43.異種婚姻譚の疑い
そして夕方。
予定通り、まもなく目的地に到着する。
目の前に広がる藍色の空、そこにいくつかの星が瞬くのを見てまた胸がいっぱいになる。
余計な事は話しかけるなと竜師に言われているのだが、私は我慢できず長に感謝を伝えた。
「飛竜の長、素晴らしい景色を見せていただきありがとうございました。自分の悩みなどちっぽけに思えて、久しぶりに心から清々しい気分です」
鞍の少し横、滑らかな鱗に覆われた緑青色の首の付け根をそっと撫でる。竜師から聞いた絶対に触ってはいけない場所ではないから、少しくらいはいいだろう。
少しひんやりとして滑らかで、気持ちの良い手触りだった。思ったより柔らかく弾力がある。さすが、空を飛ぶだけあっていい筋肉だなあ。
「リーゼおねえちゃん」
「ん?」
後ろの鞍のノアが話しかけてきた。ノアはよほど気に入られたのか、飛竜の長とずっと喋っていた。
「長が、お礼と激励だって」
「え?」
激励はわかる気もするが、お礼?
と、不思議に思った時、飛竜の体勢が大きく傾いだ。
「わっ」
ぐうん、と、斜めになって、左の翼越しに深い緑色の森が見える。右は複雑な色の空だ。
そして、やがて眼前に、見たこともないほど大きな夕日が見えた。淡い色の空に包まれた、穏やかで温かい色合いの夕日だった。
「すごい……」
お礼と激励。何のお礼なのかはよく分からないが、わざわざこれを見せてくれたのだろう。
景色が見やすいようにだろうか、大きく旋回する。他の四騎も長に続いたようだ。首を上げてみるとシュタインも驚いているのが見えた。
「おおい! シュタイン、見たか!? すごいな!!」
聞こえないのについつい手を振って、大声を上げてしまった。それでも何か言っているのは通じたのか、シュタインも大きく頷き返してくれた。
「ははっ 長、ありがとうございます!! ノアもありがとう、こんなの見られるなんて思わなかった!!」
『・・・』『・・・・』
ノアは長と何か会話をしてから、
「長も、こんなの見られると思わなかったからすごくうれしいって」
と、複雑な顔で言った。
飛竜ならこんな景色見慣れていると思うが、何か今日は、特別に美しかったのだろうか。
++
特に問題も起こらず、東の森の中にある小さな村に到着した。
日は落ちたが、まだ西の空がうっすらと明るい。森は山の影でこんもりした黒い闇のように見えた。
村の近くの広い野原で飛竜から降りる。改めてお礼を言うと、長はまるで馬のように、私の頬に大きな鼻先を擦りつけた。飛竜にキスされる日が来るとは思わなかった。
「ふおぁああ」
間が抜けたような声に驚いて振り返ると、背がヒョロリと高い青年が、そばかすだらけの顔を赤く染めている。
「ひ、飛竜様が、そんな……、に、人間ごときに愛情表現をするなんてこれはもう異種婚姻譚のはじまりなのではというのもはるか北のレイア地方では人間に変じて嫁取りをする竜の伝承がありましてまあさすがに竜様が人間なんぞに興味を示すなどないと思っておりましたがまさか」
格好からすると竜師のようだった。こちらで到着を待ってくれていたのだろう。
竜が好きすぎるのか、興奮して早口で何事かまくしたてながら、こちらににじり寄ってくる。……竜師って少し変わっている人が多いんだよな……
「あなたのどこがお気に召したのでしょうあなた飛竜様の言葉分からないでしょうになぜこのような口づけなどという栄誉をさずかれたのか実に興味深い」
うーん、そういうのではないと思うのだけど。長はノアのおかげで機嫌がよいのではないだろうか。
どうしようかと考えていると、シュタインがすっと間に入ってきた。
その様子は、まるで中央から来た偉そうな役人のようだった。……あれ? もしかしたら私達って中央から来た偉そうな役人なのか?
「我々は王宮騎士団だ、森の調査に来た。貴方はこちらの竜師殿か?」
男の様子など全く意に介さず、ぶった切るように騎士らしい朗々とした声を掛ける。
「あああ、失礼、いたしました。ええと、えと、長旅お疲れさまでした。私は、クラウゼヴィッツ辺境伯より、使わされました、竜師兼案内役の、アイゼルと申します」
「今回の調査隊を任された聖冠騎士シュタイナーだ。早速だが飛竜の鞍を下ろす指示を頼む」
「ああ、あなたが……」
シュタインは姓を名乗らなかったが、アイゼルは知っているようで、瞬きをすると背筋を伸ばした。関係が良くないとはいえ、さすがに領主の息子が聖冠騎士になったというのは知られているのだろう。
「では、皆さま、よろしく、お願いいたします」
シュタインに睨まれたからか、先ほどとは一転してたどたどしいしゃべり方になったアイゼルの指示を受けながら、飛竜から荷物や鞍を下ろす。身軽になった飛竜たちは、まだほんの少し藍色が薄い夜空に飛び去った。アイゼルが言うには、この近くの飛竜の谷で、飛竜同士のコミュニケーションをするのだろうとのことだった。
アイゼルに連れられて、大きな柵に囲われた村に入る。堅牢な、平屋作りの家が並ぶ村だった。道沿いには軒先に看板が下がっている家が多い。武器、防具、ポーションの絵なんかが描いてある。
「ここは、森の、最前線なんですよ。冒険者が、寝泊まりするのに、ちょうどいいんで、冒険者向けの、商売で、少し賑わってます。でも、なんでも、割高なんですよね。今回は、領主様が、拠点を用意してますんで、店先では、買わない方がよいですよ」
きょろきょろしていたらアイゼルが説明してくれた。時間のせいか、ほとんどの店は閉まっていて暗い。一件だけ、煌々と灯りがついていて、中から数人の明るい話し声が聞こえる。入り口の看板には、ビールと肉の絵。少しのぞいてみたいが、隊長らしくしかつめらしい顔で前をいくシュタインに、言い出せるような雰囲気ではなかった。
……? なんか機嫌悪い?
シュタインが真面目な顔をしているとそれだけで威圧感があるが、それだけではないような気がする。
故郷に帰ってきたから緊張しているのだろうか。
一番奥にある、唯一の二階建ての大きな建物に通された。小さな城砦のような雰囲気で、建物は低いが物見櫓のような塔もある。今回のように、隊列を組んで森に入るときに使う館で、五十人程泊まることができるらしい。
「女性の方もいると伺ってましたので、部屋は二つ、使えるようにしてあります」
そう言ってくれるのだが、七人のうち女性は私だけだ。一部屋覗くとニ段ベッドが左右に二つづつ並び、八人泊まれるようだった。
別に一緒でもいいと言いかけたが、シュタインが凄い目をしていたので口を閉じた。
「お食事まだですよね、田舎料理で、恐縮ですが、ご用意してますので、お荷物を置いたら、一階の食堂へどうぞ」
「ありがとうございます。お世話になります」
シュタインが偉そうにしてるので、私がアイゼルから説明を受ける。まあ、本来は事務官だしな。こういう補佐的な事こそ私の仕事だろう。アイゼルは一通り説明すると先に降りて行った。
さて、私も荷物を……と、隣の部屋へ行こうとしたとき、シュタインがノアにコソコソと話しているのが聞こえた。
「……な、なあノア、飛竜と人が番になるとか本当にあるのか? あ、あの飛竜はまさか」
ものすごく、緊迫した声色であった。
……まさか、こいつ、それでさっきから様子がおかしかったのか?
ノアも呆れたようで、すこし疲れた声を返す。
「…………あの長に限っては大丈夫だよ。シュタイン派だったし」
「そ、そうか……え? 派?」
あからさまにホッとしたような声になる。張りつめた空気が緩んだ感じがした。
隊長の威厳はどこへ行ったのだ……