57.物語の挿絵のような
空腹も感じないし身体も動くので、どうも実感がないのだが、私は十日も寝込んでいたらしい。
ともに朝食をとりながら、いろいろな話を聞いた。
「リーゼロッテ嬢は素晴らしい才能をお持ちだ。治療師が驚いておりましたよ、意識もないのに、的確に傷を閉じ、骨や内臓を支えていると」
それはノアの才能だ。ノアは凄いのだ。
今だっておかしくない程度に近寄って、私に魔力を送ってくれている。触れ合っているほどではないが、ほのかに温かいものが流れ込んできて、私を守ろうとしてくれているのがわかる。
私の後ろで従者としてじっと控えているノアを、「この子凄いんですよ!!」と、自慢したい。
しかし今、私がここで評価されているのは、それが私の能力だと誤解されているからだ。これが借り物だとわかったら、申し出を撤回されてしまうかもしれない。
……そう思うと、後ろめたい気もするが、言い出せない。
「……皆様が助けてくださったおかげです」
「ははは、ご謙遜を」
家族はクラウゼヴィッツ卿、息子たちのジークハルト、アデルハルト、シュタイナーのみで、夫人──つまり三人の母は12年前に病で他界したのだそうだ。
シュタインはまったく家族の話をしないから、私はお母様が亡くなっていたことも知らなかった。いるものだと思い込んでいたので尋ねたこともなかった。
喋るのは主にクラウゼヴィッツ卿で、ジークハルトさんはにこにこと相槌を打つだけ、シュタインは気配を消していた。
シュタインがシュタインらしくなくて、つい、ちらちらと顔色を窺ってしまう。
シュタインは、婿養子の話と私の容態の報告に、一人で王都に戻ることになった。
考えてみればそろそろ「一カ月」だ。フォルクライ卿のことだ、何もなく一カ月過ぎたら……気がついたら籍を入れられていそうだ。
シュタインは私を残していくのは不満そうだったが、まだ怪我が治っていない私を連れて帰るのも怖いようで、渋々頷いた。
「楽しいひとときだった。シュタイナーは支度が整い次第出発しなさい。リーゼロッテ嬢の事は心配するな、こちらでしっかりと療養していただこう」
締めのお言葉に少しホッとする。
退室する時、シュタインに自然に手を差し出されたので、自然にそれに手を重ねた。前は、家の中でエスコートなんて滑稽に思えたのに。まあ、我が家はどう繕っても邸宅、こちらは「城」だ。格の差がある。
高い天井、広い廊下には赤いじゅうたんが敷かれ、壁には古い鎧や数々の武器が飾られている。もしかすると、昨日シュタインが持っていたハンマーは、この辺りにあったのかもしれない。
シュタインのごつごつした大きな手に、細くなった私の指は妙に似合っていた。
「すんなり許可が出てよかったな」
「……そうだな」
大きな森の中の石造りの古城。屈強な騎士にエスコートされる絶世の美女。後ろに従うのは年配の侍女と美少年。
──何だか物語の中に入り込んだようだな。
あたりを見回して、つい笑ってしまった。そういえば、アリシアが言っていた物語、私はこの城に囚われた悪役令嬢なのだっけ。その物語の挿絵としてはなかなか良いのではないだろうか。
私は目的を達成できたことと緊張の場から解放されたことで、少し気分が浮ついていた。何かしゃべりたくて、シュタインに話しかける。
「お父上も、ジークハルトさんも、覚悟してたより話しやすくてホッとしたよ」
もう一人は、もう二度と、会いたくないが。
「お母上の事、知らなかったよ。そうだったんだな。……うちに来た時には、もう」
「ああ、あの頃はそれで随分荒れていて……リーゼに助けられた」
「私?」
「うん」
シュタインは思い出すように少し遠くを見る。
「母上以外で、リーゼが初めて、俺を強いと言ってくれたんだ」
「そうだっけ? いやでも、強かっただろ、普通に」
道場に連れてこられたシュタインは、指南役も手を付けられなかったのだ。もちろん大人より強いわけではなかったが、怪我をさせずに上手く倒せるほど弱くないし、預かったお坊ちゃまを怪我させたら大変だ、ということで、私が呼ばれたのだ。
私なら、もし怪我させても、同い年の少女にやられたとは言えないだろうという打算もあったのだろう。
「リーゼには勝てなかった」
「あの頃は体格の差もそんなになかったしなあ」
「兄二人には一度も勝てたことはなかったが、……俺は、魔法さえ無ければ自分が一番強いと思っていた。それがまさか、女の子に負けるなんて。恥ずかしくて、帰れなくなってしまった」
シュタインは少し恥ずかしそうに目を逸らした。
「今は、シュタインが一番強いと思うけどなぁ」
「……ありがとう」
そう言ってやると、シュタインは少し微笑んだ。
「努力しても無駄だと皆から言われる中、母だけは、努力できるお前が一番強いと言ってくれていた」
その時ちょうど、シュタインの部屋に戻ってきた。
シュタインは自ら扉を開けて、入るように促す。
「そしてリーゼが……頑張れば国で一番強くなれると、言ってくれたんだよ」
私の後ろでかちゃりと音がした。
小さい音だったが、妙に響いて聞こえた。
「シュタイン?」
「この扉は、俺と、マーサしか開けられない。出る時は必ずどちらかを呼んでくれ」
シュタインは扉の方を向いたまま、どこか言い訳するように続けた。
「母上が俺の為に魔法をかけてくれたんだ。俺を守るために。今はリーゼを守るために使おう」
ああ、それで朝は自分で開けられなかったのか。
……夜中にお手洗いに行きたくなったらどうしたらいいのだろうか。それだけが気がかりだった。