68.ジークハルトの都合
一方その頃リーゼロッテは!
ソワソワしながら、繊細な造りのティーカップにそっと口をつけた。上品な不思議な香りがする。こちらに来てからよくいただく、少しスパイシーなハーブティーだ。
最果ての村で食べたベーコンが思い出される。しかしまさかあの森に……
「リーゼロッテさんは、私とアデルハルト、どちらがふさわしいと思いますか?」
「え?」
森の事──いや、魔王の種の事を考えていたせいでよく聞いていなかった。
先ほどの本によると、魔王の種は、最果ての森で、器が来るのを待っているのだそうだ。
妄執や執着とも呼べるほどの欲望があれば、魔王の種を身に宿すことができる。そうすれば、願いを叶え、膨大な魔力が手に入るという。
魔力が欲しい。思った通りに動ける身体が。強い力が。生まれ持ってこなかったのだから仕方がないと、常に別の方法を考えていたが、手に入る可能性があるのなら手に入れたい。
ノアも知らないって言ってたしなぁ。探しに行くしかないよなぁ。
……そんな事を考えていたので、優雅に微笑むジークハルトの突然の問いに答えられなかった。
そうだ、不思議な図書室を出た後、サロンに通されて、お茶をしているのだった。
このお茶は彼が自らの手で淹れてくれた。趣味なんだそうだ。
この部屋にも使用人が控えているが、特に手伝いもしない。私とノアのほうがそわそわしていた。
美しいティーポットを手元に置いたまま、ジークハルトもティーカップに口を付けた。
「次期辺境伯ですよ。私とアデルハルト、候補が二人。アデルが跡継ぎということになっていますが、なかなか成長が見られない、という声もある」
そんなの、人格なども含めて、どう考えてもジークハルトの方がいいに決まっている。というか、アレより駄目なやつを探す方が難しい。
しかし、それは部外者が言って良いことではないだろう、とも思う。魔力の差があるとか言ってたし。それにあまり巻き込まれたくない。
「ええと、それは私が口を出すのは……」
「貴女はこの家の一員になるのだし、ここは実力主義が信条ですから。父からも、リーゼロッテさんの意見を聞いておくように言われています」
「はあ」
「私も昨日の一件で、少し考えを改めました。これまでは、多少難があっても、アデルが継ぐべきだと思っていましたからね。しかしまさか完膚なきまでに叩き潰されるとは」
完膚なきまでには叩き潰せてはいないような気がするが……その前に魔力切れで倒れてしまったし。
反応に困っている私を見て、面白いものを思い出すように、ジークハルトはくすくすと笑った。
「アデルが泡を吹いて倒れるところなんて、初めて見ました」
「弟君を、その、すみません」
「いえ、あのくらいは必要だったのですよ。父も私も、アデルの我儘には困っていたので。少しは懲りたようで、あれから大人しく謹慎してます」
ジークハルトは、感謝してますと優雅に頭を下げた。どうやら図らずとも、教育に一役買ってしまったようだ。
「で、どうでしょう? 貴女のご意見は」
「……それでしたら、……アデルハルト……さんが、いろいろと私にしたことを考えれば。私の意見は当然、お分かりになるのでは」
……あああ、アレ名前を口にしたくない!
「それは、貴女は私を、ジークハルトの方を選んでくれるという事ですね?」
「は、はい」
「嬉しいなあ」
ジークハルトは優雅にほほ笑んで私を見つめた。シュタインに似た顔立ちだが、柔和な表情に色素の薄い柔らかそうな髪、魔力を帯びた小麦色の瞳は上品で、改めてみると、この城の主にふさわしいように思える。
すると突然、後ろからノアが私の肩を引いた。
「ノア、どうしたの?」
ノアはジークハルトをぎろりと睨んだ。
「……ききませんよ。リーゼロッテ様には、そのくらいでは」
「ふうん、鋭いね。でも、効いたほうがよかったのに」
ジークハルトはにっこりとノアに微笑む。
効いたほうがって、何が?
「リーゼおねえちゃん、あいつの目を見ないで。魅了……いや、支配だ」
「え?」
魔法? 私に? なんで?
ジークハルトが、私に何かする理由はないだろう?
ジークハルトは変わらない笑顔で、出来のいい生徒を見る先生のようにノアに言った。
「よくわかったね。君が何かしてるのかな? 今日はリーゼロッテさんの魔力が少ないね。昨日使いすぎたからかと思っていたけど……不思議だな、今日は君の方が魔力が多いね」
「!」
「私はそういうのは分かるんだよ。今まで隠してたの? 主人を守るためかな」
「……わかるなら、おれのほうが強いのもわかるだろ」
威嚇するようにノアはギロリと睨みつけた。ノアを中心にテーブルクロスや私の髪が、ふわりとたなびく。
「そうだね」
彼は笑顔を崩さずに指先を小さく振る。
「私は、弱いよ」
「カフッ」
その小さな咳は、私の喉から出た音だった。
え? なんだ?
何か小さなものが、喉につっかえているような……
「ア……?」
「おねえちゃん!?」
けふ、けふ、と咳き込む私をノアが覗き込もうとする。
「動くな」
ノアを冷たい声で刺すように制止して、ティーポットの蓋を、音も立てずに開けた。
「大丈夫、悪いものではありませんよ、少し無理をしないでもらいたかったから」
その蓋の裏には複雑な魔法陣が描かれていた。
「お茶の粉に、とっても簡単な魔法をかけてあるんです。身体の中を綺麗にして、すっきりさせてくれる。ついでに、私の合図で形を変える魔法も」
息がしづらい。喉の奥で何かがつまり、膨らんでいるような気がする。必死で息を吸うが、ひゅう、ひゅう、と、喉が鳴るばかりでなかなか空気が入ってこない。
「具合が悪いようだ。まだ怪我も治っていないし、明日までゆっくり休んでください。父がパーティーを準備しています。次期当主の発表と、その婚約者の披露宴を」
何を言ってるんだ……?
「突然で驚くかもしれませんが、古い家なので、しきたりが色々とあるんですよ。代々当主は、本人と配偶者との魔力の総量で決まる。アデルの魔力は私の三倍はあるから、当然アデルとなっていたのですが、貴女がいれば話は別だということになってしまった」
「……は?」
「貴女が選んだ者が、当主になるんですよ。ああ、さすがに、シュタイナーは駄目です。本人には何もありませんから」
魔力偏重が根強く残っているんだ、と、シュタインは言っていた。馬鹿馬鹿しいが、魔力量は子に引き継がれやすいから、古い家だと魔力の多い嫁を欲しがると聞いたこともある。
いや、だからって……おかしいだろう。
「そうだ、私を選んでくれた時のために、贈り物を用意していたんですよ」
ジークハルトが合図すると、控えていた使用人が花束を持ってきた。
それを、バサリと私の前に置く。
「良い香りでしょう、ゆっくり眠れると思います」
喉を塞いでいた何かがふっと消え、一気に空気が、甘い薔薇の香りと一緒に肺まで入り込んだ。
そして、とてつもない眠気に襲われ、私は夢の中に引き摺り込まれる。