91.魔王は生まれない
6日目。
夕方になる前に、私は偵察に出た。
「今日は大変そうだな……」
飛竜の──フェアンヴェーの背から森を見下ろす。
私はなぜか、飛竜の長の名を知っていた。
本当になぜだろう。ここ最近の記憶がどうもあやふやなのだ。なぜ長の名を知っているのか、なぜノアは魔力の量が減って、シュタインにはあるのか。
そうなったのは知っているのだが、なぜそうなったかが分からない。
フェアンヴェーなら教えてくれそうだけど、私は飛竜の言葉は分からない。落ち着いたら竜師の勉強でもしてみようかなあ。
ギャッギャッとけたたましい鳴き声が耳に飛び込む。見れば炎を纏った鳥が、凍った大木に炎を吐いていた。
木だと思ったそれは、ぐねぐねと動き、大蛇の顔を出す。そして鳥を炎ごと飲み込んだ。
「あんなのが来るのか……」
いつもは森の奥に潜んでいる危険な魔物が、ついに城の近くに来ている。まだアーベントレーテ=バオムの時間ではないが、怯える小物が押し出されるように、城の近くに移動してきている。
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まもなく、日が暮れる。
「総員、配置につきました」
東の森に接する裏門。広くないその場所で、シュタインは報告に頷いている。
私はフェアンヴェーとともに、五騎の飛竜と騎士を従え、その様子を見ていた。
ゆっくりと、空の色が変わる。
シュタインはぐるりと部下を見回す。そこには王宮騎士団第七師団を中心とした、魔法が使えない兵士が集められている。
緊張が支配する場に向けて、シュタインは明るく笑った。
「さっさと終わらせよう──俺の地元の酒は美味いぞ」
そして森に続く門を指す。
「開門!」
シュタインは馬に跨り、先頭を駆ける。門の先の森の道は狂った動きの魔虫や、小物の魔物が蠢き、地面が見えないほどだった。
俺が使うなら、これしかないだろう──そう言って、この数日で身につけたたった一つの魔術。シュタインはそれを、森に向かって展開する。
「アンチマジック!」
シュタインの身体から光がほとばしる。それは的確に魔物たちだけを打ち抜いた。
アーベントレーテの魔術が解ける。
魔物たちの動きが変わる。なぜ城を目指していたかわからなくなったのだろう。戸惑い、逃げ帰ろうと暴れ、ぴいぴい、ぎゃあぎゃあと喧しい。
一部、興奮のままに城に突撃した魔物もいたが、張りなおした結界に阻まれ、おろおろしているようだった。
「よし、細かいのはこれで大丈夫だ。このまま突っ込むぞ」
ばちばちと電気を纏った子供ほどの大きさのネズミの群れ、気がくるって跳ねる角があるウサギたち。不気味なオオカミのような遠吠え、木の上を飛び回る巨大な猿。
人間など恐れていない魔物たちは、小物のように逃げ帰りはしない。向かってくる騎士たちに牙を剥く。
私も戦いに参加したいが別の役割がある。聖冠騎士の代行だ。
「飛竜隊、いくぞ」
城から離れたところで、封印された箱を出した。持ってきてもらった本物の聖冠騎士のサークレットだ。
「おっと」
箱を開けると途端に鞍の魔法が解けて風に煽られるが、それはフェアンヴェーがうまくバランスを取ってくれた。
広範囲のアンチマジック。これで飛び回り、まだ奥にいるやつらの解呪をするのだ。
何とか髪に括り付け、森の奥へ。岩陰に巨大なカタツムリの殻が見えた。そばに寄ると、動きが止まり、ゆるゆると向きを変え始めた。このあたりが一番後ろだろう。
しばらくそれを続けていると、城の側の湖から、巨大な噴水のように水が上がった。
そして他の、森に点在する湖からも次々と水が噴き上がる。
ノアとヴィンツェルとその師匠が、水の精霊と共闘しているのだ。精霊の力を借りた大魔術である。森全体から、アーベントレーテの呪いを押し流すと言っていた。
気になるが、アンチマジックがかかってはまずい。湖には近づかないようにしないと。
城の方からは。ヒャアアアアという情けない声が上がっている。
囮に使われたアデルハルトが、城の物見の塔の先端に括り付けられているのだ。それに向かってきた鳥や虫は、ジークお兄様率いる魔法騎士達に狙い撃ちされていた。
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「いや、素晴らしい。予定どおりの大勝利だ! さすが次期当主、私もこれで安心安心!」
「何言ってるんすか! 師団長は俺たちの師団長ですー、返しませんー」
ジークお兄様とゼノンがシュタインを取り合っている。口ではそう言いながらも、二人は気が合ったらしく、ビールジョッキを片手に肩を組んでいる。
無事に夜を切り抜けた。おそらく、明日の襲撃は無いだろう。魔術も解除したし、水の精霊の大魔術も成功したという。魔物たちは朝になるにつれ落ち着いて、森に帰っていった。
「今日はその話はいいだろう、勝ったんだ」
「師団長! 俺と兄貴、どっちを取るんですかー!」
「俺はリーゼを取る」
「あー!! もう隠す気もないっすかー! そんなにくっついてー!」
シュタインも嬉しそうに笑う。ゼノンに見せるようにまたくっついてきた。
──さっきから笑顔が近い。マントの下で腰を掴まれているのだ。次々に酒を注ぎに来る部下の相手をしている時も、当然のように引っ付いたままだ。
最初は、高揚感で私もあまり気にしていなかった。シュタイン凄いって思っていたから、主役とハグしたりとか、そんなに特別な事とも思っていなかったのだが。
少し私がそわそわしていたからだろうか、私の持つジョッキに、自分のをこつんとぶつけ、目が合うとニヘラっと目尻を下げる。
浮かれている様子に、離せとも言いずらい。
「リーゼがみんなを連れてきてくれたおかげだ、ありがとう」
「シュタインのためにみんな来てくれたんだよ」
「ああ、本当にありがたい。大きな被害もなく収まって、本当に良かった」
本当に嬉しそうで、私もつい許してしまう。
「いやいや、良くないよー」
そこにヴィンツェルがやってきて口を挟んだ。
「リーゼが真っ青な顔で救援要請に来たんだよ、これは国の危機だって、大騒ぎだったんだから。こんな大事にしてあっさり収まっちゃったら文句言うやつ絶対いるんだって。兵団総帥とか」
「兵団総帥って、ヴィンツェルの父上だろ、何とかしてよ」
「むーりーだよ。あの人、なんとかシュタインの足を引っ張ろうとしてるんだから」
たはは、と、頭に手をやるヴィンツェル。
「今回だって、東の森の魔王から、僕が愛しのリーゼロッテ嬢を救い出すみたいな話になってんの」
「何でそうなるんだよ」
私が苦笑すると、ヴィンツェルは本音の見えない顔で目を細めた。
「ダメかなあ、僕、そうしないと父上にすごい怒られるんだけど」
「駄目だな」
シュタインはジョッキを置くと私の後ろから手を回す。のしっと肩に顔を乗せた。酔っているのか、熱い。
まあ、酒宴の席だ、このくらい誰も気にしないだろう。シュタインの頭を撫でて、酔っ払いがすみませんね、と、私は笑う。
それを見てヴィンツェルは、意外そうに目を丸くした。
私の肩から、シュタインの声がする。
「そんなことをしたら、俺は魔王になって、世界を滅ぼすぞ」
そう言ったシュタインの声が、眠そうで、甘ったれていて、力強くて、そして妙に本気っぽくて──私はシュタインに寄りかかって笑った。




