十四話〈ビューポイント:セラ=ブラウニング〉
ネデット山岳に登り始めて一時間は経っただろうか、山岳と言うには足場がいい。それに加えて連なる山々はそこまで高くない。
が、肝心の山頂は高く、遠くに感じられた。
「ヘレン、山頂までの距離はわかりますか?」
涼しい顔のセラが問いかける。山登りというよりは、まだ長距離の散歩といったところだ。
「そうですね、このペースだと最低でも二時間以上はかかります。少しペースをあげますか?」
「ええ、できるだけ早い方がいいかと。早く、前のお嬢様に戻ってもらいたいので」
魔導炉が戻り、魔王としての自信を取り戻せば、少なからず今よりもポジティブに物事を考えられるようになる。シャロンもヴェロニカも、口には出さないがそう思っているに違いない。と、セラは考えていた。
魔導炉を失ったことで自信さえも失った、というわけではない。けれど、ライオネルを助けるためのカードが増えるというのは、それだけで自信に繋がるはずだ。長寿の魔王ハリエットの手引きとなれば、セレスティアも今よりはずっと前向きになってくれるだろう。
セラはいつでも周りをよく見てから行動する。自分本位に動くことは少ない。一番年下でありながら、一番謙虚で、一番消極的だった。なによりも一番人の顔色を伺う。
年下だからこそ可愛がられ、守られてきたという自覚がある。だからこそ、セレスティアを、その従者たちをなんとかしたいという気持ちが強い。
日は高く上り、けれど気温はそこまででもない。空気が冷たいため、日が強くても気温が上がらない。しかし山には魔獣が多く、戦闘は避けられなかった。
魔獣のレベルは低く、どれもレベル100から200といったところ。彼女たちにとっては問題にならない。特に先頭に立つヘレンは強く、レベル的にはセラたちと大差ないが、一人で過半数の魔獣を駆逐していた。慣れもあるのだろうが、戦い方が根本的に違った。
セレスティアの眷属たちは、基本的に単体戦において力を発揮する者が多い。しかしヘレンはどちらかというと大衆戦に向いている。武器は鎌で、一つの横薙ぎでも多くの魔獣を打ち倒す。
「慣れているんですね。私よりも年下に見えるのですが」
「もちろん。花を取りにいくのは私の役目でもあるので。それに、ハリエット様の眷属は大衆戦を得意とする者が多い。それは、単体戦はだいたいの場合ハリエット様がなんとかしてしまうからです。役割を決めてるんです、私たち」
「なるほど、いい関係なんですね」
「一応クローンなので、ハリエット様のことはわかりますよ」
「そう、ですね」
クローンという単語が出てくると、どうしても言葉に詰まってしまう。話には聞いたことがあるけれど、クローンという存在を見るのは始めてだったからだ。
「私は確かにクローンですが、特に気を遣ってもらわなくても大丈夫ですよ? 別になんとも思っていないので」
「わかりました、善処します」
セラが微笑むと、ヘレンはとびきりの笑顔を見せた。
クローンと言う割には似ていない。そうか、遺伝子などが同じであっても、今この時は別の人間なのだ。周囲の環境からくる育ち方までは、どうやっても同じようにはできない。
洞窟でシルファネイトを採取。洞窟の入り口で発見できたので手間が省けたとヘレンは言った。
更に歩き続け、どんどんと空気が薄くなっていく。
そして、頂上にたどり着いた。
「へえ、こりゃすごい」
シャロンが思わずそう言った。
山の頂上とは思えないほど、広く平坦な場所。黄色と桃色が合わさった美しい花が、頂上一面に敷き詰められるように咲いていた。
「ここが頂上、なのね」
「いいえ、違いますよヴェロニカさん。いや、ここも頂上なのですが、もう一個向こうに同じものがあるんです。花は咲いてませんけど」
ヘレンが指差すその先は、ここから数百メートルと離れていない。一本道を通り抜けた先にある、ネデット山岳のもう一つの山頂。花は咲いておらず、茶色い岩肌がむき出しだった。
「リンドヴルム、ですか」
「花を摘む前に血をもらってしまいましょう」
「血をもらう? 倒すのではなく?」
「ハッキリ言いましょう。倒すのは不可能です。それにリンドヴルムは温厚で人馴れしています。知恵もあるので人語も通じる。だからちゃんと話せばわかってもらえるはずですよ。でもただで血をもらうことはできないので、これを持ってきました」
ヘレンはバッグから五つの袋を取り出した。白い袋の中がなにか、外観では判断できない。
「それは?」
「サイクロプスの眼球です。リンドヴルムはこれが好きなんですよ。サイクロプスは単眼で、目と脳が同化しているんです。まあ食べるのはリンドヴルムの子供ですが」
想像してしまったのかヘレン以外の三人は口に手を当てていた。
彼女の後ろをついて歩き、リンドヴルムの巣へ。じきに翼が羽ばたく音がして、大きな影が近付いてきた。
「叡龍リンドヴルムよ! サイクロプスの眼球を持ってきました! 僅かでもいいので血を分けてもらえませんか!」
風が巻き起こり、リンドヴルムが降り立つ。全身は刺々しく、腹の部分以外は赤い。牙もそうだが、翼と同化している前の爪も、後ろ足の爪も非常に鋭い。
セラの小さな身体が震えた。魔獣に対してこのような感覚を味わうのは初めてだった。雄々しく、赤い目から放たれる眼光は畏怖を植え付けてくるようだ。明らかに自分たちよりもレベルが高い高レベルの魔獣。見たこともなければ戦ったこともない。もしも戦闘にでもなったら勝ち目はないなと心から思った。
「おかしい」と、ヘレンが言った。その声は小さく、おそらく翼が羽ばたく音の中では聞こえないだろう。
「なにがですか?」
「普段、リンドヴルムの瞳は青いんです」
「じゃあ赤い時は……」
「怒ってる時です」
次の瞬間、リンドヴルムが咆哮した。耳をつんざく大きな声。手で耳を覆っても意味がなく、奥歯を噛むほどに鼓膜を揺らした。
「戦闘準備をお願いします!」
ヘレンが両手に剣を持った。セラ、シャロン、ヴェロニカもまた武器を抜く。
しかし、この高レベルの魔獣に勝てるかと言われると、どうやっても頷くことができない。それは、ここにいる全員がそうだった。今まで涼しい顔をしていたヘレンが、頬を伝うほどの汗を流していることが証拠のように見えた。
リンドヴルムが羽ばたいた。大きく開いた口から炎が漏れた。あの炎に焼かれる自分の姿を想像して、また小さく身震いした。
助けは来ない。それが、なによりも怖かった。




