第55話 応援なんて、してほしくなかった
しばらく家族団らんを楽しんだあと、父と母が立ち上がった。
「じゃあ、僕たちはもうそろそろ寝ようかな。
咲夜くんも唯も、早く寝なさい」
「おやすみ、唯ちゃん、咲夜」
父は穏やかな笑みを浮かべ、軽く手を振って部屋を出ていく。
母は私の頭を優しく撫で、父のあとを追った。
「ほんと、二人とも仲いいよね」
私がつぶやくと、兄は短く「そうだな……」とだけ返した。
二人きりになった部屋に、ふっと緊張感が漂う。
そう感じているのは、きっと私だけ。
「わ、私ももう寝ようかな」
立ち上がろうとしたそのとき――
「なあ、唯」
兄が私の腕を掴み、そのままソファーへと引き戻した。
顔を上げた瞬間、視界いっぱいに兄の真剣な表情が迫る。
心臓が跳ねるように脈打つ。
やばい、また変身しそう。
「ど、どうしたの?」
焦って距離を取ろうとするけれど、すぐさま兄が間合いを詰めてくる。
近い、近いってばっ!
至近距離で見つめられ、鼓動はますます速くなる。
「正直に答えてほしい」
兄の瞳が揺れていた。
迷っているような、恐れているような。
「唯は、流斗のことが好きか?
兄の親友とか、友達としてじゃなく、男として……」
その声はどこか掠れていて、いつもの余裕がない。
すぐ近くに感じる吐息も、その眼差しも、すべてが私をかき乱していく。
どうしよう、どう答えればいいの?
流斗さんのことは好き。
でも、それが恋愛感情なのかはまだわからない。
付き合い始めたのだって、お兄ちゃんへの気持ちを忘れるため。
そんな本当のこと、言えるはずもない。
考えあぐねている間に、兄はさらに近づいてくる。
「え? あ、ちょっと、まっ……」
慌てて後ろへ逃れようとした瞬間、ソファーに背中が沈み込んだ。
次の刹那、兄が覆いかぶさってくる。
近すぎる距離で視線が絡み合い、心臓がとんでもない速さで鳴り響く。
変身しちゃう――
ぎゅっと目をつぶり、必死に耐えた。
すると、兄の体温がふっと遠ざかる。
おそるおそる目を開けると、もうそこに兄の顔はなかった。
一人で仰向けになっている自分に気づき、慌てて上体を起こす。
ちらりと横を見ると、兄はソファーに腰掛け、俯いたまま顔を背けていた。
その頬が、ほんのり赤い。
……何も言わない。
息が詰まりそうな沈黙が、じわじわと続いた。
なんで何も言わないの?
き、気まずいじゃん。
「それで、どうなんだ? さっきの答えは」
兄がぽつりとつぶやく。
いつもよりそっけない声。
なんで急にそんな不機嫌になるの?
戸惑いながら、私は答えた。
「えーと……流斗さんのことは、好きだよ。
ずっと友達としてだと思ってたけど、告白されてから男の人として意識するようになった。
まだはっきりわからないけど、ちゃんと付き合ってみようかなって思ってる」
これは、嘘じゃない。
流斗さんのこと、好きになれたらいいって本気で思ってる。
兄への気持ちを断ち切るためにも、そうするべきだと。
「――そうか。わかった」
兄は静かにうなずいた。
「唯が好きなんだったら、俺は応援するよ。
流斗はいい奴だ。きっとおまえを大切にして、幸せにしてくれる。
なんたって俺の親友だからな。……おまえも流斗のこと、大事にしてやれよ」
兄の言葉が胸に突き刺さる。
そっと微笑むその優しさが、せつなく胸をしめつけた。
応援なんて、してほしくなかった。
やっぱり、お兄ちゃんにとって私は“妹”でしかないんだ。
胸がぎゅっと痛む。
滲んだ涙を隠すように、顔を背けた。
「うん、そういうこと。
じゃあ、もう寝るね。おやすみ!」
それだけ言うのがせいいっぱい。兄の顔もまともに見られない。
今度こそ引き止められないように――
私は逃げるように部屋を飛び出した。




