41.飛竜の背
飛竜の谷に到着すると、上空を滑空していた五頭が空から降りてきて、我々の目の前の広場に一斉に着地する。大きな翼から風が起こって、土煙が舞い上がった。
飛竜は角と大きな翼があるトカゲのような姿だが、その胴体は馬の二倍ほどある。しかも、大きな翼があるため、もっとずっと大きく見える。
「この度は我らの些末な用事にお力をお貸しいただき、心より感謝を申し上げます」
飛竜たちに全員で礼節をもって挨拶する。王宮から契約の立ち合いに来た竜師の指示のもと、長い首から肩のあたりに、二人乗りの鞍を設置させてもらう。
「では、五騎、確かに。鞍を付けさせていただきありがとうございます」
『・・・・・』
飛竜のリーダーらしき竜が、くわっと口を開けて常人には聞き取れない声を出した。
「はい、もちろん。何かあった場合には、人間どもは置いてきていただいて結構ですので」
竜師の男が、真顔で恐ろしい事を言う。竜師は魔物使いの上位職の一つで、竜の言葉を理解できる。飛竜との契約の窓口を担っていて、こういう時には出発に付き添う。
そして竜師になる人は総じて、病的に竜が大好きで、それは人間などよりも大好きなのだ。なので何かあっても、味方をしてくれないのだ。
『・・・』
「はあ、え? この、子供ですか? これは従者として同行すると聞いていますが」
竜師は、何か驚いたように言って、のほほんと竜を見上げるノアと、竜を見比べている。
「……君、まさか、飛竜様方のお言葉が分かるのかね?」
「うん。あれ? 皆わからないの?」
ノアはきょろきょろと周りを見回すが、皆、首を横に振る。もちろん私もだ。微かに空気を揺らす振動を感じるだけだ。
「魔力のおかげかなぁ」
ノアの首にはいつものチョーカーはない。もし何かあった時に、咄嗟に魔法が使えなければ危険なので、最初から外していくことになったのだ。
その代わりなのか、調査団の従者にしては少々派手な、可愛らしい服を着せられている。母の趣味である。
健康になったノアは、はっと目を引く容姿をしている。ミルクのような白い肌に黒い髪はエキゾチックで、母と侍女が楽しんで手入れをしているのもあって、すべすべのツヤツヤだ。丸い大きな目は翠の宝石のようで、魔力の影響なのだろうか、吸い込まれそうな輝きを放っている。
もう、スラムにいた子供だとは誰も思わないだろう。
『・・・・』
飛竜がまた何ごとか言ったようだ。
ノアは飛竜をじっと見つめて、ぱかっと口を開いた。
『・・・・・・・』
『・・・・・』
「え、何?」
「ま、まさか、飛竜様の言葉が話せるのか!?」
戸惑う一行を置き去りにして、飛竜と何ごとかを話し合うと、ノアはこちらを向いた。
「長がおれに乗れって。リーゼおねえちゃんとおれが、先頭でもいい?」
++
「おお〜!!!」
私は思わず、心からの喝采をあげた。
飛竜に乗るのは初めてではないが、手綱を握るのも、ましてや隊列の先頭を飛ぶのは初めてだ。
本来なら、こちらの隊長であるシュタインがノアと先頭に乗るべきだと思う。
ノアは私が良いと言い、飛竜の長がノアの好きなようにさせろと言い、竜師の男は飛竜の言う通りにしろと言い、シュタインまで副官だから先導しろと言う。その結果私が五騎の飛竜隊の先頭で、長の手綱を持つことになったのである。
今日の行程はシュタインと私で決めたのだから、私が先頭でも何も問題はないのだが、このポジションはなかなか責任を感じる。
しかし、青空の中に飛び立つと、そんな後ろ向きな気持ちは消えてしまった。
森の中の広場から羽ばたいて飛び上がると、森の景色があっという間に後ろに流れてゆく。雲の近くまで一気に上がり、そこで一度止まると、ばさりと翼をはためかせ、まずは航路を北に取った。
とんでもない速さで飛んでいるが、風は感じない。飛竜に取り付けられている鞍は魔道具で、乗っている人間の周りを空気の壁で囲っている。それは風で落ちないためで、凍えないように空調の機能がある。また、乗り手の平衡感覚に干渉して、揺れも感じづらくしているらしい。
五騎のうち、私たちを含めた四騎はそれぞれ騎士が手綱を握っている。後ろの鞍にはノアと、研究者である魔法士団所属の薬師が二人。計七人での遠征だ。
もう一騎は無人で荷物を背負ってくれている。荷物には聖冠騎士のサークレットも入っている。封印の箱に入っているのだが、万が一サークレットの力が漏れると、アンチマジックが発動し鞍の効果が消えてしまう。そのため、少し離れて飛んでいる。
それにしても、先頭で飛ぶというのはここまで心地良いものなのか!
目の前には何もない。薄い雲がかかった青い空が広がっている。ここまでの開放感は味わったことがなかった。
何もない空を見ていると、張りつめていたものがふっと緩んでいくのを感じる。
思えばここ数年、心がずっと張りつめていたと思う。かなり無茶なことをして、女とは違うようにふるまってきた。
あれは特別なんだと思わせなければ、何かの流れに乗せられてしまう。デビュタントで男装したのも、街で警邏の真似事をしていたのも、学園にも男子の制服で通ったのも、「リーゼだからしょうがない」と、思わせるためだった。
別に女であることが嫌なわけではない。結婚して、子供を産んで育てて、それが嫌なわけではないが、その前に私個人の力を試すことがどうしてもしたかったのだ。
それがたまたま剣術で、それを活かすのは騎士だった。
シュタインに負けて、ついにこれで終わりかと観念したのに。なぜ私は今、騎士の格好で飛竜で空を飛んでいるのだろう。
幼い頃に憧れた騎士の姿というのはいくつかある。足並みを揃えて行進する姿や、馬上で旗を掲げる姿。厳しい鍛錬に向かう姿も、皆で杯を交わす姿も。
しかしその中でも、飛竜隊はまた別格だ。飛竜に認められるほどの人物でなければ、隊長にはなれない。今日はただの移動だが、飛竜隊の先頭を飛ぶ騎士なんて、……夢に見ることもできないほど遠い、憧れていた騎士の姿ではないか。
この景色が見られたのは、シュタインのおかげだな。
シュタインは、私のためにやったわけではないと思う。シュタインにとっては、飛竜に乗るのは特別な事ではない。飛竜隊の隊長だって、普通に仕事の延長線上にある姿だろう。
──でも、私にとっては
そう思って青い空を見ていたら、鼻の奥がつんとして、景色がにじんだ。
涙が落ちないように、慌てて気持ちを切り替えて辺りを見回した。身体のすぐ横を雲が流れ、眼下には柔らかい緑の森。右手のはるか向こうに王都が小さく見える。まるでおもちゃの町のようだ。
「ノア! 気持ちいいな!」
後ろに座るノアに話しかけたが返答はない。振り向いてみると、口をぱかりと開けて難しい顔をしている。おっと、長と話し中だったようだ。
邪魔しないように前に向き直った。意識すると、飛竜の声のかすかな空気の振動が感じられる。長はノアの声をどこで聞いて、どこから声を出しているのだろう。不思議に思ったが、そういうものなのだろうと、深く考えないことにした。
それより今は、折角の空の旅を満喫しよう!