少年と顔の無い王
ボクには幼い頃の記憶がない。
いや……厳密には自己を確立するに充分な記憶がないと言うべきか。
この24の公爵家が覇を争う合衆国では領地を治める公爵たちの争いが絶えない。
彼らにあるのは合衆国皇帝ウェントンに対しての忠誠のみで、領民すら死んでもいいと思っている。
それでも経済活動をしている農民や商人を強制的に徴兵することはなく、他国や他公爵の領地から流れ着いた貧困層を中心にして生まれた傭兵を用いて争っている部分がなけなしの良心なのかもしれない。
そんなクソみたいな国においてボクはひたすら敵を殺して生きてきた。
誰に教わったのかもわからず、頭の中で鳴り響く生きる目的だけを抱いて。
どんな手を使ってでも「ボクが生き残るため」に死体の山を築き上げる。
そして「ボクが生き残るため」に各地の領地を傭兵として渡り歩き、たとえそれが見知った顔であっても敵となれば容赦なく。
そんな暮らしを覚えているだけで10年は繰り返してきたであろうか。
性差も少なく見た目で油断を誘えることが取り柄のガキだったボクもいつしか大人と呼べなくもない年齢にさしかかっていた。
今現在、ボクが身を置くゼータ公領では、当代公爵クリンビダン・ゼータがお隠れになったという噂が流れており、それを肯定するかのように近隣領地への派兵が中断されていた。
ボクらのような最前線送りが多い末端兵がゆっくりとランチを堪能できるのもそんな状況が生んだ余暇とも言える。
「なあカミーユ。最近話題の〝顔の無い王〟って知っているか?」
カミーユとはこの地でボクが名乗っている偽名のこと。
そしてボクに話しかけてきた彼はフランクというハタチ前後の青年で、おそらくボクより少しだけ歳上だ。
「知らないよ」
そんな彼が食事休憩中の雑談としてふってきた〝顔の無い王〟の噂話。
ボクはそっけなく知らぬと返すがこれは嘘だ。
それを彼は言葉通りに受け取ると、自慢話のようにボクへと噂を語りだした。
「だったら教えてやるよ。顔の無い王ってのは24公爵から金印を奪ってウェントン皇帝を倒そうとしている正体不明の男だよ。正体不明なのに何故なんでそんなことがわかるかと言われると俺も詳しく説明できないが……傭兵頭にも『最近の停戦状態はゼータ公が顔の無い王に殺されたからじゃないか』って言ってる奴がいるぜ。暗殺の噂も含めて俺はマジの話だと思ってる。だけど本当に金印を奪われていたらこりゃ一大事だな。現に隣のエータ公領では代替わりしてから新しい公爵が前線に出たことがないって言うが……それも金印を失って名前だけなのがバレないようにしているっつう話だし」
金印とは初代皇帝が当時の24公爵に贈ったとされるスタンプのこと。
公爵の証として継承されているこの魔法の印には初代皇帝が持っていたとされる巨大な力の一部が宿っており、この恩恵で神の如き力を持つ公爵を殺せるものなど同じ金印を持つ他の公爵か、それこそ皇帝だけだと言われていた。
ちなみに儀礼用として実際に金で作られた印鑑も存在しているが、それがフェイクに過ぎないのは傭兵としてある程度の経験を積んでいれば自ずと知れた話である。
「まあソレも顔の無い王と同じく噂でしょ? そもそも公爵様が最前線で力を振るうことなんて滅多にないんだから」
「そりゃあな。公爵様が自分で戦ってくれれば楽に済んだ戦いだって山ほどあるのによお」
「へへへ、バカだなフランク。公爵様同士が本気で戦ったら俺らどころか街の住民ごと巻き添えだぞ」
「オヤジ……」
「だから公爵様たちが自分らで戦うのは攘夷のときくらいのもんさ。普段の派閥争いで働き手を失うきとより勝利を優先するような行いをもししたら……他の公爵たちから確実に袋叩きだぜ」
公爵を殺して金印を奪っているという顔の無い王の噂話。
どうもフランクは真に受けているようでボクが反論として提示したそれらしい理由も理解できないようだからさもありなんか。
そんなボクらの雑談に混じってきた、フランクがオヤジと呼んだ男はギャミィというボクらの小隊を束ねる傭兵頭。
今の小隊に入って一ヶ月強のボクにとっては単なる上司に過ぎないが、付き合いの長いフランクにとっては言葉の通り父親のような人物である。
ギャミィの説明──ボクとしてはこの国の常識の話を聞いて、ようやく噂は噂に過ぎないと納得したフランクは少し落胆した模様。
どうせ末端の傭兵にとってはどうでもいい話であろうに、フランクはどこが残念なのだろうか。
「まあ噂の話はあんまりするんじゃねえぞ。オレより上の公爵様と直々に謁見している連中は不穏な噂には神経質になっているから。下手したらコレだぜ」
コレの合図でギャミィがやった「喉元を横に切るジェスチャー」は処刑されるという意味。
「オレらのような木っ端の傭兵は金だけ稼いで適当なところで相手を見つけて農夫にでも鞍替えするのがマトモな生き方さ。お前らも早く教会で祝福してもらいな。オレみたいに三十路を過ぎても独り身じゃあ、手遅れになっから」
そしてギャミィはボクら二人を一枚絵に収めるかのような視線を向けると、空いた食器を持って席を発った。
それを感じて何かを思いついたフランクはコップの水をゴクリと一口飲むと、意を決してボクに語りかける。
「ふう……まあオヤジの言う通りだな。本当に顔の無い王が居て公爵様を全員倒して……今みたいな戦ってばかりの世の中を変えてくれたらなんて、ただの夢物語か」
「その程度で落胆するなんて傭兵の割に諦めが早いんだね。フランクはもう少しガッツがある奴だと思っていたよ」
「落胆って程じゃないさ。ただこうなると俺もオヤジが言うように急がないとと思ってな」
「急ぐって……まさか結婚か? キミに心に決めた相手がいるなんて知らなかったよ。僚友として応援してあげる」
「ありがとう……(とは言い切れないんだがな)」
彼の言葉の後半は小声でボクには聞こえない。
「まあ……だったら明日の休息日に俺に付き合ってくれよ。お願いだ」
「それくらいなら。どうせ一人では出かける予定もないし、キミの都合で部屋に来てくれ」
「わかった」
休息日とは傭兵たちに与えられている週に一度のオフ。
現在は休戦状態のためオンタイムでもオフに近いとは言え、緊急命令なども気にせず自室や街で羽目を外せるのはありがたい。
多くの傭兵はこの期間に市井の一般人や同じ傭兵家業の異性と通じて結婚を決めて、教会で祝福を受けることで世間的にもソレが認め得られるのがこの国の文化である。
フランクも心に決めた相手が居てその上で勇気がないから僚友に助力を頼むだなんて、意外と臆病な一面があるものだ。
戦場での彼が勇敢に戦う姿とのギャップに「少し可愛い」と思ってしまったのはボクの気の緩みだろうか。
それからボクらも食器を片付けて待機任務に戻り、日暮れとともに夜勤と交代して自室に帰る。
この国では何処もそうだが、傭兵を使い捨ての道具として見ている割には食事や個室といったものは惜しみなく与えるのだからどこかチグハグだ。
まあ逆にこれだけ待遇を良くすれば傭兵になろうと思う貧乏人を容易く集められるということかもしれない。
以前の休息日に買った小説本を魔法の明かりで読み耽ると、そろそろ日付が変わろうかという時間。
明日が休息日でなければ寝坊しそうな夜更かしをしてしまったボクは部屋に近づく気配に気づいた。
「明日の約束をすっぽかすのは気が引けるけれど……そろそろ潮時か」
傭兵稼業であれば遠征も多々あるわけなので旅支度など万全であっても怪しまれない。
最低限の荷物を持って部屋を後にしたボクを求めて押しかけてきた男たちは、もぬけの殻となったボクの部屋を見て唖然としている。
もし彼らがボクに対して強い疑いを持っているのならば草の根を分けてでも探すのだろうが、彼らにはそこまでのモノはなかったようだ。
尋問のついでに若い子供をなぶることが主目的の変態たちが肩を落としたのは任務失敗ではなくお楽しみがお預けになったことのほう。
外出中ならそのうち戻るであろうと言うことで、男たちのうちの一人だけがボクの部屋に留まり続けた。
そして夜が明けて───
「カミーユ……起きているか?」
ボクの部屋を訪ねてきたフランクはもぬけの殻となったボクの部屋を見て愕然としていた。
残されていた数冊の本が散乱しているのは昨夜の男が家探しをしたから。
それ以外のわずかな金品はすべて持ち出し済みである。
男が帰り、荒らされた室内を見たフランクは休息日を潰してでもボクを探すわけだが見つからず、そのままギャミィに「カミーユが失踪した」と涙ながらに語ったらしい。
さすがに見ていないことをボクは事細かく語れないが、彼の性格を思えば置き去りにした時点でさもありなん。
悪いとは想いつつも危険の芽があるのならばとゼータ公領を抜け出したボクはカミーユという彼が好きになってくれた名前も捨てて、新しい顔と名前を考えながら新しい領地を目指した。
もうボクもゼータ公領には当面用事はない。
このまま遠くまで行けば戦場でフランクとはちあわせることも無いであろうと。
「コイツを見かけたらすぐに公爵様へ知らせるんだ」
人相書きとお触れが発行されたのはボクの旅立ちから三日後なので既に遅い。
ボクの顔を描いた立て看板には〝お尋ね者 顔の無い王 カミーユ〟とだけ書かれていた。