83.アーベントレーテ=バオム
それは、この地方のお伽話の一つなのだそうだ。
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むかしむかし、ひがしの森に、おそろしい木がありました。
名前はアーベントレーテ=バオムといいました。
夕ぐれになると目をさまし、森にまよいこんだこどものたましいを、枝でからめとって、ぬいてしまいました。
そうしてそのこどもたちは、森のまものになったのです。
ある夜、みずうみが、こどもたちをかわいそうに思って夕ぐれのときをとめました。
木はくるってたおれ、夕やけいろの石になりました。
それから森には、しずかな夜がもどりました。
でも、その石はまだ見つかっていません。
もし みつけたら、こなごなに くだいてね。
そうしたら森のまものたちが、ともだちになってくれるから。
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「ふーん」
「ふーん、て」
有耶無耶になった結婚式は解散となった。シュタインの部屋に戻った私は、皆が顔色をなくした理由を教えてもらったのだ。
シュタインは反応の薄い私に溜息をつく。この地方の子供は「悪さをするとアーベントレーテに連れていかれるよ」と言われて育つそうで、みんな特別な恐れがあるようだ。
「……あの魔石は確かに夕焼け色だった。あれが本物で、アーベントレーテ=バオムの魔術が発動すれば、あの森の魔物を操ることができる。アデル兄様が命じたのは、この城を落とすことだ。つまり、東の森の魔物がこの城に襲い掛かってくる、という事だ」
「そんな危険なものがあるなら、もっと厳重に管理しておけよ」
「あれはお伽話で、伝説の類いだ。この森のどこかにあると言われている幻の魔石。探している冒険者も多いが、見つかったと聞いた事はない。まさかアデル兄様が持っていたとは」
「おそらく手に入れたのは昨日だ」
シュタインが唸ると、ジークハルトがこたえる。ジークハルトは気づくとそこにいた。……貴族の長男のくせに、従者力が高すぎる。
昨日とは打って変わってさっぱりした表情のジークお兄様(そう呼べと言われた)は、いそいそと人数分のお茶を入れている。……飲むのはまだ少し怖いな……。
そう思ったら、ちらりと私にポットの蓋の裏を見せてきた。ただの白い磁器に、悔しいがほっとする。
「アデルは昨日、後継の候補が私になったと知って、森に逃げたんだ。捕まえた時、赤い実を食べていたと聞いた。腹が減って果実でも食べていたのだろうと思ったけれど、見つけた魔石をとっさに飲み込んで隠したのだろうね」
そう言いながら、手際よく三人分のお茶を並べて、自分もソファに腰掛けた。すっかり仲間の顔をしている。
なるほどなあ。ジークお兄様の説明を聞いて、私は心の中で一人納得する。
──”魔物の大群を退けた英雄、シュタイナー・クラウゼヴィッツ”
シナリオでは、これは数年前に起こっていた事だ。もうないのかと思っていたが……きっかけはアデルハルトが後継ぎから外される事だったんだな……
そして、この事件で、……この家はシュタインを残して全滅するのだ。
重責から逃れられてご機嫌な、ジークお兄様も。
私がつい見ていたら、フフ、と、控えめに微笑む。
「リーゼ、私に未練がある? 君がシュタインを選んだんだよ」
すっきりしたジークお兄様は、人が変わったように優しくなった。気がつけば愛称で呼ばれ、一気に距離を縮められている。
今まではアデルハルトの補佐を自分の役割としていたのを、補佐の対象をシュタインに変えたようだ。アデルハルトの後ろにいた時はもっと冷たい感じがしたが……主に合わせているのだろうか。そうならば、ものすごい特技だと思う。
そんなジークお兄様も死んでしまうのだ。おそらく、フリッツも、ウーベも。
……そういう意味では……
「未練はありますね……」
「え!?」
シュタインが反射的に私を見る。
「この家がなくなるのは、嫌だな……」
「あ、ああ。そうだな」
シュタインは誤魔化すように鼻の頭をかいた。そしてきりっと顔を引き締める。
「そうだな。このまま魔物に蹂躙されるわけにもいかん」
これから起こることが分かっているなら、被害は最小限に抑えたい。
ここに滞在し、すでに二週間ほど経つ。顔を覚えた使用人や兵士もいる。放ってはおけない。アデルハルトだって、自業自得だと切り捨てたくはない。きちんと自分がしたことに向き合い、償うべきだ。
私が知っているのは、東の森の魔物の大群が、この城を襲撃すること。魔王の種が知っているのは、魔力を得たシュタイナーが、強力な魔術を用いてそれを撃退したことだ。
クラウゼヴィッツ家の魔法兵団はどうしたのだろう。よくよく頭の中を探ってみると、リーゼロッテはシュタイナーから、「ほとんどの兵士を死なせてしまった」という後悔を聞いていたようだった。つまり、魔法兵団も戦ったという事だろう。指揮命令系統がどのようになっていたかまではわからない。……うまく、切り抜けたい。
「ジークお兄様、まずはこの家の兵団の規模、構成を教えてもらえますか」
「わかった。資料を取ってくる」
「シュタイン、撃退の方法を考えよう」
私が言うと、シュタインは目を光らせ頷いた。騎士団の師団長の目だった。
「ああ。それから、どのくらいで攻撃が始まるのかも調べなければ」
「そうだな。飛竜に頼んで上から見れば……」
そうして作戦会議は始まった。
だが一つ、私の胸に秘めた事がある。
撃退した”シナリオのシュタイナー”は「魔王の種」を持っていて、強力な攻撃魔法を自在に扱えたのだ。それが無ければ、もっと悲惨なことになるかもしれない。
だからどこかで私の魔王の種を、……シュタインに渡さないといけない。
この無尽蔵の強さも、ここで終わりかと思うと少し残念だ。だが、私ではシナリオのシュタイナーのように、強い魔術は使えない。
大群ではなく、一頭ずつ出てきてくれればなあ、と無駄なことを思って息を吐いた。




