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敗北した女騎士は、破滅を回避した悪役令嬢らしい  作者: ru
第三章 子育ては訓練から
30/84

30.改変された世界

 

 その日の夕食時。今日は父も家に帰ってきていた。久しぶりに家族がそろった。

 ノアもちゃっかり同席していた。


「お、パイシチューだ」


 父は嬉しそうに、器に蓋のようにかぶせられたパイ生地をスプーンで割っている。

 寛いだ格好は威厳が無くて、気取ったヒゲの武器屋のオヤジのようだ。事実上の軍事統括にはとても見えない。


 父も母ももとは平民だ。母は気位の高さから貴族らしく振舞おうとしているが、父は家にいる時くらいはのんびりしたいと言ってきかない。

 なので、父がいる時は、使用人が給仕することもない。一皿盛でまとめてテーブルに並べて、好きなように食べる。


 いつもは楽しいひと時なのだが、今日はまだ心がささくれ立っていた。

 アリシアの話だ。あの「お話し」がどこかにあるのだ。アリシアが考えたとは思えない。お話の作者は、我が家にうらみでもあるのだろうか。


「『聖女は森の城で眠る』って聞いたことありますか?」

「いや、聞いたことないな」

「何かしら、小説? お芝居?」

「小説、のようなのですが。今日アリシアが話をしていまして。何やら、私やシュタインの名前が勝手に使われているようなのです」


 その場での怒りは収まったが、考えると暗い気持ちになってくる。実在の人物を当てはめていい内容ではないだろう。特に、魔王にされたシュタインと私。そんな風刺をされるほど、シュタインも私も恨まれているのだろうか。


「魔王が復活するようなシーンがあるのだとか……しかも、復活する魔王はシュタインなのだそうですよ、つい笑ってしまいました」


 私が騎士団に一目置かれているのは女を使った結果で、シュタインの強さは魔王のよう、そして父が国を救ったのは嘘だと言いたいのだろうか。


「はは、それはすごいなあ」


 苦笑する私に、父は笑いかける。そして諭すように言った。


「そんな顔するな、リーゼ。もし本当に出回っているのなら、それは本当のシュタインがそんなことをするはずがないからだ。だから『物語』として楽しめる。それはシュタインが信頼されているからだよ」


 私は随分、つらそうな顔をしていたらしい。まるで幼い子に言い聞かせるような優しい声だった。

 だって悔しいだろう。父の偉業やシュタインの人格がそんな風に否定されたら。


「ですが……魔王が復活するなどという話を広めるのは、やはり良くないと思うのです」

「それだって、復活するわけがないと思われているからだろう。それに、ない事を証明することは難しい。あの魔王は完全に消滅させたはずだが、似たようなものが出てこないとは限らない。危機感を持つと言う意味でも悪い事ではないかもしれないね」


 そうかもしれないと思うが、理屈ではなく心がつらいのだ。それをどうしたら伝わるか。そんな風に思ったのかもしれない。

 あまり楽しい話題でもないが、私はつづけた。


「その話の中で、私は随分と鼻持ちならない人間に描かれているようです。友人を虐め、魔王となったシュタインとともに、……黒い竜となって王都を焼くのだとか」


 かちゃん、と、食器が触れ合う音がした。見ると母が青い顔をしている。


「お母様?」

「ああ、いえ、」


 母は私を見つめてほっとしたようにほほ笑む。


「何でもないわ」



 ++



 鏡に映る、豊満な胸と細い肩、白い肌の美女。

 ああ、これは夢だ、と、気づく。


 豊穣祭からたまに見る、森の城の夢。

 しかし、起きるとその気分だけを残し、記憶は消えてしまう。なのに、夢の中ではこちらが本当の事のように思えるのだ。


 もしかしたら、アリシアもこの世界の夢を見ていて、それを覚えていたのかもしれない。



 森の中の城は、あまり日が入らない。

 昼間でも、ランプ代わりに設置された、美しくカットされたルミナミュラーナの魔石が、静かに石造りの城を照らしている。


 私は少し変わった形の豪奢なドレスを身にまとっている。これは社交界で流行中のデザイナー、ルシーダのドレスだ。

 ウエストを絞り、脚のラインも美しく見せるシルエット。ハートカットの胸元は豊かな谷間を強調し、肩と背中は大きく露出している。

 肌に溶け込むようなシャンパンゴールドの生地は、ネクタリスパイダーの糸状の魔石を織り込んでいて、それだけでくらくらするような香りがした。

 細く折れそうな首の上に、上品な小さな顔と盛り上げたような髪。


 左の薬指には、サンクティアの指輪。


「リーゼロッテ! ああ、やはりよく似合う」


 髪の長いシュタイン……クラウゼヴィッツ卿が上機嫌で入ってくる。


「ありがとうございます。このような、高価で貴重な物を」


 礼を言う私の声がうわずっている気がする。腹に力が入らないからか、それとも、この男が恐ろしいからか。

 クラウゼヴィッツ卿は愛おしげに目を細め、まじまじと私を見つめる。


「よい、このドレスが世に出て、美しいと評判になったのは、其方を飾るためだったのだろう」


 躊躇いもなく伸ばされた大きな手が肩に手がまわり、抱き寄せられた。

 肩も背中も大きく開いているドレスだ。素肌に革手袋の感触が這う。手袋越しの温もり。

 腕の中閉じ込められて、私は自らその胸にしなだれかかった。


 耳に唇を寄せ、クラウゼヴィッツ卿は少し得意げな声で呟く。


「……あの男は処分した」

「まあ」

「もう煩わせる事はない。安心しろ」


 それは、数日前に私が頼んだ事だった。王都から来た男で、私のことをとんでもない悪女であると噂を流したのだ。

 その男が死んだとしても、すでに噂は広がっている。……逆に、あの男が死んだことで信憑性が増しただろう。

 どこか他人事のようで、嬉しくも悲しくもない。でも、こうして、こういうべきだ。


 私は上目遣いに見上げると唇の端を上げて控えめにほほ笑む。


「嬉しい。ありがとうございます」

「其方に何かをねだられるのは心地よい。他にはないか、何でも叶えてやる。そうだ、あの顔だけの男の皮でも剥いでこようか」

「いいえ、御手を煩わせることはありませんわ。それに以前の事は……忘れさせて下されば」


 誘うような囁く声に、クラウゼヴィッツ卿は金色の目を細め、首筋に唇を落とした。


「あ……」


 私は甘く、微かな声を出してみせる。それに気をよくしたのだろう、首筋を生暖かい湿った感触が這った。


 恐ろしい大男が私の思うままに動くのがおかしい。濃茶のすこし硬い髪に頬を寄せるとくすぐったくて、私はくすくすと笑った。


 こうして、クラウゼヴィッツ卿のお気に入りであれば……私はこの狭い世界の女王でいられるのだ。気に入らない人間は消し、心地の良いものだけにしてくれる。


 ……それは、「国で一番美しいと言われていた女」「剣聖の娘」であるモノを気に入っているからにすぎないのだろうけれど。


 ここに来てから、大切に大切に閉じ込められ、この城から出る事もできないが、望むことはクラウゼヴィッツ卿が何でも叶えてくれる。


「ああ、其方は美しい。この城の……いや、この国のどのような絵より、彫刻より、宝石より……」


 クラウゼヴィッツ卿は、ご機嫌よろしく、私を抱き上げゆっくりと寝台に向かう。

 その腕は力強く、逃げられない絶望と守られている安心があって、どこか心地よさを感じた。


 私をそっと寝台に横たえて、男は愛おしそうに髪を撫でる。



 ……私を捨てたすべてのものを、きっと彼は消してくれる。

 その対価になるなら、この身など安いものだろう……


 そう思って、何かを諦めて、目を閉じた。



 以前にもこんなことがあったような気がする。この男の前で、何かを諦めて、目を閉じたことが。


 あの時彼は、「こんなのリーゼではない」と言って泣いたのだ。



 ……あれ? 何かおかしい。

 そうだ、私はこんな女ではない。男に媚びて、言われるままに望まれるままに振舞って……敵を自分で倒そうとも思わないなんて……


「どうした?」


 急に身を固めた私を不思議に思ったのか、クラウゼヴィッツ卿が覗き込む。

 その金色の目は確かに愛情らしきものが宿っていたが、言葉とは裏腹に思いやる気などはないようだった。お気に入りのおもちゃを見るような目。……何と答えても、私は逃がしてもらえないだろう。


 背筋がぞくりと粟立った。ここにいては、取り返しのつかないことになりそうな気がする。


「震えているのか? ふふ、案ずるな。優しくしてやる」


 獲物を捕らえた鷹のような、満足そうな瞳が細められた。


 怖い。だれだ、これは。シュタインはこんなじゃない。


 せっかく私をベッドに押し倒したのに、ぐしゃぐしゃの顔で泣いたアイツはどこだ。


「……こ、こんなのリーゼじゃないって、言ってくれたじゃないか」


 恐怖に抗うように喉の奥でつぶやいたとき、ぐるんと世界が反転したような気がした。



++



「……っ!!」


 目を開けると、自分の部屋のベッドの中だった。慌てて起き上がるがまだ外は暗い。


「あれ」


 心臓が早鐘のようにドキドキと打っている。なんとか逃げられた、と、安堵して、はあ、と息をついた。


 ん? ええと、なんだっけ。

 今……何か取り返しがつかなくなるような……二度と起き上がれなくなるような気がして……無理やり目を覚ました、ような気がする。


 ……しかし……


 私は自分の身体を抱きしめた。


 ……それまでは、……なんとも心地の良い夢を見ていた気がするのだ。


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