31.春の生暖かい嵐
今日は一日、王宮で父の手伝いをしていた。
そろそろ終わりかと思っていたら、騎士団から封書を託された。国王への報告書らしい。内容は知らない。
私なら書類を奪われないだろうという事だ。書類の護衛の任ともいえる。
それで封書を胸に抱え、国王の執務室に向かって中庭に面した外廊下を歩いている。
「あ、リーゼ」
周りに人がいないのをチラチラと確認しながら、シュタインが小走りで駆け寄ってきた。
短い髪、嬉しそうな目。なんだかそれを見てほっとする。そうだ、これがシュタインだよな。
「シュタイン、なんだか久しぶり。仕事中だろ、いいのか」
「今休憩に向かうところだった。すぐ戻らねばならんが、少しならいいだろ。小便だが大だったということにしておく」
「それを淑女に言うなよ」
「そうだった、すまない。つい」
聖冠騎士の仕事中だ。国王に従う格好だからばっちり決めている。私も一時期やっていたからわかるが、特に国外からの賓客には舐められてはいけないと言う事もあり、やたらとよい生地の軍服で飾り立てられるのだ。
そんな格好で、小便の話をされて、つい噴き出す。まったくきまらない。
「私も仕事中だ」
「では一緒に行こう」
「行く先はシュタインの仕事場だ。休憩にならないよ」
む、と口をとがらせるシュタインに小さく笑って、私は歩き出す。
私だって仕事中だし、この護衛対象を早く送り届けたいのだ。そんなに急ぎではないかもしれないが、一時も早く手放したいものってあるだろう?
シュタインは構わずについてきた。小便はいいのだろうか。まあ大人だし、それは私が気にしてやらなくてもいいだろう。
しかし特に話すこともなく、というか、話す事は浮かぶが今言うことでもない気がして、結局黙って静かに並んで歩く。
アリシアから聞いた話は、シュタインに言うことではないだろう。お前が魔王になる話があるらしいよなんて、真面目に言われても困るだろう。
そうだ、また今度、酒のつまみに教えてやろう。
ヴィンツェルに負けた話……? も、なんだか相応しくない気がする。
「ああ、そうだ、ノアが最近シュタインが顔を出さないから寂しがってたよ」
やっと話題を思いついてノアの話をする。
「最近はよく食べるようになった。何でも美味しそうに食べるから、料理長が喜んでる。あの子、誰にでも可愛がられるんだ」
「うん」
相槌がいつもと違うような気がして顔を上げる。
「……あ、ええと」
シュタインは見たこともない顔をしていた。……鷹のような目はどこに行ったのだ。そこまで愛情をだだ漏れにした顔は、騎士として相応しくないんじゃないだろうか……
「……忙しいのは知っているけれど、た、たまには、顔を出せよ……」
何とかそう言うと顔を背ける。こんなの、見てられないだろう。私まで赤くなってしまうではないか……
「うん。何とかする」
優しくて低い、あやすような声にまた何とも恥ずかしくなって、口を閉じた。
かつかつ、こつこつ、と、二人の足音だけが響く。
この外廊下はあまり人が通らない。この先は国王の執務室だから入れる人も限られている。すぐそこの中庭に出られるようになっているが、綺麗に整えられた庭で遊ぶような人間はいない。観賞用だ。
庭の方から西日が差し込んで、二人の影が長く伸びていた。
遠くから、鳥の声が聞こえる。
こうして並んで歩くのも久しぶりだな。
「ああ、すぐについてしまう」
シュタインが名残惜しそうにつぶやいた。
そりゃあそうだ。廊下の端から端までの、短い時間だった。
突き当たりの角を曲がる前で、シュタインは立ち止まった。
つられて私も止まる。
見上げると、なんとも言えない目で私を見ていた。少し寂しそうな、名残惜しそうな顔だった。金色の目に夕陽が映りこんで、橙色に染まっている。
もう少し一緒にいたいというのは伝わってくる。それは私も満更ではなかった。
……シュタインの隣にいるのは暖かくて気持ちが良い。もうすこし、並んで歩いていたい。
……そう思ったので、恥ずかしいと思う気持ちを奮い立たせ、シュタインに囁く。
「また、出かけような」
豊穣際は確かに楽しかった。二人で手をつないで歩くのも、悪くない。
「リーゼ、」
大きな手が私の顔に伸びる。不思議と避ける気にはなれなかった。その手はおずおずと頬を撫でる。私が動かないのを見てほっとしたような顔をした。
「……少しだけ」
言い訳するように呟いて、シュタインは私をそっと抱きしめる。
夕暮れの暖かい雰囲気のせいだろうか、そんなに嫌な気はしない。私は抵抗する気も起きず、だからと言って身を寄せるのもできなくて突っ立っていた。
書類を抱えているし、シュタインも遠慮がちだ。そんなにくっついていなかったが、太い腕に包まれているのは暖かい。
前髪に、そっと鼻先が当たった。
……ガチャ
その時、遠くでドアノブが回る音がして我に返る。
「こ、これを届けなければ」
私は慌ててシュタインの腕から抜け出した。まったく、二人して何をしているのだ、大事な仕事中だというのに。
「あ、」
「また今度な!」
何か言いたげなシュタインを残して、国王の執務室に急ぐ。
お前は早く小便に行け。
++
仕事がおわって、王宮から家に戻ると、家の前に高級な馬車が停まっていた。
見覚えのある家紋が入っている。
フォルクライ侯爵の紋だ。ヴィンツェルの家の馬車か。
でも、ヴィンツェルがうちに通っていたころから、こんな格式ばった訪問はなかった。いつも小さな黒い馬車で、御付きも一人だった。
「お、お嬢様お待ちください」
なんだか妙だな、と思いながら玄関から入ろうとしたら、待ち構えていた侍女に止められた。
そのまま引きずられるように、裏口から部屋に連行される。
「なに? なんかあった?」
「フォルクライ侯爵がお越しなのです」
「うん、馬車があったね。ヴィンツェルが来ているのかと思ったけど」
「ヴィンツェル様もいらしてます」
フォルクライ侯爵はヴィンツェルの父君だ。そしてなぜか、うちの父と仲が良い。
あちらは由緒正しい侯爵家、本来であれば小さな子爵家である我が家では来訪があっただけでも事件となるはずだが、そのような関係なので、そこまで特別な事でもない。
なのだが、今日は様子が違う。侍女は神妙な顔で良いドレスを用意する。
せっかく帰ってきたのに飾り立てられてげんなりするが、侍女の迫力には勝てない。
仕事帰りの動きやすい服から、ひらひらのイブニングドレスに着せ替えられる。
「失礼いたします、お嬢様がお戻りです」
家なのに……格式ばった形で応接間に入る。ああ、お腹空いたなあ。
ヴィンツェル達と一緒に食べるのかな? なんでこんなドレスで……
少々不満に思いながらも淑女モードで挨拶した。
「突然すまないね、リーゼロッテ嬢」
フォルクライ侯爵はヴィンツェルに似ているが、骨格ががっしりしていて男らしい。
ヴィンツェルのようなはかない美しさはないが、甘い目元はよく似ていて、若いうちは本当におかしいくらいモテたと聞く。
そのフォルクライ侯爵はその甘く下がった目元をさらに下げて爆弾を投下した。
「ようやく、息子がその気になったのだよ。ずっと待たせてしまっていたが、是非縁談を受けてほしい」
「……は?」
フォルクライ侯爵の後ろでヴィンツェルが、ごめんね、と言うような顔でちらっと舌を出した。




