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永遠の旅人(後篇)

挿絵(By みてみん)


「お兄さん、もしかして旅人?」

 吹きつける風に目を細めていると、道端にいた子供の一人が声をかけてくる。

「…ああ、そうだよ」

 応えてやると、それを切っ掛けに子供達がわらわらと群がってくる。…何処の国に行っても、子供の好奇心の強さは健在だ。


「じゃあ、あの山の向こうから来たの?」

「海を見た事がある?」

「北の大地には氷ばっかりって本当?」


 口々に質問が投げかけられるのも、毎度の事だ。彼は苦笑しながら、一つ一つその質問に答えてやる。


「そうだよ、あのゲニウス山を通って来たんだ」

「海は何度も見たよ。何処も微妙に違いがあるんだ」

「北は氷と雪ばかりだけど、春と夏は何処よりも綺麗だよ」


 彼が答える度に、子供は歓声を上げて喜ぶ。

 国境間近な辺境の小さな村では、外から入っている情報は限られている。だからこそ、各地を渡り歩く旅人は、好奇心旺盛な子供達にとって見逃せない存在に違いなかった。

 その少し離れた場所から数人の女達──彼等の母親達だろう── が、遠巻きながらも、子供達と話す彼に好意的な目を向けている。


『…時代は変わるわ』


 かつて聞いた言葉が耳に甦る。

 十五年── その年月は決して短くはなかったものの、何かが変わるには必要な年月だったのだと思い知る。

 以前ならば、余所から来たというだけで、彼等は嫌悪も露にしたものだ。

 彼の身体がその年月で成長し、苛酷な道中で面変わりすらした間、この国は西方の大国に侵略され、その一部になっていた。

 それと同時に、彼がこの国を離れる原因となった純潔政策は失われた。いっそ、呆気ないほどに。

 …もう、世界地図の上に、クルシアという国は何処にも存在しない。

 それは故郷が喪われたと同義でもあるはずなのに、彼に哀しみは訪れなかった。その事実で気付く。

 彼にとって、『故郷』とはクルシアという国ではなく、この名もなき小さな村の事だったのだと。

 しばらく子供達に付き合い、今までの見聞を聞かれるままに語った後、彼は村外れへと足を向ける。

 緑深いその場所は、進めば進むほど、驚く程に変わっていなかった。

 昔、母親が生きていた頃に一緒に薪を取っていた低木の連なりも、母親が死に、一人で埋葬した小さな花畑も。

 自分の生い立ちを思い、一人涙を流した岩場も、毎日水を汲みにいった小川の流れも。

 そして── 彼が生まれ育った廃屋は、十五年を経た今、朽ち果てずにそこに健在していた。

 否── むしろ、その頃よりも整っていてさえいた。

 手という手は入っていないが、そのままにしていれば土と化していただろう、なけなしの柵が作り直され、かつては雑草ばかりが生い茂っていた玄関前の地面は、通りやすいように手入れされている。

 開け放れた窓のガラスは入れ直されて、あの頃にはなかったカーテンが風を受けてはためいていた── そこに、住む人がいる証のように。

 どくん、と今更心臓が強く脈打った。

 ── 十五年という、月日を思い出す。

 それは、国や人の心が変わってしまうには十分な年月。…幼い『約束』が過去の物になるにも、十分な年月だろう。

 目前の家に住む人が、彼女であるとは限らない。そうであるとしても── 普通ならもうとっくに結婚し、子供の一人や二人はいてもおかしくはない。

 子供の頃の約束を引きずって、のこのことここまで来てしまった自分の身を顧みる。

 …思い出は、遠くなるからこそ、美しくなる。忘れがたい記憶も、時と共にその色が変わる。

 わざわざそれを、引き戻す必要があるだろうか?

 思い悩み── しかし結局、彼は玄関の前に立っていた。せめて一目、確認しておきたかったのだ。

 ここには思い出したくもない記憶もあるが、いい思い出も確かに存在する。その場所で暮らす人物を知っておきたかった。

 そして── 過去の思い出、その象徴である彼女がここにいるのなら、伝えなければならない言葉がある。


『世界に本当に果てなどない事…── 国にも血にも、隔てなんてないのだと』


 あの時の彼女の言葉に対する、その答えを。

 彼は一度深呼吸し、ありったけの勇気を振り絞ってその扉を叩いた──。


+ + +


 昼下がり、周囲は穏やかな静けさに包まれている。

 居間で椅子に腰掛けて、のんびりと寛ぎながら、彼女は何とはなしに過去を回想していた。

 …この家に移り住んで、もう十年近くになる。

 十五年前、ここに住んでいた少年が旅立った後、約束通りにここを守ろうと、こっそり通っては掃除をしたり、壊れかけたものを手直ししたりした。

 そしてそれから数年後、戦争が始まったのだ。

 戦争はその国力の差を示すかのように、数月も満たさずに終わりを迎えたが、その傷痕が軽かった訳でもない。

 否── むしろ、凄惨を極めたとも言えるだろう。クルシア王家は最後まで抵抗を見せた為に、それに連なる全ての者が処刑されたと伝えられている。

 中央から遠い分、馴染みのない王家だったが、その処刑によって馬鹿げた純潔を誇示する政策は終わりを迎え、現在、旧・クルシアを支配する、西の大国の国王その人がその政策を厳しく非難した為に、あっという間にそれは過去の物になってしまった。

 あまりに呆気なく、今となっては笑い話にすらなりそうな程。

 ── その政策で、どれ程の人間が無駄に国を追われ、殺されてきたか。

 クルシアでも東方の国境に位置する為に、この村は被害という被害はなかったが、それでも兵士として村の若者が何人も徴兵され、そしてその命を散らしていた。

 それは彼女の上にいた二人の兄も然りであり、父である村長は後継ぎを失った。

 残ったのはとうに嫁いでいた姉と、彼女だけ。

 その結果、村長は姉の夫が継ぐ事になり、彼女は村長の娘ではなくなった。村長の娘としての体面など、気にしないで良い身分となったのだ。

 …そうと言っても、現在の村長の義妹である事実は動かしようもないのだが、それでも村長の娘であった頃よりは、ずっと生き方の選択肢が広がった。

(…それでここに来てしまったけれど、我ながら女々しいわよね)

 ふと、ため息をつく。

 先日も、姉から再三、『いい加減に、身を固めなさいな』と説教を食らったばかりである。

 姉の気持ちもわからないでもない。自分の身体が丈夫でないから、いつまでも一人でいる事を心配してくれているのだ。

 けれど、自分でもどうして、と思う程に心は動かなかった。

 ── あの日の約束は、今もなお、彼女の中に息づいている。夜の闇へと紛れて行った、あの背中を見送った時の気持ちのままだ。

 あれからもう、十五年。

 …もし生きていれば、帰って来ても不思議ではない年月が流れた。

 今まで戻って来なかったのは、彼が別の場所で生活の場を見つけたからかもしれないし、もしかしたら…想像もしたくない、最悪の結果の為なのかもしれない。

 けれど、彼女に出来る事は待つ事だけだ。

(…世界は広いから。だからきっと、帰るのに手間取っているの)

 そんな風に考えるのも、もはや気休めだとは自覚していた。

(待つわよ、いつまででも。わたしはもう、子供じゃない。あの頃みたいに、見送る事で彼しか守れなかった子供じゃないもの。わたしはここで、あの人の代わりに、あの人の『故郷』を守る)

 今は平和だ。しかし、いつまた戦争が起こるかわからない。

 世界情勢はこのちっぽけな村にはほとんど入っては来ないけれど、その均衡の危うさは感じられる。

 もし、今度は東側で戦いが起こったならば、この村は容赦なく戦禍に見舞われるに違いない事も。

 …でも、だからこそ。

(たとえ二度と戻って来なくても…あの人の『帰る場所』を守ってみせる)

 旅立ちを進めたのは彼女自身だけれど、それでも彼の故郷がこの場所なのは事実だ。

 世界の何処にいても、その事実は変わらない。たとえ国がなくなっても、この大地が存在する限り、ここは彼の故郷なのだ。


 そう── たとえ、二度と戻って来なくても。


(…戻って来て)

 しかし、何度自分を誤魔化しても、結局はそこに辿り着く。

 十五年も経ってしまって、自分もあの頃とは随分外見も変わっただろう。それにもう、世間的には若いとも言えない年齢でもある。

 そして彼女の身体は、今の所小康状態を保ち続けているものの、いつ悪化するかわかったものではない。

 一度でも倒れたらこんな村外れでの一人暮しは許さない、と姉にも言われているから、健康にはかなり気を遣っているけれど、それでも先はわからない。

(一目でいいから、会いに来て)

 祈るように思う── 想う。

(…── 生きていて)

 きっと、それだけでもわかれば自分は安心するのだろう。

 あの日…死んで欲しくなくて旅立ちを勧めた。逃亡ではなく、旅に出るのだと言って、彼を見送った。

 でも── 本当の本当は、何処にも行って欲しくはなかった。

 殺されたり、一方的に傷付けられ追い出されてしまうくらいなら、村人の手の届かない場所に行ってくれた方がいいと思ったから、旅立つ背中を見送る事が出来たのだ。

 『帰ってくる』という約束を本当に欲していたのは、彼女の方だ。

 だから平和になった今、もう誰も彼を追う事のない今は、彼の存在を感じられない事が悲しい。

 会いに来る事が不可能なら、手紙でも良いから生きているという証が欲しかった。あの時── 見送った事が、間違いでなかったのだと信じたいだけかもしれないけれど。

「…今、あなたは何処にいるの……?」

 思わず声に出して呟いたその時、滅多に人の訪れのない、玄関の扉が鳴った。


+ + +


 もし彼女が出て来たら、最初に何と言うべきか、待つ間に彼は考えた。

 玄関の向こうで、軽やかな足音が聞こえる。

「…どなた?」

 扉の向こうで尋ねてくる声は、かつて聞いた声よりずっと落ちついた大人の女性のもので、彼は戸惑う。

 当然と言えば当然の事なのに、彼は応える言葉すら失い、ただ立ち尽くした。

 そのまま回れ右をして、その場を去ってしまいたいような気持ちと、声の主に会いたいと思う気持ちの狭間で揺れる。

 そうしている間に扉の鍵が外される音がして、扉は開いた。

 そこから顔を出した女性は、深い灰色の髪に若葉の瞳の持ち主で、彼の思考は完全に停止する。

 ただ、一つの確信だけが脳裏を駆け抜けた。

(── 彼女だ)

 言葉もなく立ち尽くす彼を、彼女は怪訝そうに見つめ── やがてその目が大きく見開かれる。

 かつて一度も見た事のなかった涙が、そこに満ちて行く。その濡れた瞳の輝きは、昔と何一つ変わらない。

 そして、彼女は十五年の年月を経てなお、彼の心を引き寄せるあの笑顔を見せた。

「…おかえりなさい」

 迎えた言葉は微かに震えていたものの、それでもしっかりしていた。その口調も、不思議な程に昔のままだ。

 過去と現在が交錯し、一つの現実を作り出す。それはずっと彼が思い描いていた夢の、その終焉。

 彼は万感の思いを胸に、唯一の『帰る場所』だからこそ口に出来る言葉を紡ぐ。



「── …ただいま」


+ + +


 こうして── 旅人は、その旅を終えた。

 約束通り、あらゆる場所のあらゆる人々の物語を胸に。国境や血に隔てのない事を体現して。

 全ての大地と、全ての海を渡った旅人の、その後の物語を知る者はただ一人。



 彼の故郷を守った、彼女だけが知る物語──。

こちらもかなり古い作品です。

記念小説だったので、明確なテーマが設定してありこの物語のテーマは「おかえりなさい」でした。最初にある、詩のようなものが元々先にあり、それを元に膨らませて出来上がった物語です。今見ると本当に必要最小限な内容です…。現時点で同じようなものを書くとしたら、もっと分量が増えていただろうなあと思います(笑)

同じ世界を舞台にした短篇も他にいくつか書いておりますので、その内公開出来ればと思っています。

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