26.見学
「今日もよろしくお願いします!!」
週に一度、二時間という予定にしていたのだが、アリシアが自主練もしたいと言い出した。道場に来ることそのものが楽しいらしい。
道場に令嬢一人でいたら男どもが寄ってきてしまう。それを阻止するとやつらはソワソワして身が入らないので、結局このクラスは週二でやることになった。その間、この訓練場は貸切である。
「アリシア様、おはよう、ございます」
「ノアちゃん、おはよう」
ノアも助手をする傍ら、余裕があるときは一緒にやっている。しかし、まだまだ全快ではないのだろう。半分くらいで息切れしてしまう。
最初に比べればずいぶん動けるようになったが、元気いっぱいの少年たちの中に入れるにはまだ早い。
多分、このまま寮に入れてしまったら、ノアは周りに負けないように魔法を日常的に使うだろう。魔法は使いすぎると体に負担がかかる。同年代──10歳の子供と一日中遊べるくらいに回復するまでは、魔法は封印すると約束した。
チョーカーはうっかり魔法を使わないようにするために着けている。外そうと思えば自分でも外せるが、外さずに頑張っている。これは強制ではなく、自分の心との闘いだ。そう伝えたら真剣な目で頷いた。
少しふっくらしてきた顔と大きな丸い目もあって、リボンをつけられた猫みたいで可愛い。アリシアたちも可愛がってくれている。
それにしてもアリシアのやる気がすごい。
最初こそ筋肉痛が辛いと言っていたが、家でも筋トレを欠かさずやっているようで、すぐについてこられるようになった。伯爵令嬢は、それでよいのだろうか。
今日も始まる15分前には、訓練場で準備運動を始めている。
「……アリシアは、何かやっていらしたのですか?」
週二回も会っていると、だんだん気安く話せるようになってくる。アリシアは素直で一生懸命なので覚えが早い。でもそれだけではない気がする。深窓のご令嬢にしては、動きに勢いがある。
例えば、足を肩幅に開いて、と言った時にも元気よくあっさりと応じた。侍女二人はズボンで歩くのさえ恥じらっていたのに。
何かやっていたのだろうか。体を動かす事に躊躇いがない。
そう思って聞いてみると、ぱちぱちと大きな目を瞬かせ、私をじっと見つめる。
何か迷っているような感じだった。
言いたくないのかな?
「……部活が、バレー部だったんです」
「バレエか」
なるほど、舞踏をやっていた事があるのか。そういったダンスはあまり伯爵家の御令嬢がやるようなものでもない気がするが、そういう常識にとらわれない家だからこそ今回参加しているのだろう。
部活……そういえば私が卒業した後、学園でそのような活動をしている生徒がいると聞いた事がある。
納得した顔をした私を見て、アリシアはパッと顔を輝かせた。
「バレー、わかります!? 」
「え?」
「ああ、やっぱり……リーゼ先生も、転生者なのでしょう!?」
「は?」
「バッドエンド、回避したんですね! 本当によかったです!」
「バッド……?」
何を言っているんだろう?
理解しようと頑張っていると、「おはようございますっ!」と、威勢のいい声がした。サーシャの声だ。
いつもはそんなにやる気もなさそうなのに、今日はやけに張り切っているなと思って振り向くと、隣ににこにこしているヴィンツェルがいる。なるほど、雇用主が来たのか。それでやる気を出しているわけだ……
「おはよう、サーシャ。ヴィンツェルもようこそ」
「やあ、リーゼ。見学してもいい?」
「ああ……アリシア達が良ければ」
サーシャには拒否権がないのだろうけれど、アリシアは大丈夫だろうか。
「私は構わないです」
アリシアは何でもないように言った。侍女のルイゼも頷いた。
「ヴィンツェル様はお友達ですから」
「そうだったんだ」
アリシアとヴィンツェルが知り合いなのは知らなかった。へえ、と思って二人を見ると、アリシアはなぜか焦ったように顔の前で手をぶんぶんと振る。
「お友達! ですから! 本当に! 何もありませんから!!」
「……?」
別になんかあっても構わないけど……照れているのかな?
そんなアリシアを見て、ヴィンツェルがにこにこと補足する。
「最近知り合ったんだよ。侍女をここに通わせるっていうので情報交換でお話をね」
そして、私を見ながらすすっとアリシアに寄り添って、嫌らしくない絶妙な感じで肩に手を置いた。
「ねっ。リーゼの話もできる友達なんだ」
「……?」
なんだろう? 好きなのかな?
しかし、アリシアは青くなってあわあわと首を横に振っている。その顔は照れている感じでもない。
ヴィンツェルを見ても、ニコニコとした顔と分厚いレンズの野暮ったい眼鏡が邪魔をして、何を考えているのかわからない。
ヴィンツェルの片思い? なのか?
「応援するよ?」
「……うーん、そうなるよね~~」
たははと笑うと、ヴィンツェルはアリシアから離れる。
そして道場の隅まで行くと置いてある木剣を手に取った。気合を入れるようにヒュッと一振りすると、くるりと優雅に私の方を向く。
「始まるまであと少しあるでしょう? 一戦、お相手願いたい」
いつもの飄々とした笑顔だが、本気のようだ。スッと伸ばした剣先を躊躇いなく私に向ける。
「へえ、ヴィンツェルが? ブランクあるんじゃないのか?」
勝てない勝負はしないヴィンツェルが、私に挑もうというのか。まさか、私に勝てるつもりなのだろうか?
訓練時間が減っているからといって、最強の剣士であった私を舐めてもらっては困る。
「剣の稽古は続けてるよ。でもハンデは欲しいね」
「ハンデ?」
「魔力を使ってもいいかな?」
そう言って野暮ったい眼鏡を触る。魔眼か。私には効かないんじゃなかったのか?
……まあでも、確かに吸い込まれそうにはなる。上手くやれば私相手でも隙は作れると考えているのかもしれない。
「いいよ、そのくらい」
要は、目を見なければいいのだ。
ヴィンツェルは野暮ったい眼鏡を外してサーシャに渡す。私以外見ないように気を付けているのか、目を伏せてこちらに歩いてくる。
礼儀正しく頭を下げると、剣を構えた。細くて華奢な身体付きだが、静かに剣を構える姿は微動だにせず、しっかりと地に足がついている。
誰にも見せないという眼鏡のない顔。ゆっくりと長い睫毛が上がる。
白い肌、薔薇色の頬、繊細なつくりの目鼻立ち。
唇は果実のようで、僅かに弧を描いている。余裕の表情だが、薄い青い目は氷のように緊張が漂っている。
その絵画のような顔を、淡い金色の艶やかな髪が更に引き立てている。輝くように美しい。
「……本当に美人だな」
目とは関係なく、吸い込まれそうになる程の美貌だ。薄ら恐ろしくなってつい呟くと、ヴィンツェルは少し得意げに鼻を鳴らした。
「ふん、……リーゼもね」
確かに、ブランクは感じない。力が抜けたすっきりした良い構えだった。しかし、シュタインと対峙したときのような肌が粟立つようなヒリヒリする危険な感じはしない。
時間も差し迫っているし、手早く終わらせよう。何を考えているのか分からないが、私が稽古をつけてやる事もないだろう。
「はぁっ!」
気合いを入れて一閃。ヴィンツェルはひらりと身をかわし、私が体勢を立て直す一瞬の隙をついて鋭い突きを打ち込んでくる。それを木剣の刀身で受け止めた。
ガッ、と、木剣同士が激しくぶつかり合う音が道場に響いた。
ヴィンツェル戦は後半へ続きます!




