73.僕だったら
時は少し戻り、場所は王宮騎士団事務所のアレクシスの執務室。
シュタイナーが手紙を見て呆然としていると、行儀のいいノックの音が響いた。
「失礼します。指南役、いらっしゃいますか……って、シュタイン!?」
入ってきたのはヴィンツェルだった。いつものように飄々としていたが、シュタインを見ると驚いたように眉を跳ね上げた。
ヴィンツェルは慌てて扉の外をもう一度見ると、誰もいないのを確認してそっと閉める。
「ヴィンツェル……」
「いやいやいや!! 君さあ、何やってんだよ!!」
ヴィンツェルは天使のような金色の巻き毛をガシガシとかきながら、シュタインに詰め寄った。そして一通の手紙をアレクシスの机に叩きつける。
「これ、どういうこと? 今受け取って、驚いて、師匠に事情を聞きに来たんだよ」
それはクラウゼヴィッツ家からの招待状だった。こちらも差出は五日前。内容は明日、後継の指名と結婚の披露宴を行うというものだった。
絶対に間に合わない日付の招待状。行うことを知らせるためだけのものだ。
「君、辺境伯になるの? リーゼを東の森の城に攫って返さない、あの噂を本当にしちゃうわけ?」
「い、いや」
「じゃあ、これは何? お兄さんの事? それなら、出席が無理な披露宴の招待状なんておかしいよね」
ヴィンツェルは珍しく怒りを隠せないようだった。薄いレンズの眼鏡越しにシュタイナーを睨む。
「君がリーゼを副官に任命したとき、やっと、頭を使ったのかって、僕は安心したの! リーゼは騎士になりたがってた。僕はコネでねじ込むことはできるかもしれないけど、それでは彼女は正当に評価されないだろう。だから君は、……彼女の幸せを考えて、できることをしたんだと」
シュタイナーはそう言われて驚いた。実のところ、そこまで深く考えていなかった。ただ、誇り高い騎士のリーゼに戻ってもらいたい、と思っただけだ。
確かにフォルクライ卿が道場の後継ぎの話を持ち出したので、それに対抗して騎士の姿を見せたかったというのもあった。
だがそれを言う前に、ヴィンツェルは大袈裟に首を振って続けた。
「それが!! 東の森で、辺境伯夫人? それが君が用意した彼女の将来? それって、侯爵夫人で道場を継ぐより幸せ?」
まくしたてるヴィンツェルに、シュタイナーはしおしおと小さくなった。ヴィンツェルはその披露宴が、シュタイナーとリーゼロッテの結婚だと誤解しているようだ。しかし事態はさらに悪いのだ。
「ていうか、なんで君、ここにいるの? 披露宴は明日でしょう? 今からでは間に合わない……ん、僕の早とちり? え、君の事ではないの?」
「ヴィンツェル君、ちょっと落ち着いて」
見守っていたアレクシスが、どうどう、と、胸の前に手をやった。
「事情が込み入っているのだよ」
「何が起こってるんです? リーゼの事なら、僕も無関係ではないはずですが」
「わしに免じて他言無用で頼む。お父上にも」
「内容によります」
「わかった」
アレクシスはヴィンツェルに、シュタイナーとリーゼロッテを交換しようという、クラウゼヴィッツ卿からの手紙を渡した。
ヴィンツェルはそれに目を通し、剣呑な顔で、ふん、と、鼻で笑う。
「へえ、息子を養子にくれてやるから、娘を嫁によこせと。まるで物みたいないいようだね」
「シュタインは、自分とリーゼの結婚の話をしてこいと言われて、ここにいるのだそうだ」
「……酷いなあ。リーゼを気に入った兄貴が、弟を追い出して彼女を奪ってしまおうということなのかなあ」
ブツブツつぶやきながら眼鏡を触ると、ふと、眉根を寄せて顔を上げた。
「……え、奪う? リーゼを? あの強くて自由なリーゼを? そんな事できる?」
言われてみれば、と、三人で顔を見合わせる。
「……それは無理だろうな。嫌がるリーゼに何か強要するなど」
「リーゼには、魅了とか本当に効かないし。力で勝てるのもシュタインくらいでしょう……それでも本気で抵抗されたら無理じゃないかなあ」
そう言われてシュタイナーは思い出す。
確かに、壁を壊して助けに入った時、すでにアデルハルトは壁に叩きつけられていた。それに、魔力で身体強化をしたリーゼは、自分でも押さえ込めなかった。
「ああでも、大怪我をしていると聞きましたし、僕なら……そうだなあ、人質でも取るかなあ」
「人質くらい何とかするだろう、リーゼだぞ」
「そうですね……」
自分を担ぎ上げた時の、リーゼロッテの嬉しそうな顔。確かに、兄達では歯が立たないだろう。シュタイナーは少しだけ胸をなで下ろした。なぜか今まで、リーゼロッテを助けるべき姫君のような気がしていたのだ。
「そうしたらもう、リーゼを信じて王都で待ちますかね。万が一のために、精霊書士の組合には話を通しておくか。立ち会わせる書士を特定して、免停にしておけば、契約は無効にできるかと」
ヴィンツェルに任せると、書士の犠牲で事は収まるのか。自分では思いつきもしなかったなとシュタイナーは感心した。
しかし、それだけではないようで、ヴィンツェルはにやりと口の端を上げて見せた。
「クラウゼヴィッツ辺境伯家……ね。そんなことするような家なら叩けばきっとホコリが出てくる。僕にできる事なんて、悪ぅい貴族を取り潰すくらいしか」
ヴィンツェルは嬉々としてクラウゼヴィッツ家お取り潰しの作戦を練り始めた。リーゼロッテの強さを心から信じ、それについては何の心配もしていないように見える。
それも一つの愛なのかもしれない、と、シュタイナーは思った。
……しかし、俺は
「シュタイン、お前は手紙の通り、うちに養子に来ればいい。リーゼの事は改めて、本人も交えて考えよう」
アレクシスもまた、リーゼロッテの強さを思い出し、ヴィンツェルの話にほっとしたのだろう。少し落ち着いたようだった。
「俺は……助けに行ってきます」
二人はシュタイナーの静かな声に驚いたようだった。なぜ驚くのだろう。待つなんて、そんな選択肢はあるわけがないのに。
「現実的にどうするのさ、ここから東の森までは三日かかる」
確かに、今から明日の朝までに戻る方法は、飛竜しか思いつかない。貸してもらえるだろうか。竜師はどんな事情があっても斟酌してくれない。正当な理由があったとしても、即日許可はもらえない。
いや、最初からあきらめてはいけない。まずは交渉してみなければ。そう思って顔を上げた時だった。
「指南役!指南役!!……ってあれー!? シュタイナー師団長!? お戻りでしたか!」
バタバタとゼノンが飛び込んできた。いつもの調子の明るい声だ。
あまりの態度にアレクシスは頭を抑える。ゼノンは優秀なのだが、慌てるとどうも下町の子供のようになる。
これでも式典の時などはキリっとして人気者なのだ。しかし、観客がいないときはどうもダメだ。
「ゼノン、お前はもう少し……」
「それどころじゃないんですよ! 飛竜が! でっかい飛竜が! 訓練場に居座ってるんです!」
「は?」
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