35.ヘルデンベルク子爵家の都合
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「シュタイン、どういう事だ!?」
生暖かい嵐のようなフォルクライ親子の馬車を見送ると、私はシュタインに詰め寄った。シュタインはしゅんと、わかりやすくしょげた。私の剣幕に後退り、小さくなって椅子に座る。
そして言い訳のように言った。
「本当に手紙は出したんだ」
「いつ!?」
「師匠から、リーゼの結婚相手を探していると聞いてすぐに。師匠にチャンスをくれと頼み込み、家に手紙を出した。ヘルデンベク子爵のリーゼロッテに、求婚すると。もし許されるなら、こちらの家の人間になり、今までの恩を返したいと、ちゃんと言ってからやった」
「え、そう……か」
直球の言葉についたじろぐ。そのタイミングだと、私に勝ってからすぐじゃないか。
「ヴィンツェルが思ってるほど俺は馬鹿じゃない。師匠達に迷惑はかけたくない。返事も来た。任せる、という内容だった」
「じゃあなんで、許可がないなんていうことになってるんだ?」
「求婚する、とは伝えたが、……け、結婚するとは伝えてない」
「はあ?」
「だって、リーゼはまだ俺のこと、そ、そんなに好きじゃないだろ!? 小さい頃の約束だとか、弟みたいとかじゃなくて! もっとこう! リーゼが本当に、俺を……」
……その答えに、私だけではなく、父母も頭を抱えた。
確かに、ヴィンツェルが思った方向ではそこまで馬鹿でもなかった様だが、違う方向で阿呆だったようだ。
シュタインはモニョモニョと歯切れ悪く言う。
「しかし、知らないというのはおかしいと思う……俺が故郷に帰るつもりがないのは流石に分かってると思うし」
「……求婚しますと言ってからしばらく連絡がないから、断られたと思われてるのではないか?」
試合の後すぐ、という事はもう一年近く前の話だ。続報がなければそう思うだろう。
私がそう言うと、シュタインは合点がいったようで、ポンと手を打った。
「なるほど」
「阿呆か!?」
我慢できず、つい、ちょうど良い高さにあった頭をペシっと叩く。
そんなに仲良くもない知り合いに、「うちの息子、求婚したけどフラれたみたい」とは、言わんだろう。
「確かにそれじゃあ、知らないと言われても仕方ないなぁ」
やれやれ、と、父も椅子に座り込んだ。
「な、ならば、手紙を……」
「シュタイン、すぐに手紙は出した方が良いが、ちゃんと行って説明してきなさい。フォルクライ家とクラウゼヴィッツ家は仲が良い訳ではないが悪くもない。余計な火種を残さないように」
「……はい」
シュタインは肩を落として頷いた。まるで、ちょっとした悪戯が大事になって、どうしようもなく落ち込んでいる子犬のようだった。
シュタイン側の話はわかった。でも、うちはどうなのだろう?
「父上もなんでさっさとこっちから話をしなかったんです? この話、乗り気だったではないですか」
「いやなあ。この結婚に、あちらのメリットが何もない。家の格も裕福さも何もかも負けているのに、息子さんをくださいとはなかなか……なので、シュタインに任せていた。本音としては、シュタインがどうしてもというから、という形にしたかったのだ」
本音も何も、そもそも婚約を言い出したのはシュタインなんだから、それは当たり前だろう。それに、クラウゼヴィッツ家も、シュタインは十年間、我が家に任せっぱなしだったのだ。
「シュタインを育てたのは実質我が家なのですから、何かこう、恩義というか……」
「金銭的なことを言えば十分すぎるほど貰っているし、シュタインがいる事で道場の評判は相当上がったからな。……十年前に、寮を建て直しただろ? あれなんてクラウゼヴィッツ家の寄進だよ。貸し借りで言えば借りしかない」
たしかに、シュタインが来る前の寮は、使用人が寝起きする場所のような、目立たない建物だった。それが、建て替えになって、王宮の騎士の養成所にふさわしい、重厚な建物になった。一階には食堂とは別に、パーティーができるようなホールまであるのだ。そのおかげで貴族の子息も増えた。
なんだか釈然としないが、つまり、我が家からはクラウゼヴィッツ家に何の話もしていないし、出来るような関係でもないということか。
なんて事だ。この結婚は、もうとっくに決まった事だと思っていた。
どうしたものかとシュタインを見下ろすと、……何故かモジモジと赤くなっている。
「なんだ、気持ち悪い顔して」
「そんなにショックを受けるという事は、リーゼは俺との結婚に乗り気だという事だよな……つまり、そ、それは、上手くいったと、思っていいのか? 」
こいつ、この状況で何を言っているんだ。
でれでれと鼻の頭を掻きながら、「最近いい雰囲気だとおもっていたのだ」とかのたまうシュタインに、なんだかイラッとする。
「当たり前だ! 私の覚悟はとっくに決まっている。シュタインがうちを継いでくれるのが、どう考えても一番いいだろ!?」
「そ、そうではなくて! リーゼの気持ちが……」
「リーゼも一つ、誤解をしている」
ごちゃごちゃと言うシュタインに言い聞かせていると、父が突然、硬い声を出した。
「一番いいかといわれれば、そうでもなくなった」
「え?」
「な、師匠!!?」
シュタインも驚いた顔をする。
「なぜですか!? 師匠は俺を息子のように思ってくれていると……」
「それは勿論。シュタインはもう息子のようなものだよ。でも、よく考えてみろ」
「え、えっと、……」
父はおろおろするシュタインに呆れたのか、ため息をついた。
「お前はこういう事が分からないから、ヴィンツェル君に出し抜かれるんだ」
私も、うちにとって一番良いのは、シュタインが婿に来て跡を継ぐ事だと思うのだが、違うのだろうか。
私も分からずにぽかんとしていると、父はやれやれと眉を下げる。
「リーゼも自分の事になると途端にわからなくなるんだな」
「いや、でも。貴族の息子でうちに婿に来てくれるなんて奇特な人間、シュタインくらいしか」
「そんな事はない。『英雄の息子』という肩書はなかなかの魅力みたいだ。それに、リーゼは美しいからなぁ。以前から私の所には毎日のように話が来ていた。それもほとんどが高位貴族、次男や三男を婿にどうだという話だった」
そうだったのか、と、衝撃を受けていると父は続ける。
「しかし、婿なら、本人の実力が伴っているシュタインがよいに決まっている。実際、シュタインが婚約を宣言してからは止まったからな。……だがなあ」
父は立ち上がって、窓の外を見る。
もう外は暗く、窓ガラスには室内が映っているが、その向こうの訓練場を見ているようだった。
「さすが侯爵、私をよく分かっている」
感慨深げに口髭を撫でて、誰にともなく呟いた。
「……この道場を、リーゼが継ぐ、か」
その一言が答えになっている気がするのだが、意味がよく理解できず、私は首をひねる。
「ま、待ってください師匠!! それは、つ、つまり、リーゼの相手は俺よりヴィンツェルの方が良いと言う事ですか!?」
シュタインは勢いよく立ち上がり、父に縋りつく。珍しく、私よりシュタインの方が理解が速かったようだ。
「……今の状況ではお前もいつ故郷へ帰る事になるのかわからないだろう。このまま話を進めても、リーゼが東の森へ行く事になるかもしれない。……フォルクライ家ならば領地もあるが主戦場は王宮、しかも軍部だ。……道場の事、私が積み上げてきた事、リーゼの居場所、『うちにとって一番』と考えれば」
父はシュタインの顔を正面から見上げた。その目は静かでまっすぐで、見上げられているシュタインのほうが小さく見える。
「フォルクライ家の申し出は魅力的だ」
「そんな、……いや、しかし」
シュタインは絶望したような顔で何かを考えているようだった。目が泳ぎ、ふと私を見る。
「リーゼは、どう思ってるんだ」
え?
そう言われて初めて、私の話をしているんだと気づいた。なぜだろう、本当に他人事のように思っていたのだ。
でも、そう聞かれれば私の答えは決まっている。
「……私はこの家の一人娘だから。家にとって良い選択をする」
自分の声も他人の物のようだった。
「フォルクライ家のほうが良いのなら、そうする」
乾いた声でそう言った私を、シュタインは穴が開くほどじっと見つめた。
まっすぐな強い目。本当に野生の動物のように、遠慮も駆け引きもない視線だった。その視線に耐えられずについ俯き、目を逸らす。
「……は、」
長いような短いような沈黙の後、私の耳に聞こえたのは、シュタインの……笑い声だった。
「は、ははは、」
耳を疑った。こんな状況で、笑うやつがあるか? 私は泣きそうだというのに。
「なにがおかしい」
「いや、俺は、俺が思っていたより上手くいってたんだと思って」
喉の奥を鳴らすような、掠れた声で言う。嬉しさを飲み込んで、押し殺したような声だった。
思わず顔をあげるとかちりと目が合った。ろうそくの明かりに照らされた鷹のような目が、うっとりと優しく細くなる。夕暮れに、少しだけと手を伸ばされたときの目を思い出したが、あの時よりもっと、なんていうか、攻撃的な色をしていた。
シュタインは大股で私に寄ると、奪うように手を伸ばした。シュタインの腕が背中を回って、グイッと、やや乱暴に引っ張られる。遠慮もなく抱き寄せられてドレスの裾が翻った。軍服についた勲章が頬に当たり、少し冷たい。
「師匠、奥様。もう、リーゼにこんな顔はさせません」
見上げるといつもより少しだけ賢そうな金色の目が、狩りに向かう鷹のようにギラリと光った。
「必ず、フォルクライ家よりも好条件を持ってきますよ。……それならいいでしょう」
 




