61.戦いの高揚
ギャギャギャッ——
耳をつんざく金属音とともに、黒い鎖がアデルハルトの手元から伸びる。
長い鎖の両端が別々に動き、違う角度からまっすぐ迫ってくる。確かにアデルハルトの魔法の能力は高いようだ。
「……でも、それじゃあ駄目だな」
──遅い。
私はハルバードをバトンのように回転させ、その勢いを利用して鎖を絡め取る。
「な、」
鎖はハルバードに対抗するようにぴんと伸びたが、こちらの力の方が強かった。斧刃に引っかかったそれはガラガラと心地よい音を立てて巻き取られていく。
ああ、いつぶりだろう……この戦いの感覚。
私はハルバードの自重を利用して、絡め取った鎖を石の廊下に叩きつけた。
ガァンッ!
金属と石がぶつかる衝撃で、黒い鎖はいくつかに千切れた。斧刃が当たった床石のひとつは粉々に砕けたが、さすが堅牢な城である。それだけで済んだ。
……だ、大丈夫だろ、このくらいなら。この間壁壊してもお咎めなかったしな……
「ジーク!! 障壁を!」
鎖を失ったアデルハルトは忌々しげに叫ぶ。
「もう手加減できんぞ!」
ぴいんと張り詰めるような感覚が一瞬あって、外の音が遠くなる。
見るとジークハルトはやれやれといった顔でこちらに手を突き出していた。分厚いガラス越しのように、あたりが歪んで見える。魔法障壁だろうか、私とアデルハルトの周りに、何やら柔らかい壁があるような、不思議な感覚だ。
「誰がこの家の主人か、わからせてやる」
アデルハルトはにやりと笑って腕を交差させた。その腕から、ぼっ、と、炎が上がる。
火炎系か。雷でなくて助かったと手に持った鉄の塊を見て思った。
「おらぁ!」
柄の悪い声とともに振り下ろされた腕から、炎が噴き出し迫る。私は身を翻し、それをかわしながら観察した。
……動作が大きい。詠唱は省略しているが、その代わりに指や腕の動きに魔術制御を頼っているように見える。
魔力の放出が雑だ。ジークハルトが言った通り、かなりの魔力量があるのだろう。効率より、手数と勢いを重視するタイプだ。
大したやつではない。二度と私とシュタインにちょっかいを出さないように脅してやれば十分だ。
「はっは! 逃げ惑っているだけでは溶けてしまうぞ」
確かに、火炎のせいで暑い。脱ぎたくてもドレスだしな。
ハルバードの穂先に、繰り出された橙色の炎が当たると、じわりと黒ずむ。試しに床に押し付けてみたら、そこが僅かに曲がった。
成程、気をつけるべきは炎より熱か。
私は袖で額の汗をぬぐうと、ハルバードを繰り出した。炎に触れないように、スピードを速めて、飛び上がる。
おお、すごい。高い天井にまで届きそうだ!
くるりと身をひるがえし、天井を蹴った。槍を突き立てようとしたが、炎が矢のように迎え撃つ。その炎を思い切り柄で叩いて軌道を変え着地した。だがスカートに火が移った。慌てて切り裂き、踏み消す。
「下品な……貴族の女とは思えんな。シュタイナーは娼婦を連れてきたのか」
アデルハルトはニヤニヤと笑う。
余裕を見せているつもりだろうか? たしかにお行儀は良くないかもしれないが、動きやすいに越したことはない。そのままびりびりと破き、太腿のあたりまでスリットを入れる。
「……これは、安くないよ」
さて、どうするか。
魔術士と戦う時の鉄則は、集中を乱すことだ。魔術は術を組み立ててそれに魔力を流す。術を組み立てる時は必ず集中が必要だ。強い術になればなるほど。
私は槍を繰り出しながら、じりじりと動く。ようやく、お目当てのものが、足に当たった。
じゃっ——
私は先ほどちぎれた鎖の山を蹴った。上手く一本が目の前に飛び出す。長さは私の腕くらい。短いように見えるが、ちょうど良い。最高だ!
ハルバードを左手に持ち、右手で鎖の端を掴む。そのままぶんぶんと勢いをつけて、炎をまとうアデルハルトの腕に向かって投げた。
「ああ!?」
鎖は狙い通り、腕の動作が交差する瞬間に絡みつき、両腕を縛る。
炎が鎖を走ったが、変化はない。熱にも炎にも強化されているらしい。予想通りだ。
炎を使う男が、自分の武器に何も施さないなんてことはないだろう。彼の服も燃えていない。魔法か技術かしらないが、熱や炎には強くなっているはずだと思ったのだ。
「くそっ」
炎の威力が弱まる。あの動作が魔術構築の要だったのだろう。アデルハルトは苛立ちを隠さず腕を振って、鎖をほどこうとする。集中が乱れ、魔術が途切れる。
──ああ、落ち着いてやればすぐに外れるのに。そんなに引っ張っては、かえって締まってしまう。
「ふふふっ」
その様子に私は自分が笑顔になるのを止められない。ヒリヒリとするような戦い、咄嗟の判断に、すべてが繋がって上手く行った時の快感!
──私の勝ちだ!! そう確信したときの高揚感!
私はハルバードを握り直した。殺しはしない。だが、二度と近づきたくなくなるように、わからせてやる。
「──覚悟しろ」
「ぐふっ」
ハルバードの柄でアデルハルトの腹を突いた。後ろにすっ飛ぶのを追いかけて、二発殴る。
アデルハルトはズン、と、音を立てて廊下に転がった。
「き、貴様」
まだ強がっている。もう、勝負はついた。早く降参すればいいのに。
「殺してやる……!!」
起き上がろうとするアデルハルトの頭の横を狙って、私はハルバードを打ち下ろそうとした。その時だった。
──突如、全身を雷が落ちたかのような激痛が走った。
「ぐああああああ……!!!」
私の喉から悲鳴がほとばしる。
痛い、痛い!!
全身に痛みが走る。鉄のハルバードなど到底持っていられない。思わず手を離すと、ハルバードはその重みでアデルハルトの頭に向かって落ちていく。
「ひっ」
アデルハルトもひきつるような悲鳴を上げたが、私はそれどころではなかった。
痛い、これは、目覚めた時に感じたのと同じだ。痛い、骨が、傷が、支えられない!!
背中から生暖かいものが流れる。魔力で閉じていた傷が開いたのだ。
……これは、魔力切れか?
「ノア! ノアぁ!!」
「おねえちゃん!!」
すぐそばでノアの声がする。ノアの小さな手が私を抱きしめる。
砂に水を流したように、魔力が入ってくるのを感じる。少しだけ、痛みが引いた気がした。……アデルハルトはどうなったんだ?
まだ、負けを認めさせていない……もう少し、戦いたい……
そう思ったが、意識を保つことはできなかった。




