70.最後の供給
意識が戻った時、眼裏に日差しの明るさを感じた。ジークハルトにしてやられてから、さほど時間は経っていないようだった。
周りに人の気配はない。ジークハルトもいないようだが、ノアもいない。引き離されたのだろう。そうなると、魔力切れが恐ろしい。
できるだけ動かないように、魔力を使わないように力を抜く。幸いフカフカのベッドに寝かせてもらっているようだ。さて、これからどうするか。
不思議と、心は静かだった。ジークハルトにも怒りや嫌悪感は感じない。彼は私を傷つけようとはしていなかった。私に邪な気持ちも抱いていなかった。ただ役割としてやっただけのようだった。
ああいうタイプは騎士にもいる。団長には向いていないが、個を滅して動くので、戦場では重宝される。しかも自分の実力をよくわかっていて、変なプライドもない。優秀な人間だ。
騙したり脅したり、卑怯な手だとは思うが、実力差のある私を拘束するための策として考えれば、お見事としか言いようがない。
しかし。
──貴女が選んだ者が、当主になるんですよ
ジークハルトはそんな事を言っていた。
目覚めた時、アデルハルトは私を自分のものにしようとした。あの時から、この家ではそれが計画されていたのだろう。
それが、私には、とても悲しい。
胸が沈み込んでしまいそうだ。だって、シュタインが可哀想だ。
この家では、見ていて腹が立つほどシュタインは蔑ろにされていた。シュタインはそれを諦めていて、私が憤っても、この家は古いからなと嗜めるのだ。
それでも、彼は家族を嫌ってはいないようだった。私を連れてきた事を褒められて、嬉しそうだった。
なのに。
シュタインは家族に騙されたという事だろう。シュタインが王都で用事を済ませて帰ってきたら、愛しい婚約者は兄にうばわれていると、そう言う筋書きか。
……もちろんそんな事にはならないが。
なんでシュタインがそんな目にあうんだ? あんなにいいヤツなのに。
動かないようにしていたのに、涙が溢れる。嗚咽はだめだ、肋骨に響く。
静かに息を吸って、耳元に流れる涙を感じた。
コンコン
しばらくじっとしていると、小さな、人目を憚るような素早いノックの音がした。
「……おねえちゃん、このへん?」
ノアの囁き声がくぐもって聞こえる。目を開けてみると、ノアの声は、ベッドの横の壁の向こうから聞こえているようだった。
「ノア?」
「もうちょっと近づける?」
魔力を分けに来てくれたのだろうか。助かった。
起き上がって、声がするあたりの壁に手をつくと、ほんのり暖かく感じる。すっかり馴染んだノアの魔力にほっとする。
「すぐ見つかってよかった。いまからできるだけ魔力を渡しておくね。派手に戦ったりしなければ、明日まではもつと思う」
「ありがとう。戦わないよ。この部屋、武器もないし。でも、どうにかして逃げたいな。素手で壁ぶち壊したら、駄目かなあ?」
「……」
冗談だったのに、真面目に黙り込まれてしまった。
壁越しに送られてくる魔力は、重くてあまい匂いがする。それを味わうようにじっくり感じる。だんだん、身体が軽くなる。……ああ、心地よい。
「リーゼおねえちゃん、もしもさ、おれが魔法を使えなかったら、どうする?」
「え?」
すごく真剣な声でそう聞かれて、私はおもわず聞き返した。
「何で? 別にどうもしないよ」
魔法が使えようが使えなかろうが、ノアはノアだ。
「……だよね」
くすりと笑う声がした。呆れたような、ほっとしたような声。
まあ、考えてみれば、魔法が使えなかったら最初の出会いもなかったかもしれない。でも、出会って、ここまで縁ができてしまえば、何が出来るかなど小さな事だ。
「リーゼおねえちゃん」
「ん?」
「……ありがとう」
「ああ、え? 何が?」
「いろいろ」
「うん。こちらこそ、ありがとう、ノア」
壁の向こうで身じろぎする気配がする。見えないのに、照れた可愛いノアの顔がわかる気がする。魔力で繋がっているからだろうか。
たっぷり魔力を送ってもらった。いつもよりもたっぷりだ。これなら城ごとでも壊せそうな気がする。
身体の隅々に行き届いた甘い魔力を感じていると、ノアの静かな声がした。
「……おれ、戻るね。……じゃあ……ね。リーゼおねえちゃん」
「ノア?」
少しだけ、声が揺れた気がしたが、私の問いかけに答える声はなく、壁の向こうの気配は離れていった。