76.空腹
さて困った。
食事が足りない。全く、足りない。
ご用意いただいた上品な食事。隠し味に多量の眠り薬が入っていたが、私の身体はそれも含めて美味しく吸収し、血肉に変える。
ソースの一滴まで残さず食べたが、全く足りない。
これまで身体の動きをほぼ魔法で行っていたから、生命活動までも最低限に抑えていたようなのだ。
だから空腹感を感じず、あまり食べていなかった。小食と思われているのだろうか。……少ない。少なすぎる……
「どうしよう……」
お代わりを所望するか……? いや、でも、今私は、悲劇のヒロインなわけだろう?
恋人と別れさせられ、意に添わぬ結婚を強要されている……元気な様子を見せたら、何か企んでいると警戒されるよな……
いや、そもそももう倒れてないとおかしい薬の量だったし
「うーん」
目を閉じて感覚を研ぎ澄ます。こうすると、人の思いの気持ちのような、欲望というようなものが見えるのだ。だから、どのあたりに人がいるかがなんとなくわかる。
城の、下の方に二つ、欲望、というには清いものを感じる。一つはノアだと思う。守りたい、強くなりたいと願う気持ち。近くにある、正しくあって欲しいという思いはマーサだろうか。二人は地下牢にいるのだろうか。
ドアの外に意識を凝らす。見張りは二人。
とは言え、私の敵ではない。ここで騒がれても面倒だ。
そこで私はシナリオの私を思い出す。その美貌と態度で騎士団を手玉に取った、リーゼロッテ。
……よし。
それも私だ、やってできないことはないだろ。
++
扉の外。
フリッツとウーベは、だらりと扉に寄りかかっていた。二人は、次期当主の婚約者の見張りを命じられたクラウゼヴィッツ家の兵士である。ウーベはポケットに忍ばせた小さい酒瓶を先ほどからちびちびと舐めているが、フリッツはそれを一緒に楽しむ勇気も、止めるほどの勇気もない。
王宮兵団より強いとまで言われたクラウゼヴィッツ家の魔法兵団だが、下っ端組織はこのような有様である。それも仕方がない。ここ数十年、凶悪な魔物は森から出てきていない。以前は生活の為にも討伐しなければならなかったが、その緊張感はすでにないのだ。
兼業の兵士は、差し迫った脅威がなければ訓練にも身は入らない。
フリッツもウーベも、今日たまたま当直だった団員のうち、比較的強かったから命じられただけ。騎士のような高潔な精神は持ち合わせていなかった。
「なあ、見たか?」
ウーベが鼻の下を伸ばして胸の形をジェスチャーで示す。
「王都の女ってのはすげえなぁ。連れてきたのはあの三男だろ? 俺も行きてえな」
「バカ言うな、あの出来損ないだって一応貴族様だ。俺たちとは違えよ」
そう言いながらも、先ほどチラリと見えた女を思い出す。いい女だった。
廊下に響かないようにコソコソとそんな話をしていた時、扉が内側からそっと叩かれた。
マズイ、聞かれただろうか。当主に言いつけられて仕事が減ったら困る。
二人は慌てて、とってつけたように背筋を伸ばした。
「あの、どなたかいらっしゃるの?」
中から聞こえたのは少し低めの、よく通る女の声。
二人は顔を見合わせる。どうする? いや、話しちゃマズイだろ、と、目だけで会話する。
「夕食をいただいてから気分が優れないの……外の空気を吸いたいのだけど、窓の鍵が硬くて。手伝っていただけないかしら」
そう言われても、と、二人は顔を見合わせる。メイドを呼んでこようかとフリッツが思った時、
「ああ、なんだか、とても眠いわ……」
そのつぶやきとともに、ドン、と、扉にぶつかった音がした。続いて、どさりと何かが床に崩れ落ちたような音。部屋の中の女は倒れたようだ。
「ああ、歩けないわ。お願い、ベッドに連れて行って……」
「へへ」
下卑た笑い声に横を見ると、ウーベはやにさがった顔をして、気合を入れるようにベルトをぐいぐいと引き上げた。
「お、おい、ジークハルト様の婚約者だぞ、何を考えて」
慌てて言うが、それに哀しげな女の声が被る。
「ああ、シュタイナー様はどこ? どうしていらっしゃらないの……」
この女は、王都に住んでいる三男が連れてきたと聞いた。どうやらそれを当主が気に入って、長男と婚姻させるという事になったらしい。まったくかわいそうな事だ。
泣いているのだろうか、少し掠れた声は憐憫を誘う。しかし続いた言葉は少しだけ様子が違った。
「……ジークハルト様の腕では細すぎて物足りないわ……ね、そこのお二人は、鍛えていらっしゃるのかしら。なんだか体が熱いの……」
その誘うような声色に、ウーベはニタリと笑って扉に手をかける。フリッツももう、止める気は無くなっていた。
++
どさ、どさ、と、声も出さず、二人は崩れ落ちた。
大丈夫か、見張り、弱すぎだろ。
「制圧、と」
魔力を使うまでもなかった。入ってきたところを背後に回ってひと蹴り。それだけで気絶した二人を後ろ手に縛る。縄は無かったので、シーツを割いてねじった。
芝居をしていたら楽しくなってしまい、少々はしたない事まで口にしてしまった気がする。
でも、ほら。手合わせするなら、ジークハルトの細腕じゃ物足りないのは確かだし。
縛り上げた二人のうち、小柄のほうの制服を借りる事にした。
兵士には、代わりにドレスを被せてやった。似合わないが、まあ、少しの間な。
「おい、起きろ」
パンパンと目の前で手を叩けば二人とも目を覚ます。
「な! なんだこれは!!」
「ひ、なんでこんなカッコ」
「お前たちには二つの選択肢がある」
粗相をした部下を叱る上官のように、冷たい目を彼らに向けた。
「任務を失敗した者として、このままここに転がっているか。または、今から私の配下となるか」
「は?」
「考えてみろ、無様にやられて私を逃がしたらどうなる? 仕事はなくなるだろうな、罰を与えられるかもしれない。でも、明日、私はこの家の女主人になるわけだ。明日からのために、今日私に恩を売っておくほうが賢いと思わない? ……どうする?」
二人は顔を見合わせ目を瞬かせ、おずおずと私を見上げる。
その目はすでに、主人を意図を伺う目だった。理屈に納得したわけではないな、本能的に私を強者と認めたのだろう。
「配下になるか? ならばまずは所属と名前を言え」
「……クラウゼヴィッツ家魔法兵団赤鷲、第3兵団小隊長フリッツ」
「お、同じく赤鷲、第1兵団魔法兵ウーベ」
フリッツはドレスに良く似合うチョビひげをもごもごしながら、ウーベは巨体を縮こませながら、素直に答える。とりあえず逆らう気はなさそうだ。フリッツの縄を解き、ウーベの縄を解くように目で合図する。
「よし。フリッツは私のふりをして、そのまま布団をかぶって寝ていろ。ウーベは見張りを続け、誰も部屋に入れるな」
「は、はい」
「私は用事を済ませてくる。地下牢の場所……それから食糧庫の場所を教えてくれ」
味方がこの二人では少々心もとないが、これで動ける。
まずは腹ごしらえだ。食糧庫で保存食でも拝借しよう。




