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壊レタ世界ノ詠ウ唄  作者: 屍月瑪瑙
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狂ッタ世界ノ唄ウ詩

壊レタ世界ノ唄ウ詩の前の話、外伝的ポジションの話です

伝えたい言葉がある。

いつかいえたらいいと思う言葉が。

或いは永遠に言う事のできない言葉が。

降り積もって、降り積もって。

声に、ならない。



この苦しさも、この痛みも、君に向ける愛しさも、憎さも、哀しみも。

いつか時が風化させるのだろうか。

時の流離人。

生きながら死に逝くこの心は、まだ流す血を持っているだろうか。

時の放浪者。

生きながら死に逝くこの心は、まだ流す涙を持っているだろうか。





――雨だ。

大樹に身体を預けて目を閉じていると雨音が聞こえ始めた。

「フィリエル」

耳に心地よい低さの声に呼ばれ目を開く。

「寝ていたのか?」

「いや」

燃えるような赤い髪。髪とは対照的に瞳の色は濃紺だ。

「降ってきたな」

「あぁ」

「セレンとカインは何処に行っちまったんだか…」

セレンは目の前の男の義妹、カインは自分の異母兄の名だ。

「ランス」

「あ?」

オレは座っていてランスは立っているので普段より見上げる必要がある。

「屈め」

それだけ言うとランスは疑問を口にもせずオレの言葉に従った。

背後に潜んでいた魔物を投擲用のナイフで貫く。

移動魔法を組み込んだ特別製の武器は初めて戦場に立った時からこの身と共にある。

「…気付かなかったぜ。探知能力が低いってのは嫌だね」

「魔力で気配を殺していたからな。魔法が得手ではないランスが気付かないのは無理もない」

「でも俺が気付けるタイプ…あからさまな殺気とかにもお前の方が先に気付くんだよなぁ…」

「でかい図体で落ち込むな」

「可愛い顔して言う事きついぜ」

「…ランス」

「……すみません」

十七、八の外見で成長が止まったオレは同年代の同性と比べても男らしさには恵まれていない。

それに対して二十代半ばで成長を止めたランスは美丈夫、と言っていいと思う。

長身に剣術を始めとする武術で鍛えた筋肉がバランスよくつき、そしてそれは見せかけではない。

普通体格がよくなれば動きは鈍重になるものだがランスは瞬発力にも恵まれている。

小回りが効く分短時間の模擬戦だったら何とかなるが体格の差から来る持久力の差は如何ともしがたい。

それを独り言のつもりで呟いたら「お前に持久力まで備わってたらもうどうしようもないな」と微妙な返事が返ってきたのは記憶に新しい。

「大体持久戦に持ち込ませてもくれないだろう」と愚痴ったオレに愚痴り返す始末だ。

「しかしこの世界も魔物がやたら多いな」

オレとランスはこの惑星の生命体ではない。

故郷は砕けた。否。――砕いた。

龍人界ドラス、神龍国ドラグニール。それがオレ達の故郷。

人々は予言によって縛られ、縛られていることを自覚しないまま死んでいく。

予言どおりに星を砕いたオレは今、予言に抗うために生きている。

ドラスの全生命を、身に抱いて。

魔物がひっきりなしに襲ってくるので人里離れた山の中に拠点を置き異母兄達を探しているが成果は捗々しくない。

『気』が途切れていてどれだけ集中しても位置がつかめないままそろそろ一月が経とうとしている。

「この星にいる事は間違いないんだよな?」

「その筈だ」

二人のいる場所に転移するよう魔法をかけた。

転移した直後、一瞬だけ気配を感じた。

それが最後の手がかり。

他の星に移ったのかと転移魔法を試したがこの星から出るという結果にはならなかった。

それどころか国を移動する事すらない。

必ず同じ国の、同じ都市に近い人気のない場所に転移した。

セレンかカインのどちらか、或いは二人ともこの近くにいる筈なのにそこから先が見えてこない。

どうも厄介事の予感がした。

「取りあえず今日はここまでだな。雨の中移動してたら変人に思われるし」

オレは特殊な生まれをしたためずっと屋外で育ったし、ランスは育ちの割にサバイバル生活に慣れているので山の中でろくに道具がなくても然程不便は感じない。

強いて言うなら雨が降った時少々不快な位だ。

「飯が食いたい」

「ならこの国の人達に混ざって働いて賃金を得て食糧を買って来い」

「フィリエルは腹減らないのかよ」

「食物を摂らなくても支障はないからな」

「そうじゃなくて…嗜好品として飯が食いたい」

「何度も言わせるな。この国の通貨も戸籍も働く当てもないんだから嗜好品がどうのと言っている場合じゃない」

「無味乾燥としてるなぁ…」

諦めたようにランスが腰を下ろす。

「フィリエルはしたい事とかないのかよ」

「……強いて言うなら」

「何?」

「覗かれる事なく水浴びがしたい」

「……すみませんねぇ。覗きの常習犯で」

「男の水浴びを覗いて何が楽しいんだか」

「フィリエル、パッと見男に見えねぇしそれ位しか潤いがねぇんだよ」

「…殴っていいか」

「ごめん止めて」

四季があるらしいこの国はそろそろ冬が近い。

山の奥の湖を風呂代わりに、滝をシャワー代わりにしていたら人間だったら多分余程身体が丈夫でない限り肺炎を起こしているだろう。

その点は半分龍人の自分に感謝だ。

寒さは感じても病気にはならないのだから。

「……言っても無駄な気はするが日が落ちる前に水浴びしてくる。覗くなよ」

「あぁ、無駄だな。他に潤いが見つかるまでは何度言われようが覗くから」

いっそ清々しさを感じるほど爽やかに変態的な、というか犯罪的なことを胸を張って言い切った従兄をとりあえず殴り倒して、拠点にしている場所から少し歩いた先にある滝のある湖へと足を向ける。

ランスは頑丈だし『気』を籠めて本気で殴ったわけではないから大してダメージは受けていないだろう。

せめて水浴びが終わるまでの間気絶させておける程度に力を籠めて殴るべきだっただろうか。

一応鳩尾を狙って拳を叩き込んだが殴った瞬間に身を引いていたから自分で悲観するほどランスは弱くない。

…もっとも本当に弱かったらいくら義妹と主である次期国王の従弟を探すためとはいえ魔物の跋扈する土地に同行させたりはしないが。

「…いや、そもそも次期騎士団長で火炎龍主が弱かったらそれはそれで問題か。よく愚痴るのは単に冗談のつもりなんだろうか…」

幼少時代からの付き合いだがアイツの行動はいまだに読めない。

軽く、ヘラヘラとした風を装っているし、付き合いの浅い奴は実際そんな性格だと認識しているだろうが実際はどれほど親しい相手にも詰めさせない最後の距離があるように感じられる。

前にそう指摘した時は大袈裟に嘆いて身振り手振りで自分がいかに正直に生きているかを主張していたが大袈裟すぎて逆に胡散臭かった。

しかしそれが嘘だと見抜かせたうえで敢えて嘘を吐くなら踏み込んでほしくないという意味なのだと解釈して、それ以来本心について深読みしようとするのはできるだけ控えるようにしている。

出会い頭に殴られて弾みで倒れたところを馬乗りになられて首を絞められて、という他の人だったら多分それ以降の交流は発生しないであろう出会いではあったが本心からランスを嫌っているわけでもないし、行動を共にする以上無意味に嫌われてもお互い疲弊するだけだ。

ランスが道化を演じることを望んでいるなら望んでいる面だけ見ていればいいと思う。

そうすれば踏み込むことを許した範囲でならランスは嘘をつかないから。

ロングコートとタートルネックのセーター、ボトムとブーツを脱いで湖に踏み入る。

滝から離れた部分は薄く氷が張っていて寒さの厳しさを伝えていた。

「……冬が深まっていくせいか日増しに寒くなるな……」

薄く張った氷を足で割りながら滝まで進む。

結構高度のある滝から落ちる水で髪を濡らし、頭皮をこすった。

元々代謝が低いのか特に頭が痒くなったりべたついたりすることもないのだが一日に一回は水浴びするなり、風呂に入るなりしないと落ち着かない。

もっとも、風呂なんてドラグニールにいたころもろくに入れなかったが。

神龍主――ドラゴンマスターは必ず女性として生まれてくる。

しかしオレは神龍主が兼ね備える銀の髪と蒼い瞳を持ちながら男として生まれてきた。

それを隠すためにずっと国王と次期国王、その二人のどちらかが許可した者にしか入る事の出来ない禁域、妖精たちのフェアリーズ・ガーデンで育てられた。

殺されそうになる事には、慣れている。幼いころからたった一人で戦場に立ち続けてきたし、ランスやカインでさえオレを殺そうとしたことは何度かある。

オレを殺そうとしない相手に会ったことがない程度には、殺意はオレの周りにあふれていた。

そのことに対して特に絶望はない。生まれてきてはいけない存在だと、オレ自身が思ってる。

生まれた事実を消せないなら、せめて自分に害が及ぶ前に殺す。

それは生き物として自然な生存本能じゃないだろうか。

……まぁ、ドラスの民は結局、死の予言がされていないオレのせいで一度命を絶たれているんだが。

罪はこの身と共に。

罰を望みながら、前世を含めればどれだけの時を生きただろう。

ドラスの民は予言に寄って縛られる。

出自も、将来就く職業も、結婚する相手も、生涯で手にする財産も、その死でさえ。

オレの予言をなそうとした予言者は予言の最中に命を落とした。

残った予言は『忌み子は荒廃を招き、やがて星を砕く』という、まぁ、予言に生活を全て決められている国の住民にとっては非常に有難くないもので。

おまけにオレの母は龍人ではなく天使だったとかで本来二親が揃って予言で定められた日に天に気を送り、子を願い、天界に住むという守護聖龍たちが子の…人間でいうと魂にあたる【核】と体を作り出し地上へ送り届けるのだが、オレの場合は天に気を送ったのにも関わらず母の胎内に宿った。

それだけでも十分異常なのに、神龍主としてはありえないはずの男の身体を持って生まれ、神龍主としては禁忌とされる双子だった。

神龍主が双子だった場合、銀髪に蒼い瞳を持った女子と黒髪に赤い瞳を持った男子が生まれる。

そして黒髪に赤い瞳の男子は長ずれば敵国であるドラグーンの帝王、邪龍主として迎えられ神龍主と争いある定めだという。

禁忌の子を、天から授かるのではなくドラスでは異端の胎から生んだことによりもともと他種族ということで好意的には見られていなかったオレの母は国王を誑かし、世を乱すために舞い降りた罪人としてドラスでは最も重い刑罰である火あぶりの刑に処された。

死産だった、オレの双子の弟と共に。

天から子を授かる文化が浸透している世界では当然ながら産婆はいない。

出産に手間取る中命を引き取った母は、わざわざ反魂の法を用いて殺されるためだけに蘇り、処刑を宣告されても逃げ出す素振りすら見せずに逝った。

前世からの記憶を全て引き継いだオレは生まれた直後は歴代の神龍主としての意識が強かったが全てを見、全てを記憶している。

他種族であった母を見初め、第二王妃として迎え入れた父は母の処刑に最後まで反対していたようだが不吉な存在を生み出した魔女は極刑に処すべき、という意見を翻すことはできなかった。

父は次第に病み、政務以外では自暴自棄な暴君と化していった。

それを好機として攻め込んでくる帝国軍に対して自国の軍に出動命令は出さず、代わりに生まれたころから神龍主であるために軍事総長の肩書を負っていたオレに単騎での出撃命令が密かに、そして相次いで出した。

母を失ったのがオレのせいだと、オレが生まれなければすべては満ち足りていたのだと顔を合わせた時言葉の限りを尽くして罵倒されたことを覚えている。

母が処刑場に連行される間際、初めて、そして最後にオレに触れて『ごめんなさい。貴方に辛い思いをさせてしまう。母を恨んでください』そういったことも、覚えている。

だからオレは知っていた。生まれる前から、否、もしかすると生まれる前、胎児だったころから。

この命が決して祝福されないものだと、罪深いものだと、許されないものだと。知っていたんだ。

父が緩やかに壊れていったように兄もまた緩やかに狂気に包まれていった。

従兄は神龍主と正の意味で対となる土龍主に選ばれた義妹の両親が、オレと正しく対であるために処刑されて自分の家に養女として引き取られたことに憤ってオレを殺そうとした。

オレが生まれてこなければよかった、なんて。

改めて言葉にされなくたって分かりきってる。

誰も望まなかった命。

ただ予言で生まれてくることを義務付けられたから宿った命。

そして死の予言がなされる前に預言者が死ぬことによって死ぬことで許される道を喪った命。それがオレだ。

オレはオレ自身を不幸だとは思わない。

オレに関わって人生を狂わされた人たちのことを思えば、そんな甘えた考えを持ってはいけない。そんな甘えは許されない。

多くのものを歪めてしまったオレだから。

反逆者となることを予言で義務付けられ、王を慕いながらも弑逆する定めを負った一人の男性の今際の言葉をオレだけが受け取ったから。

「王に従えば天に背くことになり、天に従えば狂気を知りながらも慕わずにはいられない王に刃を向けることになる。この世界の節理が憎い、だから貴様が世界を砕くというなら、私はその力を利用する。こんな不条理な箱庭など、崩れ去ってしまえばいいのだ」

その言葉を、オレだけが聞いていたから。

弑逆の血で汚れた刃で自らの喉を掻き切ったその男の呪詛がオレに課せられた予言という名の忌まわしき呪いを引き出し、力の暴走によって星は砕かれた。

オレはその瞬間、ドラスの全生命と同化、自分の核の中にその命を時を止めた状態で取り込み、火炎龍主である次期騎士団長のランス、水龍主であり時期国王であるカイン、土龍主でオレの正なる対である従妹セレンを連れて手近な惑星へと転移した。

思えばその時初めて望みを抱いたのかもしれない。

予言というシステムを無効化し、人々が自由に生きられる世界をオレの核を元に作り出す。ドラスを再生させる。

そのために生じる歪み、戦いや自然災害、飢饉といった災いは具現化する前にオレが吸収し、消滅させる。

不死であるオレがシステムの母体となり、災いを取り去ったなら。

或いはこれから生まれてくる命に対しては、罪悪感を抱かなくて済むかもしれない。

そういう打算がなかったといえば嘘になる。

けれどオレはもう終わりにしたかった。

英雄と讃えられながらその実単なる人殺しでしかない神龍主と、全ての災厄として葬り去られるだけの定めしか許されない邪龍主のシステムも、どれほど足掻こうが生まれる時になされる予言に抗えずに生きるしかできない世界のシステムも、全て壊してしまいたかった。

オレが忌み子で、全てを砕くというなら。

平和を狂わせた分、未来を誰かに託したかった。

この血塗られた命では何かを生み出せないというなら、せめて次の誰かが血塗れの咎を負わない世界に作り替えたかった。

そのためにお前たちを利用させてほしい。

かつて初代神龍主が災いなき世を望んで世界創世の儀を執り行ったとき助力した、守護聖龍の中でも最高位の龍たちの力を受け継ぐ者の転生体である、お前たちの力を貸してほしい。

そうカインたちに乞えば、皆痛みをこらえた顔で、けれど何も言わずに頷いてくれた。

オレはオレ自身を不幸だとは思わない。

オレを殺しかけたという経緯はあっても、オレに未来を託そうとしてくれる人がいるから。

オレによって人生を狂わせられ、自我を狂気と正気の狭間に置きながら、オレを心底憎しみながら、それと同時に心から慈しんでくれる人たちがいるから。

たとえこの先何があっても、オレはオレ自身のことを不幸だとは、思わない。思えない。

「君が君を許さなかったら、誰が君を許すんだい?」

そう問いかけた異母兄に違う、とオレは答えた。

オレ以外の誰かがオレを許してくれるから、オレはオレを許そうと思わなくて済むんだ。

お前たちがオレを憎しみながらも慈しんでくれるから、オレは誰より自分を憎み、自分を追い込むことができるんだ。

悲しげな顔をされたが、それがオレにとっての真実だ。

誰かに許されることができるのは幸いだ。

だけどオレは、オレ自身を許したらいけない。

許されただけで十二分に幸せだから、人の幸せを壊した身でそれ以上を望んだらいけない。

自罰ではない。

多分これはエゴに近い、自虐だ。

自分を傷つけることで安心するのは、オレもどこかで狂っているからだろう。

自分が傷つくならどんな傷でも耐えられる。

けれど周りの誰かがこれ以上傷つくのを見るのは嫌だった。

たとえその【誰か】が同じことをオレに対して思ってくれても、オレは自分が傷つく道を選ぶ。

オレは我儘だし、死なない身体だから。

だからどれだけ傷ついても自分の傷なら全然痛くない。

だからオレに傷を負わせることを悲しまないでほしい。

そう願ったら、やっぱり悲しげな顔しかされなかったけれど。

自分が傷つくことで少しだけオレは救われて、そのたびにオレの代わりに痛そうな顔をする異母兄や従兄妹の顔を見るたびに救われた報いを受けた気分になる。

「フィリエル―。水浴びが好きで、俺らが人間に比べりゃ丈夫でも、いい加減上がらないとそろそろ髪の毛とか凍るんじゃねぇ?」

「……………」

「おーい、フィリエル―?フィリエルくーん?聞こえてるかーい?」

「…お前、覗きが対象に向かって話しかけるとか…どれだけ厚かましいっていうか非常識っていうか…」

「俺は常識にはとらわれない男だ。つーか心配位させろよ。何分滝に打たれてる気だ。人間だと冬の滝行はたまに死人が出るらしいぜ?」

軽薄な口調にどんどん深みにはまっていた思考がかなり強引に引っ張りあげられる。

この空気を読まない振りがランスの慰め方、というか励まし方だと長い付き合いで知っていたつもりだが…。何度やられても、その、なんだ。

「力技全開っていうか、強引過ぎるにもほどがあるだろう…」

ため息を吐きながら湖から上がろうとランスのいる方へ歩き出せば心外な、とでも言わんばかりの大仰な息が吐きだされる。

…いや、だから。お前にため息に近い息吐かれると思考を強制終了させられた怒りというか、安堵も多少混ざってるけど途中で強引に引っ張り上げられた時の反動で不安定になってるオレの複雑な心持ちを粉砕された気分になるんだが。

それも全部、多分計算ずくでやってるのがまた微妙に腹立たしいというか。

悩んでる奴は強引に引きずりあげて悩んでることが馬鹿らしいと思えるように悩みを完全粉砕する、がモットーのこの男に、オレはたびたび思考中の物事を完全粉砕される。

悩んでいるというより大体決意を新たにしてる時とか、過去を思い出して誓いを立ててる時なんだけど。

「お前の後ろ向き過ぎる決意表明やら誓いやらは何度だって完全粉砕してやる。焼き物は割れて接ぎなおす度に味が出てきて別の物に仕上がるって聞くしな。

壊されてもまた後ろ向きに接ぐお前の根気が勝つか、壊しきって新しい、前向きな思考回路を作らせられるかっていう俺の力技が勝つか。勝負だ、フィリエル」

「…そんな暑苦しい勝負を受けるのは御免こうむる。

オレはそんなに気楽な思考回路をしている気はないが何度も粉砕されるたびに組み立て直す作業を勝負に持ち込んで勝とうと思うほど気が長くもない」

「それならもうちょっと前向きに生きればいい。それとも俺たちの傍は息がしにくいか?どうすればお前はお前の幸せを探すために生きられる?」

母から引き継いだ、けれど漆黒で数も一対ではなく三対の翼から一枚羽を抜き取りタオルに変化させて髪と体を拭う。

変化系の魔法と対象物を転移させる魔法は数ある中でも得意な方だ。

「器用だなぁ、羽根ひとつあれば大概の物作れるし羽根は生え変わるからはげねぇし…魔法ってやっぱ便利だよなー」

「はげるとか縁起でもないことを言うな。オレは食肉用の鳥じゃない」

「あ、フィリエルを食うっていうならベッドのほうでの食う専門で。食肉用としては食いでがなさそうだし」

「殴っていいか」

「ごめん止めて」

…さっきもしたよな、こういうやり取り。

タオルを羽根に戻して着替えはじめるオレをランスはまじまじと見ている。

今回覗きがあまりに大っぴらすぎて咎める気力も根こそぎ奪われたがオレはそもそも肌を人前で晒すのは好きじゃない。

「……何を凝視してるんだ」

「いや、よくサバイバル生活できるよなって。

その辺の女子より細いしいかにも温室育ちって感じの肌の白さだし。ガキの頃から戦場飛ばされまくってた割に傷とか一つも残ってないし」

「傷の治りが早いしよほど深手じゃなければドラス基準でいえば傷は誰だってほとんど残らないだろ。何をいまさら。日焼けしないのは体質だろうが」

大体オレは傷の残りやすい近接戦はできるだけ避けて転移魔法を仕込んだナイフとかを投擲して戦ってたから傷自体をあまり負った覚えがない。

あぁ、でも大鎌は使うか。あれはどちらかというと近接戦だろう。

前世の記憶から引き出す戦いの知識に体がついていくのが覚束なかった幼少期はいくらか怪我をした記憶もあるが大体はカインが回復魔法と薬草で手当てをしてくれた気がする。

「あぁ、それでか。お前、自分では手当とかしないタイプだろ。自分の骨折より他人の擦り傷心配してそうだもんな」

……多分まったくもってその通りだから反論できない。

黙り込んだオレにランスはふふん、と得意げに鼻を鳴らした。

その後急に額に指弾を食らわせてくる。

「人の傷を心配する優しさを持つことを、わりぃとは言わねぇよ。でもお前が怪我してると自分が怪我したみたいに心が痛む奴が周りに何人かいるって事を自覚して、手当てくらいはちゃんとしろ。死なないからって痛まないってわけじゃないし、傷が残らないからって怪我しなかったってことにはなんねぇんだから。お前はもっと自分を大事にしろ」

「…そういうランスだって自分の怪我より他人の怪我優先しそうなんだが」

「俺は自分が骨折してて相手が擦り傷ならとりあえず相手に心配かける前に応急手当てしてから相手を心配するっての」

心外そうな言葉に思わず薄く笑えば人が慣れない説教珍しく真面目にしてるのに笑うなよ、とふて腐れるような反応が返ってきた。

「悪い、脳筋のランスがそんな風に真剣に説教してるのがなんか、おかしくてつい」

「脳筋言うなとか説教されてるのを面白がるなとかいろいろ言いたいことはあるが…少しは浮上したか?」

「あぁ、おかげさまで。今回はお前の勝ちだな」

「俺は逆境に勝利をもたらす男だからな」

「自分で言わなきゃ格好いいのに」

「っ」

「…なに?」

「デレ期到来!?氷河期脱出からの新しい生命の息吹がフィリエルにキタコレ」

「…頼む、オレの理解できる言語で喋ってくれ」

「ツンに戻るのはえーよフィリエル、そこはもうちょっとデレるところだろう」

「そもそもなんだ、そのツンだのデレだのというのは」

「この間ちょっと街に降りた時耳に挟んだんだよ。普段ツンケンしてる奴が素直になる事をツンデレっていうらしい」

「……お前、この星に永住でもする気か。そんなマニアックっぽい知識仕入れてどうするんだよ」

「ナンパの時に会話合わせるスキルは重要だろ?あー、でもフィリエルならツンデレに素直クールが入るかな。いや、でもツンデレか。自分を傷つけて安心するってところはヤンデレっぽさも感じるし…さすが神龍主、無限の可能性を秘めてるな。服を替えれば男の娘とやらにもなれそうだし」

「…だから、俺に理解できる言語を使ってくれ。翻訳してくれる奴がいないんだから」

「むー…一言で片づけるなら褒め言葉だ。

フィリエルは萌えの可能性を無限に秘めている」

「良く分からんが褒められてる気がしないからナイフで刺していいか」

「ツンをバージョンアップさせないでくれって事でお願い止めて」

道化を演じて周りのムードメーカーになるのが多分ランスの狙いなんだろうが…二人だけだとおちおち考え事もしていられない頻度で訳の分からないことを言いだすな。

突っ込み疲れてそのうち敵が出ても対処できなくなるんじゃなかろうか。

「なんだ、フィリエル。げっそりした顔して。滝にあたりすぎて風邪でも引いたか。それともついに嗜好品として食事を摂りたいという俺の意識が届いて空腹を感じたか。風邪を引いたなら俺が暖めてやるし食べ物が欲しいなら一緒に食材を入手するための計画を練ろうじゃないか。腹が減っては戦はできぬ、だ」

「…残念だがどちらでもない。単にお前の扱いに疲れたからもう単独行動に切り替えようかなって思い始めただけだ。精神衛生上そっちの方がいい気がしてきた、そうだそうしよう。水浴びの時に覗かれることもなくなるし」

ワンブレスで主張してくるランスに対抗するようにこちらもワンブレスで返して踵を返すと焦ったように追いかけてくる気配。

本来の歩幅で歩いたなら慌てる必要もなく余裕で回り込めるくせにわざわざ追いかける体裁をとるのは回り込んだら身長差を気にするオレが余計意地を張るからだと見越してだろうか、それとも単純に追いかけてる方が盛り上がるとかいう理由だろうか。

この従兄の言動は何を企んでいるか分からないからいつも振り回されて、しないようにしよう、と思っていても深読みしそうになる。

それを察知したランスが余計訳の分からないことをいいだして煙に巻くから結果的にただただ精神的疲労が募る。

…悪い奴ではなんだけどなぁ。

「ちょ、フィリエル。本気で単独行動に切り替えるつもりかよ。待てって、頼むから」

声に僅かに焦りが混じる。

だがオレはそれどころではなかった。

一瞬掴んだ気配を手繰るために精神から糸つきの矢を放つように目標をマーキングする。

「掴んだぞ」

「…え?」

「セレンの気配はまだ分からないが……多分これはカインのものだ」

「!マジか」

「あぁ、転移する。荷物を纏めろ」

この世界の通貨や戸籍などを持っていないため必要最低限の荷物もろくに揃っていないのが逆に幸いだった。

急いで荷物をまとめ、糸を辿るようにランスを連れて転移する。

「…此処って……」

「冥府だな」

冥府。死者たちの住まう国。

「……カインの生死は」

「生きてる。が、無事とはいいがたい」

ランスが歯ぎしりを漏らす。

ランスにとってカインは守るべき主、王だ。

そして年齢が近いことから悪友のような存在でもある。

カインはオレ以上に捻くれていて素直じゃないからランスが大事だとは言わないけれど、カインにとっても多分ランスは自分を此眼に繋ぎとめる一番太い鎖なんだろうな、と二人を見ていると思える時があった。

オレのせいで緩やかに狂っていった異母兄が、最後に寄る辺にしている存在がランスであるように、ランスもまたカインを寄る辺としている。

そこにはきっとカインの異母弟であるオレも、ランスの義妹であるセレンも立ち入れない二人だけの絆がある

…二人はそういってもきっと欠片も認めないだろうけれど。

「…中の様子を探れるか」

いつもより数段低い声。怒りを押し殺しているときの声だ。

「…カインの気配にかぶさるように冥王の気がある。どうも乗っ取られたみたいだな」

「取り戻す手は」

「死神に扮して中に潜入、隙を見てカインの身体を強奪、お前の操る炎と聖なる力で冥王を追い出す」

「…勝算は」

「今ならまだ、間に合うはずだ。それほど深く侵食してないし、カインの水龍主としての性と自我が冥王の侵食を食い止めてる。でも、長期戦になると与えなければいけない苦痛は大きくなる」

「それだけ分かれば十分だ。どうやって乗り込む?神龍主も火炎龍主も光か闇かでいったら確実に光だぞ。…まぁ、お前は闇に属する魔法も使えるんだろうが。俺にそういう小細工は無理だぞ」

「ちょっと待て」

羽根を媒介にして二人分のマントと仮面を作り出す。

「ドラスの民としての特性をシャットダウンするマントと仮面だ。これで素性はばれない。冥府にいる間と周りに他の死神がいる時は外すなよ。カインがドラグニールの王だと気づかれていて、水龍主の力が目当てならオレたちが奪還に来ることも想定されてるはずだからな」

ランスがマントを羽織り、フードと仮面で顔を隠す。オレもそれに倣った。

「わかってるとは思うが焦燥感に駆られて先走りするなよ。確実に確保できるときまで我慢しろ」

「…わかってるよ」

燃えたぎる炎を薄氷で閉じ込めたような声に、オレはランスを敵に回すことになった冥府の王に若干の同情を……することもないか。

自業自得だしな。さっさとカインを返してもらおう。そうすれば突っ込みにかける時間とセレン探索にかける時間が短縮される。

あぁ、あと覗きに対する制裁も代わりにカインがやってくれるだろう。

…うん、精神衛生上いろんな意味で今までより改善……改善されるかな。

ランスとは別の意味でぶっ飛んだ性格の異母兄の今までの行動を思いだしそう万事うまくはいかないか、と内心でため息を吐く。

だが……このままカインが冥府の王に体を乗っ取られても厄介だしな。

新しい胃痛のタネは戻ってきた時にどう対処するかを考えるとして、その大本を取り戻すのが先だな。

「…しかし死神ってそう簡単に潜り込めるもんなのか」

「一番手っ取り早いのは…そうだな」

「なんだ?いい策があるのか?」

「実力を見せつけての押し売りだろう。昨今はどこも人手不足と聞くし」

「…フィリエルって……」

「なんだ?」

「たまにびっくりするくらいザッパーだよな」

「なんだ、そのザッパーというのは」

「大雑把な人」

「計画立てて潜入したいならお前が計画立てろ。破綻してない計画なら乗ってやる」

「うわ、俺様」

「まぁ冗談はその辺に置いておいて。マントと仮面に死神の素質をくっつけておいた。魂を刈るだけの仕事なら回してもらえるだろうからあとはそこからどれだけ短期間でのし上がってカインのところに接近できるほどの実力を見せつけるか、だな。実力を見せつけての押し売りってのは意外といい手だと思うが?」

「下準備してるなら先にいってくれよ…」

「正規の物じゃないから他の世界で死神をしてたって事にしておこう。『死』に限らず属性は世界が変わっても大体変わらないからな。些細な違いなら世界の違いで誤魔化せるだろ」

「やっぱりザッパーだ…」

「文句があるならマントと仮面はぎ取って置いてくぞ」

「ちょ、タンマタンマ。行く、行くって。有難く使わせて頂きます」

白地のドミノマスクは右端にだけ蔦をモチーフにした意匠が施されている。

目の部分には色ガラスが入っているし髪の色と目の色で出自がわかるのはドラス特有の文化だから冥府にはそれほど馴染みはないはずだ。

マントは漆黒で前を合わせる部分にランスはボタンを、オレは武器にもなる十字架の形をした留め具をつけている。

念のためフードの中に髪の大半を隠すようにして目深にかぶった。

冥府と言えば大概川が流れていて渡し守がいるものだが…できればその前に死神を総べる存在がいるなら会いたいものだな。

渡し守と接触して無用なトラブルを起こしたくないというのもあるし渡し守はその性質上死者以外を舟には乗せたがらない。

押し問答する時間も惜しいしな…侵入者に気づいて、そいつらが死神の素質を持っていることにも気づいて、スカウト…というのが理想だが果たしてそう上手くいくかどうか。

地下へ地下へと潜っていく。

多分他の世界の冥府と同様、入り口は隠されていて資格があるものにしかみえない、侵入できない造りになっているはずだが世界を行き来する能力が幸いして、ついでにいうならカインの気配に導かれるようにしてたどり着いたここから冥府へと降りていくのはオレたちにとってはそう難しい事じゃない。

力ある者にとっては地続きに冥府への道が続いているように感じられるが実際のところは現世と幽世は違う世界に属するケースが多い。

そうでなければ死者を蘇らせようとする死者や生者に害をなそうとする死者によって世界の均衡が崩れるからだ。

螺旋状になっている階段をひたすら下へと降りていく。ランスは…ついてきてるな。

オレの知り合いは基本的に気配を消すし足音も立てないから後ろに立たれると分かりにくい。が、オレもその手の行動を癖として取ってしまうので文句を言ったことはない。

階段を下りきると巨大な扉があった。

「冥府はこの奥か?」

「おそらくな」

ランスの問いかけに答えると同時に、ぼう、と幽玄の明かりがともった。

明かりの下に立つフードを目深に被った人影。

老人のようだが定かではない。

フードを目深に被っていたからでも光源が乏しいからでもない。

その人物は白骨化した体にマントをかぶっているから、骨格から男性の老人だと推測することしかできなかったのだ。

「異世界の死神とお見受けする」

「国を追われこの世界の冥府へたどり着いた。死神として暮らしたいのだが可能だろうか」

ランスは喋ることはオレに任せるつもりらしく口を閉ざしている。

「今、冥王が現世に蘇る準備を整えている。そのために魂が必要となり死神はいくらいても足りんほどだ。案内なしにここまでたどり着けるほどの実力なら即戦力として認められるだろう」

…しかし白骨なのにどこから声出してるんだろう、こいつ。

年を感じさせるしゃがれた声ではあるが聞き取りにくいということはない。

むしろ重厚な感じがして魂の選定者かなにか、下級の死神を統率する立場にあるのではないかと思わせるものがあった。

「冥王が望む魂が二つ存在する。各地で天命を迎えた生者の魂を刈り、現世に留まり続ける死者の魂を冥府へ送りながらお前たちにはその二つの魂を探し、刈ってほしい」

「特徴は」

「この二人の魂だそうだ」

オレたちと影の間に水鏡が据えられる。

仮面越しに覗いた水鏡は淡く発光し、二つの影を映し出した。

青みがかった黒髪をセミロングにした少女と黒髪の少年。

少年の方に見覚えはないが…この少女は。

ランスの気配が尖ったのをマントを引いて窘める。

動揺を見せれば怪しまれる、その警告にすぐにランスは気づいて殺気に近い怒気を引っ込めた。

髪より青みの強い目をした少女は、髪の長さや色、目の色は違っていたがオレたちの性死人の一人であるセレンで間違いなかった。

水鏡が伝える魂の波動が土龍主のものだったし彩る色は変わっていても顔のつくり自体は変わっていない。

ただ髪の長さが違っているせいかいつもより少年っぽい顔立ちに見えるからパッと見ただけでは性別は分からないかもしれない。

…まぁ、初対面の、セレンを知らない相手ならともかくオレとランスが気づかないわけはないのだが。

「魂が存在する場所に関する手掛かりはあるのか」

「この世界の…日本、という国だ。それ以上の事は手を尽くしているがまだわかっていない」

日本……確かオレたちがこの世界にきてからずっと滞在している国だ。

よく魂の色を探ってみようと水鏡に意識を集中すると、セレンの部分とセレンではない部分を見つけ出した。

根本はセレンの物なのに他の誰かの意識が今のセレンの身体に根付いている。

容姿が変わったことと、オレの探知魔法がきかなかったことに何か関係があるのだろうか。

「もしこの二人を見つけたなら他の業務を一時放棄しても構わない。最優先で、刈れ」

「分かった」

「魂を刈る道具は持ち込んであるのか」

「あぁ。手に馴染んだもののほうがいいからそれを使いたい」

「よかろう。では早速だが働いてもらおうか」

「了承した。失礼する。…いくぞ」

「あぁ、それと」

背を向けていつの間にか階段の代わりに存在していた扉へ向かおうとすると白骨が声をかけてきた。

「ドラス、という惑星を知っているか。龍人の住まう星だ」

「噂程度なら。今は砕かれて存在しないと聞くがその星が何か?」

噂も何もオレたちはそのドラスの出身で砕いたのはオレなのだが暴露するわけにもいかずに問いかける。

「その星から消滅間際に脱出した神龍主とその守護者たちとやらがこの星にくる可能性がある。その二人も、見つけ次第刈れ」

「…理由を聞いても無駄なのだろうな」

「冥王の信頼を得られれば答えはおのずから見つかるだろう。話は以上だ、地上へ向かえ」

オレたちが地球にきているという事自体はまだばれていない、か。転移してからずっと膜のように結界を張り続けたかいがあったな。

扉をくぐるとそこは地下でも冥府にはいるための入り口がある場所でもなかった。

扉は消失すると同時に日本の鍵に代わる。

多分これが冥府に魂を送り届ける時に臨時の門を開くための道具なのだろう。

「…なんで、セレンが……」

思わず、といった調子で呟かれたランスの言葉に周りに監視がないかを注意深く探った後で口を開く。

「実体化しようとしている冥王の、現世での体となるのはカインの物だからな。おそらく転移した時オレやお前、セレン、カインに目をつけていたんだろう。カインとセレンがはぐれた時にカインを実体化させることに、そしてもう一人単独行動をしていてかつ自身は攻撃の術を持たない、カインとも縁のあるセレンを選んだんだと思う。自分の手で縁あるものを壊せばそれだけはやくカインの心を砕いてその心身を支配することができるからな」

本来なら特に仲の良かったお前や血縁的により近い位置にいるオレを狙いたかったんだろうが、オレたちは二人で飛ばされた上にお互いをフォローする形での攻撃手段に秀でているからまずはセレンを足掛かりにするつもりだろう。

推論を述べればギリ、と歯ぎしりする音が隣にいるオレのところまで聞こえてきた。

「水鏡に映ってたのはセレンだったが、セレン以外のなんかも混ざってなかったか?」

「あぁ、それはオレも気になった。もしかするとセレンの魂に転移の時に何かが混ざるとか記憶を失って別の人格と外見が構成されてしまったのかもしれない。この世界にあわせて、な」

「その場合、無傷で取り戻せるか?」

「…実際に見てみないことにはなんとも。最悪セレンの魂を引っ張り出すために今の精神を灼くことになるかもしれないな…」

そしてそれは多分浄化の炎を最大限に生かして扱うことのできるランスの役割になるだろう。

「あー……繊細な作業は得意じゃないってのに、下手したら二人も精神灼かないと駄目なのかよ。俺の神経が灼かれるっての。ストレスで」

「無駄口叩いてないで他の死神より先にセレンを探すぞ。一緒に映っていたこの世界の住民も気になる」

「あのガキか。……セレンに手ェ出してたら焼いていいか」

「やめておけ。あの少年も一応冥王が望んでいる魂だ。強制回収される危険があるし、冥王が望んでいるということは復活になにがしかの理由で関わっているんだろう。後手後手に回らなければいけない以上相手に塩を送る必要はない」

しかしあの顔立ちといい、水鏡越しに感じた気配といい…どこか懐かしいような気がするのはなぜだろう。

この世界に知り合いはいないはずだが…?

「とりあえず現世にしがみついてる死者の魂とやらを探ってみようぜ。こっちの世界に死者がいてもお互いにとって害にしかならない」

初めは生者を見守る理性があっても時間の経過とともに穢れが募り悪霊と化す。

そうなった時一番最初に狙われるのは生前親しかった相手、つまり死してなお見守り続けたいと願うほど自分に近しい相手だ。

「そうだな…。話しながら扉の奥を探ってみたが普通の魂は一気に捧げる心づもりなのか冥府の一角にとどめ置かれているようだった。

浄化と送魂を行ってもすぐに贄にはされないだろうから、少しは仕事しているというところを見せた方がいいな。下手に監視をつけられると動きにくくなる」

「お前って本当万能型だよな。黒歴史編纂室長ってあだ名が付きそうな位有能っつーか」

「単に探査能力がお前より高いだけだ。魔力はカインのほうがあるから多分精度でいったらあいつに負ける。あまり深く探って冥王に侵食されかけてるカインの心に届いてこちらの正体がばれたら意味がないし入口近辺しか探ってないが魂が密集してる場所が薄ら見えたから場所が良かったんだろう」

「それでも炎による攻撃魔法しか使えないうえにそれすら怪しい俺にとっちゃ万能だっての。体力ないからあんまりやらねぇってだけで近接戦も得意だし、ナイフやらの投擲による中距離からの攻撃もできるし攻撃魔法も全属性まんべんなく使えるし…やっぱ黒歴史編纂室長だよ」

「ツンデレだの素直クールだのヤンデレだの黒歴史編纂室長だの訳の分からない呼び名を増やすな」

「この世界の、いや、この国の、かな。文化を学ぶのはなかなか楽しいぜ。ほら、郷に入っては郷に従えっていうだろ?」

「どう考えても従う必要のない部分で従ってるというかマニアックな知識だと思うんだが」

「そんなことねぇって。今ブームみたいだし」

「流行はすぐ廃れるものだというのがこの国の特性らしいが?」

「お堅いねぇ…楽しいからいいだろ」

「…結局そこに行きつくのか。特殊な文化を学ぶのは勝手だがオレにそれを当てはめるな」

「他に当てはめる相手がいねーもん。あぁ、カインは純度高いヤンデレだな。貴方が愛してくれないなら貴方を殺す、ってのはヤンデレの典型の一つらしい」

「……頭が痛くなってきたからお前はそろそろ黙れ。移動するぞ」

マントに空を浮遊する力を混ぜておいたので軽く地を蹴るとふわりと体が浮かび上がる。

すこし慌てたランスの気配が後を追ってくるのを視線を向けずに確認し、とりあえず現世にしがみついている霊の中でも悪霊になりそうな気配を探るように『気』の糸を蜘蛛の巣のように広げていく。

「なぁ、空浮いてたら目立つんじゃねぇ?この世界には本来魔法って概念がなさそうだし」

「マントに姿を隠す魔法を組み込んであるからオレたちの姿が見えるとしたら…そうだな、この世界でいうところの霊感が相当強いか魔法使いの素質があるか、オレたちの同類か、だ。一般人にはどう頑張っても見えないようにしてあるから心配するな」

今のオレたちの性質が生者というより霊体に近いことを告げるとランスは何度聞いたか分からないセリフ、すなわち「魔法ってのは便利なもんだな」という言葉を口にした。

「セレンの気配は追えそうか?」

「色々ノイズが入っていて今は無理だな…。別人になりかけてることが要因の一つだし、完全に見失う前に見つけ出したいんだが…」

本当の死神の気配があちこちで感じられるし霊やモンスターの気配も強い。

セレンの本質自体はまだ変わっていないがそこから分かるのはこの国にいるということだけで、そこから更に細かい気配を辿るには今、セレンの表に現れている人格についての情報がもう少し欲しいところだった。

「あー……同調は?お前ら対なら同調すれば探索の精度、上がるんじゃねぇ?」

「下手に同調してセレンの気を強めた結果、近くをうろついていた冥王に仕える本物の死神に攫われたら元も子もないだろう」

「あぁ…そうか。わりぃ、考え無しだった」

「あまり焦るな。焦りは視野を狭める」

「…そうだな」

後ろで苦笑の気配。

「でも、いいのか?お前の信条は誰一人殺さない、誰一人犠牲にしない、だろう?死神としての責務を果たすなら命を刈るのが仕事だぜ?信条に反するんじゃねぇのか」

なんなら仕事は全部俺がやるぜ?その言葉に緩く首を振る。

「死神というのは生者の命を終わらせて冥府へ落とす存在じゃない。そのままでは迷い子になる魂を冥府へ導き、輪廻の輪に組み込んだり永い眠りを与えて癒す存在だ。余命がある者の命を刈ることは信条に反するがこの世から離れるべき命を導くことは信条に反しない。だから余計な気を回すな」

だが、礼を言う。有難う。

そう聞こえなくてもいい、と思いながら告げれば地獄耳はどうやらしっかり拾ったらしく満足げに笑う気配がした。

…くそ、なんか腹立つ…。

「しかし随分大勢死神がうろついてるな。気配が多すぎて頭の中が撹拌されてる気分だ」

「そんなに?俺は特になんも感じねぇけど」

「魔力の塊が魂を刈るっていう統一の意思のもとで動いてるからな。もともと一つの個体が分裂してなお統一されていたころの目的を果たそうと各地で蠢いてるみたいだ」

「……今だけ魔力探知能力が低いことに感謝するわ、俺」

「下手な真似して死神を敵に回すようなことは避けろよ。この数の相手の死神全員動けなくなるまで痛めつけたら魂の回収業務に支障が出る」

「分かってるって。お前の傍で黙ったままで突っ立ってりゃそうそうへまはやらねぇだろ」

「その理性がカインとセレンを前にした時も残ってることを願うよ」

「お前、さりげなく人を猪扱いしてないか?」

「似たようなものだろう。なにせ初対面の、自分より年下の、満身創痍の、パッと見ドレス着た養女を殴り飛ばしてそのまま馬乗りになって首絞めた過去があるんだから」

「あれは…悪かったよ。根に持ってるのか?」

「いや、特には?ただその経緯があるから猪じゃないという否定要素を見つけられないのも確かだな」

「お前ってやっぱカインに育てられただけのことはあるよなぁ…」

「アイツの性格の悪さは引き継ぎたくないんだが」

本家カインに比べりゃ微笑ましいほど可愛いレベルだから心配すんな」

「殴っていいか」

「ごめん止めて」

…何度目だ、このやり取り。

「…見つけた。死者の魂の方。悪霊になりかけてるから急ぐぞ」

「了解」

空を駆ける速度を上げて現場に駆け付ければ二体の霊魂の姿。

一体は捕食されそうになっている子供、もう一体は魂を食らおうとする、既に悪霊になった霊。

「ランス、子供のほうを!」

「はいよ」

マントの留め具に魔力を籠めて細身の剣に変えると悪霊に切りかかる。

ランスは普段は自分の体の中にしまってある、人の身長ほどもある大剣を具現化させると子供に安心させるような笑顔を向けたあと浄霊を行った。

「手伝いはいるか?」

「いらん。が近くにモンスターの気配がある。探してきてくれ」

「はいよ」

普段は『その魂がもっとも帰りたいと願う場所』へ送るだけだから一撃で済むのだが今後はそうもいかないな。

…というか。何体霊を食って自己強化してきたんだ、こいつ。妙にしぶとい…。

もはや人間の姿をとどめていない、異形の腕を振りかざした悪霊の懐に飛び込んで剣を突き立てる。

それでも浄霊が済まないことに軽く舌打ちしたい気分にかられつつもう一つの近接用の武器である大鎌を具現化させて鋭い爪を備えた腕の一撃を防いだ。

そのまま防護壁を創生する呪文を唱えると大鎌で悪霊の首を刎ね飛ばす。

血しぶきにも似た粘着質な液体が飛散しる中、防護壁の中で待機。

服が汚れるのは勘弁してほしい。

悪霊が浄霊されるのと同時に飛沫も消えたから実質必要なかったのかもしれないが頭から血をかぶるのは嫌だったので意味はあったと思いたいところだ。

「ランスの方はどうなったかな…」

魔法を主体に使ってくるモンスターが相手だとしたら苦労しているかもしれない。

炎だけはオレより強いものを呼べるが魔法の扱いが不得手なランスは必要に迫られない限り自分の身体と大剣を武器にする。

間合いに入れれば魔法主体の存在は大概脆いから一撃で倒せるだろうがけん制攻撃を打たれ続けていたらランスとは相性が悪いだろう。

一つ先の路地に駆け付けるとモンスターを斬りつけて消滅させる場面に行きあった。

どうやら手助けはいらなかったようだ。

しかし…声をかけるのを躊躇わせるピリピリした空気がランスを包んでいる。

不機嫌さをあまりはっきり表に出さないランスにしては珍しいな…なにかあったのか?

声をかけられることを拒絶しているような背中に敢えて声を投げかける。

「…ランス」

「……あぁ、フィリエル…。悪霊の浄霊は済んだのか」

「あぁ、少し手間取ったがな。…何があった」

「…多分、セレンを見つけたと思う」

「!」

「けどモンスターに邪魔されてる間に水鏡に一緒に映ってたガキが連れてっちまった」

漸く見つけた義妹に伸ばした手が、邪魔が入ったせいで届かなかった苛立ち。

それもあるだろうが多分それだけじゃない。

「…魔力があるやつなら、俺らの姿、みえるんだよな?」

「あぁ」

「連れのガキの方は俺のことぼんやり見えてるみたいだったが…セレンには、俺のことが見えてねぇみたいだった」

「…………本質を喪っているという事か?」

「多分。回復魔法と結界魔法、補助魔法専門だが魔力なら俺らの中ではトップクラスだろ?見えないわけがないんだ。なのに…視線が俺を素通りした」

「…外見は、水鏡通りの?」

「あぁ、青みがかった黒髪が首のあたりまでの長さで、目は髪より青みの強い黒。顔立ちはセレンだったけどありゃほとんど別人だな。一瞬本当にセレンなのか疑っちまったよ」

名乗ってる名前も違うみたいだったしな。

その言葉に軽く首を傾げる。

「名前は魔法を使う上で重要なものだ。…オレのように敢えて名前を変えてもそれを本名だと定義づけることに成功しなければ魔力を失いかねないぞ」

属性魔法を使う時は精霊との契約が必要になる。

オレの場合は初代神龍主が全属性の最上位の精霊と契約を結んだ記憶をお互いに継承しているから名前を変えても魂が同一のものだと認識されるためさほど苦労はしないがセレンはおぼろげにしか前世の記憶を持っていない。

セレン自身が契約した精霊との交渉にはセレンの真の名前が必要となるはずだ。

それを隠すために偽名を名乗ることはあるが上手く使わないと偽名と真の名が混ざり合って別の存在に変異してしまう。

それを危惧しているのが分かったのだろう、ランスはその最悪の予想を軽く首を振って否定した。

「なんか記憶喪失だから一時的に名前をつけたって感じだったな。真の名と混ざるほど深く浸透はしてない。……ならなんで外見が変わってるのかっつーのが俺の頭じゃわからないんだが」

「ふむ…どういう状況なのか情報がないからなんとも言えないが…セレンの気配を一月以上探知できなかったこととなにか関わりがあるかもしれないな。この国にいることだけははっきりしたし、明日からは此処の近辺を中心に探してみるとしよう。足掛かりくらいはみつかるかもしれない」

「そうだな」

これからの方針が決まったところでローブの隠しポケットに入れていた冥府への扉を開く鍵が発熱していることに気づいて鍵を取り出す。

『報告を要請。鍵を手に開門と唱え、帰還せよ』

「…最優先で刈れ、って言われた魂を逃したことに対する説教かね」

「その可能性はあるな…だが逃げれば余計怪しまれるだろう。行くぞ」

「はいよ」

「開門」

巨大な扉が目の前に現れ、鍵を差し込むと静かに内側へ向かって開き始める。

「報告すべきことがなんなのか分かっているな?」

「最優先で刈れと言われた魂の持ち主二人と接触したがモンスターに阻まれている間に逃げられた。二人は行動を共にしている模様」

「…嘘は言っていないな。監視していた看守の報告と一致する」

後ろで肩をすくめる気配。

「まぁ、見つかっただけでも上出来としよう。今日の不手際は不問と処す。お前たち二人用の部屋を用意してある。足りないものがあれば使役ゴーストを通じて申請しろ」

それだけを言うと身をひるがえして去っていく仮の上司。

「…もっと難癖つけてくるかと思ったが…」

「何かしら裏がある可能性は否定できんな。今後は隙を見せないよう注意しなければ」

監視のシステムを無効化するか?

いや…余計な疑惑をもたれて監視が強化されるか行動を制限されるだけだな。

やるとしたらそれは最後の手段か…。

「とりあえず用意された部屋とやらに行こうぜ」

「…あぁ」

使役されているゴーストに案内されてあてがわれた部屋に入ると素性のしれない新米二人にあてがうにしては随分豪勢な部屋だった。

「…王宮の客室レベルだな」

「…あぁ、お前はそういえば王宮にオレより馴染みがあるんだったな。客室なんて本宮以上に未知の世界だが…」

「親父殿の従者も兼ねて何度か登城してたからな。あとは近衛騎士団の稽古を見学したり」

予言に比べるとあまり重視されない血統だが王族の血に連なるとなるとさすがに扱いは変わってくる。

ランスの実家は貴族の中でも筆頭にあたるほどの名門で、王家と最も近しい公爵家、らしい。隔離されて育ったうえ貴族らしくない態度ばかり見せられるし血の尊さなんて考えたこともないから有難味は感じられないが。

「飯の材料とかあんのかね」

「冥府の食物を摂ると冥府から出られなくなるとかいう話があった気がするが」

「そん時はそん時。俺は飯を食えないことに対するフラストレーションがたまりっぱなしなんだよ。つーわけでなんか作ってくれよ、フィリエル」

「なんでオレが…」

「俺が作ると中身生で表面黒焦げの味がしないか滅茶苦茶濃いのしかできねぇから」

「…なんでオレの周りは揃いも揃って料理ができないヤツらばっかりなんだ…」

カインはスープ一滴でこぼした地点から結構広い範囲の植物を死滅させる、料理というより毒薬しか作れないしセレンは包丁を持つ手つきが危なっかしすぎて見てられないしランスは自己申告通りの腕前だし。

「調理器具と材料がないと無理だぞ…」

「台所と食料庫は見つけた。肉を希望する」

「…無駄に手際がいいな」

「人間、三大欲求には素直に生きないとな」

「いや、お前人間じゃないだろ」

「フィリエルのいけずー」

「くねくねするな、気持ち悪い」

相手の行動に頭痛を感じるのは何度目だろう。

数えるのは大分昔に止めてしまった、キリがないから。

「簡単で早く仕上がる料理と凝ってるけど時間かかる料理だとどっちがいいんだ」

「早く仕上がるほうで。味わって食う余裕があるかわかんねぇから時間かけて貰うのが申し訳ねぇ」

「……肉中心でメニュー組むけど野菜も食えよ」

「出されたモンに関しては文句言わねぇって。それほど礼儀知らずには育てられてない。食材に命を貰ったことに関しても、作ってくれた人に料理をしてもらったことにも感謝しろってのは親父殿に耳にタコができるくらい言われたし」

「そういうところは育ちいいというかちゃんと教育されてるんだな…」

「さらっときついこと言うよな、お前は」

「ふむ…一通り材料はあるみたいだから何とかなるか」

「あ、風呂発見。入りたいんだったら作る前に入ってきていいぜ。水浴びよりいいだろ、今の時期なら。覗かねぇから安心しろよ」

食材を調理台に乗せていると部屋の中を探っていたらしいランスの声が投げかけられた。

「お前が先でいい。その間に作っておく。待たせていると思うとゆっくり入れないからな」

「そうか?んじゃお言葉に甘えて。…ゆっくり目に入ってきた方がいいのか?」

「好きなようにしろ。すぐ作れるものは本当にすぐできるからな」

「りょーかい」

着替えは如何する気なんだろう、と思ったらクローゼットの中にサイズが合いそうなのが二人分、数着ずつ下着込みで入っていたらしい。準備が良すぎて誰が用意したのか分からないが微妙に怖い気がするな。

軍服に似た黒尽くめの上下が数着と部屋着らしいラフな服がやはり黒尽くめで数着。寝巻用にバスローブ。

…正直クローゼットは単なる飾りかと思ってたが…仕事着っぽい服はともかく部屋着まで入ってるとはな。

ひょっとして今日は特例で明日からはこの軍服もどきを着るのが規律だったりするんだろうか。着る物にはこだわらないが隠しポケットが少なそうだから暗器をしまう場所に困りそうだなぁ…。

後でゴーストに制服の着用は義務なのか確認を取っておくか。

ランスが風呂に入っている間にさっと作れる食事を作り始める。

基本的に何でも食べるやつだが各地を転々としていたころ気に入った、と言っていたような気がする肉料理を中心に作ってみた。

…材料色々あるな、本当に。

穀物から肉類、各種の野菜、新鮮な魚介、果物や甘味を作るときの材料にそれらを調理する時の専用の器具。

作る知識さえあればフルコースを作るのにもメニューを選べるだけの品ぞろえだった。

…まぁ、フルコースはランスの希望に反するし作ってどうする、という気もするから作らないけど。

「お、美味そうな匂いだな」

「はやかったな」

「これでもちゃんと掃除まで済ませてきたんだぜ」

「…烏の行水か」

「さすがにそれよか長いと思うけど」

濡れたままの髪をタオルでガシガシと拭いながらランスが苦笑する。

「お、俺の好物ばっかりじゃん。よく覚えてたなー、フィリエルの記憶力すげぇ」

「食べる時これ美味いこれ美味いって連呼してその地域にいる間ずっとそれ食べてる姿見たらそのうちいくつかは嫌でも覚える」

「って嫌なのかよ。俺の好物把握するのは嫌なのかよ」

「大事なことなので二度言いましたって奴か」

「そうそう。…はぐらかしてるし」

「それ、全部食べていいから。オレは風呂に入ってくる」

「折角なんだからお前も食えばいいのに」

「食わなくても死なないし」

「嗜好品として楽しむことはできるだろ?」

「楽しむ気がないから楽しめるランスが全部食べた方が食べ物も喜ぶと思う」

「んなことばっか言ってるから成長しねぇんだぞー…」

「殴っていいか」

「ごめん止めて」

もはやいわゆるテンプレになってるな、この会話。

まぁいいや。今日は久しぶりに覗かれる心配も凍える心配もなくゆっくり風呂に入れる。

「そういやマントとか仮面ってここでもつけてた方がいいのか?一応仮面はつけてきたけど」

「この部屋は外部と遮断されてるみたいだから聖龍や神龍呼び出さない限り大丈夫だろう」

「そっか。なら外すかな。慣れてないから窮屈だったし」

初めて通された部屋、しかも冥府にある居住区なのにランスは既に我が物顔で寛いでいる。

こういう神経の太さはちょっとうらやましいな。

…いや、材料とか調理器具とか好き放題使って料理したオレも傍から見れば神経太いのか…?

「あれ、着替え持っていかねぇの?」

「羽根で代用品作る。人に用意された服って落ち着かないし」

「そっか。ゆっくりくつろいで来いよ」

「あぁ」

無駄に広い脱衣所で服を脱いで脱衣籠に入れると浴室への扉を開ける。

「……どっかの公衆浴場か」

思わず突っ込みたくなるほど豪勢な浴場が視界に飛び込んできた。

広々とした浴槽がいくつもあるし洗い場もいくつも存在する。

複数ある蛇口をひねってみればどうやら泡が出るものや入浴剤の代わりの香料がでるもの、普通にお湯や水が出る物、色付きのお湯が出るものなど実に様々。

無駄なまでにバリエーションに富んでいるな、と思いつつ辺りを見回せば粉末タイプの入浴剤もおいてある。

そのままの湯は肌に悪い、とかなんとか聞いた気がするので入浴剤の香りがきつくないことを確かめた後少し溶かしてお湯と水で満たした湯船を一つ確保した。

先に体や髪を洗ってしまうことにして洗い場に行くとボディソープやシャンプー類の充実ぶりにまた感心と呆れが混ざった感情が去来する。

シャワーの温度を調整して少し熱めの湯をかぶり、久し振りにきちんと髪を洗う。

髪が長いから乾かすのが面倒だ、と思いながらも切っても【本来あるべき姿】に自動で戻ってしまうため結局髪の長さが短い状態になるのは数秒間だけだ。

変化魔法を使えば短い状態を保てるがそれはそれで魔力を使いっぱなしになるし解けないように保つのが面倒くさいから却下として。

オレより髪の長い異母兄のことを思い出してそういえばあいつは髪を鬱陶しいと思ったことはないのだろうか、と今更ながらに疑問に思う。

太もも半ばまであるオレの銀髪も女性と比べても長い部類に入るがアイツの淡い金髪は記憶が間違ってなければ膝裏に届くほど長かったはずだ。

その長さに対して鬱陶しいとカインが口にしたことは記憶になく、毛先より少し先で纏めている後ろ髪を邪魔そうにしている姿も記憶にない。

横髪は指輪のような形状の留め具で片方だけ留めていたが…普通に考えたら相当邪魔な長さなのではないだろうか。

セレンも跳ねを直せばオレと同じ位あるし…ランスはランスで短く見せかけておいてひじの辺りまであるのを束ねてるからなぁ。

正面から見れば短いが実際のところオレの知り合いはことごとく髪が長いのだと今になって気づく。

王宮に出入りしている面々はもしかすると短かったかもしれないが細かい部分を覚えるほど面識がある人物はそういないしオレが総べるという建前の各騎士団は近衛騎士団の次期団長であるランスとドラスが砕けた時点での団長だったランスの父親位しか顔を知らない。

髪を洗い終えて羽根を変化させた髪留めでまとめ上げる。

ランスのセリフじゃないがまともな風呂は久しぶりだ。

ボディソープの類は、作ろうと思えば作れると思うが水棲生物に悪影響が出そうで今までの水浴びは基本的に髪や体を流すとか軽くこするとかしかしてなかったから。

…ちゃんと洗うとやっぱりさっぱりするな。

いつまで死神稼業を続けることになるかは分からないがこの部屋に出入りできる間はできるだけマメに風呂に入ろう。

…ランスとかが聞いたら貧乏性、とか言って笑われそうだけど。

そういうアイツは多分オレが一緒に生活して食材が手に入る限りは食いだめだと言っていろいろ食べるんだろうな。

料理は別に嫌いじゃないからいいんだけど。思う存分シャワーを浴びた後湯船でも満足するだけの時間を過ごして上がってみると時計が変な進み方をしてないとすれば五時間以上経っていてランスが呆れたような顔で出迎えてくれた。食器はあまりに暇すぎて洗った、とのこと。

「風呂が好きな割に入る機会に恵まれねぇから堪能してたっつーのは、まぁ、納得だけどよ。あまりに遅いからのぼせてぶっ倒れてるんじゃねぇかと様子見に行くか迷ったのが何回か数えるのを止めちまったぜ、流石に半日出てこなかったりしたら覗き扱いされること承知でそろそろあがれって言いに行ってたけどな」

「……これが時間泥棒」

「いや、違うだろ」

即座にキレのいい突っ込みが返ってきてぼけたつもりはないのだが、と呟くと天然か、と返ってくる。

「とりあえず多めに水分取っとけ。汗かいてないにしても水分補給しねぇと駄目なレベルで風呂場にいたんだから」

ほら、と差し出されたのは冷えた紅茶。

「紅茶なんてあったか?」

「お前になんか飲ませる必要性を感じた時点で淹れておいた。保冷庫より冷やす能力に長けた箱みてぇなのがあったから粗熱取った後適当な容器に入れて冷やしておいたんだよ」

「そうか。ありがとう」

「別に。ぶっ倒れられても俺は脱水症状のケアなんて水分取らせるくらいしか思いつかないしな。その前に飲ませとけって思っただけだ。あぁ、あとで塩分も取っとけ。一応な」

旅をしてきたメンバーの中で生まれた順で言うなら一番年長のランスはよく考え事の邪魔…というか粉砕をしてくるけれど体調管理になると意外とうるさい。というか面倒見がいい。外傷の応急処置とかも早い段階で提案するしその予防にも余念がない。

飲み物を出すとき自分が普段飲む珈琲じゃなくオレがよく飲む紅茶を淹れる細やかさを見せる時もあるが…基本的に『悩み事は完全粉砕して忘れさせる』って荒業を酷使してばっかりだからその細やかさに触れられることはあんまりない。

「…ありがとう」

だが気を遣わせたことは確かだし逆の立場に陥ったらやっぱり心配するレベルの長湯だったことは言い訳の余地がないほど確かなので素直に礼をいって紅茶を飲む。

「…意外だ。まともに淹れられた紅茶の味がする」

「お前それ滅茶苦茶失礼だぞ」

「珈琲ならともかく料理壊滅的なランスが抽出時間とか蒸らす時間とか知ってると思わなくて、つい本音が」

「…歯に衣着せねぇ奴だな。親父殿は珈琲か酒だったけど…おふくろとセレンが紅茶好きだったから淹れ方位なら知ってるんだよ。茶葉がどうとかって話になるとお手上げだけどな」

ちょっと気まずそうにふい、と視線をそらすランスを眺めながらもう一口。

…うん、ルールを完璧に守った上等な淹れ方だ。

何というか、意外な一面を知った気がする。

「ここって魔法はどの程度使ってもばれなそうなんだ?」

「…部屋を丸焦げにでもする気か」

「違うっての。俺に同調したあと、その気配を頼りにセレンたちの気を追うことは可能かって話だよ」

「あぁ…ランスが覚えてるセレンの気配にランス自身が同調して追っかけるのが一番手っ取りばやいけどお前そういう作業ことごとく駄目だもんな…」

「ほっとけ。大体俺が使える魔法なんざ攻撃系の火炎魔法だけだっての。それでも本当に必要じゃない限り暴発させないために避けてる時点で察しろよ。いいんだよ、俺は魔法で攻撃するより体使った戦いのほうが向いてるし」

肉弾戦での優秀さなら確かにランスに勝てる相手はそういないだろう。

「手、貸して。触れてた方が同調しやすい」

手のひらを軽くあわせてランスの『気』に同調する。

ランスの視界で見る今日の一部に馴染みの顔と見慣れない顔を見つけた。

その気配をしっかり把握した後今度はその二人の『気』に同調する。

これから見る二人の様子がランスにも見えるようにランスとの同調は切っていない。

精神干渉系の術は相手との相性や術者の扱える容量のような限界が存在するため普通同時に三人の『気』をつなぎ合わせたりはしないのだがオレの容量はどうも前世の記憶を全部持っていて、かつかなり余っているらしく今のところ同調のし過ぎでショートしたことはなかった。

カインも魔術師として優秀だがランスとは水と炎で相性が悪いから三人同調しろ、と言われても難しかったかもしれない。

セレンとオレは対であることも同調する上での助けになっている。

まぁ、好き好んで使いたいタイプの術でもないけどな、一歩間違うと自分の心も相手の心も丸裸にするプライバシーの侵害もいいところな荒業だし。

気配が近づくにつれノイズのようなものが消えてクリアになる音声と映像。

セレンの視点で見ると本人のことが見えにくいので二人を同時に見られる俯瞰の位置に仮の視点を作り上げる。

やがてはっきりとした声が聞こえてきた。

『…ここまで逃げれば、大丈夫か…?』

『ごめん、楓。やっぱり僕がいるせいなのかも…』

『気にするなよ。怪我した未月を拾ったときからある程度のトラブルは覚悟してたから。それに…俺が死んだところで悲しむ血縁者もいないしな』

『楓…』

『あぁいう良く分からない怪物、ネットじゃ結構話題になってるんだ。知り合いが襲われた、とかって。だから未月のせいだけじゃない。この世界の何かが、狂い始めてるってことじゃないか?難しいこととか世界の節理とか俺は知らないけど…未月のせいにするような情けない男にはなりたくない』

『…ありがとう』

『…なぁ。やっぱり名前以外は思い出せないのか?』

『…うん。霧野未月って名乗ってるけど、その名前が本当に自分の名前なのかもわからない。ただ、その名前しか覚えてなかった、ってだけ』

『そっか…。そういえば今日のモンスターを倒したの、誰だったんだろう。背が高い…』

『え、そんな人いたの?』

『ぼんやりとしか見えなかったけど、馬鹿でかい剣みたいなので戦ってた。身長とか体つきから考えて多分男だけどマントと仮面で顔は分からなかった』

『そっか…』

『…あれくらい強かったら…逃げ回らずに、ちゃんとお前のこと守って、心配されるような怪我をしたりもせずに済むのかな…』

『楓は、強いよ。傍にいると安心するし、面倒に思って放り出すような存在である僕のことをいつも気遣ってくれるじゃない』

『そりゃ、まぁ…』

…これ以上はプライバシーの侵害だな。二人に探知されないよう、死神たちにもばれないようそっと目印をつけて同調を切る。

これで『気』を手繰れば二人の居場所がすぐに探知できるようになった。

現実に意識が戻って、五感のずれを無意識に修正している間のちょっとした眩暈から立ち直ればでかい図体がどんよりとしたオーラを放っていた。

「大事にしてた義妹が、行方不明になってるうちに何処の誰とも知れねぇ馬の骨と…!」

うーわー……声かけても無視しても面倒くさいことになりそう。関わりたくない。

「フィリエル」

どすの利いた声で呼ばれてオレはランスがオレの存在を思い出す前に部屋から脱出するという手が使えなくなったことを悟る。

「…なんだ」

「飲もう」

「…酒?」

「他に何がある」

「…オレ、酒は…」

「アルコール分解するの禁止な。俺が酔いつぶれるまで付き合え」

アルコール度数が低い酒を一口飲んだだけで意識が飛ぶオレにそういう無茶振りはするなよ、いくらショックだからって…。

「……生憎だがオレは酒には付き合えない。次の日どんな惨状を見る羽目になるか分からないからな」

「…なら一人で飲むが…止めるなよ」

「そんな命知らずな真似はしない。明日の仕事に支障が出てもフォローはせんがな」

つまみを用意した方がいいのかと思ったがゆらりと立ち上がったランスがいくつかある続き部屋の中の一つに度数の強そうな酒瓶を抱えられるだけ抱えて入っていったのでとりあえず邪魔はせず、寝室で大人しく寝ることにした。

ランスがセレンを義妹として大事にしてることは知っていたが…恋人ができるとあれだけ荒れるのか。感情をむき出しにしない分冷静に見えたがあれは相当心中で荒れ狂ってるな。

ランス自身は本気の恋はしないと嘯いているところを何度か見たがセレンが自分を覚えていないことと見えていなかったことに加えて恋人騒動、か。自分の知らないうちにっていうのがやっぱり大きいのかな。

オレとカインは普通の兄弟の仲のよさとは微妙に縁遠いしあんまりピンと来ない感情だ。

仮にアイツがオレの知らないところで恋人を作っていたとしても別にショックは受けないと思う。というか相手の心配をするくらいにはカインの思考は病んでる。

アイツの全部を受け止められる存在なんてそれこそランス位しか心当たりがないわけで。

ドラスは同性同士でも予言で決められていれば周りから反対されることなく結婚、子供を設けることもできるし守護属性の相性が悪くなければいいパートナーになってたんじゃないかと思う。どっちかというと悪友のような存在なんだろうが。

多分、カインが心を許している数少ない存在の筆頭がランスだ。

…あぁ、でもランスはだからこそカインには見せたくない本心とかもってそうだな。

恋愛沙汰には疎い自信はあるがどうもそのオレから見てもオレの周りは面倒くさい恋愛をしそうな奴であふれている。

唯一まっとうな恋愛をしそうなセレンは姑ならぬ義兄がにらみを利かせてるしな。

…やめよう、人の恋愛に首突っ込むなんて柄じゃないし疲れるだけだ。

せっかく寝具があるのだしたまには寝るか。

襲撃があっても多分ランスが格好の八つ当たりの対象として片づけるだろうし。

気配自体には敏感だから何かあればすぐに起きれるだろう。

マントと仮面を傍に置いてオレはベッドに横になると意識を手放したのだった。

体内時計が朝を告げるのと同時にベッドを離れ、リビングにあたる部分に足を向けると浴室からランスが出てくるのに出くわした。

「はやいな」

「途中で酒がなくなって結局酔っぱらえなかった。んで、寝て起きてみたら酒臭かったからシャワー浴びてきた。おはようさん」

怒りは一時的に沈静化したようなので朝の挨拶を返して食事を摂るかどうか聞いてみる。

「あー…んじゃ、軽めなの。暴飲暴食って気分でもねぇし」

「わかった」

「朝食にくらいは付き合えよ。栄養必要としないからって食えないわけじゃないんだから」

「…わかったよ」

「なんか手伝うか?」

「…お前が飲むなら、珈琲でも淹れておいてくれ。オレは珈琲の知識は必要最低限しか持ってないから無難な味にしかならない」

「はいよっと。お前の分は紅茶でいいの?」

「面倒じゃないなら」

二人で作業しても広さに余裕のある贅沢な作りのキッチンに感謝しつつ簡単な朝食を作る。軽いものを、という希望もあったし肉料理は入れないでおいた。

パンがあったのでそれを主食に、卵料理と温野菜のサラダ、胃に優しい具を使ったスープ。

「足りるか?」

「十分。つーか手際いいな」

「簡単なのばっかりだしな」

リビングのテーブルに皿を並べて、向き合って座ると食事の時の祈りを捧げて食べ始める。

「…短時間で作った料理とは思えない味の良さだな、相変わらず。お前がカインの料理の腕を継承しなくてよかったよ」

「あれはどう頑張っても継承できる類の物じゃないだろ」

「いや、わかんねぇだろ。四六時中一緒だったわけだし…前世の記憶で料理してたりしてるのか?神龍主って基本的に英雄だから身の回りの世話とかする専属の従者いそうだが」

「何人かは自分で料理をしたりしてたみたいだな。主に毒を盛られることを危惧して」

「…やっぱ殺伐としてんのな」

「軍事総長で王族でドラグーンのほうから見れば天敵だしな」

「厄介なもんだねぇ、自分が正義と主張する国が二つあって真逆の思想を掲げててトップが生まれ変わるのが当たり前な世の中ってのは」

「巻き込まれ続けてるお前らの苦労も大概だとは思うがな」

「俺らには明確な前世の記憶とかねぇもん」

あっけらかんと言い放つランス。

それでも予言によって彼らが縛られていることに変わりはない。

「朝っぱらから、しかも飯の時間に辛気臭い顔すんな」

「…悪い」

「お前ら兄弟はドツボにはまるの好きだよな。ほっとくとすぐ底なし沼にはまってるイメージしかないわ」

「…それはそれで失礼な感想というか印象だな」

顔が若干引きつるのを感じながら食事を進める。オレも人のことは言えないが。

「まぁ、俺が一緒にいる限り無理やり引っ張り上げて炎で沼蒸発させてやるから安心しろよ」

「…荒っぽすぎるだろ。生き物が住んでたらどうするんだ」

例え話でも無駄な殺生をするのは如何なものかと思って胡乱げな顔をすれば多分これがドヤ顔、というんだろうな、と思われる満面の笑みが返ってきた。

ランスには及ばないが情報収集をしている間に日本の若者特有の言い回しに少しは慣れてしまった自分がいる気がする。

「カインに魔法で水質が同じ空間を作ってもらって移した後消滅させるから問題ない」

「…その水質が同じ空間にはまりなおしたら?」

「そうなる前に転移魔法でどっか飛ばしてもらうからやっぱり問題ない」

力技過ぎる回答に自然とため息に近い吐息が漏れる。オレやカインがはまること前提なのにその二人に頼る辺りは自分をわかってるが。

「…まぁ、お前に関しちゃ…おいていくことには、なるんだろうけどよ。引っ張りあげられるうちは引っ張り上げるから今のうちに悩んどけよ」

出来れば添い遂げる相手を見つけたってことを確認してからのほうが安心できるけどな、とオレの方を向かないままぼそっと付け加える。

あぁ、やっぱり。荒っぽいところしか見せようとしないしその荒っぽさも本質ではあるんだろうけど、細やかな気配りができるところもコイツのもつ一面として、確かにある。

例えばその、不器用な優しさとか。

「なーんてな。…惚れた?」

「さぁ?」

「俺が顔も家柄も性格もよくてモテるのは当然のことだけどなー、フィリエルの場合かっさらうにはカインっつー最凶の関門を突破しねぇといけねぇからなぁ。それに見合うだけの良さはあるけどなー、結ばれる前に殺されそうな気もするっつーか」

「オレとお前が結ばれる未来はお前の今世ではないから安心しろ。というか未来永劫、ないから」

「きっつ!」

道化師の仮面をかぶって本心を隠したランスの調子に合わせてツッコミを入れればおどけたようにオーバーリアクションで痛みを訴える。お芝居でも、夢物語でも。笑っていられるうちは。夢を見ていられるうちは。何でもないようにじゃれあえる、今のまま、みたいな関係がいい。

目的を果たしたら、二度と【ランス】には会えないから。

だから、できるだけ楽しい思い出が多いほうがいい。

たとえ遠い未来、孤独に押しつぶされそうになっても。今という時間が思い出としてオレの中にあり続けるなら。

オレはきっと選んだ道を後悔しなくて済むから。耐えがたい孤独に苛まされるときが続いても、お前らに誇れる自分で在ろう、という誓いがある限りは心は凍てつかない。

お前らと過ごした温かな記憶は灯となってオレの心を暖め、光となってオレを導くだろう。

何気ない時間が何より大切だって、お前たちと過ごした時間を思い起こして初めて実感する。

――たとえその先に待つのが永久の別れだとしても、そこに向かって歩みだす勇気をくれるんだ。

お前たちの来世が予言に縛られない、前世に縛られない、出自に縛られない、自由に羽ばたけるものになるなら。幸せなものであるなら。オレの永久に続く孤独も慰められる。

生きて、生きて、生き抜いてほしい。その隣にオレはいなくていいから。オレは一人きりでいいから。

たくさん笑って、幸せだったと周りに告げて穏やかに眠るようにこの世を去れるように。

戦場での命がけの戦いとも、創世の時から延々と続く宿業を背負う事とも無縁で、ただ穏やかに命が続いていくことを願う。それだけを、願う神を持たないけれど願う。

その幸せな未来絵図に、オレの存在はなくていいから。だからどうか。誰にあてての願いかも知れないこの願いが叶えられますように。

何かを願っていいほど善良な魂じゃないけれど。罪で穢れきった命だけれど。どうか。

何を考えているのかばれたのかランスが一瞬だけ痛みをこらえるような顔をした。

ああ、そんな顔をさせたいわけじゃないのに。

「あんま自分を追い込むな。見てるこっちが痛い」

そういって大きな手でわしゃわしゃとオレの髪をかき回すように撫でる。

「なんでカミサマはドラスみたいな世界があることを認めてるんだろうなぁ」

「神というのは自分では何もしないからな。その心に神がいて、救われたと思う人には確かに存在するが、心に神が住んでいない人にとっては何もしない。そんなもんだろ」

「フィリエルの中にカミサマはいんの?」

「いない。だからこういう時、何に祈ればいいのか分からない」

「なら俺に祈れよ。俺だけじゃ頼りないなら俺たちに、な。カミサマよりは能動的に助けようと思ってる連中が揃ってるんだから」

「…なら、祈ろう。お前たちが最後まで笑っていられる世界であることを。何の心残りもなく死出の旅路を辿れるように」

「それなら、まずお前が幸せにならねぇとな」

「…それは、無理だ」

ランスは幼子をあやすようにそのまましばらくオレの頭を撫で続けた。

「これも一種のすれ違いかねぇ」

お互いを思えば思うほどすれ違う。望みはとてもシンプルなのに生きる時間が違うから、そんなシンプルな理由で完全には叶わない。

「自分が幸せであることより他の誰かが笑ってくれている世界を見る方が、オレの性に合ってる。一歩引いた部分で見ていれば誰も傷つけずに済む」

「お前のそういうところが一番心配だし放っておけない」

「…今更潰れるほど柔じゃないさ」

「どうだかな」

「……。食事を済ませたら『仕事』にいくぞ」

「…わかってるよ」

食事の時間にふさわしくない重い空気にしてしまったことを後悔しつつ残りを食べる。

食べ終わったのは二人同時で食材に対する感謝の祈りを捧げた後、片づけは帰ってきてからということで話は落ち着きマントと仮面を身に着ける。

出かける時に通りかかったゴーストに軍服のようなものの着用は必須なのかと尋ねると強要はしない、との事だった。

冥王との謁見の時は着用必須らしいが。

「さて、と。行きますか」

どうやら部屋の鍵と外界に繋がるカギは同一の物らしく、念のため鍵をかけた後地上へ向かう。

「で、どうするんだ」

「さっさと保護してしまった方がいいかもしれないな。冥王の気配が妙に濃くなっていた」

「なんかきっかけでもあったんかね…」

「さぁな…」

最初は様子見を兼ねて監視をかいくぐってセレンたちの様子を窺うつもりだったが今朝感じ取った冥王の瘴気が昨日に比べてやけに濃かったことが気にかかる。

「下手すると半実体の冥王がセレンたちを取り込むためにこっちに出てくる可能性もなくはない。転移するぞ」

「そりゃ笑えねぇな。カインといえどセレンは渡さねぇ」

「…、いや、狙ってるのは冥王であってカインというわけじゃ」

「カインの体使ってるなら同じことだ」

大事なんだろうし『振り』だとわかってるが、万一本当に周りが見えてない状況だったらセレンもカインも危なくなるからこういう時に冗談か本気か分からないセリフを真顔で言わないでほしい。

若干恨みがましい目で見るとランスはまたオレの髪をぐしゃぐしゃとかき回した。

「悪かったよ、冗談だ。ちゃんと周り見えてるから安心しろ」

「…はいはい。いくぞ」

転移魔法を使ってセレンたちの近くへと移動する。

昨日遭遇したのは街中だったはずだがどう移動したのか崖の下に出た。

…まぁ、この世界は魔法が存在しない代わりに科学技術とやらが発達してて交通網整ってるみたいだったしな。その一つを利用でもしたんだろうか。

しかしなんだってこんな場所に…。

「…悪い予感ほど的中するのは嫌なものだな。冥王のお出ましだ」

「マジかよ」

「オレはこういう時冗談は言わない。崖の上だな、いくぞ」

短い距離を転移して崖の上へと上がれば、瘴気を見に纏った義兄の姿と実際に見るのは初めての少年の姿、何故か本来の姿に戻っている従妹の姿。

「結界でこれより先に進めない…!?」

「壊せねぇのか!?」

「セレンの力とカインの力両方使われてるから少し時間がかかる…」

「っち、急いでくれ、俺もできる範囲で協力するから。なんかすげぇ…やばい気がする」

「風城楓君。霧野未月さん。…いや、セレン、と呼ぶべきかな」

「なんなんだよ、お前…!」

「知りたかったんだろう、彼女が何者なのか。それを教えられるよ」

「そんなん、どうだっていい!未月の外見がどうだろうが記憶なくす前に何をやったかなんて…」

「そう。君にはどうでもよくても私にはどうでもよくないんだ。君たちには私の復活のための礎になってもらう。この体はまだ本調子ではないものでね」

「なにを訳の分からねぇことを…!」

「…セレン。彼を殺すんだ。私の言うことを君は聞くだろう?」

「……はい」

「未月!?」

「…ごめんね、楓」

「これを君にあげよう。私の力を込めた短剣だ。これで楓君の心臓を貫いてあげるといい」

「わかりました」

「どうなってるんだ!?」

「セレンは多分…冥王に操られてる」

くそ、結界がオレの分解能力を吸い取ろうとしててうまく力を使えない!

冥王から短剣を受け取ると崖のすぐそばに呆然と立っている風城という少年に向かって駆け出すセレン。

勢いづいた二人は崖を落ちていく。

ナイフが刺したのは風城の心臓ではなくセレンの腕だったことと、セレンが落ちながら風城をかばったことを確認すると同時に結界が解けた。

「ランス、セレンが気になるだろうがまず冥王の瘴気を祓ってくれ」

「神龍主に火炎龍主か。君たちのままごとは私の復活に、随分役立ってくれたよ。監視がないと思って弱みを見せすぎたね。おかげで一日でほぼ実体化することができた。後は君たちも贄として食らい、この体の持ち主である水龍主の魂を砕くだけだ」

「ふざけるなよ」

「ふざけていないさ」

「なら、寝言は自分の寝床に戻って言いやがれ!」

爆発を思わせる勢いで炎がランスの身体を包み込み、大剣を構えて冥王へと向かって駆け抜けていく。

「な、んだ。この力は。冥府の加護が薄れる、だと…」

火炎龍主が司る炎は邪悪なものを焼き払い、罪を浄化する聖なる炎。

邪悪な意思をもって復活を目論んだ冥王の動きを束縛するには十分すぎるほど、奴はランスを怒らせた。

カインの身体を依代にしていた冥王をその場にとどめ、逃げられないことを確信したランスはそのままカインの身体を浄化の炎で包み込む。

腹部を貫くのは、創造主ミストが鍛え、代々の火炎龍主に受け継がれてきた聖剣。

酷く耳障りな断末魔の声を残し、冥王は冥府へ強制的に、そして二度と実体化できないように鎖をつけられて戻っていく。

「カイン!」

「…やぁ、ランス。君の炎は…荒っぽいね」

「喋るな!…フィリエル!」

「あぁ」

治癒魔法を唱えてカインの身体の傷を塞ぐ。

水は炎に対して属性的に有利だから致命傷ではないはずだ。

神龍主としての力は好きではない。けれどオレの力はカインたちに加護に近い力を与えてくれるのも事実で。今だけはこの忌まわしい力に感謝しよう。

傷を癒し終え、セレンたちの様子を見に行こうとすると同時に強制的に意識が『持っていかれる』感覚。

…この力…神龍?

基本的に人々に不干渉である、神の一族が一体どうして…。

見えたのは荒廃した世界だった。

今いる地球という名前の惑星の未来の姿なのだと、これは予知夢の形を借りた託宣なのだと理解する。

神龍主の宿敵である邪龍主の率いる破壊神の円卓騎士が目覚め、人々を魔物――妖に変えていく未来。

人間にとっては気の遠くなる未来だろう。

しかしその中で抗うオレたちの姿の中に風城の姿を見つける。

ランスを相手に、強い意志を持った目で剣術の稽古をしている。

『俺は、セレンを守るためにも強くなりたい。アンタたちの荷物にならないくらい、自分と大事な奴を護って生き残れるくらい、強くなりたいんだ』

心に届く声。ただの人でありながら無抵抗に屠られることをやめた、強くなろうとする人の目と声。

転生体じゃない。風城本人の魂だ。

そして気づく。それは確信ではなく、ただの可能性だったけれど。

このまま風城が力を受け入れられるほど強い心を得られたなら、彼は本来の自分の力である風龍主の力を意のままに操れるかもしれない。

今核を渡すのは駄目だ。まだ人間の身体と、人間の心の彼に龍人の中でも特に強い力を持つ龍主の力を与えても体組織が崩壊するだけだろう。

この未来の行きつく先、土壇場までその可能性は可能性のままにしておかなければいけない。どれだけ伸びるか、それ次第だ。

この未来が託宣なら…オレも選んでしまうのか。出会ってしまうのか。

過去の神龍主たちが出会い、強制的に選ばされた自分の負の対である邪龍主の魂を受け継ぐ存在に。

「…ル、フィリエル!」

意識が引き戻される。

「どれくらい時間がかかった?」

「一瞬だよ。…何を見たの?フィル。神龍の気配を感じたけど」

「…未来だ。というか託宣だな」

「内容は」

「今回の事件は、まだ幕開けですらないって事だ。風城をオレがみた時間軸まで転送させる」

「時間魔法を使って?随分大がかりだな。あのガキに何かあるのか」

「…あぁ」

「…他にも何かありそうだけど、聞かないよ。僕はまだ動けないみたいだから、君たちでセレンの怪我の手当てと楓君、だっけ。その子を送り届けてきてくれるかい」

察しのいいカインはどこまで感づいているだろう。

「行くぞ、フィリエル」

「あぁ」

崖の下へ向かうと岩に貫かれて、微かに微笑んだ表情のまま動かないセレンと、そんなセレンを見て呆然と立ちすくむ風城の姿が見えた。

『…フィル。義兄様』

セレンの魂――核――の声。

どうした、と核に呼び掛ける。

『楓を、未来に送るんだよね?』

正の対であるセレンにもおぼろげに未来は伝えられたらしい。

『ボクも、未来で傷を癒したら駄目かな』

どうする、と視線でランスに問うとシスコン気味の火炎龍主は先ほどの怒りが嘘のように穏やかで、けれど諦めた色の強い返事をした。

――お前が望むなら、と。

これ以上体を損傷させないように注意しながらセレンの身体から岩を取り除く。

「…アンタら…なんだ…?」

癒しの術式を組み込んだ転移装置の中にセレンの身体を包み込むと、風城はセレンに害を加えられると勘違いしたのかオレたちに殴り掛かってくる。

「…セレンにもう一度会いたいと望むか」

「当たり前だ!」

「今という時間軸との別れを意味しても?」

「関係ねぇよ!」

「今以上に過酷な宿業に巻き込まれるとしても?」

「んなことで怯むくらいなら惚れたりしない!」

「…その願い、オレが聞き届けよう。ただし、記憶は弄らせてもらう」

「何…?」

お前は忘れる。オレたちと出会ったことも、セレンを守り切れなかった悔しさも。

セレンも忘れる。お前と一度出会っていることを。そしてお前の心を傷つける代わりに命を救ったことを。

だが遠い未来でお前たちは再会するだろう。

お前たちの絆が本物なら、今度はしっかり心を通わせろ。つないだ手は二度と離すな。

オレは最終的には死なないからお前たちが生き残るためならいくらでもこの身を犠牲にするけど、お前らは終わりある者なんだから。

――もっと、自分を大事にしながら相手と、自分自身も守り抜く方法を未来で学ぶといい。

「…未来でまた会おう、風城楓」

ふっと二人の姿が掻き消える。

『有難う』

セレンの核の声だけ、残して。

「未来に何が待ってるのか、俺は聞かねぇけどよ。……あいつらとは、ちゃんとまた会えるんだろうな?」

「あぁ。何年先になるかは分からないがな」

「……記憶を弄ったってどんくらいだ?」

風城の記憶ほぼすべてと、セレンの風城や今回の事件に関する事柄だと告げるとランスは大きく嘆息した。

「…一度記憶を奪われて、それでもあいつらが惹かれあうほど強い【絆】を持ってたとしたら…いくら義妹が大事でも認めざるを得ないな。アイツらの思いが本物だって」

「…そうだな。…戻ろう、カインが待ってる」

カインが動けるようになるまで待った後、オレたちは三人での行動を開始した。

未来に向けてできることをできることから。

まずは…この世界に跋扈しているモンスターへの対処からだな。人々の不安は破壊神の円卓騎士の目覚めを早める。

各地を転々としながらモンスターの気配を追いかけ、討伐する日が何年続いただろう。

他の二人が焚き火の番をしているとき、オレは水浴びのために森の奥の泉へ足を運んでいた。

「…誰かいるのかい?」

声変わりはしているようだが、それほど低くはない声。まだ若い。

…おかしいな。この辺りに民家はなかったはずだが。

茂みが揺れて声の主が姿を見せる。

――あぁ、【彼】が。

絶望と、諦めにも似た感情。

≪目覚めよ、邪龍の長よ。我が声を聞け≫

「え……誰……何…?」

戸惑う少年の身体に邪龍の種が植えつけられる。

「僕、は……」

「…済まない」

一番回避したかった、でも回避できないのだと本能が悟っていた未来。

オレは自分の負の対を見つけ出してしまった。

選ばされて、しまった。

オレと殺し合い、世界を邪悪な意思で染めると伝承に伝えられる存在を。

…殺せるのか?オレに、彼が。

…無理だ、そんなの。

オレは誰も殺さないと誓ったのに。邪龍の勝手で選んでしまった、何の罪もない彼を殺すことなんてできない。

「あの……君…」

「………」

「…神龍主、って君?」

「…あぁ」

…あぁ、そうか。オレが殺せないなら、オレがいつかオレを殺せばいいんだ。

何もドラグニールに伝わる伝承通りに、彼だけを悪者にする必要はないんだ。

だってオレが作りたいのは誰もが自由に生きられる世界なんだから。

その中に、彼が入っていたっていいじゃないか。

そう考えるとほんの少し気持ちが楽になった。

それが単なる逃げだと知ってるけど。その逃げた先の未来を現実にするためなら、どんな悪あがきだってしてやる。

「…邪龍主と神龍主は敵対するもの、って声が聞こえるけど…僕はそうは思えないんだ」

「…え?」

「昔のいざこざとか、良く分からないけど。歩み寄れる未来を、君と探したい」

「……」

「…君は、嫌?」

「…そうある未来を、オレも夢見てる」

「そっか。よかった。僕は紫苑。君の名前を聞いてもいいかな?」

「フィリエル」

偽名を応えると紫苑は不思議そうな顔をして首を傾げた。

「それ、本当の名前じゃないよね?」

…参ったな。本名は名乗りたくないんだが。

「僕が邪龍主だから教えたくない?」

「…先にいっておくが」

「うん?」

「…聞いても、オレの性別が男だということを忘れるな」

「わかった」

ため息を一つはいて随分久し振りになる本名を記憶の底から引っ張り出す。

「ルナエル=フィリア=ドラグネス=ドラス=ミスト=ドラグニール」

「…どこを呼べばいいの?」

「…本名で呼ぶ気か」

「うん」

…なんかランスとは違う意味でペースが狂うな。

「…では、オレ個人の名であるフィリア、と」

「分かった。宜しくね、フィリア」

「…できれば他の呼び名のほうがいいんだがな…」

「駄目だよ、本当の名前を憶えてるならその名前で呼んであげないと名前が可哀想だ」

「…なら、好きにしろ。…オレと行動を共にするなら連れを紹介しないといけないんだが…」

「一緒にいた方が共生できる未来を見つける手掛かりになるよ、きっと」

何処まで現実を理解しているのか分からない程ほわほわした笑顔の紫苑を引きつれて焚き火のほうへと道を戻る。

突然現れた邪龍の気配と、その気配を微弱ながらも纏った少年をオレが連れてきたことにカインとランスは少なからず驚いたようだったが詮索はしないでいてくれた。

自己紹介を済ませ、同行したい、という紫苑の言葉にカインが薄く笑って自分は構わない、と告げる。ランスも匙を投げたような気配を漂わせつつそれに同意した。

「だがモンスター退治の最中死んでも俺は責任とれねぇぞ」

「じゃあ、ランスさん、僕に剣術を教えてください」

「は?」

「一番体格良いのはランスさんだし、剣術なら鍛えれば身に着けられるでしょう?」

「協力してあげなよ、ランス」

「カイン、けどよ…」

「僕はフィルが悲しむ姿を見たくないんだ。なんなら命令してあげようか?」

「わーったよ…力押しのオレよりフィリエルに習ったほうが技術は身につくんだけどな…」

「有難うございます!」

…なんか、子犬みたいなやつだな。

それからモンスター退治の合間にオレとランスによる紫苑への特訓が始まった。

手を肉刺だらけにして、それでも当身を食らい気絶するまでは手を放そうとしない。

オレたちが人目を避けて旅を続ける間に世界はどんどんきな臭くなっていった。

各地で戦争が勃発して、住民は地上から地下シェルターに避難して過ごす時間が増えた。

核汚染も戦争の規模が大きくなるたび被害を深刻化を増し、やがて人々は地上に出ることを諦め、戦争は全人類の母数を大きく減らし、誰にも利益を生み出すことなくなし崩しに終わった。

その後勝ちも負けもなかった戦争の根を根絶するために地下シェルターで話し合いがもたれ、世界は国という概念を捨てて一つに統合されたらしい。

もっともその辺の詳しい事情は人から離れて暮らし、核で汚染された世界でも普通に生活できるオレたちにはあまり伝わってこなかったが。

それより深刻だったのは、紫苑が時折邪龍主に意識を奪われることだった。

基本的に神龍同様自分の駒には不干渉を暗黙の了解で義務付けられている邪龍主の干渉は日増しに激しさを増していき、オレたちは和解出来る、という未来が実現しないまま崩れ落ちていくのを、声に出さないまま肌で感じていた。

「……ごめん、フィリア。…もうそろそろ。限界、みたいだ」

せっかくモンスター退治に参加しても、足を引っ張らないようになれてきたのにな。

そんな風に紫苑が寂しそうに告げたのが、夢の終わりだった。

「……カイン、ランス。悪いが少し二人きりにしてくれ」

「…わかったよ」

「…いくぞ、カイン」

他の誰も干渉できない神龍の力を用いた結界を創造する。

紫苑にとっては一時的に無防備になるその瞬間こそ最大のチャンスだったはずだが手は出されなかった。

…自分だけ楽になるっていうのは、やっぱり駄目か。

「…始めようか」

「…あぁ」

紫苑が強く踏み込んでくるのを見ながらオレも回避はせずに紫苑に向かって踏み込み、紫苑の剣とオレの剣が鋭い金属音を響かせる。

殺し合うことが定めなら、どうして出会ってしまったんだろう。

どうして惹かれあってしまったんだろう。

恋愛感情ではない。でも、ただの親愛でもない。胸が騒ぐのはきっと、歴代の神龍主たちの思いが共鳴しているから。

負だろうが何だろうがオレたちは対だった。

片翼だった。

それを自分で切り捨てることに痛みを持たなかった神龍主なんて、きっといない。

攻撃を防ぎ、かわし、それでも決定打は与えられずにいる。

…強くなった。ランスの悪い癖も、オレが自覚していない癖も受け継ぐことなく真面目に特訓して、本当に強くなった。

オレは今どんな顔をしているだろう。

涙は伝っていないと思いたい。

響きあう剣戟も、地を蹴る足音も、何もかもどこか遠い癖に何処までもリアルで。

「駄目だよ、フィリア。それじゃあ僕は殺せない」

「…そういう、お前こそ」

「そうだね。僕にフィリアが殺せないようにフィリアに僕は殺せない。でも、もうすぐ邪龍が蘇る。僕は飲まれてしまう」

それで殺されるならそれでもいいかな、なんて言ったらお前は怒るかな。それとも傷つく?

「だから…その前に終わらせる」

そういって紫苑の剣の切っ先が吸い込まれるように彼の身体へ突き立てられる。

「なっ…!?」

「君が生きる世界を、望ませてよ。…いつか、僕らが見た夢がかなうように」

そういって崩れ落ちながら静かに目を閉じる。

とっさに紫苑の身体を離れていこうとする魂を浄化作用のある結界でつなぎとめた。

身体は…駄目だ、損傷が激しいし邪龍の気配が濃すぎる。これじゃあ、戻してもまた飲まれる。

強く魂でカインのフルネームを呼んだ。

「…半分、予想通りの結果かな」

強制的に結界内に呼び込んだことを咎めることなくカインが口を開く。

「どうするの?」

「…自動人形の核として生かす。…記憶を、消した上で」

「危険は、承知の上だね?もうじき破壊神の円卓騎士が目覚める。そしたら彼は格好の器だ」

「分かってる。それでもこのまま死なせることなんてできない」

「君たちの絆は、本当に……」

その後どんな言葉が紡がれたのか、聞き取ることはできなかった。

清らかな水の流れにも似たカインの魔力の波動が広がり、瞳を開けた時に立っていたのは紫苑が少し年齢を重ねたような外見の、眼鏡をかけた男性。

「初めまして、マスター」

「君の身体を作ったのは僕だけど君の核のもとを作ったのはその子だから、僕のことはマスターじゃなくカインって呼んでもらえるかな」

「分かりました」

…あぁ、彼の顔も前に見たな。神龍の託宣の中にあった顔だ。

そして、今立っている場所がオレたちが拠点としていた施設から見える景色と一緒だという事にも気づく。

…全部決められてたって事か。

記憶にある施設を創造魔法で作り出す。

「お前にはこの建物の管理を任せたい。…名前がいるな……。……鴉。それが今日から、お前の名だ」

「この建物は?」

「学び舎のようなものさ。何年後かは分からないが二人ほど仲間が増える。きたら出迎えてやってくれ」

「…わかりました、総帥」

「…総帥?」

「学園でしたら本来校長や理事長、と呼ぶべきですが……この場合は互助会組織のような位置づけとして総帥がふさわしいかと。ご不快でしょうか?」

感情に満ちた紫苑とは違って自動人形らしく淡々と言葉を紡ぐ鴉。

痛みを、顔に出すな。これがオレの選んだ道だ。後悔は、するな。そんな資格はないんだから。

「いや、構わん」

「ここを拠点にって事は…たまには帰ってくるって事だよね」

「あぁ」

「ならランスにも紹介しないとね」

「…ランスには…」

「余計なことは言わないよ。暴走されても困るし」

「…すまん」

「フィルはもっと我儘言ってもいいと思うよ。じゃあ、呼んでくるから」

神龍主の結界は、招いた存在と許可した存在以外を通さない。ランスにも許可を出すと少し不思議そうに鴉と学園の施設を眺めたが特に何も聞いては来なかった。

深入りしない、二人の優しさにまた痛みを感じてしまう。そんな資格、ないくせに。

「…っ…」

「フィル?」

痛みが急に熱を帯びたものへと変化し、体が灼かれるような錯覚にとらわれる。

息が詰まる。平衡感覚が狂う。立っていられない。

ブラックアウトした意識が戻ったのはカインたちによれば一週間は経った後だった。

そして、目覚めた体はオレの物ではなかった。

オレが意識を失うと同時に学園の施設内の隠された部屋へと全員が自動で転移、そこには水槽の中で揺蕩ういくつものオレの体があったという。

その中の一つが、オレとして目覚めた。

便宜上本来のオレの身体は『本体オリジナル』と呼ばれることになり、オレは同調して本体が深い眠りについていることを告げた。

同調した時、生々しい心の傷が見えた。

自覚しないまま広げ、強制的な眠りを齎すほどの深い傷。

ずっと見ない振りをしてきたそれに直面した時、意識を失う間際に感じた痛みを思い出す。

きっとあれは最後の警告だったのだろう。すこし、遅すぎたけれど。

「この部屋は基本的に許可しない限り扉を視認することもできないようにしておく。…通信のための設備が整っているようだから鴉にはこの施設の維持と共にオレが送る、この体…模造品のデータを解析、問題があるようならその解決にあたる仕事を任せたい」

「承りました」

「…しばらく様子見のために休んだ後、モンスター退治に戻ろう。心配をかけて悪かった。解散してくれ」

一人になりたい、という意思を察してくれたらしく全員が適当に割り振った自室へと戻っていく。

彼の強さを知った。同時に、自分の弱さも知った。

…同じ過ちを、二度と繰り返さないようにしなくては。

革手袋越しに強く握りしめた爪が手のひらに鈍い痛みを齎す。

残された時間は、あとどれくらいだろう。

気ばかりが逸る中、泥のように重い体は微睡みへと落ちていった。

模造品である今の身体が限界を迎えて他の身体と入れ替わるスパンが分かってから、オレたちはモンスターとの戦いの日々に戻った。

月日を数えるのをやめたころ、鴉からセレンが現れたと連絡が入る。

久し振りに学園に戻って顔を見せると鴉から今の状況を聞いたセレンは痛そうな顔で微笑んだ。

セレンは攻撃の術を持たないから学園内の結界の強化と、鴉の手伝いをしてもらうという建前を用意し、セレンはそれを受け入れる。

…時間魔法の誤差が出たのかまだ風城は現れていない。できれば少しでも長い時間、二人で過ごしてほしいものだが。

ランスが落ち着くまで学園に滞在し、再び旅に出るオレたちと学園に待機するセレン。

「気を付けてね」

それが今回の別れの言葉だった。


フィルたちが旅に出てからどれ位経つかな。

時々戻ってくる、とは言ってたけど…。

広い学内に自動機械が掃除して回る、微かな音だけが響く。

…フィル、大丈夫かな。もう何年も本来の身体に目覚めが訪れてないって聞いたけど…。

部屋にいると余計なことを考えてしまいそうで学園の結界ギリギリの場所から外を眺める。

「…あれ…?」

人影?でも防護服を着てない…。

最近出るようになった、破壊神の円卓騎士が使役する妖とも違う。

初めて会うのに、どこか懐かしい気配。

「……ここ、何処だ?」

「え?」

「気づいたらこの近くにいて、それまでのことを何も覚えてないんだ。…いや、自分の名前は分かるんだけど。なんでここにいるのか、とかどうやって暮らしてたか、とかなにも…」

困惑したような顔の、外見は多分ボクやフィルと同じくらいの年の男の子。

「そっか。鴉がボクの他にもう一人ここに来る人がいるらしいって言ってたけど、君のことかも。ボクはセレン。君の名前を聞いてもいいかな?」

「…風城楓」


それが遠い時をまたいでの再会だとはお互いに気づかないまま、二人は再会を果たしたのだった。


「…鴉からの緊急通信だ」

「何か問題かい?」

「風城が現れた、と」

「…そう」

「なら挨拶にもどらねぇとな」

かつて死神の姿で出会ったオレたちと、風城の敵として対峙したカイン。

運命の糸が再び交錯するまで、後――…。

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