58.見送り
旅の準備をして馬を出して、後は出発というだけなのに、シュタインは鐙に足をかけずにぐずぐずしている。
「やはり、リーゼを置いて俺だけ戻るのは嫌だ。父上に掛け合ってくる」
「フォルクライ卿との約束も、一か月という事だっただろう、そんなに悠長にしていられないのではないか?」
「……しかし、しかし」
目覚めてからすでに三日もたっていた。
早く戻れと言われても、私が心配だとなかなか出発しようとしない。
飛竜なら1日だが、馬なら飛ばしても3日はかかる。飛竜との契約は国のものだから、早く戻りたい理由が私用だと使えない。
フォルクライ卿の約束に、もし間に合わなかったら。あの親子は何を言い出すかわからない。もう猶予はないのだ。
「……私も一緒に戻ろうか」
「いや、まだ心配だ。長旅は全快してからにしてくれ」
身体を動かすコツは掴んだ。もう普通に動ける。むしろ好調なくらいだ。魔力はノアと二人乗りしてくっついていればよい。だが、シュタインには、筋肉が落ちてしまった私はものすごく弱々しく見えるらしい。
この城にいる間、シュタインは私の世話を焼きまくっていた。屋敷内を歩けばおろおろとついてきて、階段があれば抱き上げ、外に出ようとすれば「まだ早い」と、泣きそうな顔で止めるのだ。
部屋はあのままシュタインと同室だったが、頑として同じベッドに横になる事はしなかった。私が眠るまで見守っていて、朝私が起きるともう起きていた。どうやらソファーで寝ているらしかった。
そんな過保護なシュタインは、「守るべき対象」となってしまった私が、「馬で王都」など、絶対に首を縦に振らなかった。
「それならお前ひとりで行くしかないだろ。私は大丈夫だよ、普通に動けるし、ノアもいるし。あれは近づけないでくれるって、約束してくれてるし」
「あれ」とはアデルハルトのことである。名前を口にするのも嫌だ。今あれは、クラウゼヴィッツ卿によって別棟に隔離されている。
「し、しかし」
「ああ、もう、いいから行けって。このままだと本当にヴィンツェルに取られちゃうぞ、いいのか」
そう言って私はシュタインの胸を叩いた。昔から戯れによくやっていたように、どん、と、拳で胸を突いただけだ。
「うおっ!」
間抜けな声をあげて、シュタインは尻餅をついた。
「え? はは、油断しすぎだろ」
いくら細くなったとはいえ、舐められてもらっては困る。そう思って笑ったが、シュタインは驚いた顔をしたままだ。
「……なんだ、これは」
シュタインの声が震える。ゆっくり立ち上がって、真剣な顔で近づいてきて、……突然、抱きしめられた。
「え? 何?」
太い腕が背中に回って、ぎゅっと僅かに固くなった。立派な胸筋に身体が押し付けられる。
お前はいつも突然すぎるんだ、心の準備がっ……
と、思ったところに、
「振り解いてみろ」
冷静な声。
……なんだ、手合わせかよ!!
ドギマギした自分が馬鹿みたいだ。
しかし、そうするとこれは、私に不利な体勢だ。いつかの寝室のように、隙もない。拳で打とうにも、腕も押さえられている。
大人になって、力に差がついてから、この体勢になれば負け同然だった。
私が負けを認めるまで腕の中に閉じ込めて、離せ離せと暴れる私を見て楽しむのだ。
……こんな不意打ちみたいに、弱ってる私に……優しくするみたいな振りして……!!
なんだか腹が立って、肘を曲げて力任せに…というか、魔力任せにシュタインの腕を掴んだ。
「ぐっ」
シュタインの腕が浮く。シュタインが力を弱めたのではない、私が力でねじ伏せたのだ。
再度掴みかかってくる腕を、ぱん、と、払って、手首を掴んで片手で投げ飛ばした。
どしんと、地響きを立てて、シュタインは背中から落ちる。
「え?」
驚いたのは私だ。シュタインに、力押しで勝った?
「なんだこれ」
改めて自分の手を見るが、やはり細い。今までの努力の後が見えない、白い華奢な腕と指。
「……おねえちゃんは、魔力をつかって身体強化したんだと思うよ」
見ていたノアが、迷っているような声で言う。
「もともと、身体とか筋肉の使い方は上手だから、魔力が乗ったら相当強いんじゃないかな……」
「へえ!」
凄いな。シュタインに力だけで勝てるなんて。
私は気分が良くなって、起きあがろうとするシュタインの腰を掴んで持ち上げてみた。苦もなく、子供を高い高いするように、ヒョイと、持ち上がった。
「リ、リーゼ! 何を」
「あはは!」
かなり大きくて重いシュタインは、持ち上げられるなんて初めての経験だろう。大慌てだが、暴れると危険だと思ったのか、身を固くしてバランスを取ろうとしている。
この三日間、いいって言ってるのに、無視してヒョイヒョイ持ち上げられていたのだ。仕返しだ。
私はそのまま、シュタインを鞍に座らせた。手を離すとシュタインは、慌てて馬にしがみつき跨った。
「強いだろう、安心したか?」
「……ああ。……これなら安心だ」
シュタインは何やら複雑な表情で、馬上から私を見下ろした。
「……しかし、本当に、無理しないでくれよ。リーゼはどこまで強くなったか試してみたいとか思ってるだろう」
鋭い。ウキウキしているのがバレているようだ。
「にいちゃん、おねえちゃんの事はおれに任せて」
ノアがやる気満々な顔で、ふん、と、気合いを入れてみせた。
「無理しないように、ちゃんと見てるから」
「本当に頼む」
シュタインはノアに真剣に言う。そんなに私、信用ないかなあ。
「……そうだ、ノア、この屋敷には魔法の研究室があって、知識を授けてくれる。もしかすると二人の役に立つかも」
そう言って隠し扉のありかを告げたシュタインは、最後に泣きそうな顔で、「すぐに迎えに来るから、屋敷から出ないでくれ」と言いのこして、一人王都に戻っていった。