第109話 「妹だと思ったことなんて、ない」
「唯……」
兄の手がそっと伸びてきた。
思わず、そのぬくもりから逃げるように顔を背けてしまう。
重たい沈黙が、ふたりの間に落ちた。
言葉はなく、ただ時だけが過ぎていく。
やがて、兄は小さく息を吐き、覚悟を決めたように口を開く。
「これから言うことは、唯にとって……驚くことばかりかもしれない。
だけど、ちゃんと聞いてほしい」
真剣な視線が、まっすぐに私を射抜く。
その目には、揺るぎない決意が宿っていて――でも、声はどこか微かに震えていた。
「俺は、おまえのことを妹だと思ったことはない」
一瞬、息が止まった。
心臓の鼓動だけがやけにうるさく響いている。
「え……それって、どういう――」
「初めて会った日のこと、覚えてるか? 唯、こんなに小さくてさ」
兄は床と平行に手をかざし、懐かしそうに目を細める。
「ちょっと内気で、でも笑うとすごく可愛くて。
こんな妹ができるんだって、俺は舞い上がってた」
くすっと笑い、どこか照れくさそうに頬をかいた。
「唯をからかって遊ぶのが楽しくてさ。
あとをついてくるおまえが、本当に愛しくて……。
ずっと一緒にいたい、一生この子のそばにいるのは俺しかいない――そう思ってた」
ふぅ、と短く息を吐いて――その笑顔がすっと消えた。
さっきまでの柔らかい空気が、急に真剣なものへと変わっていく。
「でも、ある日気づいちまったんだ。
唯を“妹”じゃなくて、女の子として見てる自分に。
その瞬間、思い知らされたんだよ。世間の目ってやつを。
他人から見れば俺たちは兄妹。俺は唯の“男”にはなれないんだって」
辛そうに眉を寄せる兄を見て、胸がぎゅっと締めつけられる。
「血は繋がってないんだ。今なら、別に問題ないって思えるけど……当時は無理だった。
まだ子どもだったし、常識とか周りの目とか、そういうのが怖くて。
それに――唯が俺の気持ちを知ったら、どう思うんだろうって、不安でたまらなかった」
兄のまなざしが私を捉える。
そこには、愛しさと不安が入り混じった複雑な光が揺れていた。
……お兄ちゃんも、私と同じことで悩んでたんだ。




