うろな町長の長い一日 その六 うろな二人行
シュウ様、この『うろな町』企画に参加させて頂けて、本当に感謝しております。
遅筆な私ではありますが、今後もうろな町企画発展のために微力を尽くしたいと考えております。以降もどうぞ宜しくお願い致します。
お楽しみいただければ幸いです。それでは、どうぞ。
僕、六条寺華一郎がこのうろな町という町に来てから、大体一年が過ぎようとしている。僕がここに来た理由は教授の手伝い(もとい世話)だが、その和倉葉朽葉教授は、結局研究休暇をもう少し延長する事にしたらしい。僕としてはどちらでもいいし、ゼミ生という事になっている僕の後輩、四条社麗乃も多分どっちでも良いだろう。というか、僕らにある選択肢は『教授に着いて行く』のみなのだが。それについても、文句なんて無いのだけれど。
さっきも言ったが、僕達がこの町に来てから大体一年になる。住民票を移した訳ではないので厳密にはこの町の住人ではないのだが、あちこちで色んな人に出会い、なんとなくこの町になじんできているのかも知れない。
教授はすっかり暖かくなったうろな町を、いつも通りの黒いスーツにソフト帽で歩き回っていた。彼女は傍目に恐ろしくなるほど運動神経が貧弱だし、ひどいボロ車を大事に扱っているくらいには車なんかも好きなのだが、彼女の研究対象の関係でフィールドワークが多い所為か、徒歩移動にもさして苦痛を感じないらしい。それは僕も同様で、理由は大概のフィールドワークにつきあっているからだ。まあ、こうしていない間は部屋に引きこもって煙草を吹かしコーヒーを啜っているだけなので、健康にはいいだろう。
僕も少しのんびりした気分になって、思わずため息などついてみる。
「正解です」
そう言った教授は例の如く微笑みを浮かべていて、青い瞳はやはり冷たく光っている。瞳の色について、昔はハーフなのかと思っていたが、どうやらそうではないらしい。
「何が正解なんですか、教授」
「貴方が考えている事が、です。つまり、私がこうして徒歩での移動をする事についてです」
相変わらず、人の考えている事を見透かすのが上手い人だ。
教授は、ソフト帽の位置を細い指で整えて、微笑む。
「この場合は、貴方の視線と、経験則です」
「視線ですか」
そうです、と教授が言った時、視線の端に見た事のある女性がふと映った。あの眼鏡は、ええと、誰だっけ。
……ああ。思い出してしまった。
教授の方に目をやると、彼女も多分記憶をたぐっていたのだろう、目が少しだけ細くなり、遠くを見やるような表情を浮かべている。
彼女は秋原さんという。去年夏祭りで出会ったので、恐らくこの町の職員である。
ただし。
彼女の斜め前にいて、どう見ても親しい雰囲気を醸し出した、彼女と同じ色の服を着た男性は、知らない。
とにかく、僕が挨拶をしようとしなかった理由を教授が理解してくれなかったのは事実である。冷静に考えてほしいのだが、普通男女が仲良さそうに歩いているところに、そう易々と声をかけていいものではない。しかもどうやら同じ服装、つまりペアルックだ。それくらい親しいという事は、つまり今は彼女達のための時間なのである。
僕は教授と違って奥ゆかしいので(そういう事にしている)、今日は声をかけるのを遠慮する事にした。馬に蹴られるのは御免である。
しかし、僕が止める間もなく教授がつかつかと歩み寄り、帽子を取って、涼しい顔で微笑んでいた。
「こんにちは」
…………。
秋原さんはすぐにこちらを思い出したようで、微笑み返してくれた。いやまあ、確かに鮮烈な印象での出会いだったのだ。去年の夏の出来事だったが、内容については割愛する。というか是非とも割愛させてほしい。
しかし、秋原さんはそんな事はおくびにも出さず(大人である。教授と違って)返礼すると、横の男性を恥ずかしそうに紹介した。
「うろな町の、町長です」
…………。
え。
目の前の男性はにっこりして、どうも、と会釈した。割に若くて、町長というよりは若手の教職員に見える。全体的に柔和で優しそうなので、なんというか、行政の長にはあまり見えない。どうやら秋原さんは彼の秘書であるらしく、知的で出来る女性の雰囲気は、肩書きでぐっと増した。
「こちらは、ええと」
秋原さんが僕の方をちらっと見て、そういえば名乗っていない事に気づく。今のところ、彼女の僕たちに対する認識は『コーヒーを要求する変な女性』と『お湯を貰いにきた変な男性』なのだ。自分で言っておいて何だが、変な人間だと思われている可能性の方が高い。僕は教授を紹介した後自己紹介し、教授は名刺を二枚つまみだしてそれぞれに渡した。
「大学の教授さんなんですか」
「正解です」
感心した風の町長に対して教授はいつものように答え、胸ポケットから煙草を抜き出してくわえた。僕が横目で警告すると、それに気づいたか気づいていないか分からないが、少なくとも火を点ける素振りは無かった。
「ところで、こんな遠い大学の教授さんが、どんな研究でここに? 伝説の研究とかですか」
む、それを聞くか。気がつけば、秋原さんも興味がある感じで教授を見やっている。
教授は、社会学とか民俗学とかはたまた統計学とか、とにかくその手の研究者に誤認されやすい。ある意味では比較的近い事柄だが、その実まるっきり関係の無いモノが『正解』なのだ。
曰く。
「不正解です。私は『不思議』を研究しています」
という事なのだ。
町長氏と秋原さんは顔を見合わせ、こちらに戻して、秋原さんが正直な感想を言う。
「不思議、というと、例えば?」
「不正解です」
教授はあっさりと言い放ち、微笑む。
「不思議は、分からないが故に不思議なのです。何が不思議であるかを理解していれば、不思議を研究する理由など存在しません」
なんというか、教授は厳しいのではなく、優しくないのだ。ひいき目ではなく。
秋原さんは首を傾げていたが、教授はそれには構わず町長氏の方に微笑みを向けた。
「そうですね、例を挙げるのであれば、貴方達の服装です」
う。それにいきなりいくのか。二人も心無しか視線を右往左往させているし、頬も少しだけ赤く染まっている気がする。
シャツと袖無しワンピースの違いはあれど、紺色に白い襟。これがいわゆるペアルックでなくてなんだろう。こうなる要因はただ二つ、偶然か、もしくはこちらの確率が高いが、つまり必然、示し合わせている場合である。後者の場合、つまりそれには意味がある。
そして、教授はそんな事を気にするような人間ではない。
「あなた方の服装ですが、それは俗に言うペアルックですね」
「い、いや、これは」
「そういうのじゃなくって」
慌てる二人に、教授は微笑みかける。
「いえ、その服装自体に意味があるとは思えません」
ばっさりいくものだ。
「ただ、そういう服装をする事と、その結果には『不思議』があります」
……ん?
ちょっと待て。
「教授、ペアルックって言うのは『偶然』か『作為』の二択じゃないですか。不思議というか、確率の話だと思いますけど」
「不正解です」
教授はくわえていた煙草を指でつまんで、また胸ポケットに戻した。煙を吸い込めないと落ち着かないらしい。
「『偶然』と『作為』の二択である事は認めますが、しかし『作為』にもまた種類があります。偶然を装った故意、同意の上、あるいは」
彼女はここで言葉を切り、微笑みを秋原さんに向ける。
「第三者によるコーディネート、とか」
眼鏡の奥の瞳が丸くなる。町長も驚いている、ように見える。優しげな顔の人は大抵そうだが、割と表情が分からないものだ。
言葉の効果に満足したのか、教授は微かに首を傾げて微笑む。
「これは観察の結果です。お二人は近しいように見えますが、秋原さんは町長の若干後ろを歩いている。部下と上司の関係性です」
ああ。分かる。僕もそうだし。
「さらに言うなら、そういった格好を故意に行うのであれば、そこまでお互いを意識している事も無いでしょう。少なくとも横並びである可能性は高い。それをしていないという事は、これはある意味で偶然、つまり予定行動ではない、ということです」
「……じゃあ、本当に偶然なんじゃ?」
僕が当然の疑問を口にしてみたが、教授は微笑みでそれを一蹴した。
「不正解です。もし『紺色の服』のみならば偶然の確率も高いですが、白い襟付きとなると確率は下がります」
「そうですか? あまり珍しい取り合わせじゃないですし、むしろ紺に白を合わせるのは良くあると思いますけど」
「そこです。これは珍しい取り合わせではない。今こうして彼女達が比較的目立つのは、二人で着ているからですね」
町長氏と秋原さんはまた恥ずかしそうにお互いから視線を外し、そして教授は恥ずかしげも無く微笑む。
「しかし良くある取り合わせだからこそ、人はコーディネートをするのです。お二人の服装はあまりにも似ていて、つまり『出来すぎて』います。偶然よりは、むしろ誰かの作為を感じます。予定行動ではないと思われるが作為的相似の状況がある、以上を総合して、お二人の服装は第三者による作為の産物、しかも恐らくサプライズ的演出である、と考える事が出来ます」
教授は微笑んで、演説を終えた。秋原さんは微かに感嘆のため息をついたようだった。
「……教授さん」
町長氏が、口を開いた。教授は微笑んで答える。
「はい」
「それは多分『正解』です。でも、これは『不思議』なんですか?」
「正解です。これは『不思議』です」
「でも、こうして貴方は解答を」
「不正解です」
町長氏は少し混乱してきたようだ。僕はだいぶ前からこんがらがっている。
教授は微笑む。
「私の『正解』には足りないものがあります。故に不正解です」
「……何が足りないんです」
「貴方の後ろにあるモノです」
教授はそう言って、秋原さんを見た。青い瞳が、彼女を射すくめるように細くなった。
「私の言葉は経験則による推測に過ぎず、全て表面上のものです。貴方達にある友人関係や背後関係、それらの思惑は私には分かりません。故にそれらは加味されず、私の言葉は結果『正解』であっても『真実』ではありません」
秋原さんから目を離し、今度はそれを町長氏に向ける
「もしそれを理解したとしても、きっと私の浅いそれなど遥かに越えた友情や愛情が、意識があるのでしょう。これは『不思議』です。私の知らないセカイで、貴方達は貴方達のセカイを作っています。これを『不思議』と言わずして、何を不思議としましょう。あらゆる点で私はこの町を『不思議』だと認識していますし、多分それを理解したとしても、私はこの町を『不思議』だと思うでしょう。それが、私の『不思議』です」
ちょっと考えるような風に顎に手をやって、教授は口元を軽く隠した。
「……そうです。これが『不思議』です」
教授は、多分笑っている。
秋原さんはちょっと驚いた顔をしていたが、横目で町長氏の方を見た。
町長氏は黙っていたが、すぐに表情が変わった。
彼は、確かに笑っている。
「でも、教授さんもこの町にいるんです。いるんですよね?」
「正解、です」
教授は手を腰に戻す。微笑みは少しだけ薄くなっていた。
「それなら、僕たちの、うろな町の仲間じゃないですか。同じセカイにいる仲間だと、僕は思いますよ」
町長氏は、そう言って笑った。
教授は答えず、帽子の鍔に手をやってそれを押し下げた。
ただ、口元には確かに微笑みがあったと思う。
とにかく僕は非礼を詫びた。町長氏も秋原さんもとんでもない、と手を振ったが、これは僕の仕事なのだ。
何かあったらご連絡下さい、と教授は言って、口元に手をやり、すぐ戻した。煙草をくわえているつもりだったらしい。
「ああ、それから」
彼女は微かな笑みを二人に送る。
「デートをどうぞ、楽しんでください」
悪戯をした子供のような視線は彼女達には向けずに僕の方に送って寄越して、教授はくるりと踵を返した。顔が真っ赤になった二人にとりあえず頭を下げて、僕は教授の後を追う。
教授は、ホテルに戻るまで、ずっと微笑んでいた。
枯竹です。
本作品は、うろな町内こっそりイベント『うろな町長の長い一日』参加作品です。
こっそりイベントという事で、楽しませていただきました。お誘いいただきありがとうございました。
それでは、次のパッセロさんの作品へどうぞ!
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