第70話 譲れない想いと、覚悟
「咲夜……大丈夫か?」
不意にかけられた声に、思考から引き戻される。
気づけば、昔のことに意識を取られていたらしい。
目の前には流斗が立っていて、俺の様子をじっと見つめていた。
「ああ、大丈夫だ」
こめかみを手でぬぐうと、汗がにじんでいた。
まだ、こんなにも恐れている――
そのことを、改めて突きつけられた気がした。
「……おまえだって知ってるだろ?
俺は唯を好きだなんて、言える立場じゃないんだ」
握りしめた拳が、じんじんと痛む。
「そうだな。君が感じてる恐怖は、俺には想像もできない」
流斗は静かに言った。
だが次の言葉は、はっきりとした声だった。
「だけど、唯さんのこと……信じてないのか?
彼女がおまえを憎むと思うのか?」
その問いが胸を突いた。
そう、わかっている。
唯は優しい。
もしかしたら、俺を許してくれるかもしれない――
そんな淡い希望を抱いたこともある。
でも、それでも怖い。
夢の中で憎しみの目で睨まれたあの光景が、どうしても頭から離れない。
拳に力がこもり、短く息をついた。
「……わかったよ」
流斗が鋭い視線を向け、言い放つ。
「君がそのままの態度でいるのなら、俺は絶対に唯さんを譲らない。
――勝負だ。中途半端に立ち止まっていることが、どれだけ彼女を傷つけているか。
負けた方は、きっぱりあきらめる。
その方が君もいいだろう? ずっと中途半端でいるより……」
迷いのないその眼差しに、息をのむ。
そう、だな。
これは、想いを断ち切るきっかけになるかもしれない。
このまま何も起きなければ、きっと俺はずっと唯のことを……。
小さく、でもしっかりと頷いた。
「……いいだろう。勝負だ。負けた方が唯をあきらめる」
「本気でやれよ」
「ああ」
流斗は無言で踵を返し、教室を出て行った。
静まり返った教室に一人残され、小さくため息をつく。
「……ほんと、お人よしだよな」
苦笑して、軽く地面を蹴る。
流斗は優しい男だ。
きっと、俺のことも唯のことも、ちゃんと見ている。
三人がこのまま曖昧な状態でいることを、誰よりも苦しんでいたのは――あいつかもしれない。
だから、俺を追い詰めた。
逃げられないように、けしかけてきたんだ。
正直、流斗になら唯を任せてもいい。
そう思えるほど、あいつはいい男だし、信頼している。
でも、それでも……あきらめきれない自分がいる。
俺の最大の足かせ。
――父親の罪。
全部、流斗には見抜かれていた。
だからこそ、俺は応えなきゃいけない。
流斗の覚悟に、真正面から向き合うために。
俺は決めた。
この勝負、本気でやる。
それで、もし勝ったら――
そのときこそ、唯に伝えるんだ。
俺の本当の気持ちを。




