33.英雄の娘は意外と価値がある
は?
私は耳を疑った。何だかとんでもない事を言ったぞ。
親に言っていない?
つまり、ええと? クラウゼヴィッツ家はシュタインが我が家に婚約を申し入れたことを知らない?
……? そんなことあるか?
そもそも、貴族の婚姻は本人同士というよりは、家の問題だ。
結婚式で初めて顔を合わせたなんていう話だってよく聞く。私だってシュタインとの話が出てくるまではそのくらいの覚悟はしていた。
新興の子爵家が生き残るには、功を上げただけでは難しい。しかも我が家には男子がいない。それならば、娘の縁談を使うのが定石だ。
シュタインは父の愛弟子だけど、父も母も賛成して問題なく話が進んだのは、クラウゼヴィッツ家だからというのも大きい。
それは、シュタインもわかっていると……思うのだが。
あれだけ大騒ぎして、噂になっているのに、そんな馬鹿な。
……シュタインを見ると、悔しそうに唇を噛んでいる。
え、本当に?
「さすがのフォルクライ家も、クラウゼヴィッツ家を敵には回せない。でも、あの家が、軍の実権なんて欲しがるかなぁ? もうあそこはあの地域で独立してるようなものじゃん?」
ヴィンツェルはあきれたように肩をすくめる。
「僕は君が、どれだけリーゼに執着してるかわかってるよ。だからもしかしたら、家出か駆け落ちでもするつもりじゃないかと思ってね。……案の定、ウチは知らないからお好きにどうぞと、そういうことだったよ」
「……」
「甘い」
ヴィンツェルが珍しく苛立たしげに、吐き捨てる様に言った。
「君が好きになったのは、ただの女の子じゃないんだ。英雄で、政治の中枢に一代で駆け上がったアレクシスの娘なんだよ」
シュタインは顔色をなくす。先程までの威勢の良さはなく、言い訳のように続ける。
「お、俺はもうあの家とは関係ない。ヘルデンベク家に入るつもりで」
確かに私も、婚約したとはいうものの具体的な話はなく、少し不思議に思っていた。私もシュタインもいい歳だから、準備が整い次第すぐにでもという事になってもおかしくない。
でも、クラウゼヴィッツ家は王都に出てこないし、シュタインも聖冠騎士の任期があるし……色々あるのかなと、のんきに思っていた。
……いや、ちがう。私もどうも現実味がなくて、後回しにしていた。
「君から言い出したんだから、師匠たちは待っていたと思うよ。クラウゼヴィッツ家からの正式な話をね」
「手紙は、出した……一応」
「返事は? 届かなかったのか向こうで無視してるのかわからないけど、それじゃあ伝わっているとは言えないね」
「そ、それについては一任すると言われている」
「それは好きにしろというのではなくて、考えろという事でしょ」
ぐ、と、シュタインは押し黙る。
しかし思い直したのか、きりっと強い目をヴィンツェルに向けた。
「俺は、リーゼを、それにこの道場を愛している。俺ほどこの家の跡継ぎにふさわしい者はいない」
二人を見守っていた父が小さく頷く。やはりそう思っていたのか。
しかしそれを見たフォルクライ侯爵は僅かに眉を上げた。
「シュタイナー・クラウゼヴィッツ君だったね? それであれば、しっかりと実家と縁を切るのが先ではないかな?」
フォルクライ侯爵はシュタインに言う。
「クラウゼヴィッツ家も君が故郷に戻って家を護る事を期待して、騎士の教育を受けさせたのだろう」
「……」
「そもそも、ここに預けてくれたのはご両親だろう? 筋は通さなければ」
シュタインはたしかに、という顔で頷きかけた。
「シュタイン、よく考えな」
そこに今度はヴィンツェルが口を挟む。
「クラウゼヴィッツ家の威光があれば、大体の家は引く。だからわざわざ確かめたウチしか、こういう事を言ってないんだよ。……言ってる意味、わかる?」
「!」
シュタインは驚いたようにヴィンツェルを見る。
「英雄アレクシスの一人娘、ヘルデンベルク子爵令嬢の価値を、よく考えてみるんだね。……君がクラウゼヴィッツ家の者でなくなれば、リーゼとの結婚は出来なくなると思った方がいい」
「おいおい息子よ」
侯爵は、たはは、と、ヴィンツェルそっくりに笑って頭に手をやる。
「敵に塩を送るものじゃないよ」
侯爵は分かっていて言ったのだろう。
……なかなか、食えないお人である。
先程の侯爵の言った事を思い出す。「政治は任せろ、私が退いてもヴィンツェルは幸い優秀だ」
なるほど。
私と結婚する事で手に入る、軍部を掌握しているアレクシスの義理の息子というポジション。それは、魅力的な権力だ。
++
「……わかった。……家に話しに行く。時間をくれ」
しばしの沈黙の後、シュタインはそういった。
「つまり、……あの家も含めて、俺の価値なのだという事は理解した」
そんなに悔しそうにいう事だろうか? 家は貴族の誇りではないか。
そういえばシュタインから家の話を聞いたことがない。この十年で帰ったことがあっただろうか? そんな話もしたことが無かった。話題も避けているのかもしれない。……あまり仲が良くないのだろうか。
「そうはいっても、君、聖冠騎士でしょう。そんな時間あるの?」
「作る」
シュタインはヴィンツェルに言われて即答する。
聖冠騎士の任期は一年だ。途中で王都を離れるなんてできるのか。
「大丈夫か?最近忙しいのに。任期はまだまだあるだろう?」
「大丈夫だ」
自棄になっているのではと心配になって声をかけるが、シュタインは真剣な目のまま、私に笑いかけた。
「来週に行こう」
「来週!?」
そんな、ちょっと出かけよう、みたいなノリで言われても……
ん? 「行こう」? 「行ってくる」ではなくて?
「え?私も行くのか?」
「当然だ!」
クラウゼヴィッツ辺境伯の領地……東の森の城……なにかヒヤッとするものを感じたが、婚約のご挨拶も兼ねてと考えれば、まあ、同行した方がよいだろう。その方が話も纏まりそうな気がする。
……というか、シュタインに任せたらどうなるかわからん。
「……わかった、こちらはひと月は待とう」
フォルクライ侯爵は面白くなさそうに、皮肉気な笑顔で言った。
「アレクシスもその筋肉達磨……失礼、が、気に入っているみたいだし」
「師匠の為にも、必ずうまく収めて見せる」
シュタインは大きな決意をしたような顔で大きく頷いた。少しだけ背中の筋肉が誇らしげにピクリと動いた。
……侯爵、残念ながら筋肉達磨は誉め言葉として受け取られているぞ……
「リーゼ」
オシャレ眼鏡を掛けなおしたヴィンツェルが、私だけにそっと囁いた。
「君の心のままに。……頑張って」
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