32.だって勝てたから
「知っていると思うが、これまで息子は少々、目に障りがあってね。そのせいであまり女性と交流ができなかったんだ」
障り……魔眼のことか。確かに、由緒正しき侯爵家の跡取りが呪いのような目を持っていたら話題になるだろうに、噂にも聞かない。それはあまり深い人付き合いをしていなかったからなのかもしれない。
「それが最近解消してね。本人もやっと乗り気になったから、真っ先にこちらに話を持ってきたよ」
フォルクライ侯爵はうきうきと嬉しそうに話をする。父を見ると、困った顔をしていた。シュタインの話はしていないのだろうか?
そして母は何だか顔色が悪い。侯爵家からの縁談なんて、大喜びしそうなのに。
「お話は分かりましたから、またお返事は後日……」
もごもごと父は言うが、フォルクライ侯爵の勢いは止まらない。
「もちろん、正式な回答は後でいただくよ。でもね、産まれる前から話していたじゃないか。子供達を結婚させようって」
「!?」
初耳だ。父を見ると気まずそうに目をそらす。これはフォルクライ侯爵は嘘を言っていないぞ……
「ち、……お父様、どういうことです?」
問いかけると、もごもごと口を動かす。
「当時は私も爵位をいただいた直後で……どうして良いかわからなかったというか……断る理由もなく……」
「あなた、その話は気にしなくてよいとおっしゃってたわよね?」
「ヴィンツェル君が入門する前、二人を会わせたことがあっただろう? そのあと保留となって……リーゼの活発な様子が気に入らなかったのだろうと」
入門前といえば、あの時か? たしか2人で遊んでこいと言われて、剣の振り方を教えてやった。
確かにそれで保留にされたというのなら、令嬢らしくない態度がよろしくなかったと考えるのが普通だろう。
しかし、叱られた覚えはない。態度のせいで侯爵の後継との話が無くなったとなれば、容赦なく叩き直されそうなものだが。
……ふと先日のアリシアの話を思い出す。ヴィンツェルの婚約者である、意地悪な令嬢リーゼロッテ。
私とヴィンツェルが婚約するというのは、ありえた、という事なのだろうか?
呆然とする私たちとは裏腹に、フォルクライ侯爵はとてもうれしそうだ。
「それは誤解だ、息子はお嬢さんをとても気に入っていたよ。あれから剣術道場に入門したいと自分から言ったんだ。彼女に相応しい男になるんだってね」
「父上、恥ずかしいことをバラさないでください」
「おや、すまないね、お前の純情を伝えておかなければと思って」
よく似た親子はよく似た笑顔で朗らかに笑う。
しかし私達は笑えない。その話が本当かはわからないが、無視できる話ではない。
その様子をちらりと見て、空気を変えるように侯爵は父に向かって身を乗り出した。
「……わかるだろう、我々は組むべきだ」
子供の恋の話から家の話になったようだ。その目は暖かい父親の目から、貴族の目になる。
「これは君にとっても良い話だ。フォルクライ侯爵夫人であれば、女の身でも好きなようにできるだろう。道場をお嬢さんが継ぐことも夢ではない。軍部は任せろ、私が退いてもヴィンツェルは幸い優秀だ」
フォルクライ侯爵は熱く語る。
「考えてみたまえ。君の理念を守れるのは、君が英雄アレクシスだからだ。だが君の後は? この道場は続いたとしても貴族の学校となってしまうだろうね。君のような文武両道の人間は少ないと、いい加減わかっているだろう? 君はすごいよ、英雄の威光が消えない数年の間に、軍部になくてはならない人間になった。魔力がなくても、出自が平民でも、活躍できるような道を作り上げた。でも、そのあとはどうなるか」
確かに、王宮で手伝いをしていて感じていたが、父は貴族のあしらいも上手い。プライドを傷つけず、自分の意見をするりと通す。
へらへらとしている時もあるし、理不尽な言葉に頭を下げている事もある。
それは「英雄」「剣聖」という姿とはかけ離れていて歯がゆく思う事もあったが、だから元英雄は、今でも元英雄でいられるのだろう。
軍部の中枢に身を置きつつ、道場の運営を行う。
それを弟子の誰かが引き継いでできるだろうか?
例えばシュタインは?
少し想像してみた。うん……無理だな……
シュタインが自分より弱い人間に頭を下げるなんて、想像できない……
「いいえ、私より優秀な弟子はいますよ。まだ若いから、暫くは任せられませんが」
私がすぐに心の中であきらめたのに、父はきっぱりと否定した。しかしフォルクライ侯爵は、フン、と鼻で笑った。
「それは、愛弟子の聖冠騎士殿かな?」
父が沈黙したのを見て唇の端を上げた。でも、さっきから……侯爵の目がまったく笑っていないんだよな。
「君の娘は聖冠騎士と婚約しているなんて言う噂を聞いたよ? ひどいじゃないか、アレクシス。こちらの方が話は先だ」
「しかし、今までずっと保留にされていたので、もうないものかと」
「それは申し訳なかったと思う。しかし、問題は解消された」
フォルクライ侯爵はヴィンツェルに合図する。 ヴィンツェルは薄いレンズの眼鏡を外してきらきらした笑顔を浮かべた。
その眼鏡は外す必要あるのか? 何の効果もないおしゃれ眼鏡ではないのか?
そう思ったが、母は一瞬息を呑んだ。控えていた侍女も僅かに身じろぎした。ヴィンツェルの美しさに驚いたのだろう。
……なるほど、眼鏡を外すのは攻撃の一種なのかもしれない。
「これまでお待たせし申し訳ございませんでした。この通り目は治り、魔法も使えるようになりました。剣ではありませんが、お嬢様に勝てる実力もある」
なにを言っているんだ??
ぽかんとする私にヴィンツェルは美しい顔で微笑みかける。
「……一度でも勝てたら話を進めるつもりだった。君にくらいは勝てないと、認めてもらえないからね」
勝てたら……?
「じゃあ今回は、僕の勝ちってことで」と、確かにこの間そういっていた。たしかに、先に倒れたのは私だ。
だが……試合中に騙すように魔法を使ったじゃないか。
不満そうな顔をした私に、ヴィンツェルがわざとらしく驚いた顔をする。
「まさかリーゼ、あれは無効と思っている? 最初に魔法使う話もしたし。それにほぼ互角だったじゃないか」
「……」
ヴィンツェルはトントンと自分の頭を突いて見せた。
「言っておくけど……あれは本当の本当に、僕の能力をすべて使った、全力だからね」
「いや、でも」
確かに、そう思い込まされたのも、戦略と言えば戦略……か?
困惑して返答に困ったところで、どかどかと外が騒がしくなった。
「なんだ?」
「し、失礼します、お客様が……っ!!」
「ヴィンツェル、一体、どういうことだ!?」
部屋に駆け込んできたのは、仕事の正装のままのシュタインだった。
「まあまあ、落ち着いて」
どうどう、と、困った笑顔を浮かべてヴィンツェルはシュタインを宥めようとする。
「落ち着けるか!貴様、また卑怯な手を使ったのだろう!?」
「またってなんだよ、僕はいつも正々堂々! 卑怯な手なんて使った事なんてないよ!」
「ふざけるな!」
今にもつかみかかりそうなシュタインを止められるのは私しかいない。
「シュタイン、侯爵もいるから!」
私はシュタインにしがみつく。くそ、馬鹿力め。
しがみついたからか、ヴィンツェルだけではないことに気づいたのか、何とか止まった。それでも興奮しているようでふー、ふー、と、息を切らしている。
侯爵は眉と唇を片方上げて見せた。野蛮だね、と言っているようだった。
「シュタイン、仕事は? どうしてここに」
「ヴィンツェルから使いが来た。リーゼは貰うと。不満があれば今すぐ来いと」
「いやあ、僕もね。このまま外堀埋めてしまうのはフェアじゃないと思って」
たはは、と、ヴィンツェルは困ったように頭をかく。
「もとから、僕の話の方が先だったんだよ。でもリーゼは自分より強い男が好きだっていうし。勝てないならやめとこうと思ってたんだ」
「ならばやめろ、いまさらなんだ」
シュタインは低い声で威嚇する。握りしめた拳がブルブルと僅かに震えている。
「だって、勝てたから」
ふふ、と嬉しそうにほほ笑む。
「ね、リーゼ」
「なんだと!? お前がリーゼにかなうわけないだろう!」
「あ、いや」
私は何と言ったらいいかわからず、咄嗟に否定する。確かに、負けたは負けたのだ。
「たしかに……土はついた」
「なっ」
シュタインは信じられないというように目を見開く。
「し、しかし、もう、俺とリーゼは婚約しているんだ。師匠達の許可もいただいている」
そうだ、私も経緯はどうあれ、同意はした。
恋だとかなんだとかは分からないが、弟も夫も家族は家族だ。正直最近は、それも悪くはないと思ってもいる。
「いいや、まだ、婚約は成立していない」
ヴィンツェルはちっちっち、と、指をふり、美しい目をにんまりと細めてシュタインに言った。
「だって君、まだ親に許可とってないでしょ?」