三話
「さて、最後の〆だ。追跡、精神、夢境に接続」
セレスが指を鳴らすと、指先から光がほとばしる。その瞬間、たくさんいた勇者たちはみな、糸が切れた人形のように崩れ落ちた。
セレスが持つ賜法の一つ〈意識追放〉は、指定した相手を気絶させるというもの。形態:追跡を使うことでターゲットを指定するのだが、魔導力が大きいセレスは複数の相手を一斉に指定できる。つまり大人数を一瞬にして気絶させられる。指定し、精神に干渉、夢を見せるという具合だ。
彼女の賜法は性格がよく出ている。人を傷つけることを良しとせず、攻撃系の賜法は一つしか持っていない。が、その攻撃系の賜法も「誰かも守るためには必要なこと」という意志の元で創られていた。
「さあ住民よ! 一人ずつ縄で縛るがいい!」
セレスの掛け声で動き出す住民たち。あっと言う間に勇者の山が出来上がった。
「讃え、そして畏怖しろ! このセレスティア=ウォルト=クロムウェルをな!」
皆膝をつき、指を組んだ。
魔王には跪かなければいけない。どれだけ尊敬されるようなことをしようとも、そんなことは関係なかった。そういう存在でなくてはいけないのだ。
勇者を敬わなかった民衆は罰せられ、監獄行きとなる。
「お前たちの命は私が握っている! くれぐれも忘れるんじゃないぞ!」
人々はセレスの言葉を静聴していた。涙を流す者、拝む者、顔を上げずにひたすら祈る者もいた。
「いくぞ、ライオネル」
「イエス、マイマスター」
人々の前ではできるだけ素を見せないのも、魔王と従者としては必要なことだ。
でも「イエス、マイマスター」だけはないと思う。セレスから言われて仕方なくやっていることだが、いろいろな物を捨てないとできない行為だ。人目を気にしていたら、恥ずかしさで爆死してしまう。
集落を離れた俺たちは余裕を持ちながら走り、森を抜け、ようやく城に帰ってきた。日はすでに落ち、茜は蒼に成り代わった後だった。。
城門が金属音を立てて重々しく開き、俺たちが住む城が露わになる。地面から伸びる蔦が外壁を這い、客観的に見れば非常に物々しい。
城の扉を開けると、温かな空気が身体を包む。決して寒いというわけではなかったが、この辺りの森は陽の光も届かず、季節に関係なく冷えるのだ。
赤い絨毯が直線に伸び、その先には大きな食堂やキッチンがある。中心を分かつように、見慣れた二つの大きな階段が左右に伸びる。当然のように、階段にも赤い絨毯が敷かれていた。
ロビー左右の壁にはドアがあり、その向こうには廊下。いくつもの客室あったり、何万冊という本を収めた書庫もある。この城の主であったベネディクトさんとジュディスさんは夫婦揃って本が好きだった。クロムウェル家に伝わる古書以外にも、自分でたくさんの本を買っていた。
他にもたくさんの部屋が存在するものの、まったく使ってはいない。
「お帰りなさい、二人とも」
と、シャロンが二階から声を掛けてきた。緩くウェーブがかった茶色い髪を後頭部で束ねている。豊満な胸元を隠す布切れと、太ももを惜しげも無く見せるようなショートパンツ。腹を出し、非常に露出が高い。髪型のせいもあり余計にそれが目立つ。
理由はわからないが、彼女は常にカーキのマントを羽織っていた。
「今日は、どうでした?」
右側のドアからはセラが現れた。淡い水色の髪の毛は肩まで伸び、前髪は綺麗に揃えられている。水色を基調とした、装飾も露出も少ないショートラインドレスを身にまとい、優雅な足取りで近付いてくる。
彼女はシャロンと対照的に口数が少なく、いつも無表情でなにを考えているのかわからない。
体型は奥ゆかしく、それもまた彼女の魅力を引き出しているようにも見えた。
「いつも通り、上手くいったよ」
こちらもいつも通り、セラの頭をそっと撫でた。
顔を上気させ「んんっ」っと気持ちよさそうな声を上げるセラ。妙に人懐っこいところがあり、人のベッドに潜り込んでくることもしばしばある。本人は寝ぼけてのことだと言っていたが、この年頃でやられると非常に困る。だがいくら言っても聞いてくれない。
それはいい。今は気にかけなきゃいけない人がいる。
「はあ……疲れた……」
そう言ってその場でへたり込んでしまうセレスを、俺は右腕で支えた。
「お疲れさま、部屋に行こうな」
セレスが気丈で強気なのは城の外、もしくは魔王としての職務を果たす時だけ。それ以外の彼女は、無邪気で子供っぽいけれど、とてもか弱く繊細な女の子だった。
城の外では無理をして気を張っているため、帰ってくると途端にこれだ。しかし弱さを見せ、頼ってくれるのは従者冥利に尽きる。
俺もセラもシャロンもそれだけ信頼されているということだ。
膝裏に腕を回し、その身体を抱き上げた。身長は低くないというのに妙に軽く、時々心配になってしまう。
セレスを抱き上げたまま階段を登り、彼女を部屋まで連れていった。
ベッドに座らせ、頭を撫でた。嬉しそうに、気持ちよさそうに受け入れている。
「それじゃ、俺は行くからな。ちゃんと着替えるんだぞ」
すぐにセラが来るはずなので、俺は退出しようと背中を向けた。
「待って、待ってよ、行かないで」
と、袖を掴んで離してはくれない。これもまたいつも通りだった。
俺もベッドに腰掛けて、彼女の頭を胸に引き寄せた。
「ライ、温かい」
「汗臭いだろ」
「そんなことないよ、いい匂い」
胸元に鼻を擦り付け、そんなことを恥ずかしげもなく言ってくれる。
戦闘が終わったあとはいつもこんな感じで、誰かに甘えていないと気がすまないらしい。甘えるのは誰でもいい。シャロンでもセラでも関係ないんだ。
俺はきめ細かい髪の毛の感触を楽しみながら、彼女が眠るまで頭を撫で続けた。
セレスの両親は魔王だったが、俺の両親はわからない。物心つくころには、俺はこの城に預けられていたからだ。セレスの父であるベネティクトさんも、母であるジュディスさんも、俺の両親のことは知らないと言っていた。森に捨てられていたところを拾ったと、それだけしか口にしなかった。
我が子のように扱い、ずっと育ててもらった。俺が魔王の従者になると言った時だって「お前の人生だ、好きにしなさい」と言ってくれた。
二人には感謝してもしきれないほどの恩がある。だからこそ俺はセレスの側にいて彼女に仕えるんだ。
五年前に死んでしまった、彼女の両親の代わりに。
しかし実際はそれだけではない。
セレスとは幼少から一緒に暮らし、妹みたいに思っている部分もある。落ち込んだ時は励ますし、逆に励まされることだってあった。
彼女の両親への恩だってあるけど、セレスに対して思うところだってある。だから、俺は自分の意思で、彼女を守ると決めた。