88.始まり
渋るリーゼロッテを何とか説得し、飛竜に乗せた。
リーゼロッテはノアもつれていくと言ったが、ノアはこちらにとどまってもらった。
そして湖のほとり、ノアと二人でリーゼロッテを見送る。
「……死ぬなよ、一人も」
「ああ」
「ノアが傷つくようなことがあったら許さないぞ」
「ああ」
「大丈夫、おれ、にいちゃんのてつだいするから」
「ノア、無理しないで。城の奥にいるんだよ」
「大丈夫だよ」
名残惜しそうに振り返るリーゼロッテを乗せて、飛竜は夕陽の中を飛び立った。
それを見送って、シュタイナーは、深いため息をついた。
寂寥感で胸がいっぱいになる。
張り裂けそうだ。──でも、これでいい。少し自分から離さないと、何をするかわからない。
何故リーゼロッテはあんなに冷静だったのだろうか。シナリオの事を知っても、別人と割り切っていた。シュタイナーはそうではなかった。ふとした瞬間に、自由なリーゼロッテが自分から逃げてしまうのではないかと、焦燥感に襲われるのだ。
……知っていた。刺せば良い。そうすれば手に入る。魂も、未来も、彼女の全てが自分の一部になることを。
それは後悔しているはずなのに、そうなっていないことに焦るのだ。
このままでは、彼女の自由を奪うどころではない。ならなくていいと言われた魔王になってしまいそうだった。
リーゼロッテが見えなくなって、腹に穴が開いたような気分だった。だが、少しホッとした。
リーゼは戻ってくるだろう。それまでに幾日かあれば冷静になれるかもしれない。それに、今はそれどころではないのだ。
自分を乱すものは、少ない方が良い。
「ノア、手伝ってほしい」
大きな緑の目がきょろりとこちらを見る。以前より落ち着いた色の目は、少し不安そうだ。もう、大した魔力もないから、魔術はほとんど使えないだろうが……
「おれは何をするの?」
手招きすると素直に側に寄ってくる。シュタイナーはノアの肩に手を置くと、魔力を送った。
「うわ、なんか汗くさい」
「……」
ノアの感想に少々傷つくが、そんなことは言っていられない。
ノアが持てるだけの魔力を渡す。ノアの目が以前のような不思議な輝きを放った。
「なにこれ? 今なら何でもできそう……なんか道場の匂いするけど」
「魔力だ」
「えー?」
自分の手を見て、ぱちくりと瞬く。
するとノアの手のなかに、水晶玉の様な淡い光の玉が浮かんだ。その中を小さな炎が走り、それを水が掻き消し蒸気となる。最後に、パチリと雷が爆ぜて消えた。
「本当だー」
試しにやってみたにしては複雑な魔術だった。減った分の魔力を足してやりながら、シュタイナーは内心舌を巻いた。
「ノアはどうやって魔法を使っている?」
「え? こういうことがしたいなー、と思うと、それができる絵がふわっと浮かぶじゃん? それに魔力を通せばいいんだよね」
「……そうか」
やはりそうだ。ノアの魔法の才能は魔王の種だったからではない。魔王の種は魔力の量だけで、ノアはノアだから、あそこまでの魔術が使えたのだ。
「こういう魔法を使うにはどうしたらいいと思う?」
シュタイナーは記憶にある大魔術をノアに説明する。ノアはふんふんと真剣に聞くと、きらりと目を輝かせた。
「うーん、やり方はわかるけど、水みたいに魔力を流し続けることになるよね。できる人いるかなあ。人でなくて、精霊とかならできるかなあ」
「……さすがノアだ」
「うん、え? このくらい、ちょっと考えればわかるよね?」
ぱちぱちと目を瞬かせるノアの髪をかき混ぜて、シュタイナーは苦笑した。
シナリオの自分は、それを思いつくのに14日かかったのだ。
「よし、付き合ってくれ。研究室でお勉強だ」
何とか最終魔法はノアに構築してもらおう。秀才は勉強をしていないのだ。天才のほうが、可能性は高いだろう。
アーベントレーテ=バオムの魔術は、夕方から一番星が出る時間まで。
3日は、結界を超えられない小物しか来ない。4日目から迎撃が必要となり、7日目には森の深奥の魔物が群れを成して襲い来る。問題はそこからだ。
それまではジークハルトの作った魔法陣と魔法兵団でなんとかなる。
今の時点で仲間はジークハルトとノアしかいない。兵団を纏めるには、出来損ないの汚名を返上しなければ。
そう考えながらノアと城へ急ぐ。
「あっ!!」
城の正門から、馬車が一台出るのが見えた。
クラウゼヴィッツ家の紋章がついた、立派なものだ。父が近隣に救援を求めに行くと言っていた。あれか。
「ノア! あの馬車を止めろ!」
シュタイナーの指示に、ノアがビシッと指を差す。すると車輪の車軸が一本ずれ、馬車は、がったん! と、派手に揺れて止まった。
「うわー!!」
「何がおきた!?」
混乱する父達を見て、胸を撫で下ろす。
アレが、被害を拡大したのだ。魔物たちは城の主人を追い、父が隠れた村や町を襲ったのだ。
これで村への被害は減るだろう。
「父上も閉じ込めておくか……」
ジークハルトに相談しよう。とにかくクラウゼヴィッツの家族は全員、城から出てはいけない。
そうすれば、魔物は城に向かう。迎撃もやりやすい。
よし、こうやって少しずつ、変えてゆこう。
──大丈夫、今度は14日もいらない。7日で止めてやる。




