十七話〈ビューポイント:セレスティア=ウォルト=クロムウェル〉
イスに座ったまま窓の外を見やり、セレスティアはため息を吐いた。
山の向こうは明るくなり、景色は徐々に白んでいく。それらを見ても綺麗だとは思えず、内心ではただただ不安が燻っていた。
太陽は夜を溶かすけれど、心を覆う闇は払拭してはくれない。こればっかりは自分で解決しなければいけないのだと、彼女自身も理解していた。
「おい、もう時間だぞ」
イライラした様子のシャロンが、指で机を叩いていた。コンコンコンと妙にリズミカルである。一定間隔で刻まれるそれは、興奮状態の脈拍とも似ていた。
「ライはそんなに薄情な人ではありません。きっと来ますよ」
セラはセレスティアの頭を静かに撫でる。が、撫でられてもなお彼女の顔色は優れないままだった。
アーサーから過去の話をされてすぐに、ライオネルは城を飛び出していった。不審に思ったシャロンとセラは、セレスティアから事情を聞き、頭を悩ませた。が、結局二人もまた腑に落ちてはいない。
何年も仕えてきた従者が話も聞かずに飛び出すとは何事か、と。
クロムウェル家への忠誠心は、従者の中では一番高かった。従者の中で一番長く城に住まい、セレスからの信頼も厚い。
そんな彼が、事実確認もしないままいなくなった。本当にそうなのかと問われると、セレスティアや従者たちも首をかしげてしまう。
「そろそろ日も登る。アタシは一足先にクロムウェル城に行ってるよ」
「私も、城の前で待機しなければいけません。いいですかお嬢様、決して無理はなさらないこと。危険を感じたらすぐに逃げること。私たちができるだけ早く駆けつけます」
「ごめんなさい二人とも。私のせいでこんな……」
セレスティアの精神は既に魔王状態。もしも通常状態であるなら、今よりは楽観視できたかもしれない。
「いーってことよ。世の中仕方のないことだらけさ。それをどうにかすんのは、本人とそれに協力する奴らの能力次第。アタシもセラも全力を尽くすからさ」
シャロンが両手を広げると、セレスティアは迷いなく飛び込んでいく。豊満な胸と高めの体温、それに規則的に脈打つ鼓動。それらを身に感じ、少しず緊張の糸が解けていくのをセレスティアは感じていた。
「わかってると思いますが、お嬢様は戦おうとしないでください。逃げることに対して最適化を行ってください。建物を障害物とし、地の利を活かして逃げ切ることが重要です」
「わかってるわ。大丈夫」
拳を堅く握り、アーサーの顔を思い浮かべた。しかし、それはすぐに別の人間の顔に書き換えられる。
そう、ライオネルの存在は彼女にとってあまりにも大きかった。
自分がもう少し丁寧な対応ができていれば。本当のことをちゃんと話していればと、自身を叱責するような言葉しか出てこない。
「じゃあな、お嬢。生きてたらまた会おうぜ」
「私も行きます。どうぞ、ご無事で」
「ええ、そっちもしっかりね」
従者たちは同時に頷き、神妙な顔をして部屋を出て行った。
セレスティアは二人の背中を見送って、自身の頬を思い切り叩いた。小気味のいいピシャリという音が室内で弾け、消えた。
いつも使っている剣を右の腰に、父から受け継いだ剣を左の腰に携えて、視線を前へと向けた。
「私は魔王セレスティア。三人の主人で、城の城主だ」
なにかに縋らなければいけないことを、彼女は少しだけ情けなく思っていた。しかし今はこうでもしないと自分を鼓舞できない。
アーサーと戦うには己の弱さを理解し、それを糧とするのは必要なことだった。
自室から出て右に折れた。そして大広間へと向かっていく。
魔王城には必ず大広間が設置され、魔王はそこで勇者と対峙する。もちろんこの城にも存在し、アーサーを迎え撃つ場所はそこしかないとセレスティアは考えた。
だが、彼女は大広間を好きになれなかった。
大広間は魔王が勇者を迎え撃つ場所。普通の魔王は、そこで勇者たちを殺すのだ。勇者たちが泣き喚こうが関係ない。勇者は魔王を倒すために出向き、魔王は勇者を殺すために鎮座する。そんな構図を嫌っているのは今に始まったことではない。魔王になると決めた時よりもずっと昔、幼き頃からだ。
殺さずの魔王血統クロムウェル。良い意味でも悪い意味でも、その名は魔王の中でも有名だった。名家と言っても差し支えないが、それは百年以上前の話。つまり、ベネディクトが魔王になる前から失墜していた一族である。
それでもなお大きな城を二つ持ち、なに不自由なく暮らしてこれたのはベネディクトの人徳や働きがあってこそ。その名を汚さないようにと、セレスティアも粉骨砕身の努力をしてきた。
それがこんな結果になるとは、彼女も想像していなかっただろう。
しかし今は自分の迂闊さを呪っている場合ではない。
目をつむり、深呼吸し、心を落ち着ける。そうやって、前を向くことができるのは彼女の美点だ。後悔も反省もしているし、申し訳ない気持ちもある。だからといって表に出すわけにもいかない、というのもある。
魔王と言う名前の重さ故であった。
セラもシャロンも心配だ。ライオネルに至ってはどこにいるのかさえもわからない。それでも、今は自分が生き残ることを考えなければいけない。一番厳しい戦いを強いられるのは自分なのだから。
あの頃は父も母も守れなかった。
毎日毎日、ただただ涙を流して、魔王としての職務も放棄した。自分の気持ちがわからず、胸中にどす黒いなにかが渦巻いていた。その正体が負の感情だとはわかっていた。
ただ、その感情をどうコントロールしていいのかわからなかった。幼かった彼女は術を知らなかったのだ。
『ベネディクトさんとジュディスさんが死んで俺だって悲しい。けど、お前のそんな姿を見ているもの辛いんだ。頼むよ、また笑いかけてくれよ』
そんなライオネルの言葉に背中を押された。いや、押してもらったというのが正しい。
泣きじゃくるセレスティアを抱きしめ、彼は全てを受け入れてくれた。
城の中でだけ彼女が幼いのも、ライオネルの存在があるからと言っても差し支えない。
彼女は間違いなく彼に依存していた。
「今度は、私の番じゃないか」
自分は弱いとこき下ろした。
強くなるのだと叱咤する。
甘えているのがわかっているから、今度はこの足で立ち上がらねば、と。
ライオネルがどういう心境でいるのは不明だ。なにを考え行動し、今どこにいるのかもわからない。それでも帰ってくると信じ続け、次は自分が全てを受け入れてやるんだ。
陰画に傾いていく気持ちを察知し、もう一度頬を思い切り引っ叩いた。そしてその痛みで前に進む。
そうこうしているうちに、大広間の前に到着した。
初めて入る大広間。冷たく重い金属製のドアを押し、埃っぽい室内へと足を踏み入れた。
どこまでやれるかわからないが、そんなことを言っていたら始まらない。ただただ未来を信じ、従者を信じ、意思を突き通す。
魔王としては世界でも上位に位置し、四魔将に指をかけようかというところで失墜した少女。
彼女の名は、魔王セレスティア。
今、瞳の奥で火が灯る。




