第90話 ふたりの夜
その夜。今日は月に一度、両親がデートに出かける日だった。
この家の恒例行事。仲良く腕を組んで笑顔で出かけていくふたりを見送れば、兄と私、ふたりきりの時間が始まる。
「さて、と。今日は何が食べたい?」
いつものように、兄が夕食のリクエストを聞いてくる。
その笑顔も、いつも通り。
まるで今日の出来事も、最近のいろいろも、何もなかったみたいに。
「うーん、パスタ?」
「おっ、じゃあ唯の好きなカルボナーラにしよう」
張り切った声とともに、兄はキッチンへ向かった。
兄は、私の好みに合わせていつもご飯を作ってくれる。
しかもこれが本当に美味しくて――もう他の料理が物足りなく思えるくらい。
……まあ、母の料理は別だけどね。
エプロン姿で鼻歌まじりに動き回るその背中を、そっと見つめる。
今日のこと、もう頭にないのかな。
そんな思いがよぎり、胸がきゅっとする。
どうせ、気にしてるのはいつも私だけ。
小さく息をついて、リビングのソファに腰を下ろす。
テレビでも眺めながら、料理ができるのを待つことにした。
「ごちそうさまでした」
「おう! おいしかったな」
兄の満面の笑みに、またときめく……。
我ながらあきれるよ。
食べ終わると、私はいそいそと皿を洗い始める。
兄はその間にお風呂へ向かった。
本当に美味しかった。
どこをとっても私好み。兄は私の舌の好みを完璧に把握している。
小さく、はぁと息がもれる。
ほんと、困るんだよなあ。
どんどん兄に染まっていく自分が、情けなく思える。
まるでお兄ちゃんなしでは生きていけないみたいで――そんなの、絶対ダメなのに。
ふと、将来のことが頭をよぎる。
もし兄が誰かと結婚して、別々に暮らすことになったら……。
ぶん、と首を横に振った。
余計なことは考えない。考えたくない。
私は無心で、皿を洗い続けた。
兄がお風呂から上がり、ほどなくして私も入浴を終える。
湯上がりのついでにキッチンに寄って、ホットミルクを片手にリビングへ向かった。
ソファでくつろぐ兄の隣に座ろうとして、ふと足が止まる。
……どこに座ればいい?
今まで気にしたことなんてなかったのに、今日はやけに緊張する。
最近のあれこれや、今日の出来事のせい?
兄のことを意識してしまって、落ち着かない。
さりげなく、少しだけ間を空けて座った。
兄はテレビを見ていて、隣に座っても特に気にする様子はない。
私のことなんて、それほど気にしてないのかな……。
そう思ったら、少し寂しくなった。
ほんと、私って勝手だよなあ。




