54.ルミナミュラーナの灯り
私は細くなった指でシュタインの頬をそっと撫でた。
「大丈夫だよ、私はなんともない。シュタインが助けてくれたんだよ」
私を見るシュタインの金色の瞳が滲む。
「なんともなくなど、ない、」
震える声がシュタインの喉から漏れる。
「なんともないよ。この通り生きてるし、立ててる。すぐに歩けるようになるだろうし、すぐ元どおりになる」
あやすようにそう言ってやるが、シュタインの喉がヒクヒクと痙攣するように揺れている。気を抜くと涙が出てしまうのだろう。
それを堪えるように目をぎゅっと閉じる。意外と長いまつ毛から涙がぼろり、ぼろりと溢れた。泣き出す前に、何かを飲み込むように大きな喉仏が上下に動いた。
そして、頬の私の指を、シュタインの大きな手が包む。とても暖かい、いや、熱い手だった。
「細い。指だけではないぞ、腕も肩も腰も、折れてしまいそうだ。顔が小さくなって、目は大きくなって、顎は細くなって、色は白いし、なんだか柔らかくなってる」
「……それは、美しくなったと言っても良いんじゃないかな?」
淑女になれと家にこもっていた三ヶ月、そんなのが女らしくて美しいと、言われなかっただろうか。
少しでもそう見えるために、コルセットを閉めて、化粧をして、エステだのマッサージだのクリームだのと、苦労したのだが。
「違う」
なのにシュタインは真剣な顔できっぱりと否定する。失礼だなぁ。
……しかし今は、そのデリカシーのなさが、逆に嬉しかった。
「シュタインは私の筋肉が好きだったのかな?」
揶揄って、笑いながら言ってやると、慌てて首を横に振る。
「そうじゃない。心配なんだ。リーゼが弱くなってしまったら、本当に、外に出せなくなってしまう」
「何言ってるんだ。じゃあ手合わせしてみるか?」
「いや、今は触れるのも怖い。掴んだら折ってしまいそうで」
握られた指は優しく押さえられている。豊穣祭で手を繋いで歩いた時のように、閉じ込めるように。
少し話して落ち着いたのか、シュタインの顔も少しマシになって来た。まだ辛そうな顔をしているが、私の顔はちゃんと真っ直ぐに見てくれている。
その顔を見て少しホッとした。でもまだ一人にするのは心配だし、それに私も、一人でここで寝るのは嫌だ。
私は大袈裟に部屋を見まわして言った。
「……壁に穴開いちゃったし、シュタインの部屋に泊めてくれない?」
自分でも、意味をわかって言ったつもりだった。シュタインがもとのシュタインに戻ってくれればいい。今はシュタインのそばにいたい。
それに、情けない話だが、一人になるのが怖かった。誰かに組み敷かれ、どうにもできないというのは初めての経験だった。ベッドの上、見下ろす嗜虐的な眼差しが脳裏にチラつく。
アデルハルトは起き上がらないだろうが、安全な所で……今、ここだったら、シュタインのそばでないと眠れそうにない。
また照れたり、赤くなったりするかと思ったら、真剣な顔で見つめてくる。まだ暗い感じがするけど、瞳はまだ湿っているけど、誠実な真面目な目だった。
何かを考えているような、私の真意を読み取ろうとするような、シュタインらしい目。私はどうも恥ずかしくなって、目を逸らしてしまった。
「エスコート、してくれよ。まだ上手く歩けないんだ」
沈黙に耐えられずに、出来るだけいつも通りに笑って手を差し出した。しかしシュタインはそれを無視して、私をそっと、丁寧に抱き上げた。
まるで姫君のように。
かつん、かつん、と、シュタインの踵が石造りの廊下を打つ音がする。
さすがシュタイン、やや大きめの淑女である私を、片腕に座らせるように軽々と抱き上げている。落ちないように支える太い腕や厚い胸板がクッションのようで、私はとても快適で楽ちんだ。
シュタインの体温が高い。その熱で、じんわりと溶けてしまいそうだ。
広い廊下には、夜中だと言うのにぼんやりと明るい。
灯りとなっているのは、美しくカットされたルミナスミュラーナの魔石だった。魔石に直接魔法陣を彫り込んでいる、物凄く高級な細工物だ。
それが廊下を歩く人に反応して優しい幻想的な光を放っている。うっすらと魔法陣が壁に映り、夢のような景色だ。
夢?
私はぐるりと見回す。知っている気がする。この廊下を……夜中に、一人で、彷徨った事があるような。
「私、ここ来たことあったっけ?」
独り言のように呟くが返事はない。シュタインは何か考え事をしているようだった。
……来たことは無いよな。王都から出たことも、数えるほどしかない。どこかの家でこの灯りを見たのだろうか? いや、王都でこんなに長い立派な廊下があるのは王宮くらいで、王宮は魔道具は少ない。
しばらく考えていたが、どうも思い出せない。本当に夢で見たのかもしれない。
「そういえば、あんなに大きな音を出したのに、誰も来ないね」
「アデルハルトが人払いしていた。だから、あいつが何か壊したとでも思われてるだろう。……まさか、伸されているなんて誰も思わない」
独り言は流されたが、ちゃんと話しかけたら答えてくれた。
しかし、嫌なことを思い出させてしまったようで僅かに腕が硬くなる。
「来てくれて助かったよ。ノアが伝えてくれたの?」
「……いや」
シュタインはギリッと奥歯を噛むと、しばらく頭を冷やすように口を閉じる。
ややあって、一つ息を吐くと、穏やかな口調で言い直した。
「そうだ。ノアに聞いた。ノアは俺の部屋にいる。とても心配していたよ」
シュタインはやっと優しく微笑んだ。少し無理をしているような微笑みだったけど、私は少し安心した。
そうか……ノアもいるのか。
ほっとしたような、肩透かしを食らったような、複雑な気分になって、私は力を抜いて頭をシュタインの胸に預けた。
いや、ノアの安全もわかったし、良かったではないか。
++
あれ? ここではないな。
シュタインの部屋に入って真っ先に頭に浮かんだのがそれだった。
私が知っているシュタインの部屋ではない……
ん? シュタインの部屋なんて、寮の部屋をのぞいたことがあるくらいだ。ちなみに入れてはくれなかった。ベッドの下を探ってやろうと思ったのに。
シュタインは私をソファーに下ろすと、ベッドに向かって行った。自分で整えているようだ。
先程の客間とは大違いで、そこそこ広いがシンプルな部屋だった。
「リーゼおねえちゃん!」
奥の棚の陰からノアが飛び出してきた。
「ノア、良かった。乱暴にされなかった?」
「ねえちゃん、ごめん、おれ、守るって言ったばっかりだったのに」
「ノアがシュタインを呼んでくれたんだろ、守ってくれたよ」
おろおろするノアを手招きして抱きしめる。ああ、良かった。
ノアの子供の体温と匂い。ふわりと魔力が流れ込んで、それも心地よい。疲れが取れるようだった。
「朝になったら、歩き方を教えて。上手く動けるようになったら、早く帰ろう」
そういうと、ノアが何度も頷いて、黒い柔らかい髪が鼻をくすぐった。
ホッとしたからか、ノアの体温と魔力のおかげか、シュタインの気配があるからか、だんだん力が抜けてきて、私はそのまま眠ってしまったようだった。