第60話 甘いキスと苦い胸の痛み
ごちゃごちゃと考え込んでいるうちに、歩みは自然と進んでいき。
気づけば、玄関先に立っていた。
……いつの間に。
「優くん」
「へ?」
名前を呼ばれて、反射的に振り向く。
次の瞬間、流斗さんの唇が、私の頬に優しく触れた。
ふわりとした柔らかな感触。
え、今のって……。
呆然と彼を見つめたそのとき――
ドサッ。
何かが落ちるような音がした。
その音の方に振り返ると、そこには……兄がいた。
目を大きく見開き、口をポカンと開けたまま私たちを見つめている。
三人とも、時が止まったかのように、その場に凍りついた。
最悪だ。よりにもよって、お兄ちゃんに見られるなんて。
「あ、さく……」
流斗さんが何か言いかけた、そのとき。
「お、おう! 今帰りか? そっか、二人で。はは、仲良いな、おまえら」
兄は目を逸らし、ぎこちなく笑いながら言葉を重ねる。
「お兄ちゃ――」
私が声をかけようとすると、兄はその声を遮るようにさらに畳みかける。
「ああ! そういうことか、おまえらうまくいったんだ?
正式に付き合うことになったんだな!
いやあ、めでたいなあ。大切な妹と親友が付き合うなんて、こんな嬉しいことあるかよ。
うん、うん。よかったな。……じゃ、イチャイチャはそのくらいにしとけよ」
兄は、明るく笑ったけれど、どこか無理をしているように見えた。
そのまま私たちを置いて、家の中へ駆け込んでいく。
その横顔が、どこか痛々しく映ったのは――気のせい?
胸が、ズキンと締めつけられる。
残された二人のあいだに、しんと静けさが落ちる。
「……すみません。僕のせいで」
流斗さんが、申し訳なさそうに視線を落とした。
「なんで流斗さんが謝るんですか?
だって、私たち付き合ってるんですよ。いいじゃないですか、兄に見られたって」
そう言いながら、目には涙が滲む。
「あれ? なんで……」
慌てて顔を逸らした。
見られたくない。
彼を傷つけてしまうかもしれない。
「唯さん……」
流斗さんがそっと、私の頬に手を添えた。
やわらかな手が、そっと顔を向けさせようとする。
けれど、それを拒んでしまった。
「ごめんなさい、流斗さん。今日は、もう――」
小さく頭を下げて、逃げるように家の中へ駆け込んだ。
最低だ。流斗さんを利用して、傷つけて。
もう嫌、自分が嫌!
そのまま階段を駆け上がり、自分の部屋のドアを閉める。
胸の奥から、痛みが込み上げてきた。
いろんな感情が一度に押し寄せてきて、息が苦しくなる。
抗おうとしても、どうにもならない。
私はそのまま、声を押し殺し、嗚咽と一緒に泣いた。




