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恋はペンよりも強し  作者: みずた わかば
プロローグ
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1.プロローグ ~ふたりの少女~

 神崎彩乃かんざきあやのは美人である。くっきりした二重の大きくて丸い目。程よくふっくらした白い頬。肩の上で揺れる艶やかな黒髪。

 道ですれ違う男子の多くが振り返り、何気なく彩乃に目をとめた者の多くがそのまま釘付けになる。


 だがしかし、だ。神崎彩乃は、高校一年になる今まで、恋愛経験というものが一度もない。彼氏が一度もいたことがないのだ。

 きっと性格が悪いのだろうって? いやいや、まったくそんなことはない。彩乃は、思いやりのある優しい子だ。

 それなら、美人すぎて近寄り難いのではないかって? たしかにそれは否定しない。自分に何かしら自信のある者でなければ、彩乃を前に怖気づいてしまうことはあるだろう。


 それでも、彩乃に魅せられた男子の多くが、ある者は自身の能力や魅力を糧に、ある者は一か八かに賭けて勇気だけを頼みに、彩乃に想いを告白してきた。しかし、彩乃は、それをことごとく断ってきたのである。

 彩乃の理想が高すぎるに違いないって? 彩乃にももちろん好みはあるが、決して理想が高すぎるというわけではない。告白してきた男子に心が揺れたことも二度、三度とある。しかし、結局最後は断ってしまうのである。


 それでは、彩乃が、彼氏を作らない理由は何なのか? ――それは、幼馴染みの親友、佐倉千鶴さくらちづるのせいである。

 おっと、ここで何やら甘酸っぱい百合の世界を想像したあなた! 残念ながらその想像は、ハズレである。佐倉千鶴と神崎彩乃の間にあるのは、まぎれもなく友情であり、恋心ではない。


 恋人が出来ると女同士の友情はないがしろにしがち、というのはよく聞く話である。しかし、彩乃はそんなことを懸念しているのではない。千鶴への友情は揺ぎないものであるという自信が、彩乃にはある。何をするにもべったりと行動を共にするのが友情とも思っていない。

 実は、彩乃は、彼氏ができてしまうと、千鶴の世話を焼くには、物理的に時間が足りなくなるのではないか、と懸念しているのである。この懸念を抑え込んででもつきあいたいと思えるほどの男子には、未だ出会うことはなかったのだ。


 千鶴の名誉のために言っておくが、佐倉千鶴は、世話を焼かなければ一人では何もできないという人間ではない。ただ、人よりちょっと空想癖が強く、人よりちょっと自分の世界に入り込みやすいため、周りが見えにくくなりがちだというだけである。一つのことに気を取られやすいため、身なりにまで気が回らない、忘れ物が多い、ただそれだけである。


 女性は、生まれながらにして母性を持つという。その母性が、これもまた人よりちょっと強く生まれついた彩乃にとって、佐倉千鶴は、放っておけない存在なのである。中学のときには、三日に一度は時間割を合わせるのを忘れてきた千鶴のために、クラスの違った彩乃は、千鶴がいつ借りにきてもいいように、千鶴のクラスの時間割に合わせて教科書を準備し、体操服を用意していた。ぼさぼさの髪をとくための櫛とヘアゴムを常備していたのは言うまでもない。


 そんな佐倉千鶴と神崎彩乃の出会いは、幼稚園のときに遡る。


          ※   ※   ※


 千鶴と彩乃が四才の春、幼稚園に入って間もないころ。園児たちがきゃあきゃあと飛び回る園庭で、滑り台のてっぺんに上った彩乃は、ふと、園舎前にひとり腰掛ける少女に目をとめた。少女は上を向いて、じっと空を見ていた。

 彩乃は、はっとしてその少女から目を背けることができなかった。急いで滑り台を滑り降り、気がつくと彩乃は、少女の手前ほんの一メートルのところに立っていた。少女が上を向いて彩乃に気づかないのをいいことに、彩乃はまじまじと少女の顔を見つめた。

(なんてそっくりなの!)


 その少女の顔は、昨日、彩乃の父親が買ってきた絵本に描かれていた子どもに、そっくりだったのである。パパは、その絵本は、ちゅうごくという外国のお話だと言っていた。そこに出てくる子どもは男の子だったが、つりあがった大きな目、ツンとした小さな鼻、口角の上がった薄いくちびる、それらが白くて丸い顔に収まった様子は、目の前の少女そのものだった。彩乃は、その絵本がえらく気に入って、昨晩は何度も読んでもらったのである。

 絵本の中の男の子、ヤンは、六才の子どもながらに人間離れした怪力の持ち主である。大きな牛一頭を、片手で軽々と持ち上げる。彩乃は、目の前の少女が、ヤンのように力持ちなのか確かめたくてしかたなくなった。


「あのー、ちょっといい?」

 目の前の少女は、何も答えず上を見つづける。

「あのね、ちょっとお」

 彩乃は、少女の横に立って肩を軽くポンとたたいてみる。少女は、何も答えず、相変わらず上を見つづける。

「ちょっとってば」

 彩乃は、少女の前に回りこむと、見上げる少女の視線に割り込んで、真上から少女の顔を見下ろした。少女は、目の前に突如現れた彩乃の顔に、驚いて目をパチクリとさせた。

「あんた、名前、なんていうの?」

「……さくらちづる」

 千鶴は、ポカンとした顔のまま答えた。

「あたしは、かんざきあやの。ねえ、ちづるちゃん、あたしと握手しない?」

「何で?」

「えっと、友だちになりたいから」

 彩乃は、とっさにうそをついた。さくらちづるという子と友だちになりたくないわけではないが、この時点ではまだ、友だちになりたいとも思っていなかった。

「握手すると友だちになるの?」

「うん。握手は仲良しの印だってパパが言ってた」

「じゃあ、いいよ」


 千鶴は、立ち上がって右手を彩乃の前に差し出した。彩乃は、その手をぎゅっと握ると、力をこめてぐいっと手前に引っぱった。

「ちづるちゃんも引っぱって!」

「えっ? 握手って引っぱるの?」

「うん、そう。力いっぱい引っぱって!」

 彩乃は、またうそをついた。

 千鶴は、力いっぱい彩乃の手を引っぱった。彩乃の体がぐいと前に傾く。彩乃は、力をこめて千鶴を引っぱり返す。千鶴も彩乃を引っぱり返す――彩乃と互角に引っぱり合う千鶴は、ヤンのような怪力の持ち主ではなかった。

 体重をかけたふたりの引っぱり合いはしばらく続いたが、彩乃のほうが少し力が強かったらしく、最後には千鶴が彩乃に二、三歩引っぱられて、ふたりの手が離れた。反動で地面に尻もちをついたふたりは、顔を見合わせると、思わず吹き出した。

「ははははっ」

「ははははっ」

 手をつないで力いっぱい引っぱり合う、ただそれだけのことが、思いがけず楽しかったのだ。


「ねえ、ちづるちゃんは、何で上を見てたの?」

 さっき千鶴が座っていた場所に、今度はふたり並んで腰掛けた。

「あの雲が降りてくるのを待ってたの」

 千鶴は、人差し指を空に向ける。

「えっ?」

「ほら、あの船みたいな形の雲。あれに乗りたいなって思って」

「雲って乗れるの?」

「うん。そんごくうって猿は、雲に乗って空を飛ぶんだよ」

「あっ、そんごくうって、あたしも知ってる」

 孫悟空が出てくる絵本なら、前に見たことがある。たしかに、絵本の中の孫悟空は雲に乗って空を飛んでいた。


 彩乃は、パパとママが読んでくれる絵本が大好きだ。絵本の中の世界に入り込んで、ドキドキしたりワクワクしたりするのが大好きだ。だけどその一方で、絵本の中の物語は、今彩乃が直接見たり聞いたりしているこの現実世界とは違うものだということを、4才ながらに感じ取っていた。雲に乗って空を飛ぶことなんてできないということを、感覚として持っていた。

 だが、目の前にいる千鶴という子は違う。本気で雲に乗れると思っている。


「そんごくうがあの雲に乗ってここに来たら、いっしょに乗せてってたのんでみるの」

 彩乃は、空を見上げる千鶴の横顔をまじまじと見つめる。彩乃には、その千鶴の目が、とってもきれいに見えた。大きくてつりあがった目。瞼の縁ぎりぎりに、二重の筋がすーっと切れ長に入り、その奥には透明にキラキラと光る瞳があった。この輝く瞳を見ていたら、彩乃にも、本当にあの雲がここまで降りてくるんじゃないかと思えてくる。


「ねえ、ちづるちゃん、あの雲が降りて来たらあたしもいっしょに乗っていい?」

「もちろんだよ。あたしたち、友だちだからいっしょに乗せてってたのんでみるね」

「うん。あたしたち、友だちだもんね」

 彩乃は、心からこたえたのだった。


          ※   ※   ※ 


 それから十一年。千鶴と彩乃は、小学時代、中学時代を共に過ごし、同じ高校に進学した。そして、千鶴が成長するにつれ、千鶴の母親の手が離れていくのと反比例するように、彩乃は、千鶴の行動に目を配り、気を配るようになっていった。

 しかし今。神崎彩乃の心境に、小さな変化が生まれようとしていた。

 ある日突然、彩乃の心に、このままでよいのかという疑問が生じたのである。千鶴に対してあれこれと気を配ることが、本当に千鶴のためになるのかと。


 この疑問が生じるきっかけは、彩乃自身は気づいていないのだが、実はすでに彩乃の潜在意識の中にあった。

 半年ほど前のことである。彩乃が、家のリビングを通りかかったときだ。たまたまついていたテレビ番組で、有名な教育評論家が、『子どもに手をかけすぎると自立心が育たないのよねえ』と言っているのを耳にしたのだ。彩乃は興味もなく聞き流しただけなのだが、その言葉は、彩乃の意識の奥深くに引っかかっていた。

 そしてこの日、バスの中で、子どもにあれこれと世話を焼く母子を見かけたのをきっかけに、半年の時を経て、(手をかけすぎるのはよくないのではないか?)という疑問が、我が身の問題として発露したのだ。


 それならどうしたらいいのか? そこは、まだ齢十五の若さである。千鶴が何かしでかしても、どんと構えて見守ろう……とはならなかった。そうではなく、千鶴に彼氏ができれば、好きな人の手前、千鶴はもっと自分で自分のことに気をつかうようになるのではないか、と思いついたのである。

 そう、まさしくただの思いつき。彩乃は、千鶴の世話を焼くのは好きでも、千鶴の成長に責任を負う親ではない。彩乃はそう思いつくと、千鶴の自立心云々の問題はどこへやら、ただ単に千鶴に彼氏ができるという考えに、ひとりワクワクし始めた。


 そして、彩乃は、こっそりと千鶴の彼氏探しを始めるのである。

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