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深呼吸を繰り返し呼吸を落ち着ける。落ち着けながら考える。一ノ瀬の自転車がある。(おそらく)教祖様のベンツがある。しかし二人は居ない。まわりを見る。この公園は丘の上り口にあって周りは林やら芝生やらに囲まれている。そのさらに外側は住宅街だ。
一ノ瀬と教祖様で何処かで仲良くお茶でもしている。この可能性は無いな。なら一ノ瀬が逃げ、教祖様がそれを追った。うん、これならありそうだ。ここで一ノ瀬は僕を待ってた、そこに教祖様が車を入れてきた、教祖様はなぜこんな所に車を入れたんだろう、それを見た一ノ瀬が血相を変えて逃げ出した、教祖様は車を降りてそれを追った。
こう考えるのが妥当、かな。と、丘の登り口から続く緩やかな登り坂とその先の森と、さらにその先にあるであろう丘の頂上とに順番に目を沿わせながら僕は思った。
そして、教祖様が車から降りたのは、車で追跡するのが困難な方向へ一ノ瀬が逃げたからだ。さらに言えば、この辺りで車で追跡するのが困難な場所とは、丘の中だ。
「よし。」
気合を入れる為にそうはっきりと口に出す。すでに全身には汗をかいていて体力は消費仕切った感がある。だからこそ、気合を入れるんだ、ガンバレ、俺。
登り坂を駆け上がるのはアスファルトを走るよりも何倍も過酷だった。入れたはずの気合をほんの十数歩で早くも使いきってしまう。足は重く、急いでいるつもりでもまったく速度が出ない。一歩、上がる、ぐわっと太股の筋肉がこわばる、それをさらに一歩、汗が体がか吹き出す、ぜぇぜぇ。
小走りで始まった丘登りはすぐに徒歩に変わってしまうが、気持ちだけは小走りだ。足は絶対に止めない。その気持ちが体を急激に消耗させる。ぜぇぜぇ、息が苦しい。頭がぼうっとする。太股の筋肉はぱんぱんでふくらはぎまでつりそうになる。それでも一歩、一歩と丘を登る。ぜぇぜぇ。
丘は思ったよりも短かった。頂上は確か広場みたいになっていたはずだ、もうそこまで半分ぐらいの所まで来てしまう。子供の頃はもっと登るのに苦労していたような気がする。大人の足ならこんなものか。ぜぇぜぇ。もう体力も気力も尽きてるけど、な、ぜぇぜぇ。
ぜぇぜぇ。そして残り三分の一ぐらいの所で僕は止まってしまった。とまりたかったわけじゃない。心臓は高鳴り体中に血液を送り込んでいる。ぜぇぜぇ。呼吸は荒い。汗が顎から落ちる。一ノ瀬を救え、と心が叫ぶ。でも、足が動かない。ぜぇぜぇ。両足がほんのちょっとでさえ動かなくなってしまった。ぜぇぜぇ。呼吸が荒い。頭がぼうっとする。
まてよ、俺、ぜぇぜぇ。一ノ瀬は本当にこの上にいるんか?ぜぇぜぇ。教祖は本当に一ノ瀬を追ってるのか?ぜぇぜぇ。急いで追う必要あるんか?ただ話があるだけだろ、なんでこんなに急がないといけないんだ、ぜぇぜぇ。
一ノ瀬がこの上にいなければこんな努力ただの無駄だ。教祖が人殺しでもするつもりがないならこんな急いでも無駄だ、無駄だ。このご時世、人殺しなんかするかぁ?するはずない、急がなくてもいいんじゃねぇか、これ?ぜぇぜぇ。もうここまで走ってきただけでもすんげぇがんばったろ、俺、一ノ瀬に言い聞かせてやる。充分だって、俺。少し息も落ち着いてきたな。そうだ、俺は会社で出世街道乗ってるんだ、俺は正しい。正しいって認めてもらえてる。こんな所で無駄な努力するような人間じゃない。
その時、ふいに、本当にふいに、頭の中に一ノ瀬のがんばれよ、あきらめんなよ、って声が聞こえた。子供の時の丘登りの時の記憶だ。目の前に居る彼が僕を振り向いて叫ぶ、おい、どうしたんだよ、しっかりしろよ!
「うるせぇ。」
右足を動かす。するとさっきまでの鉛のような重さは少し緩くなっていて一歩を踏み出せる。
「俺はおめぇみてぇに体力余ってねぇんだよ。」
続けて左足、これも動く。そして右足、さらに左足。徐々にペースをあげ再び小走りに近い形で丘をかけあがる。
そして疲弊しきった体を鞭打って最後の登り坂をかけあがる。ぜぇぜぇ。ちっきしょ、なんで俺の体こんなに重いんだ。
頂上の広場に出る。そこでは教祖様がナイフを持ち一ノ瀬を睨んでいて、一ノ瀬は怯えた顔で教祖様を見返している。ぜぇぜぇ、なんて二時間ドラマ、サスペンス、ぜぇぜぇ。
一歩、教祖様が一ノ瀬に近寄った。一ノ瀬はそれに合わせてひぃと情けない声を出す。僕はゆっくりと二人に近寄る。もう体が動かないんだ、ゆっくりでも仕方ない。ぜぇぜぇ。
「やめろ。」
叫んだつもりだったけれどあまり大きな声は出なかった。でも、二人は僕に気付いた。
「どちらさまですか。」
教祖様が僕に尋ねる。手に持っているナイフを隠す素振りも見せびらかす素振りも見せない。
「一ノ瀬の友達だ。一ノ瀬を解放してもらう。」
教祖様はやれやれ、といった感じで両手を広げて首を振った。小馬鹿にするように薄笑いを浮かべている。疲れている僕はその態度にカチンとくる。
「信者一ノ瀬はもうすぐ解放されます。我々の教義を何も知らないあなたは黙っていて頂きたい。」




