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魔王を守る下僕となりて  作者: 絢野悠
従者の資格
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二十一話

「〈紅血解放(ブラッディ・ロザリオ)〉! アナタの血液、もらったわ!」


 身体の内側から、熱の塊が徐々に大きくなっていくのをセラは感じていた。沸騰するような感覚は血管へと伸び、傷ついた場所からは血液が吹き出していく。


「そんな……!」

「相手が血を流した瞬間、その勢いを何十倍にも増加させられる。それが〈紅血解放〉よ。所詮人間は水分でできている。身体の三分の一の血液を失えば人は死んでしまう」


 少女は思った。「ああ、少しでも『捕まえること』を考えていた自分が愚かだった」と。


「〈氷壁封鎖〉」


 吹き出していた血も傷も、一瞬にして凍りついていく。体中の熱が逃げていくことはないが、沈静化していくのを感じている。激しく脈打っていた心臓も、少しずつ落ち着き初めていた。


 ヴェロニカと距離を離すと、沸騰するかと思うほどに滾っていた血液も静かになっていく。


 彼女との距離が大事なのだと、セラは気づいた。気づいたところで接近戦をしなければいけないことに変わりはなかった。


「自分を凍らせたの? アナタ、小さな身体のどこにそんな覚悟が?」

「覚悟なんて最初から決めていましたよ。シャロンもきっとそうです。魔王ベネディクトに拾われ、救われた。あの時から覚悟なんて決めていたんですよ。この命尽きるまで、この人たちを守ろうと」


 セラの家は貧しく、その日食べる物にすら困る有り様だった。彼女の両親は我が身可愛さのあまり、娘である三姉妹を売りに出すことにした。幼子一人を売るだけで、贅沢をしなければ十年以上も食べていかれる。特に、セラやその姉妹たちは非常に美しかった。まだ十歳にも満たなかったが、落ち着きと妙な色気があった。そのため売人には高く売れた。


 人身売買の結末は、大体の場合二択を迫られることが多い。


 ろくな食べ物も与えられず、奴隷として一生働かされる者。愛玩用として調教される者の二つだ。


 セラと姉妹は後者として、買われた人間専属の愛玩用として扱われることとなった。


 立派な自室、綺麗な服、美味しい食べ物。しかし、主人の前で声を出すことは許されず、なにをされても無表情で黙っていなければいけない。もしもそれを破ったのならば、地下の牢獄で拷問器具を使った仕置が待っている。必死に人形になり、そうやって生を繋いでいくことに、セラは最初から順応できてしまった。


 そう、できてしまったのだ。


 セラは最初から人形で、姉と妹は人間だった。だから、両方とも生き残ることができなかった。


 主人は脂肪の塊のような人物で、熱くもないのに汗をかき、口臭もヒドイものだった。腰に乗る多量の贅肉は、いつだって重そうに揺れていた。だからこそ、姉妹たちは人であったが故に、頬ずりされたり口づけをされた時、眉が動いてしまうのだ。


 なにをされても動くことは許されない。しゃべることも、眉一つ動かすことさえも許されなかった。頬や首筋に唇が触れようとも、脇や太ももに舌が這おうとも。


 姉妹が死んでしまっても、セラは涙を流さず人形であることを受け入れ続けた。


 唯一彼女が反応したのは、自分たちが売られた次の日に両親が殺されたと聞かされた時だった。


 自分たちを売った両親。自分たちが一番可愛く、子どもたちのことなど意に介さなかった。


 けれど、セラにとってはどうやっても親なのだ。


 主人に腕を引かれ、地下室へと連れていかれた。初めての折檻だったが、自分なら耐えられると信じてやまなかった。


 石畳の上で正座させられ、ムチ打ちから始まった。数分ごとに、足の上には重い石を乗せられる。奥歯を噛み締め、じっと耐えた。


 髪の毛を引っ張られ、爪を一枚ずつ剥がされた。涙を堪え、楽しかった日々を思う。


 だが、腕を折られた時には我慢の限界だった。


 のたうち回るセラを見て、主人はゲラゲラと楽しそうに笑っていた。


『この人は悪魔だ』


 なにも考えないようにしていた彼女は、溜めていたモノを全てを吐き出すように泣き続けた。両親が死んだこと、姉妹が死んだことなどが同時に襲い掛かってくる。感情の渦は彼女を飲み込み、すでに自分ではコントロールできないところまできていた。


 その姿を見て、主人はまた嬉しそうにしていた。ツバを飛ばし、贅肉を揺らし、ゲラゲラと耳障りな声を上げて笑っている。


 主人が後ろを向いた時、その辺に転がっていたワインの瓶を取った。思い切り振りかぶって、その脂ぎった頭を殴る。何度も、何度も殴った。

それが最初で最後の、彼女の過ちであった。


 折れた腕をぶら下げて、ほぼ全裸のまま屋敷を飛び出す。ボロボロの洋服を引きずったまま、虚ろな瞳で道を歩く。満身創痍の彼女は、飛び出すというよりも這いずりでたという方が正しいほどに弱っていた。


「大丈夫か?」


 そんな時だった。魔王ベネディクトと、人形セラが出会ったのは。


 今までの自分のこと、殺人を犯したこと、これからどうすればいいのかわからないこと。泣きながらも静々と話すセラの言葉を、一言一句逃さずにベネディクトは聞いていた。その上で、彼はセラを受け入れた。もちろんジュディスも承知の上で。


 こんな薄汚れてしまった自分でも、人を殺めてしまったこの手でも守れるものがあるのだ。時に優しく時に厳しいベネディクト、人としての教養や女としてのあり方を教えてくれたジュディス。第二の人生を与えてくれたクロムウェル家に骨を埋める覚悟を、彼女はその時に決めていた。


 ここ以外のどこに自分の居場所があろうことか、と。


 城にいた二人の子供も、少し年上の女性もとてもやさしかった。汚れてしまった自分に笑いかけてくれた。それが嬉しくて、何度も独りで涙を流した。


 一度目を閉じ、そして開く。


 ここで負けるわけにはいかないのだ、と。自分の居場所を守り、彼らの居場所を守るのだ、と。


 歪み、隆起した地面がセラを中心にして凍っていく。パキパキと音を立て、雲のように白く変色している。


「その矜持、打ち捨ててあげるわ」

「できるものならやってみればいい。〈氷結映写(グレイシア・マニュピレート)〉!」


 地面の氷が人間大に膨れると、それはセラと同じような姿形をとった。そして、そのままヴェロニカへと攻撃を始めた。


 自分と同じ姿をした氷の彫刻を発現させる。それが〈氷結映写〉の能力。シャロンの〈領界誘惑〉とは違い、形を変形させることはできない。その代わりに物理的な行動を起こすことが可能である。


「脆い! 脆いぞ!」


 しかしその実、氷であることには変わらない。攻撃はできるが防御力は非常に低く、ヴェロニカの槍で一掃されてしまった。


「分身はいくらでも作れますよ」


 壊されては復活し、また壊されては復活する。セラの魔導力が尽きぬ限り、彼女の分身はいくらでも生成できる。


「こんな戦い方ではいつ魔導力が尽きてもおかしくないわね!」

「そうですね」


 地面を凍らせて分身を相手と戦わせることは、自分のペースに巻き込むのには必要だった。


〈氷結映写〉の分身は、セラが自由に動かすことができる。つまりそれは、相手を思い通りに動かすことにも直結していた。


 素早く相手の影を踏み、そして沈む。


 次の瞬間には、ヴェロニカの背後をとっていた。


「しまっ――」

「切り刻め〈凍牙神裁(フリーズブレイズ)〉」


 その剣閃は氷のように鋭く、影のようにまとわりついて離れない。静かに這い寄りて、肌を切っては凍らせていく。


 一つ刻んで腕の動きを鈍らせた。


 二つ刻んで脚部の自由を奪った。


 三つ刻んで表情を張り付かせた。


 このままいけば、セラの勝利は確定だった。相手が木偶人形の場合、だが。


「〈鼓動把捉(イノセントホルダー)〉! 奴の心臓を掴め!」


 ヴェロニカの叫びが木霊した。


 一際大きな脈動の後で、セラの身体はぐらついた。森がざわめく音、氷が砕ける音、大地がせり上がる音。たくさんの音の中で、耳元で響くはずの脈拍だけが聞こえない。


 次第に胸が苦しくなり、このままではマズイと一足飛びで後退した。


 胸に手を当てると、平常よりも早く波打つ脈拍を感じた。その鼓動に安堵するのと同時に、妙な危機感が胸を締め付ける。

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