもやっぱ俺、弥咲じゃないとダメだわ。今改めて気付いた。本当。嘘じゃない」

 今でもそんな台詞、くさすぎて恋愛ドラマでも言わないのだけれど。

「そんなこと言って安司のことだからまたどっか行くと思うけど」

「それは自信ないかもしれない」

「まぁ、とりあえずクリスマスは付き合ってあげなくもない」

 そう言って立ち上がった私に安司は軽い足取りでついてきた。

「……おぉ、よろしく」

 彼の上着に入っていたハンカチがふと見えた。

「どうしたの、ハンカチなんか持って」

「あー、今日のため」

 最後まで読んでいただきまして、ありがとうございます。

 まだまだ不慣れなところもあり、また必ず書き直したいと思っております。

 次も機会がありましたら、是非少しの間でも読んでいただけたら作者も嬉しいです。

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