78.前夜
前半リーゼロッテ、後半ジークハルトです。
小屋を出ると、飛竜の長は首を上げて迎えてくれた。
『飛竜の長、シュタインを連れてきてくださったのですね、ありがとうございます』
『なに、近くで見たかったからな。しかしお前と話ができるとは思わなかった! あの子供はどうしたんだ? 死んだのか?』
『いえ、元気ですよ。……もう“シナリオ”のことは覚えていないようです』
地下牢にいたノアは、どうも様子がおかしかった。自信なさげに見上げる目には魔力の輝きはなく、普通の少年のようだった。
そこでやっと私は、今までのノアの異常な才能の秘密に気が付いたのだ。
『魔王の種を譲ってくれたのです。私を助けるために』
『ふん、生意気で面白かったのにな』
『生意気は、あまり変わってないですよ』
ノアはそれでも、一生懸命、虚勢を張って私を守ろうとしてくれた。ちょこちょこと私の前を行こうとして邪魔ではあったが、その心が嬉しかった。
道場に戻ったらしっかりと剣を教えてやろうと思う。
『で? お前が魔王になるのか?』
『とんでもない! 魔王になるには愛するものを殺さなければならないんですよ。それにこれだけ魔力があれば十分です』
そう答えると、飛竜の長は少しつまらなそうに鼻を鳴らす。
少し悔しくなって、お腹の下に片手を入れて、ヒョイと持ち上げてやった。
飛竜の長は、驚いてのけぞり、ひっくり返りそうになったのをバサバサと慌てて羽ばたいて体勢を直す。
『何をする!』
『ははは、今ならあなたにも勝てそうだ』
『……お前もなかなか生意気だな。しかし、その力があればあの城を吹き飛ばすこともできるのではないか』
『ああ……それがですね』
魔王の種としては大変恥ずかしい話なのだが、どうしても魔術が使えない。
ノアも、シナリオのシュタインも、普通にできていたのに。どうやったら魔術を構築して発動できるのかどうしてもわからないのだ。才能の差なのだろうか。
広範囲の攻撃魔法でも使えれば何とでもなるだろうが、それができない。
魔力で肉体強化して殴るしか、私はできないのだ。
それを伝えると、飛竜の長はおかしそうにごうごうと笑った。
『魔術は機構を構築するアタマが必要だからな』
私は頭が悪いのだろうか……そんなつもりもなかったので少しショックだ。
『一対一なら、グレアグリズリーと腕相撲したって勝てる自信ありますけど』
『むくれるな、向き不向きの問題だ』
そう言われても。ノアはともかく、シュタインにも負けたようで面白くない。
『それで、どうする? あの男はお前を迎えに来ただけだ。このまま二人、乗せて帰ってやろうか?』
『いえ、ノアもマーサもいますし、クラウゼヴィッツ家をこのままにしておくのは』
『ヴィンツェルといったか、もう一人の方。アレが、なんとかすると言っていたぞ』
『……』
ヴィンツェルもこの状況を知っているのか。ならば何かしら手は打っていそうだけど。任せておいたら、物凄く恩を着せられる気がする。
よし。ならばやはり、王道が一番。
『飛竜の長、こう言うのはどうでしょう?』
思いつきを話すと、長は楽しそうに笑う。
++
1時間ほど仮眠をとったジークハルトは、寝不足の目元をぐりぐりと揉むと、冷えた布を額に当てて、上を向いた。
一、二、三、と数えて、布を取り起き上がる。
頭が痛いことばかりだ。
次期当主から外されたアデルハルトは、暴れて森に逃亡した。なんとか見つけて取り押さえたが、そのせいで主力の騎士達は夜通し山を駆ける羽目になった。
なぜ、皆、決まり以外の事をやりたがるのだろう。
ジークハルトはそれが理解できない。だが、当主である父には従うことになっているのだから、「リーゼロッテ嬢を我が家に引き入れろ」と言われれば、その通りにするしかない。
なぜこうなったか。シュタイナーが連れてきた女を、父とアデルハルトが気に入ってしまったからだ。
リーゼロッテは確かに美しく、魔力も豊かで、王宮騎士団との縁も深い。
平和になったこの地で、何も残さずに終わるのを恐れていた父にとって、彼女は成功への切符のように見えたのだろう。
それに、父には面白くなかったのだ。捨てたつもりの末の息子が、自分が欲しかったすべてのものを手に入れることが。
いまや『クラウゼヴィッツ』といえば、東の森の辺境伯ではなく、若き騎士団の英雄の名を指す。その男がリーゼロッテと結婚すれば、英雄アレクシスの後をついで、王国の政治の中枢に入り込むのだ。
権力と名声。平和な田舎の領主には、手に入れるチャンスもない。
(……くだらない)
伝統の決まり通り、魔力が最も強いアデルハルトが次期当主、それでいいではないか。けれど父は、アデルハルトを見限った。
もしリーゼロッテを手に入れても、アデルハルトでは何も任せられない。
(父の夢に振り回され……その結果が、これか)
大きなため息をついてふと外を見ると、薄紫色の空。優しい色が徹夜明けの目に痛い。
精霊書士はあと3時間くらいで来るだろう。それまでに式と披露宴の段取りと、準備に不足はないか確認して……ああ、自分の支度もしなければ。
中途半端に有能な男はもう一度ため息をつくと、鏡に向かってにっこり微笑んでみた。
目元に隈があるが、誰も気づかないだろう。