恋人未満、友達以上
翌日――。
佐伯さんが俺に嫌いな食べ物を聞いた理由が判明する。
なんと、佐伯さんが俺にお弁当を作ってきたのだ。
俺は、弁当を持ってきているんだけど、これは驚いた。
「よかったら一緒に食べませんか?」
と、恥ずかしそうに佐伯さんは言った。
俺は大抵一人で食事をしていたから、断る理由はない。
チラと美沙を見つめる。
すると、視線が交錯した。
だけど美沙はプイと横を向き、どこかに行ってしまった。
なぜだろう?
どうして、俺は美沙を見たんだろう??
「榊原君、聞いてます?」
「あ、ゴメン、いいけど、俺弁当あるんだよね」
「そうですか、じゃあ、明日から私が作るんで、持ってこないでもいいですよ。今日は、食べなくてもいいんで」
「イヤ、もらうよ、せっかくだし、弁当二つくらい余裕で食べられるから」
俺はそう言い佐伯さんと、食事をする。
彼女の作ったお弁当は、俺の母さんが作るのとは全然違った。
俺の母さんは、とにかくがさつだ。
だから、汁っけのある食べ物を平気で弁当に入れるし、基本的に昨日の残り物だ。
だけど、佐伯さんの弁当は手が込んでいる。
卵焼きに、タコさんウインナー、唐揚げなどが入っている。
「これ、佐伯さんが作ったの?」
「はい、お料理も好きなんです」
「そうなんだ。でも朝から唐揚げを?」
「あ、唐揚げは昨日のうちに作りました。だから、もしかすると美味しくないかもです」
「そんなことないよ。ものすごく美味しそうだよ」
俺がそう言うと佐伯さんは笑顔になった。
その顔を見ていると、俺もどこかほっこりする。
恋。
俺はまだ、それを知らない。
だけど、その片鱗を感じているような気がする。
相手のことで頭がいっぱいになる。
それが恋なのかもしれない。
けど、俺の脳裏には、美沙のあの顔がちらつくんだ。
あんな寂しそうな顔をした美沙の顔が、頭から離れないんだよ。
そんな中、佐伯さんが俺に向かって言った。
「そうだ、榊原君、コレ、昨日見た映画の原作になった小説です。よかったら読んでください」
「ありがとう。読んでみるよ」
「映画、楽しかったですね」
「うん。俺、緊張しちゃって、上手く話せなかったけど、楽しいって言ってもらえてよかったよ」
「そんな、たくさん話せました。映画の後は喫茶店にも連れて行ってくれましたし。私、最高の思い出になったんです」
「そう、そんな風に言ってもらえると、俺も嬉しいかな」
「あ、あの、また一緒にどこか行きませんか?」
「一緒に?」
「はい、イヤですか?」
「イヤじゃないけど……、うん、いいよ」
俺は、彼女を困らせたくなかった。
寂しそうな顔をして欲しくなかった。
俺がここで断るのは簡単だ。
だけど、そんなセリフを吐けば、佐伯さんは傷つく。
人が傷つくのは見たくない。
俺は仏教には詳しくない……。
けどさ、
こんな時、親鸞さんなら何て言うんだろう。
俺は、猛烈に親鸞聖人の言葉が知りたくなった。
少しずつだけど、仏教に……、イヤ、浄土真宗に惹かれつつあるのだ。
それはなぜか?
決まってる。
美沙の影響だ。
あの子がいたから、俺は興味がなかった仏教に関心を覚えるようになったんだ。
「榊原君、マリンピア日本海って知ってますよね?」
「え、あ、うん」
「今度一緒に行きませんか? ペンギンとかいるんですよ」
マリンピア日本海というのは、新潟市の中央区にある水族館である。
俺も小さいころに何度か行ったよ。
というよりも、新潟市で暮らす子どもたちは一度は行ったことがあるだろう。
「小さいころいったかな」
「私もです。確かイルカショーとかもあるんですよね」
「うん、握手とかできるんだ。懐かしいなぁ」
「なら、今度行きましょう。二人で行けばきっと楽しいですから」
「う、うん、そうだね」
俺の昼休みはそんな風にして終わる。
放課後――。
俺のところに美沙がやってきた。
「榊原、ちょっと来て」
いつの間にか、呼び方が苗字に戻っている。
何か切ない。
「何?」
「いいから来て」
彼女はやはりいつも通り屋上に向かった。
屋上には誰もいない。
ひっそりとした空気が漂っている。
「契約を解除するわ」
と、屋上に着くなり、美沙はそう言った。
「契約? 何の話だ」
「だから、あんたを助手にするっていう契約よ」
「え。何でだよ。それに今日は親鸞聖人の言葉を書く日だぞ」
「もういいわ。あたし一人でできるから」
「パソコンやスマホ持ってないじゃん」
「そ、そうだけど、鈴奈さんは手書きでもいいって言ってくれたし」
「でも、何で急にそんなこと言うんだよ」
「だって……」
と、美沙は口を尖らせた。
彼女が何を考えているのか、俺にはわからない。
「だって、あんた、佐伯さんと付き合ってるんでしょ。なのにあたしに協力してたら、佐伯さんだっていい気はしないはずだし」
「違うよ、付き合ってないよ」
「でも、一緒にデートしてたじゃん」
「まぁ、それはそうだけど……、たまたま誘われただけで、ホントにそれだけなんだよ」「ふ~ん。じゃあ、あんたは、佐伯さんをどう思っているの?」
どう思ってる?
さて、俺はどう思ってるんだろう?
少なくとも悪い気持ちはしない。
けどさ、何かが違うんだよ。
俺は、すぐには答えられなかった。
その沈黙が、痛手になってしまう。
「好きなんじゃないの?」
「好きって俺が佐伯さんを?」
「そう」
「それは、その、よくわかんないよ。俺自身が驚いているくらいなんだから」
「でも、今日は一緒にお弁当食べてたし」
「だって作ってくれたから」
「とにかく、あんたはあたしといたらダメなのよ。浄土真宗の布教は、これからはあたし一人でするから」
この人は勝手だ。
勝手に巻き込んで。
勝手に捨てられて……。
俺は何かイライラしてしまった。
そして言ってしまったんだよね。
「そうかよ。ならもういいよ、勝手にしろ」
俺がぶっきらぼうにそう言うと、美沙は寂しそうな顔を一瞬浮かべた。
だけどすぐに持ち直して、キッと俺を睨みつける。
「フン! あんたなんて別にいなくても大丈夫なんだから!」
そう言い残すと、彼女は屋上から消えていった。
あぁ。
なんだろう。
どうしてか寂しい気持ちがする。
屋上から戻り教室へ行くと、佐伯さんが待っていた。
彼女はチョコチョコと俺の前にやってくると、恥ずかしそうに言った。
「あの、榊原君、一緒に帰りませんか?」
「一緒に? でも佐伯さんってバスで通学してるんじゃ」
「はい。でも今日は万代の方まで行きたくて、一緒に行きませんか?」
「別にいいけど……」
俺は言ってしまう。
もう、どうにでもなれだ。
俺と佐伯さんは新潟の繁華街、万代で向かった。
俺は自転車通学だから、自転車を押し、隣に佐伯さんが歩いた。
「あの、一つ聞いてもいいですか?」
と、唐突に佐伯さんが尋ねてくる。
沈黙が痛かったし、この質問は何かありがかたかった。
「何?」
「あの、榊原君と、知立さんってどんな関係なんですか?」
「どんなってただの友達だよ」
「ホントにただのお友達ですか?」
「うん、そうだと思う」
「なんか、よく二人で屋上にいるから、何してるのかなって思って」
「あぁ、ちょっと新聞部と交流があってね。それで会議っていうか、話し合いをしてたんだ」
「榊原君は新聞部なんですか?」
「いや、違うんだ。知ってるかな? 校内新聞で親鸞聖人の言葉っていうコーナーがあるんだけど」
俺がそう言うと、佐伯さんは意外そうな顔をした。
「はい。知ってます。面白いコーナーだなって」
「そう、実はあれを作っているのは美沙……、じゃなくて知立さんなんだ。でも、彼女はスマホとか持っていないから、俺が彼女が書いた原稿をデータにして新聞部に送っていたんだよね」
「あのコーナーを知立さんが……、そうだったんですか」
「でも佐伯さんも知っていたんだね」
「はい、実は私質問を送りましたから」
質問……。
今のところ、反響があった質問は一つだけだ。
そう。
あの恋愛相談である。
あれを書いたのは、佐伯さんだったのか。
となると、大きな問題もある。
あの質問は恋愛相談だった。
つまり、彼女は恋をしているのだ。
誰に?
決まってる。
俺にだ。
佐伯さんの好意を、俺はヒシヒシと感じている。
だって、好意を持たない人にお弁当を作ってこないだろう。
なぜだろう?
どうして、俺なんだろう??
俺なんて頭もよくないし、運動だってできない。それに背だって高くないし……。
佐伯さんはそれきり黙ってしまった。
だけど、物凄く恥ずかしそうな顔をしている。
顔が真っ赤になっているのだ。
俺もその姿を見て緊張してしまう。
この人は、恋をしている。
それが痛烈にわかってしまったんだ。
俺たちは、万代にあるスターバックスに入り、そこでコーヒーを飲んだ。
話す内容は学校の話とか、将来の話とか。
佐伯さんは、栄養士になりたいらしく、大学はその勉強がしたいと俺に教えてくれた。
「榊原君は、将来なりたいものってあります?」
と、佐伯さんが尋ねてくる。
将来の夢か……。
さて、なんだろう??
前も考えた。
あれは確か、美沙が僧侶を目指していると知った時だ。
美沙は僧侶を目指している。
まだ、高校生なのに、しっかり自分の行く末を考えているのだ。
なら、俺は何だろう?
俺は何になりたいんだろう??
「俺、夢とかわかんないんだ。何をするべきなのか。っていうかね、何があっているのかさえわからない。だから、ゴメン。よくわかんない」
「いえ、謝らないでください。でも、いつかきっと夢が見つかりますよ」
「うん。だといいけど。でも、佐伯さんはどうして栄養士に?」
「ほら、食べるのって資本じゃないですか? 食事がおろそかになると、健康にもよくないし、だから、栄養について勉強したいなって思ったんです。それに、お料理とかも好きだし」
「そっか、だからあんなにお弁当とか上手だったんだね。すごいなぁ、夢があるって何か羨ましいよ」
「叶うかわかりませんけどね」
「大丈夫だよ。佐伯さんなら、きっと栄養士になれるよ。まぁ、俺の勝手な意見だけど、何となくそんな気がするよ」
「ありがとうございます。そう言ってもらえると嬉しいです。あの、明日もお弁当作ってきますから、いいですよね?」
「うん、でも負担じゃないの? お金とか払った方がいいのなら……」
「そんな、私が勝手にやってるんです。それに、あたしがよく料理を作るんですけど、たくさん作りすぎるから、食べてもらう人がいた方がありがたいんです。だから食べてください」
「うん、ありがとう……、じゃあ頼もうかな」
「はい」
佐伯さんは笑顔になる。
その笑顔を見ると、俺の心がズキリと痛む。
とにかく心が痛い。
佐伯さんの気持ちは嬉しい。
俺にはもったいないほど。
本当なら、心の底から喜ぶべきなんだろう。
なのに、俺は嬉しくなれない。
イヤ、正確に言うと、嬉しいんだけど、心に何かが引っ掛かっている感じなのだ。
同時に、その引っ掛かりが徐々に大きくなっているような気がした。
その日、俺は佐伯さんと別れて家路に就いた。
金曜日――。
校内新聞が発行された。
今回から、俺は全く介入していない。
美沙一人でやったのだ。
そして、今日も親鸞聖人の言葉が掲載されている。
『明日ありと思ふ心のあだ桜、夜半に嵐の吹かぬものかは』
それが今日のお言葉だった。
その下に意味が載っている。
『今を盛りと咲き誇っている桜も、夜、嵐が吹けば、一瞬にして散ってしまう。やるべきことは、できる時にやってしまって、明日、桜を見に行こう、明日やろうという気持ちを、戒めている言葉でしょうね』
と書かれていた。
やはり、親鸞聖人は心に響く言葉を言っている。
やるべきことは今やる。
たぶん、それは正しい。
人はいつ死ぬかわからない。
今日健康でも、明日事故で死ぬかもしれないんだ。
なら、後悔しないように、できることをすべてやっておきたい。
でも……。
それが一番難しいよ。
それができれば、どれだけ救われるか。
俺は痛いほどわかった。
休み時間――。
俺は廊下でぼんやりとグラウンドを見つめていた。
何というか、最近思い悩むのだ。
その理由は何となくわかっている。
そう。美沙だ。
彼女が関係している。
俺は、彼女に拒絶されてしまった。
その理由もわかっている。
佐伯さんだ。
俺が、佐伯さんと一緒にいるから、美沙は俺から離れていってしまった。
それって結構寂しいというか、俺をうっくつとさせるんだよね。
廊下の向こうに、美沙の姿があった。
だが、一人ではない。
彼女には少なからず友達がいるようだったけれど、彼女と一緒にいたのは、女の子ではなかった。
美沙が一緒にいた男性。
それは、この高校の生徒会長、二階堂一馬さんだった。
なぜ?
どうして美沙が生徒会長と??
それは、何やら親しげに話している。
俺には見せない笑顔がそこあるような気がする。
なんでだよ?
俺を拒絶しておいて、ソッコー別の男に行くなんて。
やっぱりギャルだ。
ビッチだ。
あいつは軽い女なんだ……。
と、美沙を卑下してみる。
けど。
そんなことしても虚しいだけだ。
俺がじっと美沙を見ていると、彼女はその視線に気づいたようだった。
だけど無視。
プイと横を向いてしまったのである。
本当にイヤになるよ。
まったくね。
放課後――。
いつもなら、美沙と屋上に行き、そこで仏教の話をしていた。
でも今日は違う。
美沙は俺を迎えに来ない。
一人でスタスタと帰ってしまった。
俺が美沙を見送ると、その後に佐伯さんがやってきた。
「榊原君。一緒に帰りませんか?」
「一緒に? まぁいいけど……」
「よかった。そしたら、今日も万代に行って、お茶とかしましょう。ちょっと行ってみたいカフェがあるんです」
「うん。いいよ、行こうか」
俺はそう言うしかなかった。
何というか、救いを求めていたんだ。
佐伯さんと一緒にいれば、きっと美沙のことを気にせずにいられる。
そんな淡い期待があったんだよね。
だけどね、事はそんなに簡単じゃなった。
忘れるどころか、美沙が俺の心の中をどんどんと侵食していくのだ。
辛い。
切ない。
苦しい。
なんで人生ってこんなに辛いんだろう。
ホント辛いことばっかりだよね。
辛くて辛くて仕方ない。
学校を出て、俺と佐伯さんは万代へ向かう。
地方都市新潟。
その繁華街である万代は今日も混んでいる。
佐伯さんが行きたがっているカフェは、ファッションビルであるビルボードプレイスの中にあった。
なかなか洒落たお店であって、高校生の俺たちには少し早いような気がしたよ。
でも佐伯さんは行きたがっているんだから、ついて行ってあげよう。
佐伯さんはコーヒーとパンケーキのセットを頼んだ。
俺はそこまで空腹というわけじゃなったから、シンプルにアイスコーヒーのみを頼む。
佐伯さんは、パンケーキを小さく切ると、それをフォークに刺して、顔を真っ赤にさせた。
「あ、あの、榊原君、よかった一口食べませんか?」
「え? いいの?? でも悪いよ」
「一緒に食べたいんです。だからよかったら食べてください」
可愛い。
正直そう思ってしまった。
何というか、反応一つひとつが初々しいというか、清純なのだ。
この子は本当にいい子だ。
絶対に裏切っちゃダメだ。
何となくだけど、そんな風に感じたよ。
俺は少し遠慮したけれど、彼女がどうしてもというので、一口パンケーキをもらった。
それも自分でフォークを使って食べたわけではない。
恋人同士がするみたいに、「あーん」して、食べさせたもらったんだ。
「美味しいですか?」
ウルウルした佐伯さんの瞳が俺を見つめている。
正直、緊張によって味はよくわからなった。
「うん、美味いよ……」
と、俺はそれだけを言う。
なんだこれ……。
これじゃあまるで、恋人同士みたいじゃないか。
パンケーキを食べ終えると、佐伯さんが顔を赤くしてこっちを見ていた。
あぁ。そんな顔で見られると、俺も恥ずかしくなってくる。
「どうかした?」
「いえ、何か嬉しくて」
「嬉しい……、そう」
「私、ずっと夢だったんです。榊原君と、こんな風にしてカフェとか行くの。だからありがとうございます」
「いや、別にいいけどさ。俺、特に何もできるわけじゃないのに、そう言ってもらえると、何かありがたいっていうか」
「はい、あの、この間の話覚えていますか?」
「この間の話?」
色々話しているから、一体何なのかわからなかった。
すると、佐伯さんはもじもじとしながら告げたんだよね。
まったくさ、初々しい反応だよ。
「マリンピア日本海の話です」
「あぁ、水族館の……、確か今度行くって話だったよね?」
「はい、今週の日曜日とかどうですか?」
俺は部活もしてないし、基本的に日曜日は暇だ。
だから、一緒に行ってもいい。
だけどさ、本当にこのままでいいのかな?
俺はそれがよくわからない。
「行きましょう。行けば楽しいですから」
と、佐伯さんは勇気を振り絞ったように告げた。
ここまで言われると、断れなくなってしまう。
なら――。
「わかった。一緒に行こう。マリンピア日本海に」
「ホントですかぁ、うわぁ、ありがとうございますぅ。私すごい嬉しいです」
佐伯さんの笑顔は本当に天使のように見えた。
人懐っこい、犬のような顔。
ホントに可愛いよ。
それこそ、俺にはもったいないくらいだ。
俺は結局、佐伯さんとマリンピア日本海に行く約束をして、その日は別れたんだよね。