45.調査へ。
視線の端に、角が生えたウサギが草むらからこちらを伺っているのがみえた。
「あまり近づいてこないのですね」
「この辺りは、村に近いですからね。弱いのしか、いないのです」
アイゼルの案内で森を進む。
まだサークレットは展開していない。森の中には冒険者が踏み固めた道ができていて、覚悟していたよりずっと歩きやすい。
しかし、視界は晴れているのに、霧の中にいるような重苦しさがある。これは魔力が空気にも溶け出しているからなんだそうだ。
きゃーお、きゃーお……と、不気味な声が稀に響く。
あれは我々への威嚇ではなく、仲間へ向けての隠れろという合図らしい。最初は驚いたが、そう聞いてからは特に気にならなくなった。
「あ、これなんかそうじゃないですか!? 凄い色」
先頭を進むゼノンが指差すのは紫色の斑らの木の幹だった。
「それは、ブルートバウムです。この辺りでは、珍しくないですね」
「へぇー! あ、じゃああれは!?」
興味深そうにキョロキョロするゼノンのおかげで、重苦しい空気も少し軽くなる気がする。
しばらく歩いて、少しひらけたところでシュタインが止まった。
「ここでサークレットを展開する」
デュランが背負っていた大きな荷物を下ろす。中には封印を施した箱。サークレットはそんなに大きくないのだが箱は大きい。しっかりと密閉され、錠が取り付けられている。これは当代聖冠騎士が持つ鍵でしか開けることはできない。
シュタインが開封し、箱を開けると、抑えられていた空気が溢れるように、中から何かが広がる。重苦しい空気が押し出されるように消えた。
「凄い効果ですね」
アイゼルは自分の掌をじっとみている。何か魔法を発動しようとしてみたのかもしれない。
「魔王の魔石を利用して、剣聖アレクシスの能力を再現したんだそうです。たまに王宮で使いますから、俺たちは慣れてますけど」
ゼノンは得意げに知識を披露する。
「これで強い魔物が出ても大丈夫。グレアグリズリーが出てきても、ただの巨大なクマですから」
まあ、ただの巨大なクマでも、十分危険なのだけど。
++
「あれか」
休憩をとりながら1時間ほど。初めての道は長く感じるので、もっと長く歩いたような気がする。
崖の上に、奇妙な植物が群生している。太くて短くてゴツゴツしている黒い幹から、白くて細い枝が網のように広がっている。葉っぱのような物は見当たらない。
「あんな感じのキノコなかったっけ」
「キヌガサダケですか? シルエットは似てるかも」
何だかみたことがある形のような気がして呟くと、若い方の薬師のジャンがクイズを当てるみたいに答えてくれた。私も答えがわからないので、正解!と言えない。
「多分それです」と、曖昧に相槌をうった。
「形は珊瑚に似てますね」
デュランが、崖の上を見上げて言う。私が知ってる珊瑚というのは、宝石のような物だ。不気味な木とは結び付かなかった。
「珊瑚って、たまにアクセサリーになってるのを見るけど」
「もとはあんな感じです。海の中に生えてて、もっとずっと小さくて、鮮やかで綺麗なんですけどね。あんなに大きくて黒白だと、不気味ですね」
近づくためには、崖を登らなければならない。
高さはそこまではない。三人肩車すれば届くくらいだ。しかしかなり切り立った崖だった。肉体派の四人は大丈夫そうだが、魔法派の四人はとりついて登るのは難しいだろう。
「ふん、このくらいの高さ、浮遊が使えれば何でもないのだがな」
「あの木、ウオチョウチョウの巣になってるらしいですよ。やつら、小さい癖に、やたら強い魔法使うじゃないですか」
年配の薬師のグラバル氏がぼやくのを、ゼノンが明るく諭す。
「とりあえず登って、縄梯子を設置しますよ」
デュランは縄梯子と杭だけ持つと、するすると崖を登って行った。
「デュランは身軽なんだな」
「オレの方が強いっすけどね」
感心していたら、ゼノンがつまらなそうに言う。それが妙に滑稽でつい笑ってしまった。
緊張がほぐれたところで、シュタインがリーダーらしくきりりとした声で言った。
「崖の上はウオチョウチョウの巣だから、他の魔物は近寄ってこない。魔法が使えなければ安全だろう。ゼノンと俺は下で待機する。アイゼル殿は上がりますか?」
「あ、はい、領主様に報告をするので」
「わかりました。リーゼ、上は頼んだ」
ちょうど縄梯子が降りてきて、デュランが崖上から顔を覗かせる。
「上は大丈夫です。一人づつ登ってください」
++
崖の上には、魔法が使えないウオチョウチョウがそこら中に落っこちていた。
「……なんかちょっとかわいそうだな」
「まあ……魔石取りの冒険者がいたら、喜んで乱獲しそうですね」
もともと色鮮やかな小魚のような魔物で、常に魔法で空に浮いている。縄張りに入ると一斉に光魔法で攻撃してくるので厄介なのだ。
しかし、浮くこともできずピチピチと跳ねている様は、陸に打ち上げられた小魚にしか見えなかった。
「死にはしないでしょうから、夕方まで我慢してもらいましょう」
デュランは邪魔になりそうなところに落ちているのをつまんで、わきによけている。余計な殺生はしたくないようだ。
先に上った薬師の二人は、早速道具を取り出して採取を始めた。アイゼルはその様子を近くで見ている。
「枝、硬いですね」「鉱物のようにも思えるが」「報告の通りの増殖速度が本当なら、通常の師管系じゃ処理しきれないですよね」「硬化かもしれないな。これは導管か?独自の魔素導流構造があるのかもしれないな」
専門的な二人の会話を聞きながら、辺りを見回した。
不思議な木の森?林?は、ずいぶん大きいようだった。白くてカサカサした感じの枝は骨のようで不気味だが、ここを色鮮やかなウオチョウチョウが舞っているのだから、普段はとても美しいだろう。
「うわあっ」
「どうした!?」
突然のアイゼルの声に、あわてて駆け寄る。
見るとアイゼルの腕に、白いどろどろした液体がついていた。
「い、いえ、私も、さ、採取、させてもらおうと、思いまして、ナタを入れたら……」
指差すところを見ると、黒い幹に傷があり、その中から白い液体が溢れている。
「き、急に、吹き出して……これ、大丈夫なんでしょうか!?」
確かに不気味だ。不気味な液体を被ってしまった腕を気持ち悪そうに振っている。服と手袋のおかげで、素肌にはつかなかったようだが。
薬師の二人が興味深そうに覗き込む。
「枝のところはこんなもの出なかったぞ」
「もう固まってますね」
ジャン氏がそっと摘んでひっぱると、それは伸びながらアイゼルの腕から綺麗に剥がれた。
「弾力がありますね」
「何だこれは……」
グニグニと指でつぶしたり、引っ張ったりしても千切れないようだ。
それを見て私は、世界には不思議なものが沢山あるのだなあと、呑気に思っていたのだ。
++
明るいうちに拠点に戻ってきた。
件の木のことを、カウチュークと呼ぶ事にしたらしい。遠い国の言葉で涙を流す木という意味なんだそうだ。黒い幹に傷をつけると、涙が溢れるように白い液体を流す。
その液体はすぐに固まり、固まると弾力のある塊になるのだ。グニグニと柔らかく、シュタインが渾身の力を込めて引っ張っても千切れなかった。
「これ! いいですよ! 騎士団の皆が喜びますって!!」
ゼノンはアイゼルの腕から剥がした樹液が固まったものを、びよんびよんと引っ張って遊んでいる。程よい硬さで、筋肉が喜ぶんだそうだ。
「加工できますかね? 両端に取っ手をつけたい」
「ナイフなら切れるかな。取っ手なら結んだほうが良いかも」
「なるほど!」
「温めると少し柔らかくなって、冷やすと固くなるようだな」
「魔力は全く通らないですよ。面白いな」
薬師の二人はゼノンをあしらいつつ、魔道具も使って色々と試してみている。カウチュークの木そのものより、樹液の方が興味深いようだ。
「そろそろ、晩御飯、できますよー」
ノアが呼びに来た。家から来てきたヒラヒラなものではなく、使用人らしいシャツ姿だった。すっかりお手伝いが板についている。
「あ、ノア君、ちょうどよかった」
「なあに? ジャンお兄さん」
ノアとジャンさんは魔法関連で仲良くなったようだ。というか、ノアが何でも理解して聞いてくれるので、ジャンさんが一方的にしゃべっている。
「明日、一緒に行かないかい? 木の上に実のようなものが見えるんだけど、君なら登れるかも」
ノアはぱちぱちと大きな目を瞬いた。ノアは、返答に迷った時にああいう顔をする。好奇心旺盛な子だし、興味はあるだろう。でも、留守番と言われた以上、遠慮するべきと思っているのだろうか。
魔物は強いと聞いていたが魔法も使えないし魔力も封じられている。カウチュークの林は普段からウオチョウチョウの巣になっていることもあり、それ以外の魔物の気配はない。
実を言うと、護衛の我々は、少々手持無沙汰だった。守る対象が一人増えたところで変わらない。
「シュタイン、いいだろ? 今日の感じからして危険はなさそうだ」
そう思って私はシュタインに許可を求める。
シュタインは少し考えるように腕を組んで、
「ああ、問題ない」
と、頷いた。




