9.淑女の寝室
「ありがとう、ここまでで」
部屋の前で帰そうとしたが、シュタインは当然のようにドアを開けた。
「いや、放っておけない」
そのまま私を気遣うようなそぶりで、部屋の中まで押し入るように入ってきた。
「おい、シュタイン」
「いいだろう、婚約者なんだ」
「……そうだけど」
やっと離してくれたが、出ていく様子はない。
シュタインはドアの前に立ち塞がり腕を組む。値踏みするような目で見られて、私は何やら閉じ込められたような気分になった。
「俺の言う事を聞くんだろ?」
「……」
シュタインらしくもなく、高圧的に言い放つ。
なんでそんなことを言うのだろう。それを言われると「そうだね」としか返しようがない。
何だか居心地が悪く、シュタインの顔が見られず俯いた。かと言って無視してくつろぐ事もできない。私らしくもなくどうしたら良いかわからず、もじもじと自分の腕を掴んだ。
シュタインもただそのまま、私を見ているようだった。気まずい、重苦しい沈黙が部屋を満たす。
不意に、その沈黙を破ってシュタインが明るい声を出した。
「あ、そうだ、リーゼ、なあ見てくれ」
顔をあげると、手を頭の後ろで組んで、突っ立ってニヤニヤしている。
隙だらけだ。こうしてわざと隙を作って見せるのは、2人の間の「遊ぼうぜ」、と言うサインだ。
癖で、攻め方を何通りか思い浮かべる。あの手の位置では、私が足にとりつく方が早いだろうが、つき倒せるだろうか。しかし、今はそんな気分ではない。
「これでも足りないか?」
黙って見ていたら、片足をあげて目を閉じる。滑稽なポーズでケンケンと片足でその場で飛び跳ねて見せた。
昔なら、こんなことをされたら我慢できなかっただろう。飛びついて、転ばせて、大笑いして……
でも、そうされても、今は到底やる気も起きなかった。
「……挑発しているつもりか? もうやらないって言ったろ」
そう言うと、シュタインは少し困った顔をする。
「じゃあ、これでどうだ!?」
と、今度は素早く私の腕を取って引っ張った。
淑女にやる事ではないが、これまでじゃれてよくやった遊びだった。いきなりバランスを崩されて、ぐらりと体がかしぐ。
こちらも腕を掴んで、引っ張られる勢いを利用してぐるりと回り、その勢いで首に足をかけて……
と、頭では思ったが、身体が動かない。やろうと思えなかった。
そのまま体はシュタインの胸に倒れこむ。シュタインは慌てて抱きしめるように支えた。
厚い胸板に私の身体がすっぽりと収まる。体温が高く、暖かいを通り越して熱い。どくどくと鼓動が聞こえる。
そのまま胸に縋るような格好で大人しくしていたら、シュタインの喉がごくりと鳴った。
「リーゼ……」
掠れた声で囁かれ顔を上げると、シュタインは困ったような戸惑ったような顔をしている。それなのに目はぎらぎらしていて、うす暗い室内の灯りを映してゆれていた。
なにか、少し空気が変わった気がした。
「はは、びっくりするだろ、いきなりなんだ」
乾いた笑いで誤魔化して腕から出ようとするが、この男、力が強い。背に回る腕が鉄の棒のように全く動かない。
居心地悪く、腕の中でもぞもぞする私に、シュタインは消え入りそうな声で言った。
「リーゼは、……本当に、それでいいのか?」
……しつこい。
もういい加減にしてもらいたい。
勝ちたかったんだろう? 勝ったんだから、それでいいじゃないか。
「私は負けたんだ、シュタインの好きにしろ」
自棄になってそうつぶやいた。
寝室で、婚約者の腕の中、好きにしろとは凄い淑女だな。
しかし、無理に腕の中から抜け出す気力も起きなくて目を閉じた。力を抜くと、こつんと額がシュタインの胸に当たる。
シュタインなら酷い事はしないだろう。まあ、負けたのだし、されても仕方がないとも思う。
「リーゼっ!!」
シュタインの鋭い声。怒っている声だ。そして乱暴にがしっと抱き上げられ、軽々と肩に担ぎあげられる。
だからそれは組手の要領だって。淑女を相手にするときはもっと優しく……
そんな風に思っていたら、ぽいっと、ベットの上に投げ出された。
柔らかいベッドが私の身体を受け止める。
深紅のドレスが白いシーツにひらりと広がる。顔を起こすと、自分の白い大きな胸が見えた。大きく襟ぐりの空いた胸元。まるで無力なお姫様のようだと他人事のように思った。
それにしても、これは紳士としては落第だ。婚約者をベッドに運ぶなら、もっと優しくやらなければならない。もっとそっと、怖がらせないようにやるべきだ。
大男に担ぎ上げられて放り出されて、普通だったら恐れおののくシーンだろう。
だが、私はシュタインに投げられるのは慣れている。固い土の上には何度も投げ出された。私も投げた。シュタインが私よりはるかに大きくなって持ち上がらなくなってからは、足で払って突き倒したり、背負い投げしたりしてやった。打ち身に擦り傷だらけで笑いあったものだ。
同じように投げられても、ここは淑女の寝台だ。土の上と違って柔らかく、まったく痛くない。
その差に、心がぎしっと音を立てたような気がした。
ベッドに横たわる私に、シュタインが覆いかぶさってくる。
いくつもの勲章が付いた重そうな上着のままだ。ああ、私もそれを着たかったな。
真っすぐな鷹のような目だが、剣を合わせたときの目と少し違う。何かを欲しているような目だった。
その目を見て、ふと、シュタインも男なんだと思った。聖冠騎士という地位、家の名前も爵位も欲しいなら、やはり女もほしいのだろう。幸い私は美女のうちに入るようだ。少々大きいが、シュタインには丁度いいサイズだろう。
シュタインが、それが欲しいなら。……持っていけばいい。勝ったら言うことをきく。これはまったく、それらしいじゃないか。
大人しく目を閉じる。真っすぐで強い目を見つめ返すのは、今の私には荷が重かった。