Game2 男子高校生連続飛降り事件(參)
◆
四月はもう間近だといっても、夜はまだまだ冷える。
分厚い曇天にさえぎられて、月も顔を覗かせない。
雨だけはやめてくれよな、と傘も持たない僕は短くため息をついた。
幸一に教えてもらったヨシノの家は、北高へ続く長い坂道の途中にあった。
学校から徒歩およそ10分程度の距離だ。
腕時計に目をやる。23時30分を回ったところだった。
キョロキョロとあたりを見回しながら、様子を伺う。これではまるで、不審者だ。
いや、まるでもなにもまあ間違いなく不審者だよなあと、これまた短くため息をついてしまった。
近所の人がヨシノを見かけたという話を聞いてから、ヨシノの自宅に変化は見られない。
おそらくヨシノはまだ自宅の中にいるのだろう。
もし今夜も事件が起こるのであれば、きっとヨシノはこれから何らかの方法で学校におびき出され、そして飛び降りるはずだ。
頭の中を軽く整理する。
幸一の話と椿へのいじめの加害者……いや、今回の事件の被害者の繋がりを考えれば、今夜の被害者は間違いなく最後の生き残りのヨシノだ。
そしてあまり考えたくないが、今回の一連の事件の加害者、本当の意味での被害者。
それは、幸一の話に出てきた椿だろう。
僕は、椿の気持ちを思う。
どんな思いで彼は野球に打ち込んでいたのだろう。
どんな思いでいじめに耐えていたのだろう。
どんな思いで肘を砕かれ、どれほど絶望したことだろう。
そして、どんな思いで今も学校に通っているのだろう。
4人の停学が明けることを知ったとき、どれほど怨嗟の声をあげたかったのだろう。
それを思えば、4人を死に至らしめることぐらいは、きっとなんでもないだろうと僕は考える。
その、椿の気持ちに、“ハコ”がつけこんだ。
ふと、僕は考える。こうしてヨシノを待ち構えて、僕はいったいどうするのだろう、と。
ヨシノを助ける? 助けてどうする?
ぶん殴って、人の道でも説いてみるのか?
まあ、幸一の話を丸々信頼するとして、ヨシノのことは僕だって到底許してやれそうにもない。
つまり、最終的にヨシノのことはどうでもいいとして、椿はどうする?
警察に突き出すか、それとも。
そこまで考えて、僕は考えるのをやめた。
とりあえず、ああだこうだと考えていたら、死ぬのは僕だな、と思ったからだ。
“ハコ”が組んだのは、そういう“ゲーム”なのだから。
迷いなんて当然ある。不安だってある。
けれど、逃げようとしても逃げられないのだから、それを言い訳にこの場から離れようとしたって、栓なきことだ。
ともかく、今、第一優先で考えるべきことは、これから死ぬのであろうヨシノを見つけたところで、俺一人でどうしよう、ということだ。
「マジでどこいったんだよ、あのバカ風吹は……」
思わず、声にだしてしまった。
風吹が幸一と接触したのは間違いない。
だが、それっきり風吹の足取りが一向につかめない。
これではどうしようもない、八方塞がりな気がしてきた。
風吹のことだ、こっちはこっちで探りをいれていればそのうち合流するだろうと考えていた、僕が甘かったのかもしれない。
だいたい、僕は出会ったばかりの風吹のことなんて、まだ何にも知らないのだから。
なんにせよ、自分が一歩又一歩と、死地に向かって足を踏み入れている気しかしない。
自殺願望でもあるのか、僕は?
なんて考えて、思わず鼻で笑ってしまった。
「あるよなあ、そりゃあ」
そんな独り言をつぶやいたその時、変化があった。
ヨシノの自宅のドアが開く。
そこから、とても野球部員とは思えない、とれかけのパーマ頭をゆらゆらと振って、一人の男がヨタヨタと飛び出してきた。
男は歩道に飛び出すや否や、アスファルトに膝をつき、両の掌で耳を塞ぎ、幼児のように、イヤイヤと首を左右に振り回す。
「なんだよ、アレ……」
全身から冷汗が噴き出すのを感じる。
脊髄がギシギシ軋む。
掌にじっとりと汗をかいているのが自分でもわかる。
毛穴の奥から恐怖が滲みだすような感覚。
「あんなのにまとわりつかれたら、そりゃあ……」
アスファルトに這いつくばったまま、隣の家の石垣をつかみ、ヨタヨタと立ち上がる男。
間違いなく、あいつがヨシノなんだろう。
いや、それはもういっそどうでもいい。
問題はそこではない。
見なきゃよかったと思う。
でも、ヨシノが自宅から出てくるとき、僕は見てしまった。
ヨシノの背中にピッタリと張り付いて、耳元でなにかを囁いているその存在。
真っ赤な着物を着て、首を時計回りに、文字通り“回転”させながら、そいつはヨシノの背中におぶさるようにくっついていた。
そいつの顔は見えない。
なぜならそいつの顔にはびっしりとお札が張り付けられていたからだ。
壁伝いにあるくヨシノの後姿と、その背中におぶさっている赤い着物のナニか。
今更ながら、思う。あれは、関わってはいけないものだ。
あんなもの、僕にどうにかできるわけがない。
ジリ、ジリと、足が独りでにあとずさる。
恐怖で膝が笑う。
体制を立て直そう。ヨシノは、あいつはもうだめだ。
何を囁かれているのかしらないが、あんなのに耳元でずぅっと囁かれ続けて、まともでいられるわけがない。
どうせ内容もロクなものじゃあないだろう。
あれはもう、どうしようもない。
後日風吹を探し出したあと、もう一度あらためて椿に当たるしかない。
というか、やはり関わりあいにならなければよかった。
小梅さんにはダメだしされたが、やはり逃げ隠れするしかないんじゃないだろうか?
だって、そうだろう?
あんなもの相手に、僕がなにをできるっていう?
なにもできやしない。なにもできるはずがない。
そうだ、なにもできない。なにもできないのならなにもしないほうがいい。
小梅さんも言ってた。自分から危ないことに首を突っ込むとロクな目に合わないと。
その通りだ。まさしくその通りだよ。間違いない。
引くんだ。ここは引くんだ。
ここは撤退だ……戦略的撤退だ。
一歩、もう一歩と後ずさる。
このまま後ろを向いて、ダッシュ。
そうしようと心を決めたとき、僕は、気づいてしまった。
ヨロヨロ歩くヨシノの、その向こう。
月明かりもない暗い夜、ジジ……といやな音をたててチラつく街灯の下。
ヨシノと同じように、フラフラと状態を揺らしながら歩く影。
そいつ以外誰が着るんだという薄紅梅のレザージャケット。
パンツを見せるためにあるんじゃないかと思えるほど短い黒のミニ。
そこからスラリと伸びた、草食獣のようにしなやかな肢。
夜に浮かんで見える病的に白い肌。
遠目からは黒いニーソックスとそのままつながってるように見える、高下駄じみた厚底靴。
チェロでも入れているんだろうかと思わせるような、大きなケースを抱えて。
特徴的なこけしカットを力なく揺らしながら。
その背中に、真っ赤な着物のナニかを背負って歩く、バカに。
「風吹――!?」
気づいた途端、僕の足は前に歩を進めようとする。
けれど、恐怖で膝が笑って、足が前に進まない。
クソ……!
……クソクソクソクソクソクソ!!
「なにやってんだよあのバカ!?」
僕は、膝を思いっきり拳でぶん殴った。
殴った部分から、痺れを伴う痛みが足全体に広がる。
背骨を伝って上半身まで伝播する痛みに、僕は歯を食いしばった。
足を前に進める。――動く。
「見たか、秘技、雷神拳」
まあ、秘技もクソも膝の上部にあるぶつけたらとても痛い部分に拳を突き立ててぶん殴っただけだけれど。
そうして一人でバカをやっているうちに、風吹とヨシノは、どんどん歩みを北高へと進めていく。
まして、前をあるく風吹の姿は、もはや夜の闇にまぎれ見えなくなっていた。
「もう、どうなっても知らねえからな!」
誰に吐き捨てるでもない捨て台詞を吐いて、僕は駈け出していた。
◆
「ゼェ……ッ。ハァ……」
自分の息遣いがうるさい。
肺の奥から熱い。息が苦しい。
ほんの3分ほど走っただけなのに、もはや足が棒きれのように重い。
1ヶ月半も寝たきりだと、これだけ体力が落ちるものだとは今まで知らなかった。
とにかく胸が痛いし、苦しくてたまらない。
吸い込む空気が熱くて、のどが焼けるみたいだ。
おまけに、これだけ必死こいて走ったのに。
「みう゛し……ゼェ……なっだ……」
そう、見失った。
風吹の姿は走りだした時点でもう見えなくなってしまっていたが、フラフラと歩くヨシノは捕捉できていた。
問題はあのあと、あろうことかアノ野郎、走り出しやがった。
幸一の話ではヨシノたちはろくすっぽ練習してなかったことが伺えるが、腐っても野球部のヨシノに対して、僕はついこの間まで1ヶ月半も寝たきりだったのだ。
後ろから走って追いつけるはずがない。
とはいえ、ヨシノが北高の外壁をよじ登って、中に入って行くところまでは見えていた。
あれだけ飛び降りが続いたのだから、正門のほうには警察が張っているかもしれない。
そう考えて、僕もすでに尽きた体力を振り絞り、必死で外壁をよじ登った。
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見失った風吹たちを追うのに、そう苦労はしなかった。
なにせ、外壁から一番近い窓ガラスが割れていたし、自殺とはいえ事件性を呈してきた今回の一件に警察が配置されていたのだろう。
物音を聞きつけて駆け付けたとおぼしき警官が、――たぶんこれは体当たりでもされて頭をぶつけたんだろう――ノビていた。
せめて殴ったのが、風吹じゃありませんようにと祈りながら、状況を見る。
警官が伸びていた廊下から、壁や、床、ここから見える階段の手すりに、固いもので殴ったような穴が開いていた。
風吹のケースじゃないよなあ、と恐る恐る警官の身につけているものを探ると、警棒、それにお約束のように拳銃が抜かれている。
「ますます洒落になってねえ」
僕はようやく整った息で、乾いた笑いを浮かべた。
パン、と乾いた音が校舎に響いたのはその時だった。
「上か……」
怖い。そりゃあもう、めちゃくちゃ怖い。
けれど、それ以上に。
「無事でいろよ、バカ風吹」
僕は階段を駆け上がっていた。
◆
破壊のあとは、屋上へと続いていた。
階段を駆け上がる最中に聞こえた発砲音は、二つ。
連日の自殺騒ぎで、しっかりと閉鎖されていたであろう屋上の鉄扉。
その足元には真っ二つに断ち切られた太い鎖が落ちていた。
僕は荒れる息を、なるべく抑えながら、開け放されたの鉄扉を盾に外の様子を伺う。
曇天はいつしか晴れていて、屋上のゴム床を薄い月明かりが照らしていた。
風が強い。
風は、夜の静寂を斬り払うようにヒュンヒュンと音を立てていた。
普段この屋上は解放されているのだろう、ここから2m先に休憩用の青いベンチが設置してある。
ベンチの背もたれは、一部が割れ欠けていた。月に照らされた屋上の壁が割れているのが見えた。
たぶんあれは、拳銃で。
途端、ほほに鋭い痛みが走った。
遅れて、パン、という乾いた音。
理解に時間がかかる。
僕は階段の踊り場に、後ろにのけぞる形で派手に転んだ。
痛みが走ったほほが痺れて、痛みがすぐに熱に代わる。
じわじわと広がる熱と驚きに頭の中が白黒に明滅する。
およそ五秒、やっと気づいた。
――撃たれた。
撃たれた、撃たれた、撃たれた、撃たれた!
拳銃で、拳銃で撃たれた!
のたうちまわった。屋上の階段の踊り場で、二十歳をすぎた男が、ジタバタと暴れまわる。
撃たれた!
死ぬのか?
撃たれた!
拳銃で!
撃たれた!
痛い!
撃たれた!
――ここまで、およそ10秒。
無様にのたうちまわる僕は、開け放たれた扉の向こうに、屋上の床で涙とよだれと鼻水にまみれ、拳銃を振り回すヨシノと、
そのさらに奥、
緑色のフェンスの淵に立ち、風に短い髪を揺らす風吹が目に飛び込んだ。
「風吹!!」
風吹を呼ぶ。喉が潰れるくらいの大声で。
けれど、風吹は反応しない。それどころか、屋上の床にへたり込んで小便の水たまりを作っているヨシノすら、僕のほうを向こうとしない。
聞こえてないのか!?
こうしている間にも、風吹が今にも飛び降りてしまう!
そう考えたら、僕の体はのたうち回るのをやめ、駈け出そうとしていた。
ポン、と僕の肩に後ろから手を置かれるまでは。
動転しながら、振り向く。
日焼けしてはいるものの、大きな眼に添えられた長いまつげと、女性的にぷっくりとした唇。
骨ばっていない頬に、細い眉根。
遠目に見れば、女の子にだって見えるだろう。
「幸一……」
「『お前』
『も』
『死ね』」
――ここまで、僕が撃たれてから12秒。