8.勝者の言い分
「おい、シュタイン、どういうことだ」
声をかけても無視されて、無言で馬車に引っ張り込まれた。
向かい合わせで座っているが、目も合わせない。どこか気まずそうな顔で目をそらしている。
「おい、どういうことだと聞いている」
「……師匠も奥様も許可してくれた」
「私は聞いていないが」
「エスコートする、とはそういう意味だ」
「いや、でも親族でもいいんだろう?」
ぎろ、と、睨まれてつい黙った。そういう意味とは、どういう意味だ。
「俺とのことは、か、考えておくと言ったじゃないか」
「それは、シュタインに似合う子がいないか考えておくつもりで」
「な、え!?」
ガタっと音を立てて、シュタインは目を丸くし、絶望したような顔をする。
「お、俺が、嫌なのか? 俺が一番強いんだぞ」
「いや、そう言う問題ではなくて」
逆玉を狙いたいのではないのか? うちでは子爵だが、公爵の後継ぎだって狙えるかもしれないのに。
「……あの場にいたの、公爵と伯爵令嬢だろう? シュタインのこと、気に入っていたみたいじゃないか。なぜそんなチャンスをふいにするんだ」
「……でも、リーゼに勝てない」
??
何だか話が噛み合わない。私はシュタインの未来を応援したいのだが。
「せっかく私に勝ったんだ、姉離れして、もっと上を目指したらどうだ」
そうだ。聖冠騎士だぞ。今、この国で最強という称号だ。私からそれを奪ったのだから、私などに構っていては意味がない。
そう思って諭すように言うが、言えば言うほどシュタインの目は暗くなる。
目つきも悪くなってどんよりと私を睨んだ。私もついにかける言葉がなくなり、口を閉じる。
暗い目のまま、シュタインはまたぎろりと私を睨んだ。
「……勝った方が偉いんだろ。勝ったらなんでも言うこと聞くって言った」
少し拗ねたような表情だが、覚悟を決めたような、戦うときのような鷹のように鋭い目だ。私はつい怯んでしまった。最近は犬のようだったから。
「覚えているか? 初めて勝負した時、そう決めたじゃないか。勝った方の言う事を聞くって」
「それは、覚えているが」
十年前、道場に連れてこられたシュタインはそれはそれは我儘で乱暴で、担当していた指南役は貴族の子だからと強く言えず、かなり困っていた。
それを見た父が、私と戦えと言ったのだ。その時の話だ。
「勝ったら俺の言うこと聞けよ!」
「望むところだ!」
声変わり前のカン高いシュタインの声。それに応える、強がっていた私の声を思い出す。
勿論、私がコテンパンにのした。私が勝ったのだから言う事を聞けと言ったら、大泣きに泣いて「次は勝つからまだ負けていない」と言い張る。そんなことをなんども繰り返して、勝ったり負けたりして、そんな約束は、とうに流されていた。
「だから、俺に負けたリーゼは、勝った俺の言う事を聞くんだ」
「シュタイン……」
なぜか駄々っ子のように、子供の頃の約束を言い出す。あの理屈では、負けを認めたら負けなのか?
「……俺に、負けたんだろう……? もう勝てないって言った」
しかし、なんでそんな顔をしているのか。
シュタインはなぜか悔しそうに、苦しげな顔をしている。目だけはギラギラしていて、私は目を逸らせない。
そんな顔で勝ちを宣言して私に手を差し出した。
紳士らしくもなく、乱暴に。私を見下すように。大きな手を広げて突き出した。
しかし、確かにそうだ。私は負けて、もうシュタインに勝てない。
自分の手を見る。まだ普通の令嬢よりはよほど硬いが、三か月でずいぶん柔らかく白くなった。
差し出されたシュタインの手を見る。大きなごつごつした力強い手。戦う男の手だった。
「……そうだな」
そういう以外に何があるだろう。
「私は負けたんだ。言う事を聞くよ」
そう言ってシュタインの手にそっと自分の手を乗せた。
ぎらりと鋭い目が一瞬、再度私を射抜いた。しかしすぐに目を伏せる。
シュタインの手は少し震えたが、すぐに大事なものを捕まえたように私の手を両手で包み込み、自分に言い聞かせるようにつぶやく。
「……俺が勝ったんだから……だから、リーゼは……俺のものだ」
そうして、私の手に唇を押しあてた。
なんだか恋人同士のような仕草だったが、笑う気も起きない。私は改めて目の前のシュタインを見る。
りりしい顔立ちにしっかりした体躯。詰襟の軍服に勲章が並んでいる。自分の力で掴んだ地位と名誉。それを当然の様に受け止めている自信のある姿。
何でこんな、最上級の男が、私なんかにかまっているんだろう。
でも淑女としては、きっとこういう時は、微笑んで、男に身を任せるものなのだろう。
そう思って、私はそれらしい表情を作った。
「貴方が望むなら」
精一杯微笑んでそう答えた。なのにシュタインはまるで負けた時のように苦しそうな顔をしている。
勝って、望み通りになったというのに。……なぜだ。
++
「師匠、奥様、改めましてお願いに上がりました」
シュタインは私を送り届け、そのまま家に上がり込んだ。そして父と母に真っ直ぐ向かって迷いのない声で言う。まるで上官に報告しているようだ。
「先ほど、リーゼロッテ嬢から承諾のお返事をいただきました。どうか、……婚約を認めていただきたく」
俺のものだ、とはそういう事なのか?
まあ、私は別にいい。何でも言うことを聞くという話だった。シュタインは色々縁談も振られて、今は混乱しているのかもしれない。抗議の声を上げるのも億劫だ。
しかし言葉の内容とは裏腹に、どうも雰囲気が暗い。
多大な犠牲を出しながらもなんとか勝った、とでもいうような、微妙な戦勝を報告をしているような雰囲気だった。
私は自分の婚約の話が進んでいるのを、どこか夢を見ているような心地で聞いていた。……こんな話なのに、悪夢を見ているような気がする。
夢なら早く覚めてくれ。どうも現実味がない。
「おお!!そうか!!」
真っ先に歓声を上げたのは父だ。嬉しそうに立ち上がって、シュタインの肩を叩く。
「よかった、それはよかった!」
「ええ、ほっとしました」
母は静かにほほ笑んだ。そして満足げに私に目配せをする。
「リーゼも身近な幸せに、やっと気づいたのかしら」
幸せ……?
これは幸せなのか?
そうか、考えてみれば我が家にとってシュタインは最高の縁談相手だ。
伝説の剣聖の後を継げるのなんて、聖冠騎士でもなければ無理だろう。私と結婚し、シュタインが家と道場を継ぐ。確かに最高の流れだ。シュタインも爵位こそ実家に劣るが、剣聖の興した子爵家と言う事なら、騎士としては爵位以上の価値があるのかもしれない。
ふと、ああ、私は剣を握らなくても十分役に立てたのだなと思った。
もし最初から、私が騎士でなくても。こうして父のお気に入りの弟子と結婚して、家を継ぐ。我が家の娘として求められていたこととは、そういうことだったのだろう。
……今までの努力は何だったんだろうか。虚しい気持ちになって、身体がふらついた。
「リーゼ」
「ああ、大丈夫だから」
シュタインに腰をがっちり押さえられていたから倒れることは無かった。しかしどうも目の前が暗い。
「慣れない場所に行ったので疲れてしまいました。部屋で休ませていただきます」
やたらとくっついてくるシュタインを離そうとするが、この男、力が強いのでびくともしない。
「私が部屋まで連れていきましょう」
平然とシュタインはそう言った。いやいや、いくら姉弟のような仲とはいえ、さすがに未婚の娘の部屋だぞ……母はそういうの厳しいのだ。
と、思ったら。
「まあ、ではお願いね、シュタイナー」
どこか嬉しそうな声で母は言う。……まさかの許可が下りた。
……淑女とは……? 私の認識がおかしいのだろうか?
戸惑っていると、シュタインにぐっと強く身体を引き寄せられた。心なしかシュタインの体温が上がったような気がする。
そしてこのまま離してくれそうもない。
シュタインは私を支えて部屋まで付き添った。
小さい頃は何度か私の部屋で遊んだ事もある。カードゲームで大人しくしていることもあったが、遊んで、暴れて、何か壊しては、母にしこたま怒られた。
だが、私たちはもう子供ではない。
なんというか……この状況は、まるで普通の男女のようではないか?
さすがに私でもわかるぞ。屈強な男であるシュタインと、少々弱っている淑女である私。
この状況で部屋に二人きりになるのは……少し、
その、なんというか。
……困る。