64.折られたフラグの先
<プロローグ>
「───まあ!」
その強さは悪魔のようだと、国中から恐れられる男──シュタイナー・クラウゼヴィッツ辺境伯は、最愛の妻の目が大きく開かれるのを見て満足げに目を細めた。
リーゼロッテがこの城に嫁いで来て二年。最初はすべてをあきらめたような顔をしていたが、やっと色々な表情を見せるようになった。
しかし、どこか恐れているような、媚びを含んだ目はなかなか変わらない。
こんなふうに驚いたとき、それが少し大げさな仕草でも、彼女の心を動かしたようで嬉しく思う。
「ここは辺境伯家に受け継がれる研究室だ。己が望む知識を得ることができる」
「私、絵の中に入るなんて初めて」
秘密の入り口がお気に召したのだろう、いつもは遠慮がちなのに、ぴったりと腕にしがみついてくる。きょろきょろと目を輝かせる彼女を愛おしく思いながら、近くの本を手に取って渡す。
「何のご本?」
「読んでみろ。望むことを心に描いて」
しげしげと初めの本を見る彼女をみて、シュタイナーは初めてこの部屋に入れた時のことを思いだした。自分もこんな顔をしていただろうか。
ここに入るには魔力が必要であり、家族では、シュタイナーだけ入ることが出来なかった。アデルハルトはよくここで新しい虐めを仕入れて、自分に試した。
そんな知識すらも望めば教えるこの部屋を、……自分を除け者にするこの部屋を、ずっと憎んでいた。だからもっと、陰鬱な表情をしていたかもしれない。
背が伸びて、クローゼットの高い棚の奥に見つけた、母からの手紙と一回分の魔力の鍵。
勿論、望んだことは「魔力が欲しい」だった。
「すごいわ、シュタイナー様。あちらにあるのですって」
珍しくはしゃぐリーゼロッテが、次の本棚に駆け寄り、迷わず一冊をとった。何を望んだのだろう。喜んでくれたらいいが。
シュタイナーはここで魔王の種を知った。それを得て、膨大な魔力を手に入れたシュタイナーは家族に認められることを期待したが、それは叶わなかった。
次期当主の座を奪われると思ったアデルハルトが禁術を使い、東の森の魔物に城を襲わせたのだ。
しかしそれは失敗し、魔物たちの暴走で父も兄二人も死んだ。
一人戦い、魔物達を退けたシュタイナーは、王国を守った「英雄」と呼ばれるようになった。そして、その強さは悪魔のようだと、恐れられるようにもなった。
家族に認められるために得た膨大な魔力。だが、もう彼らはいない。誰もいないから継いだだけの「辺境伯」も、虚しいだけだ。
孤独を埋めるためにあらゆる放蕩に身を投じたが、古くさい家の田舎者と扱われるのも我慢できなかった。
そんな時に手に入れた、「国で一番美しい」と言われた女。
最初はそんな女を妻にすることで、一目置かれたかっただけなのだ。
それが今は、どうしようもなく愛おしい。捨てられて、ここにしか居場所がない、哀れなリーゼロッテ。
もう二度と、リーゼロッテをこの城から……自分の腕の中から出すつもりはない。
そして彼女も、自由はないが望むものが与えられるここでの暮らしに、不満はないように見える。
手に取った本を一心不乱に読んでいたリーゼロッテがふと顔をあげた。パタンと本を閉じる。
「何を望んだ?」
「幸せ。そうしたらお前の幸せはなんだと聞かれたから、今は幸せと答えました」
今は幸せ、と言われてシュタイナーは内心躍り上がった。しかしリーゼロッテの表情は晴れない。
「でもいつまで続くかわからないから嫌だわと」
「ずっと続くさ、二人でここで」
そっとリーゼロッテは、細くて白い顎に、細くて白い指を這わせた。
「でも、いつかは老いて、醜くなる……」
リーゼロッテが治癒師に無理難題を言っていることは聞いていた。永遠に、国一番の美しさを。
ならば、美しさを願ったのだろうか。
そう思った時、リーゼロッテがシュタイナーを見上げた。それは縋るような、試すような、頼るような目で、シュタイナーはどきりとする。
「ずっと今のままでいたいのなら、貴方が魔王になって、私はその眷属になればよいのですって。私の魂は貴方のものになり、ずっと守ってもらえるのですって」
「魔王……だと?」
魔王の種を宿した時から、その方法は知っている。愛するものの魂を喰らうのだ。それを知ったときは愛するものなどいなかった。できてしまえば、そのような事考えられなかった。
「貴方がこのつまらない世界を壊してくれるのかしら」
それなのに。
「……素敵ね」
うっとりと笑うリーゼロッテは、それを望んでいるように見えた。
<第六章 披露宴は交渉から>
気色の悪い夢だ!!
王都に向かう馬上。シュタイナーは幻想を振り払おうと頭を振った。
城に帰ってから、おかしな夢を見る。それが嫌であまり眠れなかった。
しかし、夢の中のリーゼロッテは、確かに「幸せだ」と言った。それに怪我もしないし、好きなように振る舞って、少し甘えるようにシュタイナーに身を寄せるのだ。
「クソッ」
なんであいつは、リーゼロッテを手に入れているんだ。俺は、まだなのに!
部屋から出ないように嘘をついて閉じ込めても、つきっきりで面倒を見ても、「俺だけのリーゼ」にはどうしてもならない。なんでも自分でやろうとして、俺の手を拒むのだ。
怪我をさせてしまったからか? 流行りもドレスも宝石もわからない、野暮な男だからか?……ちがう、そんなのリーゼはこだわらない。
頭の中がごちゃごちゃする。俺は何がしたいのか、何が正しいのか、わからなくなってくる。
「あああ!!!」
無意味な雄叫びをあげて馬の腹を蹴った。馬の不満げに嘶き、速度を上げた。
馬の動きで我にかえる。自分らしくない。こんな事で苛立つなんて。
シュタイナーは自分に言い聞かせる。
夢の中の俺は、リーゼの、草原の風のように爽やかな、まっすぐな目を知らない。
……それだけは、俺の方が勝っている。
大きな街道から一本逸れた細い道を全力で駆ける。
道の傍に家が見えた。裏には大きな厩舎が緩やかな山沿いに建てられている。手前の草原に馬は居ない。ありふれた、厩舎の風景だった。
通り過ぎようとしたとき、ぐるるる、と、地を揺るがすようないななきが聞こえて、あわててシュタイナーは馬を止めた。馬とは違う、少し生臭い匂いもする。
「魔物使いの厩か……?」
魔物使いは魔物を騎獣として育てている者もいる。間違いなく馬よりは速い。……貸してくれるだろうか。
魔物には乗ったことがないが、馬と飛竜にならよく乗っているのだ。その間だろうから、乗れるだろうか。
シュタイナーは門を叩いた。