82.アデルハルトの暴走
シュタインはロングソードを抜き、私は邪魔なドレスを脱ぎ捨てる。長い豪奢なレースのマントを腰で縛るようなデザインだったので、腰ひもをほどいただけですぐに脱げた。中にはフリッツに持ってこさせた女性用の兵士の服。初めて着る服なのに、本当の自分に戻った気がした。
アデルハルトは大きく腕を振る。魔術を発動させる気配を感じて、私は咄嗟に書士の机を投げつけた。
「バカにするな! バカにするなぁ!」
よほどバカにしてほしくないらしい。馬鹿の一つ覚えのように同じ言葉を叫ぶ。
その言葉に反応するように、重い木の机は木っ端微塵に砕け散った。
しかし、魔術を構築する余裕はなかったようだ。あれは魔術ではない。ただ魔力の塊をぶつけただけだ。
「書士殿、父上の後ろへ!」
「ひ、ヒイ!」
巻き込まれた書士を、シュタイナーはクラウゼヴィッツ卿の後ろに押し出した。書士は転がるように障壁の後ろへ避難する。
私たちは同時にアデルハルトに襲いかかる。魔術を発動されると厄介だ。術の構築をさせずに仕留めたい。しかし、
「バカにするなあああ!!!」
先ほどと同じ魔力の塊が、衝撃派のように襲いかかる。私たちはその衝撃派をいなし、乗り越えるようにして、ぐるりとアデルハルトの後ろに降りた。
衝撃波は誰もいない正面に飛んでいき、ステンドグラスを粉々にする。
ガシャーン、と、繊細な音が響く。同時に上がった悲鳴は、書士のものだけだった。
その隙に私たちは入口へ走る。外の人たちを避難させなければ。
「城へ! 急げ!」
そう叫び飛び出すと、すでに外の兵士達が来賓を避難させていた。良かった、これで懸念はない。
飛竜は少し離れたところから見ていた。目が合うと、頑張れーというように、少しだけ翼を振ってくれた。
そんな中、こちらにドスドスと走ってくる男が一人。
「リーゼ様! ホントにこれですか!?」
「ウーベ! ありがとう。お前も城を守ってくれ」
巨漢のウーベが重そうにハルバードを持っている。持ってこいと命じた時は驚いた顔をしていたが、それを受け取ってくるりと回すと、さらに驚いて目を丸くした。
そんなウーベに労うように笑いかけると、シュタインが面白くなさそうに口を出す。
「もう、女主人のようではないか」
「昨日寝室でちょっとね」
「え、寝室? え?」
「二人ほど骨抜きにしてやった」
「……リーゼ、冗談でもそう言うことを俺に言わないでくれ!」
「大丈夫、本命はお前だから」
「そ、そう言うことは、改めて二人の時に……」
ごにょごにょと赤くなるシュタインに満足する。
我ながら暴走する魔術師を前に、緊張感のないやり取りだと思う。しかし、人を巻き込む心配がなければ、あの程度、我らの敵では無い。
「ほらほら、小兄様が出てきたよ」
「この、出来損ないがっ!! 逃げるなあああっ!!」
アデルハルトはこちらに近づきながら腕を振り、魔術を構築している。チリリと炎が当たりを舞った。
「おらああ!!!」
悪鬼のようなアデルハルトは、業火を鎖のように振り回し、シュタインに叩きつける。
それを難なく避けて、シュタインはアデルハルトの懐に飛び込むと、鳩尾に剣の束を打ち込んだ。
「がふっ」
あっという間だった。
それだけで、アデルハルトは口から涎を、鼻から鼻水を吹き出して倒れた。
……私の出番は全くなかったのである。なんだ。せっかく武器を持ってきてもらったのに。
「……アデル兄様はせっかくこんなに才能があるのに、何故それを活かさないのだろう」
シュタインはうずくまるアデルハルトを見下ろしながら静かに言った。
「幼い頃から不思議だった。俺は、色々な魔法を見せてほしくて、役に立ちそうな本や理論を探してはお渡ししていた。……魔術師として鍛錬を積めば、俺に負けるようなことはなかったはずなのに」
その顔も静かで、怒りや恨みもない。
哀れみさえ感じられる眼差しで兄を見ていたシュタインは、ふと思いついたように目を瞬いた。
「ああそうか、……今から思うと、弟から説教されているように感じて、それが気に障ったのかもしれないな。才能が有るからこそ、必要のないプライドも有るのだろう。俺は何も無かったから、強くなれたのかもな」
「シュタインも負けず嫌いで、プライドは高い方だと思うけどなぁ」
「いや、俺が一番下だと思っていたから、素直に上を目指せたのだ」
「ふうん」
もし、アデルハルトのような魔力がシュタインにあったら、それこそどこまで強くなれるか試したのではないだろうか。だって、私だったらそうするから。
……なので私は、その答えは違うと思うけれど。しかしシュタインなりに納得したなら口を挟むことでもないだろう。
シュタインは気持ちを切り替えるように顔を上げた。
廟をみると、開きっぱなしの扉から、ジークハルトやクラウゼヴィッツ卿がこちらを伺っている。
「ジーク兄様、アデル兄様をお願いします。……内臓を強く穿ちました。処置を」
「わかった。……父上、虜囚の首輪を使って構いませんね」
「う、うむ。そうだな、いくらシュタイナーを憎んでいるとはいえ、このように暴走するのでは危険だからな」
神妙な顔をして言うクラウゼヴィッツ卿に、お前が暴走させたのだろうが、と思うが、決定的な証拠はない。私がたまたま、そう感じただけだと言われればおしまいだ。
虜囚の首輪は強力なアンチマジックが付与された、魔法使いの罪人用の首輪だ。……あるのなら、最初からつけていればよかったのに。
「とりあえず、地下牢に運んで……」
ジークハルトが魔法騎士達に指示を出し、アデルハルトは腕を掴まれて引きずられるように立たされる。
その衝撃で気がついたのだろうか。
「ゲホッ、ゲホッ、ガハッ、グ、ガア……」
アデルハルトは身体を揺らして咳き込み始めた。騎士達は警戒するが、身を捩り苦しそうに咳き込む様子からは、抵抗する気配は感じられない。
「がふっ」
──カラン
アデルハルトの喉から、何か硬いものが落ちた。敷石に当たり、軽い音を立てる。
「何だ?」
それは、オレンジ色に輝く、宝石のように見えた。
しかし、光り方が不思議だ。そこに夕焼けの空があるような……どうやら上等な魔石のようだ。
「……私の魔力を全てくれてやる」
ぼそりと、抑揚のない声が、アデルハルトの口から溢れた。
そのつぶやきは消して大きく無かったが、何故か耳元でつぶやかれたように聞こえた。
「だから、東の森の全ての魔物の長、アーベントレーテ=バオムの力を持って……」
アデルハルトは、暗い目を細く開けて、夕焼けのような色の石を踏み潰す。
「この城を、落とせ」
ジャリ、と、足元から音がして──アデルハルトは再び気を失った。
魔法騎士に引き摺られていくアデルハルトを見送る。踏み潰された魔石は灰のように細かく、もう色はなかった。そしてそれは、微かな風に散らされて、空に消えた。
「何だったんだ?」
私の呟きに、クラウゼヴィッツ家の方々は誰も答えてくれなかった。
見るとシュタインも一緒に、全員がなんとも難しい顔をしている。巻き込まれた哀れな書士にいたっては、青ざめて震えている。
「ん?」
どうやら、わかっていないのは私だけのようだ。
……最終章が、長い!!
読んでいただいてありがとうございます。
よろしければブックマーク、評価、よろしくお願いいたします。




