16.小さな抵抗
それから何日かして、各クラスの出し物が出揃い、文化祭も体育祭も全体の流れが決まった。それと同時に、新聞部でも各方面で取材を始めた。
去年、健斗に手伝ってもらいはしたものの、ほぼ英二ひとりで学園祭特集号を発行したときは、とても全部を取材する余裕はなかった。吹奏楽部や軽音、演劇部など、文化祭の目玉となるクラブのほかはあまり取材できず、言わばそうした王道の記事で紙面のほとんどが埋まることとなった。
今年は、準備段階での苦労話や裏ネタなど、みんなの知らない情報をもっと載せようという話になっている。そのためには、事前の取材をまめに行う必要がある。取材範囲もなるべく広くしたい。体育祭は、応援団の情報以外は当日の取材が中心になるので、事前取材は文化祭の出し物が中心だ。
千鶴と彩乃、耕太の三人で部室で打ち合わせをしていると、健斗が来た。
「やあ、あやのん、なかなか来れなくてごめんな」
健斗はすでに、彩乃を『あやのん』と呼んでいる。一応彩乃の許可は取ったが。他の男子なら、『あやのん』などという呼び方をすれば気持ち悪いと思うかもしれないが、王子様の健斗の口から出ると違和感がない。
「あ、いえ」
「早速で悪いけど、二組がなんか面白いことやるらしいよ。今から取材に行こう」
「えっ、はい……えっと、ちぃちゃん、山岸くん、ごめん、ちょっと行ってくる」
少し戸惑いながらも、彩乃は立ち上がる。ふたりで出て行こうとするのを、
「あっ、ちょっと待って」
千鶴があわてて止める。
千鶴は、新聞部の腕章を健斗に差し出した。
「これ着けてって」
「おっ、新聞記者って感じだな。あやのんも着けてるね」
健斗はにこにこと腕章を受け取った。袖に通すと、
「留めてくんない?」
と、左腕を彩乃のほうに差し出す。
「あ、はい」
彩乃は、腕章の安全ピンを健斗のシャツの袖に留める。
千鶴は、接近する二人を見ながら内心イラッとしていた。デート気分で行って欲しくない、ちゃんと取材のつもりで行って欲しい、そう思って腕章渡したのに。
彩乃と健斗が部室を出て行くのを見送って、千鶴はハァと小さくため息をつく。
千鶴は、健斗の彩乃に対する態度が気に食わない。『あやのん』などと呼ぶのはもってのほかだと思っている。しかし、千鶴にも分別はあるのだ。千鶴が気に食わないというだけで、なにか非があるわけではない健斗を責める事はできないことはわかっている。
健斗には今、付き合っている彼女はいない。ならば、彩乃にアプローチするのは自由なのだ。それに、彩乃自身が健斗の態度を拒絶していないのに、千鶴がどうこう口出しすることはできない。
だから千鶴は、腕章を渡して小さな抵抗を試みる。まあ、その結果はご覧の通りだが。
「……あの、佐倉さん、どうしたんですか?」
耕太が、遠慮がちに千鶴に声をかける。
「えっ?」
「いや、あの、なんかため息ついてたので。あ、いや、言いたくなければ言わなくても」
千鶴が耕太をじっと見つめたので、ドギマギする耕太。
「うん……」
千鶴は耕太を見ながら考える。山岸くんに話聞いてもらおうかな。山岸くんならちゃんと話聞いてくれそうだし……
心配事があれば、いつでも彩乃に相談してきた千鶴だが、それができない今、千鶴の中でストレスがたまりつつある。誰かに話を聞いてもらうだけでも、多少すっきりするかもしれない。話を聞いてもらう相手として、誠実な耕太は格好の相手に思われた。
「あのね」
「はい」
「あやちゃんのこと、なんだか心配で」
「え、あ、はい。もしかして、五十嵐さんのことですか」
千鶴は、ちょっと驚いた顔を耕太に向ける。
「山岸くん、わかるの?」
「あ、はい、なんとなくそんな気がしてました。さっきも、佐倉さんの様子見たらそんな感じでしたし」
「えっ? あたしどんな感じだった?」
「なんていうか、ちょっと怒っているような」
「えー、あたし顔に出さないようにしてたつもりなのに。じゃ、あやちゃんも、気づいてるよね」
「さあ、そうでもないかもです。神崎さんは腕章着けてて、佐倉さんのほうは見てなかったですし。それに、佐倉さんだってあからさまというわけではなかったですよ。なんとなく、という程度で」
「そっか。山岸くんが鋭いんだね」
そう言われて耕太は、はっとする。千鶴のわずかな表情の変化に気づくくらい、千鶴のことを見ていたことに気づいたからだ。思わずほおが熱くなる。
「い、いえ、そんなわけでも」
「山岸くんは、五十嵐さんのことどう思う?」
「え、あの……」
「いいよ。正直に言って」
ちょっと迷ったが、千鶴の真剣な顔つきに、耕太はちゃんと答えようと決める。
「はい……あの、五十嵐さん、軽音もあるし、クラスの出し物でも大変な係に当たったみたいですし、忙しいのにこっちの手伝いまでしてくれて、ぼくは、あの、いい人だと思います」
「うん」
素直にうなずく千鶴。それを見て耕太は続ける。
「神崎さんに対しては、さすがにちょっと馴れ馴れしいとは思いますけど、やっぱりあれだけのイケメンだと、ああいう態度が普通にできちゃうんですね。ぼくなんか、神崎さんと話すときは、いまだにちょっと緊張してしまいます」
「えっ?」
千鶴がちょっと驚いて、耕太は余計なことを言ったと気づく。
「え、あの、神崎さんは美人すぎるので……いや、あの、だから、佐倉さんは美人じゃないとかそういう意味ではなく、佐倉さんも美人で……いや、あの、えーっと」
しどろもどろになる耕太を見て、千鶴はプッと吹き出した。
「アハハ。気を遣わなくていいよ。あたし、美人じゃないのわかってるから。でも、あやちゃんは美人だよね、すっごく。そっかあ、緊張するんだ、山岸くん」
「いや、あの、それはその……えっと、でも、佐倉さんもほんとに……」
「アハハ、いいのいいの」
耕太は、ちょっと歯がゆくなる。耕太は、千鶴のことを本当に美人だと思っている。なのに、それを上手く伝えられないからだ。
世間一般から見て、千鶴が美人かというと、まあそうとは言い難い。目がつり上がっていて個性的な顔立ちの千鶴は、第一印象はむしろブスだと思われたりもする。
しかし、千鶴の顔を見慣れてくると、その個性的な顔立ちが、だんだんと『個性的な美人』に見えてきたりもする。とくに、つり上がった目の中の、透き通るようにキラキラした大きな黒目、それが魅力的だと感じるようになるのだ。現に、彩乃は千鶴を個性的な美人だと思っているし、英二も、最初の印象とは変わって、そこそこ美人だと思うようになった。そして、耕太も。
千鶴の顔が、真顔にもどる。
「あたしも、五十嵐さん、悪い人だとは思ってないよ」
「はい」
「でもね、あやちゃんへの態度見てたら、なんかこう、すごくイライラしちゃって。あやちゃんが振り回されて嫌な思いしないかって、心配でたまらなくなっちゃうし」
「その気持ちわかるような気がします」
「ほんと?」
千鶴は耕太の目をまっすぐに見る。
「は、はい。五十嵐さんは五十嵐さんなりに、正直で率直なんだと思います。だけど、ぼくみたいな者からするとやっぱり軽い感じがしてしまうので」
「うんうん、そうだよね」
同意を得て、千鶴の顔が明るくなる。
「神崎さんは、五十嵐さんのことどう思っているんですか?」
「前に聞いたときは、好きとかそんなんじゃないって。だけど、その後は聞いてない。そういうこと聞くと五十嵐さんのこと意識し始めるんじゃないかと思って、あんまり話題にしないようにしてるから」
「ささやかな抵抗ってとこですね」
「そうそう」
話の通じる耕太に、にっこりと笑顔になる千鶴。
「神崎さん、五十嵐さんのこと、今もとくに好きというふうには見えないですけど。まあ、ぼくの見方なんてあてになりませんが」
「ううん。あたしもまだそんなんじゃないと思う。でも、嫌がってるようでもないでしょ。もし、五十嵐さんがちゃんと告白してきたら、どうなるかわかんないよ。五十嵐さん、悔しいくらいイケメンだし」
「うーん、たしかにそうですね」
「あーあ、こんなことなら、須藤くんのことプッシュしておけばよかった」
「えっ?」
急に哲平の名前が出てきて、思わず千鶴を見つめる耕太だった。